『しっぽせりおの大冒険』第六話 投稿者:takataka
「……………………」
 キツネ、ですか。

 芹香はあごに指を当てて、うーんと何かを考えている。

「………………」

 考えている。
 うーん。

「ちょっと、なんなのよ姉さん!」
「………………」

 ぽむ。
 ゆ〜っくりと手を打った。ほとんど音はない。

「なあに? いい考えがあるって?」

 こくこく。



 エプロンを着けた芹香が手を一振りすると、どこからともなく現われたセバスがふろし
き包みを持ち出してきた。
 中から現われる料理道具一式。森の中で突如としてキッチン芹香本日開店といった趣で
あった。

「なに姉さんガスコンロなんか持ちだして……油揚げ?(こくこく) それどうするの?
 ふむふむ、切れ目をいれて……鍋に?
 おしょうゆと、みりんと、砂糖と……。あっ煮えてきた煮えてきた」


 ♪でっきるっかなでっきるっかな
 さてさてふむー(さてふむー♪)


 手持ちぶさたなのでとりあえず手拍子とコーラスなど入れてみる浩之だった。

「あら今度はなに? あったかいご飯に、お酢? さっと振りかけてー、あら、切るよう
に混ぜるのね。ぱたぱたぱたって……ああ、団扇であおいでるんだー。
 あ、わかった姉さん。お寿司ご飯に油揚げって……稲荷ずしね!」

 こくこく。

 しょうゆとみりんのいい匂いが漂いだす。
 ふっくらご飯は釜のふたを開けたときお米が立ってる感じのいい炊き具合だ。
 お酢加減もいい塩梅。

「……………………」
 スローモーながらも器用にご飯を丸めて、油揚げに詰め込んでいく芹香。完成品がみる
みる皿に積まれていく。
 ややあって、ほら、とさしだしたお皿には、できたての稲荷ずしが鎮座していた。
 空いた右手でVさいん。

「完成〜! あら、いいわねー姉さん……じゃなくて!
 なにしてんのよいきなり!」

「……………………」

「かたいこと言いっこなしですよスティーブ……って誰がスティーブか! この大変なと
きにのんきにお料理してる場合じゃないでしょ!」

 くるっと浩之を盾にして隠れる芹香。
 怒ってる? 怒ってるの? と言いたげにちらちら顔を見せる。

「まあ待て綾香。先輩アレだろ。この稲荷寿司でキツネセリオをおびきよせようってこと
だろ? でもなあ、セリオってモノ食べねーじゃん」

 ふるふる。

「違うのか? じゃあ一体?」

 目には目を、です。
 芹香は少し笑った……ように見えた。

「目には目を……そうか、キツネにはキツネをってことね! さっすが姉さん!
 でも、キツネなんかどうやって用意するのよ?」

「……………………」
 心当たりがあります。でも、生きてるキツネではありませんが。

 心当たり。
 浩之と綾香は顔を見合わせた。
 まさかねえ。
 ……いや、まさか。




 そのまさかだった。

「マジかよ……」
「……………………………………マジです」

 芹香は大マジメだ。
 マジメの証拠に、こんどはきちんと巫女さんの衣装を着こんできた。
 白の着物に真っ赤な袴がよく似合う。そのままでも神秘的な雰囲気を漂わせる芹香がこ
うした姿になると、なにやら本物のシャーマンのようだった。
 御幣をぱさぱさと振って、何やら祈祷している。
 これまたセバスの用意したにわか作りのちいさな稲荷社に、赤い鳥居が立ち並ぶ。

 芹香の心当たりとは稲荷大明神、いわゆるお稲荷さんであった。

「でも姉さん、それでどうしようっての? 神さまにお願いすればセリオを連れ戻してく
れるって?」

 綾香はまだ半信半疑だった。姉さんのオカルト趣味もここまで来たかぁ、とあきれた風情。

「でも具体的にどうすんだ、先輩?」
「………………」

 芹香が言うには、文字どおりキツネ同士のよしみでお稲荷さんに直接セリオと交渉して
もらうのだという。
 だが。

「………………」
「なにぃぃぃぃ!!」
「なになに? いまの聞こえなかった」
「あのな、お稲荷さんがこの世で行動するためには、憑代がいるんだと。
 つまり誰か手ごろな人間におキツネさんを取りつかせようってことらしいぜ」

「でも、手ごろな人間って……」

 ぴしっと緊張が走りぬけた。
 冗談ではない。そんな訳のわからんもんをおのが身体にとり憑かせようなんて、誰が好
き好んでそんなこと引き受けようか。
 だいたい芹香のオカルトではみな少なからずひどい目にあっていた。
 イヤな汗がみんなの背中をつたう。
 恐るべき提案をしておきながらあいも変わらずほえ〜っとした雰囲気の一名を除き、か
わす目と目に緊迫感がみなぎる。

