『しっぽせりおの大冒険』第八話 投稿者:takataka

「こーんっ」
「こんっ」

 仔ぎつねさんといっしょ。
 はじめての、同族のひと。
 すてきです。

 仔ぎつねさんはとっても元気。
 先頭を切って矢のようにぴゅううっと走りぬけては、ときおりぴょんっとジャンプして
います。

 立ち止まって、しっぽを立てて、ここまでおいでっとしっぽを振り振り。

 むー。
 お姉さんギツネとしては、負けるわけにはいきません。
 わたしも一生懸命走りますが、ちっちゃくてはしっこい仔ぎつねさんに分があるようで
す。
 ときどき急に方角をかえるので、追いつけなくなりそうになることもしばしば。
 ようし。はりきって追いかけましょう。
 気分の上で腕まくりして、わたしはびゅんっと加速します。
 前脚ついて、後ろ足蹴って、耳を寝かせて……いち、にい、さん!
 風が毛をなびかせて、景色が後ろに飛ぶようで、ぴしぴしと草があたります。
 それでもなかなか追いつきません。

 と。
 前脚つっぱって、仔ぎつねさん急ブレーキ。
 とたんにぴた、と動きが止まります。
 なんでしょうか?

 前に回ってみると、吹き出しそうになりました。
 仔ぎつねさんの鼻のさき、白いちょうちょが止まっています。
 仔ぎつねさんは立ち上がって、前脚でお鼻をかこうとしていますが、
 ふらふらっ、ぱたん。
 そのままぱたんっと後ろに倒れてしまい、なんだか目を白黒させてます。
 チャンスです。
 私はすぐさま走り寄り、仔ぎつねさんの手前でジャンプ!
 そして上空から一気に襲いかかり――。
 ひっくり返った仔ぎつねさんのおなか、体操服の下に顔をうずめて、あちこちなめまわ
します。
 仔ぎつねさんはくすぐったそうに手足をちぢめて、うにゃんうにゃんと妙なうなり声。

 油断したところで、しっぽを、ぱく。

「きゅううううん……くううん……」

 ぶるるっと震えて、いやいやするみたいに首をふる仔ぎつねさん。

 必殺キツネジャンプ。
 獲物をとるとき、ぎりぎりまで近寄ってから一気にジャンプして飛びかかり、前脚で捕
まえるのがキツネ的に正しい狩猟の方法なのです。
 おぼえておかなければいけませんよ、仔ぎつねさん。

「みゅうぅぅ」

 くすぐったさに我慢できず、涙目でこくこくとうなづく仔ぎつねさん。
 ふふふ。
 お姉さんギツネとして負けるわけにはいかないのです。
 私がお姉さんギツネなら、あなたは妹ギツネですね。
 私たち、いい姉妹になれそうです。

 げんきものの仔ぎつねさん、もう座ってるのにあきたのか、一人遊びをはじめました。
 自分のしっぽを追いかけて、ぐるぐる一人で走り回っています。
 くすくす。
 それじゃあいつまでたっても追いつきませんよ?
 青い髪と黄色いしっぽ、ぐるぐる。

 そして走りつかれたのか、仔ぎつねさんはころん、と地面に横たわります。
 私もとなりに、ころん。
 草のにおいとつめたい肌ざわり。
 お空にはしろい雲が浮かんでいます。
 風がざわざわっと草むらを吹き抜けていきます。
 風さんが、草さんをなでているよう。
 わたしも、しっぽで仔ぎつねさんを、なでなで。
 仔ぎつねさんはきゅっと目を細めて、しあわせそうにまどろんでいます。

 すてきな、妹。

『……ちゃん』

 と、ふいに聞こえるあの声。私は耳をぴんと立てて。

『せりおちゃん、せりおちゃん』

 あ、お星さま、お久しぶりです。

『どうかな? ご主人さま、見つかった?』

 いいえ、ご主人さまはまだですが、そのかわりにすてきな妹に出会えました。

『そう、よかったね。せりおちゃん』

 はい、お星さま、わたしとってもうれしいです。
 妹といっしょに走ったり、飛んだりはねたり、それにこんなにすてきな場所も教わりま
したし、それにそれに……。

『はいはい』

 あ、お星さま。
 また少し苦笑いですか?

