『しっぽせりおの大冒険』第五話 投稿者:takataka
「琴音ちゃんは動物好きなんだよな」

 浩之は妙に真剣な顔で聞いた。
 そのようすに気圧されてこくこくとうなづく琴音。

「そこでだ、キツネ、好きか?」
「はいっ」
 琴音の表情がぱあっと明るくなったのを、浩之は見逃さなかった。
「琴音ちゃん、キツネには詳しいのか?」
「はい、詳しいっていうほどではないですが、犬の次の次くらいに好きです」
「おお! そりゃ頼もしいぜ」

 ちなみに琴音内動物好き好きランキングは、

 一位 イルカ
 二位 猫
 三位 犬
 四位 藤田浩之
 五位 キツネ

 という具合だった。

「よっしゃ、なら行けそうだな。キツネの居場所はつかめてるから、琴音ちゃんの動物好
きのオーラでもってキツネの奴を一発ガツンと魅了しちまえばいいってわけだ」

「はい……」
 いまいち乗り気でない琴音。浩之の頼みというだけならまだもうすこしやる気が出たか
もしれない。
 琴音はちらりと視線を投げた。

「お願いね姫川さん! 期待してるわ!」

 ちょっと三年の来栖川先輩に似ている人が、悪戯っぽく片目をつぶってみせた。
 自分と違って元気そうで、はつらつとしてて、とっても魅力的。
 そして、そのとなりに浩之。

 …………この人、誰?
 藤田さん? おふたりはいったいどういう関係なんですか……?

 浩之には琴音の背後に揺らめくオーラが見えた気がした。
 そりゃもう幻魔大戦ばりに。

「おおうっそういや紹介すんの忘れてたな! コイツは来栖川綾香。ほら、三年の来栖川
先輩の妹で、寺女の娘なんだ」
「姫川琴音です……」
「んっ、よろしく」

 ――『よろしく』だけ?

 かちん、ときた。琴音のこめかみがぴくりと動く。

 ――『お願いします』は?

 見ると、綾香が手を差し出している。
 握手? 初対面でちょっとなれなれしいんじゃないでしょうか。
 うーん。
 まあ、藤田さんの知り合いの人だし、そう邪険にもできません。

 琴音がそろそろと出した手を、綾香はぐいっと握った。
 が、アメリカ式のシェイクハンドはそもそも内気な日本人にはむかないうえ、握力の問
題がある。
 綾香のそれはもちろん格闘家らしく、すこぶる強力だった。

「きゃっ」
「あ、ごめん。痛かった?」
「いえ、大丈夫です……」

 ほんとはあんまり大丈夫じゃないけど、とは言わずに置いた。
 だからといって不満がないわけではない。
 口に出す言葉よりも、語られない言葉の方が百万倍くらい多い少女、姫川琴音。
 早くも内的独白は爆発寸前だ。まったく……ぶつぶつ……。

「ホントごめんね。姫川、えっと……琴音さん? だったっけ?」
「はい……」

 これまた、かちん、ときた。
 人の名前もちゃんと聞いてないんですね、この人……。
 さっき言ったのに。
 きっとお金持ちは庶民の名前なんかおぼえなくてもいいと思っているんでしょう。
 それに、初対面なのにタメ口だし。
 だいたい人にものを頼むときにはそれなりの態度というものがありはしないでしょうか。

「琴音ちゃん?」
「あ、はっ、はい!」
「どうした? 何だかぼんやりして」
「いえ、なんでもありません……」
 ぱたぱたと手を振る琴音。

「んで、逃げたのはコイツの飼ってるキツネなんだけど、なんか別の主人の方がいいらし
くって脱走しちまったんだわ。
 だから、動物の心が分かる琴音ちゃんならきっとキツネの奴も主人としてみとめるに違
いない、と思ってさ」
「え? じゃあ、綾香さんってキツネさんに逃げられたんですか?」
「あ……まあ、端的に言えばそういうことになるな」
 ちょっと言いにくそうに視線をそらす浩之。

 そうですか。
 このいかにもお金持ってそうで、自信満々で、美人で、勝ち気な人がそんなことになっ
てるんですか……。

 やっぱり。
 琴音は深く合点した。

 ――見れば見るほど動物に好かれなさそうです。やっぱり純真な動物たちには悪い人間
を見分ける能力が備わっているんですね。
 これも意地悪系キャラの末路、と言うものでしょうか?