 生け贄は、誰だ。


	 どーれーにーしーよーうーかーなー
	 天のかみさまの言うとおりー


 芹香の指先がふら〜〜〜と宙を泳いだ。
 そいつに指さされることは死を意味するッ! かもしんない。

「あ、アタシいやだからね! 駄目なのよそーゆーの!」
 わたわたわたっと綾香は逃げるように手をぶん回した。
「ごめん先輩、オレ急に頭が腹痛になって! 医者行かなきゃーーーーぐぇ」
 くるりと振り向いてダッシュしかけたところを綾香に襟首ひっつかまれる浩之。
「はうあっ! 急に心臓が! お嬢さま、このセバス一生の不覚にございます! くうう、
こんなときにお役に立てぬとは……」
 おそろしくリアリティのない設定のウソを吐くセバス。
 しめす態度は違えども、死にたくないのはみな一緒。


	 ぶーたーぶーたーこーぶーた、
	 こいつにきーめーた。


 死のような静寂のなか、芹香の指先がすっと動いて――。

 ぴたり。
 あらぬ方向をゆびさす。

「なによ姉さん、そっちには誰も……」
「いや」
 浩之は重々しくつぶやいた。ごくり、と息を呑む。
「あっちには……」
 何かに気づいたのか、綾香の顔色がさっと変わった。
「ま、まさか姉さん!?」




「とお! やっ! たあっ!」

 ずばーん!!
 ずばーん!!

「ふう……」

 学校裏の神社の境内。
 流れる汗をぬぐって、松原葵は練習の手をとめた。
 浩之に言われて以来、激しい練習の合間にも休憩時間だけはきちんと取るようになって
いた。

 どうしてか、ここのところ体が思うように動かない。疲れてるのかな、とも思った。
『葵ちゃんはがんばり屋だからな、無理しすぎるんだ』
 浩之の言葉が思い出される。

「そうですね……先輩はわたしの大切なコーチですから」

 そして、わたしの大切な……。
 ううっ。
 やんやんやんやんやん!
 ずばーん! ずばーん! ずばーん!

 一人で照れまくる葵。
 照れかくしに繰り出す突きの音が神社の境内にこだまする。
 ちっとも休憩になっていなかった。

「わたしったら! わたしったら! わたしったらああああああっ!」

 ずばあああああああんっ!
 ……さらーっ。
 サンドバックからこぼれる砂。
「あ、穴が……」

 ふう。
 ひざを抱えた腕に顔をうずめて、葵は溜め息をついた。
 せんぱい、今日は来ないのかな……。
 さびしい、な。

「よう、葵ちゃん」

 いけない……先輩の声の幻聴まで聞こえるなんて。

「練習はかどってるか?」

 これも心が弱いせいなのかも。駄目だ、今は練習に専念しなくちゃ。
 ぎゅっと目をつぶり、拳を固める。そう、この一発は明日のために――。

「たあっ!」

 ばきっ

「おうっ」

 手応えバッチリたしかな満足。
 目を開けると、右ストレートを食らったとおぼしき浩之が倒れていた。
「きゃああああっ!? 先輩?」
「はろー、葵♪」
 ひらひらと手を振る綾香とひっくり返った浩之をかわるがわる見比べて。
「あ、あれ? 綾香さん!? どうしてここへ?」
「実はちょっと頼みがあってねー。どう? 頼まれてくれるかな?」

 芹香がすっとその横を通る。我関せずとばかりにマイペース。
 神社の賽銭箱の上に稲荷ずしの皿を乗せて、からんからんと鈴を鳴らした。
 二礼二柏手一礼。

「ちょっとうちに来てくれる? 大丈夫、手間はとらせないから」
「はい! 喜んで!」
 葵はぱあっと顔を輝かせた。
 それが不幸の第一歩とも知らず。
 合掌。




 広大な屋敷の一角、ちょうど鬼門に位置する部屋に芹香の魔法研究のための部屋があった。
 来栖川邸のなかでも、この前の廊下だけ空気がよどみ、なにやらあやしげな気が充満し
ている。
 芹香の魔力が呼び寄せるのか、それとも芹香がこの場所の雰囲気に呼ばれているのか、
とにかく陰気なおどろおどろしい雰囲気が漂っていた。

「ここに入るんですかあ……」
 葵ちゃんは浩之の袖をつかみ、ちぢこまっていた。
「どうってことねーって。オレなんか何度も入ったことあるんだから」
「何度も?」
 ぎゅむ。
「いてててて。葵ちゃん肉つかんでる肉」
「あ、ご、ごめんなさい」
「さ、みんな入って入って」
「はい、お邪魔します……」

 がちゃん。

「あの、綾香さん? いま後ろ手で鍵かけませんでしたか」
「あははー、気のせい気のせい」




「ええええええええええっ!?」
 葵は素っ頓狂な声を上げた。
「わたしが、その、キツネさんに取り憑かれるんですかぁ?」

 芹香の話によると、憑代は誰でもいいというものではない。強い身体と正しい心を持っ
たものでないと、妙な動物霊が割り込んで悪さをする可能性もあるという。
 その点葵はばっちり合格だ。
 芹香の言うには、神社で毎日練習風景を見ていて、あんな子だったらとり憑いてもいい
かな、と神さまからじきじきの申し出があったという。