『せりおちゃん、それでご主人さまは?』

 忘れたわけじゃありません。
 私のすてきなご主人さま。
 きっとどこかにいるはずです。

『そうそう、その意気だよせりおちゃん』

 と、仔ぎつねさんの目がぱちんっと開きました。
 あ、目を覚ましましたか?
 何かにうたれたようにびくんっと飛び起き、耳をぴんと立てています。
 しっぽの先は緊張にふるえて。

「ぐぅー……」

 仔ぎつねさん警戒警報。
 なにかに気づいたのでしょうか?





「葵……セリオ……いつの間にそんな関係に……」

 綾香は怒りに震えていた。
 ごろごろ睦みあうセリオと葵。
 草むらからのぞくしっぽの先が、仲睦まじさを伝えてくる。
 手にした小石ががりがり音を立てて砕け、砂利になった。

 そんな綾香を心配そうに見つめる浩之。
 コイツ、やっぱりセリオのことを……それに葵ちゃんまで……。
 心中察するに、辛いものがあるのだろう。


	 ――なによ……この私を差し置いてあんたたち二人でそうやって。
	 ちくしょう。
	 私もまぜろ。
	 いや!? むしろ三人の方がいいかも?
	 一人より二人がイイさ、二人より三人がイイ。
	 などという歌もあったことだし。
	 いそいそと耳&しっぽセットの装着にかかる綾香。
	『ふふふ……葵、セリオ、かわいがってあげるわよ』


 ああ、そうか。
 綾香、オマエやっぱりそうだったんだな……。
 深々とうなづく浩之。
 背後に近づく魔の手にも気づかぬまま。

 ごり

「藤田浩之くん?」
「…………」
「妙な妄想を声に出してしゃべるのはどうかと思うな」

 みし

「返事は?」

 口をぱくぱくさせるだけの浩之。
 何か言うだけの意志はあるらしい。

「私の怒りのはけ口になりたくなかったら妙なこと言うんじゃないの」

 ぱっと手を放した途端、浩之はうずくまってげほげほと咳き込んだ。





「なあ、綾香ぁ」
「なによ!」
「さっきから不思議に思ってるんだが、なんか長瀬主任っていたりいなかったりしてない
か?」

 そう言えば、さっきは逃げたかと思ったら急に戻ってきて、セリオからの衛星通信を受
信してみせたと思ったらいつの間にかまたいなくなっている。
 まさに神出鬼没であった。

「いいわよ別に! あの人いたって何の役にも立たないじゃない!」

 言い切った。

「ひでえ。仮にもセリオの生みの親なのに……」
「私はセリオのマスターよ! 文句ある?
 大体なによなんなのよ、私が何したっていうの? セリオのことだってあんなにかわい
がってたのに、この手のひら返しはいったいなによ!
 おまけに追っかけてみりゃ逃げるし! 助っ人呼んでもなんの役にも立たないし!
 あああもう! なんか腹立ってきた! なんかもう何もかも腹立ってきたわ!」

 綾香はすっくと立ち上がった。
 その視線はセリオたちの方にしっかと向けられている。
 単なる吊り目通り越して、目が三角になっていた。

「おい、背えかがめろよ! 気づかれるって!」
「荒っぽい手は使いたくなかったけど……
 私はね、まだるっこしいのは嫌いなの。もう一気に勝負に出てやるわ」

 いきなり走り出した。

「力づくでも捕まえてやるから!」





 綾香が走り出すと同時に、葵が素早く反応して四つ足で駆けてきた。
 追いつけるか……いや、逃げない?
 こっちに向かってくるのか?
 いいじゃない! そうこなくちゃ!
 綾香は正面からぶつかるつもりでそのまま走った。
 四つんばいで襲ってくる相手をかわすのは、タックルをかわす要領でいけるだろう。
 カウンターを一発当てて動きを止めることができれば、そのまま捕まえるのはさほど難
しくなさそうだ。
 しかし。

