学習マルチ(嫉妬編) 投稿者:takataka
 オレとマルチが共同生活をはじめて、もうかなりの日が経った。
 前々から取り組んでいた『マルチワルワル強化計画』もそれなりに進んでいた。
 
 心の中のどこにも悪いところのない、純粋なメイドロボ、マルチ。
 だが、どこにもマイナス点のない人格というのが、果たして本物の心といえるだろう
か?
 マルチにもっと本物の人間らしい心を持たせてやりたい。
 オレのそんな思いからはじまったこの作戦も、いよいよ正念場を迎えようとしていた。
 まあ、いつまでも泥棒させておくわけにもいかんし。
 今回はもっとメンタル面での悪の華を追求してみよう、という趣旨だ。
 それは。


 嫉妬!


 人類開闢以来、男と女が別の生物として認識されて以来つねに人類につきまとってきた
感情であるッ!
 なんだったら会社休んで昼メロを見てみるがいい! そんなんばっかだ!
 人間がロボットに対して、またロボットが人間に対して嫉妬を感じうるのか?
 メイドロボが普及してくるにあたって避けられない重大問題といえよう!
 心のあるメイドロボ、マルチ。
 果たしてその純粋な心に、一粒の悪の種子を植えつけることができるのか?

「と言うわけだ、マルチ!」
「……はいぃ」
「どうしたマルチ? 今回いやに乗り気薄だな」
「私、あかりさんのこと好きですぅ……あかりさんに意地悪なんて、できません」

 ふむ。
 たしかに一理ある。
 でもなあ。

「しかたないんだ。うまくいびられてくれそうな嫁候補があかりしかいないんだから。た
とえばお前、いいんちょや綾香に意地悪しようって気になるか?」
「むっ無理です! 逆にこなごなにされちゃいます!」
「葵ちゃんに琴音ちゃん、志保に芹香先輩」
「ふえぇ、崩拳くらってチャッピーに咬まれて、その上イヤな噂流されて呪われるんです
か〜?」
「確かにイヤなメンツそろってるよなオレの知り合い。レミィは?」
「浩之さんは私を射的の的にしたいんですか〜」
「セリオだったらどうよ?」
「ひいぃ! それこそこの世にいた痕跡ごと消されます!」

 隅っこに引っ込んでぶるぶる震えるマルチ。
 おりゃーますますセリオが何者か分からなくなったぞ、おい。

「じゃあ理緒ちゃん……」
「あ、それならいけそうですー」
 しゅしゅっとシャドウかますマルチ。
「……は、理緒ちゃんが気の毒なんでだめ」
「あう」
「だって遺書にお前の名前書かれて死なれたら厄介だろ?」
「そうですねえ……」
 割とヒドイ会話を繰り広げるオレ達。
「やっぱあかりだよなあ」
「……でも」
「あとでちゃんと事情は説明するから、ドッキリだとか何とか言って」

 マルチはまあ納得したようだった。
 だが、その前に重大な関門がある。
 マルチにではなく、オレにだ。
 この作戦は、オレがあかりとくっついていることが前提となっている。
 だが現在のところ、オレとあかりは友達以上恋人未満の、そんな関係だ。
 つまり、オレはあかりをこれからモノにしなければならないのである。
 オレとしては、あかりのことはもちろん……まあ、言わずもがな。
 だが、あかり自身はどうだろう?
 たしかにいまでも高校時代と変わらず、オレのそばに犬みたいにまとわりついてくるあ
かり。
 これはただの習慣じゃないのか? あかりは、本当に今でもオレのことを――?

 それに、いまうちにはマルチがいる。
 あかりだってそのことは重々承知のはずだ。ローンだって返し終わってない。
 メイドロボと同居する独身男。はっきりいって聞こえのいいものではない。あかりはそ
のへんどう思っているのだろう。
 マルチが帰ってきたと聞いたときだって、あいつは単純に喜んでた。でも、それがオレ
を落胆させないため、オレに嫌われたくないがためのただのフリだとしたら?