「先輩、ほんとか〜?」
 こくん、とうなづく芹香。かなり自信ありげだ。

 葵は真っ青な顔をしてうつむいている。こういうのは苦手なのだ。
 心配げに見守る浩之。だがいまは勘弁してあげるわけにはいかない。とにかく今はセリ
オを連れ戻すのが急務なのだ。
 浩之は震える葵の両肩をつかんで、ここぞとばかり熱弁を振るった。
「いいか葵ちゃん! これも訓練のうちだ!」
「訓練……?」
「おう! 葵ちゃんの精神面を鍛えるためだ! ここでオカルトへの恐怖を克服しておけ
ば、今後試合でどんな相手にぶつかってもびくついたりしなくなるはずだ!」
「そ、そうでしょうか……」
「そうだよな綾香!」
「も、もちろんよ! 私がこんなに強いのも、当たり前田の……じゃなくて、姉さんのオ
カルトあってこそよ!」

 ……なんか違うような気がします、綾香さん。
 そう思いながらも、葵は二人の言葉にしたがって席についた。私を支えてくれた先輩に、
あこがれの人綾香さん。この二人の言う事なら、間違いないはずです。

 まっすぐな性格もときには考えものである。



「さて、完成! 姉さーん、こっちの準備は出来たわよ」

 カーテンで区切られた部屋の向こう半分から、綾香が顔を出した。
 ちょっと席外しててね、と追い出された浩之はしびれを切らしてのぞきこむ。
「おーい、もういいだろ?」
「ん、まあご覧なさい。ほーら葵、恥ずかしがってないでー」
「でも私……こんな格好で……」
「いいからいいから」

 ついたてのかげから引っ張り出された葵。
 キツネだった。
 さらさら髪の間から、ぴょこんと飛び出たキツネ耳。
 体操服とブルマの間から、ふわふわしっぽがのぞいている。
 セリオがしなやかさと俊敏さをあわせもつ大人の雌狐だとしたら、こちらはさながらま
だ母恋しい仔狐だ。
 それでもぴんと立ってあたりを警戒する耳と、敏捷な動きを約束する足腰は立派に一人
前の、巣立ちを控えた若いキツネ。そんなイメージだった。

「あの……あんまり見ないでください……」
 葵は熟れたトマトみたいに真っ赤になってうつむいている。
 もじもじとこすり合わせる手には、やはり黒のウレタンナックル。
 黒レガースも装備済みだ。

「いいじゃないの、可愛いわよ? そう思うでしょ、浩之」
「え?……お、おう……」
「もう、なに見とれてんの? あんたに見せるためにこれ付けさせたんじゃないんだからね」




 芹香は数々の魔法アイテムの中から、一枚の板を取り出した。
 鳥居のマークに『はい』『いいえ』。
 その下に50音表が並んでいる。いわゆるコックリ盤である。

「これが一番いいんだって。何しろ狐狗狸ってほどだから。ね? 姉さん」

 こくこく。

 途端に、葵ははじかれたようにがたんっと勢いよく席を蹴った。
「い、いやああああ! コックリさんをやっちゃ駄目です!」
 顔面蒼白で、口元に拳を当ててぷるぷると震えている。
 キツネ耳の先っぽもあわせてふるふる。
 そんなに怖いものだろうか。

「平気だって、オレもやったことあんだから」
「駄目です! コックリさんだけは……ああっ、ゼロの顔が人に見えるっ?!」

 どうやら葵もつのだひろの兄に散々ビビらされたクチらしい。

「先輩のは平気だよ。オレだって別に何ともなかったぜ?」
「だって毒虫小僧が地獄特急で呪いの館へご案内ですよ!?」

 その他いろんなものが入ってるらしい。

「落ち着くんだ! 葵ちゃんは、強い!」
 浩之が両手で頬をはさむように、ぺちん。
「は、はいっ」
 一発でしゃっきりする葵。
 まっすぐすぎる性格って、本当に考えものだ。

「………………」
 それでは、はじめます。
 芹香が静かに言った。






 くる。
 ついてきます。

「るるる〜、まってよう、キツネさ〜ん」

 怖い人が。
 しかも、さっきよりもさらに怖さがましています。
 どうも視線が別の世界の方をむいているようです。
 これはどういう事なのでしょう。

「ホタテをなめるなよっGOGO〜♪」

 腕は腰ですし。
 スキップですし。
 なんだか歌ってますし。
 だれか、助けて。

 こんなときどうすればいいのですか、お星さま。

「ふぁいとだよ、せりおちゃん」

 具体的にお願いします。

「ふぁいとだよ、せりおちゃん」

 ……お星さまの意地悪。



「こーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっっ!!」



 森を切りさくするどい叫び。
 ざざざっと下草をわけて駆けてきます。
 ととんっととんっ、せわしなく地面を叩く全力疾走のリズム。

 おや?
 あちらからやってくるのは……キツネさん?
 私とおなじ、キツネの人がいます。
 はじめての同族。
 どきどき、してきました。


 ……ふしぎな気持ち。



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