 いつしか綾香を意地悪系キャラにしたてている琴音。
 吊り目の勝ち気そうな表情がそうさせるのか。

 ――くす。
 ちょっと、いい気味です。

「琴音ちゃん? 何笑ってんの?」
「え……あ、いえいえ、何でもないです! キツネさんと会うの楽しみだなあって思いま
して」
「ははは、琴音ちゃんは本当に動物好きだなあ」

 危ない危ない。藤田さんに気づかれるところでした。
 てへ。

 それはそれとして。琴音は強いて自分に気合を入れた。

 さて、これからが正念場です。がんばらなくては。
 藤田さんとあの人の見ている前で、さっそうとキツネを馴らして連れ帰る私。
 藤田さん、きっと喜んでくれますよね?



	「スゲエぜ琴音ちゃん! 森の仲間たちともあっという間に仲良しさんだ!」
	「そんな、……私はただ、先輩のために」
	「やっぱり琴音ちゃんだぜ! 最高だ!
	 じゃ、オレたち帰るわ」
	「ちょっと浩之ぃ」
	「オレをそんな風に呼ぶんじゃない」

	 ちちち、と指をふってみせる浩之。当社比120%美化されている。

	「オレを下の名前で読んでいいのは、琴音ちゃんだけだぜ」
	 きらりと光る歯。

	「先輩……恥ずかしいです……」
	 きゅっと藤田さんの裾をつかむ私。
	 そして歯噛みして悔しがるあの女。
	「きぃー、なにさー」

	 えっと……綾香さん、とか言いましたっけ?
	 ごめんなさい、端役の名前までいちいちおぼえていられないですから……。



 めくるめく広がる琴音ビジョン。
 やがて浩之と結ばれ、玉のように可愛い赤ん坊が生まれ、赤い三角屋根のおとぎ話にで
も出てきそうな家を建て、なんか赤っぽい毛色で黄色いリボン結んだ犬を飼い、メイドロ
ボ(もちろん心なんか持ってないやつ)を購入し、やがて子供も成長して結婚し、これま
た玉のように可愛い孫も生まれ、アルバムの空白を全部埋めてしまったあげく、息子夫婦
のために南側に一部屋増築したところで、

「琴音ちゃん、あそこだ!」
「ふぇ? ……はっ、はい」

 浩之の言葉で、はっと我に返った。
 その指差した先には。

「え……!!?」
「どうした琴音ちゃん!」
「先輩、キツネって、あれなんですか?」

 森の切れ目、立ち木がまばらになって、密に生えた下草がざわざわと揺れている。
 そこに見え隠れする寺女の制服。
 ひょい、と草むらの上に出した頭にはするどく輝く耳カバー。

「メイドロボじゃないですか!」
「ばーれーたーかあぁ」
「そんな……私にどうしろって言うんですか?
 私の力じゃ、ロボットみたいに重いもの持ち上がるわけないです!」

 浩之はしばしあっけにとられた表情をしたが、少し笑って、
「言っただろ? 今回は琴音ちゃんの超能力じゃなくって、動物好きの方に期待してるんだ」
「でもメイドロボ……」
「あー、つまりなんつーかなぁ。
 ちょっといろいろとややこしい事情で、セリオの奴はいまキツネの行動パターンで動い
てるんだ。キツネと同じと思ってもらって問題ないぜ」
「そう言われても……」

 と、綾香がすっと前にでた。申し訳なさそうに胸に手を当てている。
「あの、姫川さん。もしいやだったらいいのよ? 私だって無理に頼めないし。
 ごめんね、私のせいでなんだか迷惑かけちゃったみたいで……」
「いえ、私は……」
「ごめんね、本当に。私が勝手なお願いしたもんだから」