 でええい、はっきりしろオレよ! 今まであいまいだったことをはっきりさせるだけじ
ゃないか。
 そうは思っても、ドキドキは静まりそうになかった。

「だ、大丈夫ですかー、浩之さん……」
「おう、大丈夫だ」
「でも、なんだか不安そうです」
 オレは黙ってマルチを抱き寄せた。
「あ……」
 分かってくれるだろうか? マルチの不安をやわらげるためでもあったが、オレ自身の
不安をやわらげるためでもあるのを。




 一限目と二限目の間の休憩時間。
 オレは秘策を胸にあかりを待ち受けていた。
 さまざまな資料をあたり、幾日も眠れぬ夜を過ごして、そのうえでこれ、という台詞を
編み出したのだ。
 一限めはオレと別の講義をとっていたあかりが教室に入ってくる。

「……あかり、話がある」
「なあに、浩之ちゃん?」

 口ごもるオレ。
 あかりが不思議そうにオレを見ている。
 さて、言うぞ!
 あかりの瞳をまっすぐに見すえて――。




「オレのために、みそ汁を作ってくれ」




 言った。
 言ってしまった。

 いろいろな文献を参考に、オレが編み出した必殺の殺し文句。
 プロポーズにはこれしかねええええええよ!

 さあ、オレのこの思いをどう受け止めるのだあかりよ!?




 こくん。
「うん、いいよ。じゃあさっそく今晩作ってあげるね」




 オレは一瞬にして白髪になったような錯覚をおぼえた。
 ――この女。
 オレの必死の告白を素で流しやがった……。

 まあ! アレだけど! 俺たちの普段の関係考えりゃしょーがねえんだけど!
 ちきしょう! なんか! なんか口惜しいぜ!

「どうしたの浩之ちゃん……え、涙……?」
「ほっといてくれあかり……オレは……くっ」





 と言うわけで、あかりが来た。
 
「じゃあ、私お手伝いしますー」
「ありがとうマルチちゃん。じゃあ、お鍋に水を張って火にかけてもらえるかな?」
「はいっ」

 とんとんとん、と包丁がまな板を叩く小気味良い音が響く。
 やはりこの音はあかりだ。
 マルチも最近ずいぶん慣れてきたとはいえ、こうもリズミカルにはいかないからな。
 エプロンを着けた二人の背中がかいがいしく立ち働く。オレはそんな光景を見て胸が熱
くなるのを感じた。
 だが、十数分後にはこの心温まる情景が阿鼻叫喚の大惨事にかわるのだ。
 ……そんなでもねーか、別に。

 オレはマルチにすでにどうすればいいか吹き込んでおいた。
 テーブルについてみそ汁をひとくちすすった瞬間、ぺっと吐き出して、


	「しょっぱい! こんなしょっぱい味つけにして、あかりさん、あんたこのアタ
	シが高血圧で死ねばいいとでも思ってるんだね、きー、この鬼嫁!」


 これよ。
 正しい鬼姑はみそ汁の塩分にこだわるのだ。
 しっかりやれよ、マルチ。

「きょうはナスとミョウガのおみそ汁だよ。熱いから浩之ちゃん、気をつけてね。はい」

 オレはあかりがよそってくれたみそ汁を受け取った。
 ミョウガか。
 ミョウガはいい。辛いことを忘れさせてくれる。
 ミョウガを食うと人間忘れっぽくなるというな。
 忘れてしまえばいいと思う。切ないこと、悲しいこと。
 そして、いままたひとつ、忘れたい思い出が出来ようとしている。

 マルチは思いつめた表情で席についた。
 ゆっくり、みそ汁をすすって……。


「しょっぱい!」


 言ったか。
 オレは、目をとじ、深く溜め息をついた。さて、これで愁嘆場が持ち上がるわけだ。

「こ、こんなおみそ汁、しょっぱくて飲めませえーん!」

 あかりの顔からさっと血の気が引いた。泣くのかな、コイツ。
 震える手でマルチの手を取る。
 自分で言ったとはいえ反応がこわかったのか、マルチはきゅっと目をつむって身構えて
いた。



「マルチちゃん、味分かるようになったの?」



 意外な展開。
 マルチは目を白黒させている。
 あかりはマルチの手を取ったまま、ぴょんぴょん飛び跳ねている。

「わあ、よかったねマルチちゃん! これでお料理上手になれるよ、きっとだよ! わた
しいろいろ教えてあげるよ」
「あ、あうう……」
「まずはそうねえ……あ、ミートソース! わたし今度作り方教えに来てあげるね、市販
のソースじゃなくて、ソースから手作りで作るの。とびきりおいしいの作って、浩之ちゃ
んを見返してあげようよ。もうミートせんべいなんて言わせないんだから」
「うう……」
「でもすてきだよー。わたしマルチちゃんと一緒に台所に立つのってとっても楽しいなっ
て思うの。これからは味見もふたりでできるよね」

 途方に暮れていたマルチの目から、ぽろっと涙がこぼれた。

「ご、ごめんなさーい、あかりさん」

 あかりにすがりついて泣くマルチ。

「ど、どうしたのマルチちゃん?」
「ほんとうはしょっぱいなんてウソなんです! わたし、まだ味がわからないんです」
「え……? どうしてなの、マルチちゃん」

 あかりにしがみついてぐすぐすぐずりながら、マルチはオレを指差す。

「ひ、浩之さんがそう言えって……」

 おい、ちょっと待てお前。
 この状況でそれはないんじゃないのか?

