父と娘と 投稿者:takataka
 タクシーがレストランにつくまで、父は同じことを言いつづけた。

「まーそれにしてもあれやな。藤田君て、智子のコレか?」
「なんやの! ……そんなんちゃうわ。やめて」
「智子にもいよいよ春が来たか……」
「ちゃうて!」

 レストランの席に落ち着いた。
 しみじみと智子を見る。しばらく会わないうちに、だいぶ変わったものだと思った。

「それにしても、大きなったなあ智子」
「なに……そんなんどこ見て言うてんの」
「え? チチ」
 ぼっ
「なっ……なんやー!!」
 がたたっ
「智子智子、人が見てるて」
「あわわっ……。な、何言うてんねや」
「いや、ほら、ワシ実の父やし」

 …………。

「うっわ! 寒ぶ! あっという間に氷点下や」
「わはは、どないや久々のおとーちゃんギャグ」
「どないもこないもあるかいな!
 ……ったく、実の娘に素でセクハラかますとはいい度胸してるなあ。そんなやから嫁は
んに逃げられんねや」

「逃げられたんちゃう!」

 まじまじと見返す。
 父は大真面目な顔だった。

「ワシが逃げたんや」
「アホか」




「そんでな、最近うちの方とか、どうや?」

 『うちの方』か。智子はちらりと考えた。
 おかーちゃん言われへんのか。フクザツやな、大人は。

「元気してるか?」
「ん……例によって例の如く」
「あいかわらずきっついか?」
「あーも、その辺はほら、あーゆー人やし」
 ぱたぱたと手を振る智子。
「まあ体も悪るないし、元気に仕事で飛び回ってるし、ええ感じやないの?
 私にはよくわからんけど」
「お前とはうまくやっとるか?」
「あの人放任主義やから、うまいもなにもない。お互い好き勝手にやってる」

 『あの人』なあ。父はちらりと考えた。
 おかーちゃん言われへんのか。難しい年ごろ、ゆーやつか。

「放任主義! ええやないか。これでいつでも勝手に藤田君ちに泊まれるやないかい」
「な! なんで私が藤田君ちに泊まらなあかんねん」
「ないか?」
「ないない、絶っ対ない!」

 父は少しやさしげな顔になった。
 智子の一番大好きな父さんの顔だ。

「でも安心したわ。智子、ええ顔しとる」
「……なによ」
「まえ会うた時はなんやピリピリしてた」
「そう?」
「おう。そうかと思うとちっさい子供みたいに甘えて来よる。こら苦労してんねや思たで」
「……そんなやった?」
「おう、心配しとったんやで? これでも」
「んーな、離婚で離れた子供の心配なんかいつまでもしててもしゃーないわ」
「いや、んなことないで」
 真っ正面から見据える。智子は何故かドキッとした。
「なんやかやゆーても、ワシかて親や。心配すなゆーたかて、そら無理や」
「……なんや、急にそんな真面目に……ずるいわ」
「あははは。おとーちゃんずるいか。ははは」
「……もうっ」
 ぷうっとふくれてみせるあたり、まだ子供やな。
 いや、ワシの前やからか?

 父は懐からたばこを取り出し、とんとんと叩く。
 一本取り出して火を付けると、智子の表情がふっとゆるんだ。

「まだそれ、吸うてんの。ハイライト」
「あー、そやなぁ」

 智子は目を閉じて、深く息を吸い込んだ。
「お父さんの匂いがする」

 そんな風にしてなつかしさでいっぱいの顔をしてみせるものだから、父も照れ隠しにば
っばっと煙を手でちらした。
「あー吸うな吸うな。たばこの火ィついてるほうの煙は体にめっちゃ悪いねんで」
「ついてへんほうかて悪いやん」
「フィルターあるから平気や」




 ふいにさっきの少年の面影が脳裏をかすめた。
「智なあ、あのな」
 父は目を細めた。
「友達は大切にせえよ」
「友達なんか、こっちにおらんもん」
 智子はそっぽを向いた。
「みんな向こうにおる」
「ほら、藤田くん」
「あんなん友達とちゃう!」
「智子」
 厳しい口調。
 ぴくっと智子が体を震わせる。
「そんなん言うたらあかん。藤田くんて、向こうからなんや世話焼いてくれる子やろ? 
そんなんこっちにはなかなかおらんで。
 こっちの人は他人のことなんか気にせんからな。ほっといてー言うたらそうですかーっ
てなもんであと見向きもせえへん。
 ああいう人材は貴重やで、うん」

 智子はちょっと不満げに口をとがらせた。

「なんでそんなに藤田くんの肩持つん?」
「そら智子の友達やからや」

 …………。

「わかった」
 智子はぽつりと言った。
「こないだな、向こうの友達と電話してて……同じこと、言われた。
 も少し仲良うせえって」
「そか」
 父はにっこりと笑った。
「ええ友達やな」
「当然や、私の友達やで」

 胸を張る智子を、父は何か頼もしいものでも見るように見上げた。

「こっちにもっと友達作っとき。いざ神戸に帰ってからこっちに来る時、宿代浮くしな」
「なんやの、せっこ……。大体、男の子のうちなんかよう泊まらん」
「お? ワシ男の子なんていうたか?」
「あ……」
「おー、不良やなあ智子ぉ。こらあかん」
「だ、だってさっきから藤田くんの話ばっかしよるから……」

 頭わるないくせに、簡単に誘導尋問に引っかかりよる。
 父はくっくっと喉の奥で笑った。
 ま、ある意味素直や言うことか。突っ込まんとそれが出てこんのが困ったもんやけど。