 琴音は、少し考え直そうかな、と思った。
 もしかしたら、意外といい人なのかも。

「綾香……」
 ぽん、と浩之は綾香の肩に手を置く。
 琴音の口が『あぁっ』という形に開いたが、浩之の視界には入っていなかった。

「ほら、あんまり気にするなって言ったろ?」
「浩之……」
「元気出せよ。いつもみたいに笑って見ろって。そんな顔、お前らしくないぜ?」
「ありがとう。あんたってさ、こんなときばっかりやさしいのよね」
 かすかに潤んだ熱っぽい目で浩之を見あげる綾香。
「でもね、私、そういう浩之のことが……」
「綾香……」

 うおりゃああああああああ。
 口にこそ出さねども、そんな気合いを発しかねない勢いで琴音は二人の間に体ごとぐい
ぐい割り込んだ。

「ふ、藤田さん! 私やります! 速攻でキツネさん呼び戻してきますから、待ってて下
さい!」
「琴音ちゃん……やってくれるのか?」
 こくんとうなづき、綾香にキッと一瞥を投げる。
「はい! 私、藤田さんのためにやってきます! 藤田さんのために!」
 綾香のためにではないことを強調しつつ、ぐいぐいと振る腕も力強く、琴音はセリオの
もとへと向かっていった。



「ふ」
 にやり。
 ふたたび肩に手をまわしかけた浩之を、ぐいっと押しのける綾香。

「おわっ、なんだよ」
「作戦成功。アンタ用済み。OK?」

「……え?」
「わかっててボケてんの? まあいいけど」

 なるほど。
 自分の置かれた立場に、はた、と気づいた浩之だった。

「……綾香」
「なに?」
「セリオよか、お前の方がよっぽど女狐だわ」
「ん、よく言われるー」





「ほうら、おいで……怖くないよ」

 私の目の前にいる、はかなげな人影。
 薄紫色の髪が風にゆれて、とてもきれいです。



	『むづかしいよね、せりおちゃん』

	 お星さまは、すこしにが笑い。

	「お星さまにもわからないのですか?」
	『ううん。わかるのよ。
	 でもねせりおちゃん。せっかくだから、さがしてみようよ』
	「さがす……?」
	『うん。教えられて見つけるのはほんとうにかんたんなの。
	 でも、それは本当にせりおちゃんのご主人さまなのかな?』
	
	「ほんとうのご主人さま」
	 くり返してみました。
	 ほんとうのごしゅじんさま。
	 よく、わかりません。
	
	『自分の足で歩いて、
	 自分のあたまで考えて、
	 そうして、自分の心のなかにたいせつな人の姿が見つかったなら、
	 それがきっとせりおちゃんのご主人さまなんだよ』



 お星さまはそう言いました。
 自分の足で歩くこと。まずはそこからはじめましょう。

 そして、さいしょに出会った女の子。

「一人はさびしいよね? わたしも、おんなじだから」

 ――あ。

 この人の目のなかによぎった、ほんのすこしのさびしさ。
 このひと、きっとおなじ気持ちを知っています。

「いこうよ。みんなのところに帰ろう?」

 白い手をさしのべて、かすかな声で語りかけます。
 消えそうなくらいに、ゆるやかに、やさしく、はかなく笑っています。
 この人となら、わたし――。



「早く来てよね……藤田さんと私の未来のために」



 !!?

 なんだかようすが違います。
 空気ががらっと入れ替わってしまったような。
 私の耳もきっと前をむいて、あぶないよ、と言っています。

「あの女のキツネだと思うと可愛くも何ともないけど……私のことは好きになってくれる
よね?」

 しっぽがぶわっと広がりました。毛がさかだった感じ。
 ちがう。
 なにかがちがいます。
 このひと、こわい。

 そうこうしてるあいだにも、その手がそろそろと近づいてきます。
 私は思わず――





 がりっ。

 咬んだ咬んだ咬んだ咬んだ咬んだ咬んだ!!

「はぅっ」
 痛い……。
 でも、これも藤田さんゲットのため! あの女に藤田さんを渡すわけには!