「ほんとうなの、浩之ちゃん?」
「い、いやまあ本当っちゃー本当だけど……」

 あかりはひくっと息を呑んで、オレに歩み寄った。

「あのな、なんでかってーと」

 最後まで言えなかった。
 なぜって、次の瞬間オレの頬にするどい衝撃が走ったから。

「ひどいよ……」
「……あかり」

 頬にも衝撃はあったが、心理的な衝撃の方が大きかった。
 あかりが人を殴るのは、オレが知ってるかぎりではこれがはじめてだ。
 しかも。
 あのあかりが……オレのことを!?

 腕を振った姿勢のままで、あかりは怒りにふるえていた。
 本気で怒るあかりもはじめてだ。
 自分がひどいことをされても、あかりは怒らないのだ。
 それは分かっていた。小さい頃のことといい、中学校時代無視してた頃のことといい。
 そのかわり、他人のこととなるとそうでもないようだ。

「ひどいよ浩之ちゃん! マルチちゃんみたいないい子に、なんでこんなことさせるの?
 それは、マルチちゃんは浩之ちゃんの持ち物かもしれないよ! 浩之ちゃんがお金出し
て買ったんだもの、浩之ちゃんの好きにしていいのかもしれない。
 でも、マルチちゃんには心があるんだよ? ひどいことされたら、悲しくなるんだよ?
 あんなにマルチちゃんのこと思ってた浩之ちゃんが、どうしてそれを分かってあげられ
ないの?」

 あかりの瞳から、涙がひと雫、ぽろりとこぼれ落ちる。
 おう、ちょお待て。
 オレはマルチのためにだなあ。

「わたしの知ってる浩之ちゃんはやさしい浩之ちゃんだもん、わたし、そんな浩之ちゃん
なんて知らない! そんな浩之ちゃん見たくないよ!」

「あのな、あかり。オレの話を」
「うわああん、待ってくださいいいー!」

 状況が変な方向に流れているのを察したのか、マルチがあかりにすがりつく。
 それはいいんだが、なぜオレの発言の機会を奪う、マルチよ。

「あかりさん、やめて、止めてあげて下さいー。浩之さんは悪くないんです。わたしがい
けないんですー」

 …………。
 たしかにそうなんだけど、ここでお前がそう言うと事態をさらに悪化させるだけなんじ
ゃコラ。

「いいの。大丈夫だよ。マルチちゃんは悪くないもんね」
「あ……」
 マルチをそっとなでなでしてやるあかり。
「いい子だよね、マルチちゃん。こんなときにまで浩之ちゃんをかばって……」

「そんな……こと、ないです。
 それよりもあかりさん、ロボットなのに人間の方にウソついて……それもあかりさんみ
たいなやさしい、すてきな方に……わたしなんか、メイドロボ失格なんです……。
 だから、そんな風に言っちゃだめですぅ」

 そう、本当にそんなことねえのだ。
 だがなあ、ここでお前が言ってもなあ。

 オレはコホン、と咳払いして、

「つまりだな、なんでこんなことしたかっつーとぉ」
「あかりさん!」
 オレの台詞をぶっちぎり、突如かしこまって言うマルチ。
 マルチ。
 もしかして……ワザとか?

「浩之さんのお嫁さんになってあげてください。わたし、こんなわたしでお役に立てるか
どうかわかりませんけど……あかりさんのメイドロボになりたいです!」

 何言い出しやがるんだテメエ。
 オレのことは?