 成績の話を切り出したのは智子からだった。
「そうか。落ちてもうたんか。残念やったな。
 ……ま、そんなこともあるやろ。気ィ落とさんとき」
「でも、それ、困る」
「なんで?」
「これ以上成績落ちたら、向こうの大学行かれへんもん」

 父はしばらく横に視線を泳がせて、タバコを灰皿で捻り潰した。

「智子なあ、もしあれやったら、こっちの大学でもええねんで」
「それじゃ、私が困る」
「…………」
「神戸、戻りたいもん」

「こっち、いやか」
「うん」
「家の方、うまくいかんか」

 首を振るでもなく、智子は黙ってうなだれていた。

「一つだけ、承知しといてほしいんは」
 父は智子の顔をのぞき込むように近づいた。
「子供のこと思わん親はおらん。それはわかっといて欲しい。あれかて同じや」
「私、あの人あんまり好きやない」
「そういいなや。実の母親やないか」
「私……父さんのとこ、いたい」
「智子」
 厳しく言い放つ。しゅんとなる智子。
 柔らかい声で、
「すまんなあ。大人にはいろいろあるさかいに」
「いろいろって」
 鼻を鳴らす。
「ひっついとったおっさんとおばはんが離れただけやないか」
「それが人生の重大事や」
 父は大仰にうんうんと首を振る。
「そら私かて、重大事や思っとった。こんなん言いたないけど」
「なんやあ隠しごとか? あかんなー。せっかくやし言うとけ言うとけ」

「離婚の前の三ヶ月間くらいな」

 声のトーンが落ちる。
 肩にかかっていた髪が二、三束、胸にぱらりと落ちた。
 じっと、テーブルの模様を凝視して。

「毎日、地獄やった。こんなん続いたら首吊ったろ思った」

「智子……」

「うそ」

 がっくりと力が抜ける。
「お前おどかすなやー」
 智子はしてやったりとばかりにふふっと笑った。
 と、瞳にふいに真剣な色が戻る。

「でも、一度だけ大げんかしたやろ」
「ああ」
「あの時は厳しかったよ。本気でそう思った。ベッドに突っ伏して、まくらに顔埋めて、
耳ふさいで……そればっか考えてた」

 父は黙っていた。なにも言えなかった。
 いま口を開いて出てくるのは無意味な言葉か、さもなければ嘘だ。

「まっ、そのうちどうでもようなったけどな。慣れたし。
 お前ら切れるんやったらはよ切れえ、って思ったよ」
「はははぁ、親つかまえてお前呼ばわりしたらあかんがな」

 すこし笑って、言葉を見つけられずに、しばらく黙っていた。
 ナイフとフォークのふれあう音だけが響いた。
 ややあって。

「智子」
「なに?」

「済まんかったな」

「……ええて」




「ほんなら、な」
「うん……」
「お母ちゃんによろしゅう言っといてな」
「あ」
「ん?」
「へへぇ、やっとお母ちゃん言うた」
 そういや言わんかったな。また変なとこばっか気づきよる。
 父はあいまいに笑って、手を振った。
「ほな!」
「あ……」
「なんやぁ?」

 智子は何か言いたげにもじもじと胸元のペンダントを握った。
 ぱっと手をおろした。
 何か必死に問いかけるようなまなざし。



「またっ、……会うて、くれる……?」



 ドキッとしてしまう。
 ええ年してなんや、ワシ。

「お前……それ父親見送る態度ちゃうがな。ワシら長距離恋愛か」
「なっ」
 あきれたように手を振る智子。
「何ゆーてんねん! ほんまセクハラ親父やぁ、もう」
「わはは」





 ひとり駅のコンコースを行く。
 人波はそれぞれ勝手に、他人を気にするでもなく流れていく。

「ははは……藤田くん藤田くん、か」

 昼間会った少年の面影を思い起こした。
 まあ根は良さそうな感じやったけど、それにしてもえらい目つきの悪い子やったなー。

「よっしゃ! よろしゅう頼むで、藤田くん」

 智子のことはどうやら安心してよさそうだ。
 それでいい。

 自由席はいっぱいだった。
 車室を出て、ドア際にもたれる。
「名古屋あたりまで立ちっぱなしか。かなわんなー」
 座って落ち着いて飲もうと思ったがしかたない。
 缶ビールのプルトップを引き上げ、流し込む。
 もう街中を抜けていて、数少ない明かりが猛スピードで窓の外を流れていく。

「はやいもんやなあ、新幹線」

 それにしても、智子も大きくなった。

「ほんまはやいわ」

 ふっと考えた。
 別れなかったら、どうやったかな。
 今日みたいにどこかのレストランで、智子と、あれと、三人で仲よう食事して、智子に
なんや服でも買ってやって、帰りタクシーで助手席から後ろの二人をミラーで見ると、疲
れたのかもう眠り込んでいる。家まではもうあと少しで……
 そんなふうな一日が過ごせたかもしれない。

(いつの間にやろ、こんなことになってたんやなあ。
 とんでもないとこに流されてもうたもんや)

 苦笑がもれた。

「……ははは、うまくいかんもんやなあ」
 ぽりぽりと頭を掻いた。
「ほんまうまくいかんわ。ビンボくじ引いてばっかや」

 ドアに身を深くもたせかけた。背中から車体の振動が伝わる。

 目を閉じると智子の照れた表情が浮かんだ。
 あの男の子を話題にしたときの、真っ赤に染まったほおの色と、恥ずかしげにあらぬ方
へ泳ぐ目元がしみじみと思い起こされた。

 缶ビールをあおる。心地よい苦みが口の中に広がった。


「大きなったなあ、智子」




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