「くうぅ……き、きつねはともだちこわくない……」

 激痛に耐えつつも、優しげに微笑まんと全力をかたむける琴音。

「だいじょうぶ、こわくないよ……うふふ、い、いたくないもん……」

 むしろ琴音の顔のほうが怖かった。
 そのさまはあたかも、猛獣にあちこち咬まれて思い切り流血してるっていうのに、
『はい、もうすぐ仲良くなれますねえ、これは遊んでるだけなんですねえ』
 と言い切る某動物王国国王のようだった。
 共通点。いつか食われる。

 そうこうしてるあいだにも、琴音の白い手はセリオにがっぷりとやられてるし。

「琴音ちゃん逃げろ! 危険だ!」

「大丈夫ですよ、藤田さん。私動物が大好きですし、動物たちも私のことが大好き……う
ふふふふ……これは単なるスキンシップに過ぎないんですよ」
「でも血出てるって!」
「そこが大自然の厳しさです。もしかしたら死ぬかもしれませんが、それはきっと人間の
方に問題があるんですよ。そう、これは地球を汚しつづけた人間たちへの罰……」

 がりがりがり。
 いかん! このままじゃ文字どおり食われるぞ!
 ちくしょう! 別の意味で食われるんなら暖かく見守ってやるんだが!
 浩之が飛び出すと、セリオはびくっと反応して、たちまち草むらの中へ姿を消した。



 茫然と立ち尽くす琴音。
 すっかり青ざめている。よっぽど恐ろしかったのだろうか。

 浩之は後悔していた。ただでさえ友達の少ない琴音にとって、みんな友達だと思ってた
動物に嫌がられるというのは相当ショックなんではないだろうか。
 これで動物に対してまで恐怖感を持たなければいいが……。

「大丈夫か?」
「ふふ……キツネは友達怖くない。がんばれ私。ことね、ふぁいとーぉう……」

 琴音の目は何か別の世界を見ていた。
「おい、しっかりしろ琴音ちゃん!」
「ふじたさん?」
「なんだよ?」
「うちの学校の修学旅行って北海道でしたよね」
「ああ、そうだけど……それが一体?」
「キタキツネも一杯いますよ……何しろ北海道です……私のふるさとですから」
「……琴音ちゃん?」

 明らかにようすがおかしい。エキノコックスもらったか?

「……動物たちと北の大地のロマン……」
「琴音ちゃん、おい、琴音ちゃん?」
「そしてホタテ……うふふふふふ」
「琴音ちゃん!? おい琴音ちゃん、しっかり」

 いかん!
 すでに扉を開きかけている目だ。

「ふふふ……そうれ」
「あ、待て!」

 去っていく、北へ。
 両手を腰に、スキップしながら、歌う歌声ほがらかに。


「北へ〜行こう、ランララン♪」
「行くなああああああーーーーーーーーーー!!」


 浩之が伸ばした手は、北へ行ってしまった琴音に届くはずもなく。

 ――オレ、そのあとを追いかけることすらできなかったわけで。
 綾香が馬鹿にしきった表情で二人を見ていたわけで。
 捕獲対象、さらに増加したわけで。


「カニがいっぱい ホタテいっぱい♪」
「琴音ちゃーーーん、かえって来おおおーーーーい!」


 母さん、富良野はもう、夏です。




「………………」
「………………」
「………………」
「ひろゆき?」
「あ、オレ用事を思い出して」
「逃げるなコラ」

 みし。

「あうあうあうあうあうあう」
 マルチみたいだぞオレ。ちょっと情けない気分の浩之だった。
「痛い?」
「おう、痛えぜ……」
「…………………………」
「知ってる? 折れたらもっと痛いのよ」
「ひいぃ」

 ぽそ。
 綾香は後頭部に妙な感触を感じて、振り向いた。
「わ、ね、姉さん……いつの間に?」

「…………………………」
 綾香ちゃん。浩之さんに乱暴しないでください。

 綾香に空手チョップくれた姿勢のまま、芹香は立っていた。
 いつもながらの無表情ではあったが、芹香の表情研究家の浩之には、ちょっと怒ってい
るのがわかった。




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