「しゃーーーーーーーーー!!」

 綾香は目を疑った。
 そのまま突っ込んでくるかと思った葵の姿が、突然目の前から消えたのだ。
 この状況で動ける方向というと――。

「上っ!?」

「かあぁぁーーーーーっ!!」

 気付くのと、葵が飛びかかってくるのは、ほぼ同時だった。
 二つの影が交差する。
 一つはゴムまりのように弾力性のある動きでさっと飛びのき、すばやく体勢を立て直し
た。
 もう一つは、ふらりとバランスを崩しながらも、なんとか持ち直す。

「……冗談」

 綾香はなんとか体勢を立て直すと、目を見開いて、草むらに飛びのいて低い姿勢で唸っ
ている葵の動きを油断なく見すえていた。
 一筋の汗がこめかみをつたって落ちた。

「……格ゲーキャラじゃないんだから対空技なんてないわよ、私」

 なかば勘だけでとっさに身をかわしたが、制服の袖口を破れて、腕に軽いかすり傷を負
っていた。
 まともにぶつかっていれば葵の全体重とジャンプした分の運動エネルギーの合わさった
強力な一撃を食うところだった。
 いままでくらったことのないタイプの技だ。空手でも総合格闘でも、ほぼ真上からの一
撃というのは普通ない。もちろん迎撃のための技も存在しない。
 かわせたのはまさに格闘家としての天性の勘のなせる技だろう。
 もう一度くらったら、果たしてかわせるかどうか……。





 浩之は草むらの影で茫然と事態を見守っていた。

「すげえ……葵ちゃん、いつの間にあんな技を」
「いまの攻撃はキツネの特徴なんです」

 聞き覚えのある、しかしいつもより弱々しい声。

「琴音ちゃん?」

 琴音は木につかまって伝い歩きしてきた。
 リムジンの中に寝かせておいたはずなのに、いつの間にこんなところまで?

「獲物にぎりぎりまで近づいてから、大きくジャンプして空中から襲いかかる、あれは…
…キツネの狩りの方法です」
「琴音ちゃん!? もう起きて平気なのか?」
「大丈夫ですよ、藤田さん、わたしこのくらいで……あぅ」

 ふらりと倒れかかったところを、浩之がとっさに抱きとめた。

「身体の方はなんともないみたいだな。まだ眠いか?」

 しかし、琴音は潤んだ弱々しい瞳を浩之に向けて、悲しげにつぶやいた。

「藤田さん……私のことはいいですから、松原さんを助けてあげて下さい」
「琴音ちゃん……?」
「あの子は、先輩がついていてあげなきゃだめなんです……松原さんって強いけど、心は
そうじゃない……さびしがり屋で、いつも大事な人にそばにいてもらいたがってる。
 わたしと、おんなじですから……うっ、げほげほっ」
「琴音ちゃん!? どうした?」