「うん、わかったよ」
 顔を赤らめてうなづくあかり。
 ぽん、とマルチの頭に手をおいた。

「でもね、メイドとかそんなじゃなくて、マルチちゃんにはわたしの妹になって欲しいな。
ダメかな?」

「え……そ、そんなことないです! うれしいですぅ! ううっ……」

 ぽろぽろと涙をこぼすマルチ。
 あかりはそれをそっとぬぐってやる。

「そう、よかった。これからもよろしくね、マルチちゃん」
「はい、よろしくお願いします、あかりさん」
「じゃあ、はい」
「小指……ですか?」
「指切り、しよ? 大事な約束だもんね」
「はいっ」
 涙をぬぐって、小指を出すマルチ。

 ゆーび切り、げんまん……。
 涙の乾いたあとの最高の笑顔で、一人と一体は大事な約束をかわす。
 オレ様完璧カヤの外。

 なんかさー。
 お前らふたりして何さわやかにまとまってるんだ、オレ置き去りで。
 オレも仲間に入れろ、ちきしょー。

「さて」
 あかりはこほん、と咳払いして、
「ひろゆきちゃんっ」

 ぎんっっ

「はいっ」
 やべえぞオレ、あかり相手に敬語になってるし。

「いーい? もうマルチちゃんに意地悪しちゃダメだよ」
 片手を腰に当て、指を突きつけて、すっかりお姉さんモードで説教するあかり。

「そうですう。浩之さん、もしあかりさんを泣かせるようなことしたら、わたしだって怒
っちゃいますよ」

 腰に手を当てて、えっへんとばかりに威張ったポーズで言うマルチ。
 ……。
 なぜそっちサイドにいるんだ、マルチ。
 手のひら返しやがって。
 てめえってロボはよぉ。

「じゃあマルチちゃん、これからもよろしくね」
「はい! よろしくお願いします、あかりさん!」

 こうして事態は大団円を迎えた。
 オレ一人悪者にして。




 帰り道を行くあかり。
「でもよかったよー、これでマルチちゃんとも浩之ちゃんとも一緒にいられ……」

 はっ。

 両手で口元を押さえ、その場で立ちすくむ。

「わたし、浩之ちゃんに約束しちゃったんだ。結婚の約束だよぅ。
 どう、どうしよう、どうしよう……」

 かーっっと上気してあかりは立ちすくんだ。

「えっと、結納と、あと浩之ちゃんとうちの両親に会ってもらって、あっでもでもなんか
今さらって気もするし……あと式場の予約入れて、あっその前にブライダルフェアかなん
か見に行かなくちゃ……あ、あと避妊! 浩之ちゃん的にはピル使った方がいいのかな?
 あーじゃなくてじゃなくて、あの、避妊はいいんだよねもう正式に夫婦なんだから……
その、夫婦……あうぅ」

 落ち着けるように、やるべきことを指折り数える。
 だが内容デタラメ。
 かなり混乱していた。




「ああ、やっぱりあかりさんってすごくいい人ですう!」

 マルチは満面の笑顔だ。
 さっき泣いたカラスがなんとやら、だ。
 だが、オレの心は暗黒の闇。

「あれ、浩之さん、どうしたんですかー?」
「……お前さあ」
「はいー?」
「当初の目的おぼえてる?」
「え? あ、あれ? えっと……何でしたっけ?」

 人差し指をこめかみに当てて、頭をひねるマルチ。

「あ、でも、あかりさんと今まで以上にお近づきになれたので、よかったと思いますー」

 胸の前で手を合わせて、マルチうっとりモード。

「よくねえよオレは」
「ひ、浩之さん! 目が三角ですよ!?」
「あーなんか! なんかムカツクちきしょー!」

 後ずさるマルチをとっ捕まえて。

「てめえ」

 足引っかけ、

「って奴は」

 首かため、

「よおおおおおおぉぉぉぉぉ!」みしみしっ

 思いっきりコブラツイスト。

「あ、い、いたたたたたたた!」
「オレの心の痛みはこんなもんじゃねえぞテメエええええ!!」
「ひいぃ! そんなに激しくしたら壊れちゃいますうぅぅ」
「人が聞いたら誤解するようなこと抜かしやがって! ワザとだな! それもワザとなん
だな!」
「あうううううっ」
「どうだどうだコラ! ギブ?」
「あ、あかりさんに言いつけちゃいますー!」

 ぴた。

「ふふぅ、ヨワヨワですぅ」

 マルチの野郎は、口元に手を当てて、うぷぷ、とでも言いたげに笑う。

 ち……
 ちっくしょおおおおおおお!




 まあ、別の意味でマルチに悪を働かせることに成功したとはいえる。
 『主人に対して反抗する』
 これも悪事は悪事だな。
 ミッションコンプリート……。
 むう。
 騙されてるような気がする。