 激しく咳き込む琴音。
 超能力の使い過ぎで寝てただけだったんじゃなかったのか?
 浩之の腕の中で、辛そうではあるが、しずかに微笑んでみせる。

「ううっ……せ、先輩……私もうだめです……せめて松原さんだけでも、幸せにしてあげ
てください」

 悲しみを浮かべた、ととのった面差し。
 薄い色の瞳に、真珠のような涙がにじんでいる。
 琴音的にもベストな表情だった。

「松原さんを……先輩が、助けてあげなくちゃ……」
「琴音ちゃん、琴音ちゃん!」

 浩之の手がぐっと手をつかむ。

 ――もうひと押しです。
 心の中でぐっと親指を立てる琴音。

「行って、先輩……お願いですから……」
「……おう、わかったぜ」

 言葉にできない思いを秘めた瞳を一瞬浩之に向け、つ、とそらす。
 あとはただ目を閉じていた。
 浩之は無言だった。
 琴音の耳にはなんの物音も聞こえてこない。

 浩之の手が、するりと琴音の手をすべりぬけていく。

「ごめんな、琴音ちゃん」

 琴音は期待にうち震えた。
 ――来ました! 藤田先輩はこういうシチュエーションに弱いはず!
 そう、やがて藤田先輩の顔が静かに近づいて言うんです……。



	『こんなときになって言うなんてごめんよ。本当はオレ、琴音ちゃんのことが誰
	よりも……あの赤犬や緑カラクリなんかよりもずっとずっと……好きだった』



「先輩? わたし、ずっと夢だったんです……こうして先輩と結ばれるのが……。
 いつも、先輩のこと思ってました。
 ふふ、最後になって、ようやく夢がかなうなんて……皮肉ですね」

 胸の高鳴りを押さえもせず、ただ目を閉じて、唇に熱い感触が触れるのを待った。

「先輩……」



 5分経過。



「もう、先輩ったら……女の子をそんなに待たせるなんて、反則ですよ?」

 ぱちっ。
 静かに身を起こす琴音。
 左見て右見て左見て、もいちど右確認。

 ひゅううううううううう。
 吹き抜ける風も心涼しく。



「…………いねえし!」



 ずどおおおおおん。
 背中で大木が一本、えらく不自然な倒れかたをした。





「葵ちゃん! 綾香!」
「葵なら逃げたわ。セリオといっしょにね」

 ということは、逃げられたのか。
 だが、しかし。
 浩之はあらためて驚きをかみしめた。
 あの精神面の弱い、なにかにつけて萎縮しがちな葵が、綾香と正面からぶつかって一歩
も退かなかったのだ。
 結果的には逃げたのだが、それはむしろセリオを逃がすためだったのだろう。

「ある意味、葵ちゃんにとっては大きな成長かもしれねーな……」

 と、浩之は綾香が腕を押さえているのに気づいた。

「綾香どうしたんだ!? お前それ大丈夫なのか?」
「たいしたことないわ」

 綾香はセリオたちの逃げていった方をじっと見ている。
 いつになくけわしい表情だった。
 肩が小刻みにふるえている。

 浩之はふっとため息をついて、ふいにやさしい目つきになった。

「綾香……そう気を落とすなよ……」
「ふふふ……」

 ひくく笑う。
 うつむいた面差しから、禍々しいオーラがたちのぼる。

「……おい、綾香?」
「葵ぃ……あんた、この私に本気でかかってきたわね」

 綾香はリムジンまでとって返すと、鞄の中をさぐってウレタンナックルを取り出す。
 ぎゅっとナックルを装備する。右に、そして左に。

「上等じゃない」

 すうっと息を吸い、目を閉じて――。
 ぱしん! 音高く右拳を左の手のひらに打ち合わせる。
 吐き出す息とともにしずかに開かれた瞳は、闘志十分だった。
 にやり、と綾香は不敵に笑う。

「あの子と本気でやりあえるなんて、願ってもない機会だわ」

「綾香、ひとつ聞いていいか?」
「なによ」
「セリオは?」
「どっちみち葵を倒さないと帰ってこないでしょ!」

 もはや綾香の目には葵しか映らないようだった。
 こらあかん。
 まあ、葵ちゃんのことは綾香にまかせてよさそうだ。
 お互い格闘家なわけだし、ここは一つ恨みっこなしということで。

「じゃ、オレがセリオ担当か」
「好きにしなさい。私はいま葵を倒すことで頭がいっぱいなの」

 妙なスイッチ入れられてしまった綾香。
 もはや葵以外はアウトオブ眼中だ。
 セリオの立場って……。