さすらいの女賭博師 初音 投稿者:takataka
「うらあああああああああああーーーーーーーーーー!」

 客間で眠りこけていた耕一のもとに怒号が響く。
 がばっと跳ね起きた。

「またやったのか千鶴さん! だからアレほどキノコは使うなと……」

 居間では、ものの見事に反転した初音とそのほかの三姉妹がコタツをはさんで睨み合っ
ていた。
 もちろん真っ先にリミットブレイク・ザ・鬼状態なのが千鶴だ。
「初音、覚悟なさい」
「へえ……姐さん方、アタイとやろうってのかい?
 極道の惚れたはれたはタマの殺り合いだぜ?」

「え? 取られちゃうのか? 俺!」

 あわてて股間を押さえる耕一。

「ちげーってんだろこんダボがぁ!」
 雷光の様なローがその押さえた手に炸裂した。
 股間を押さえたままゆっくりとマットに沈む耕一。1ラウンドKO。
 なおもストンピングを加えようとする初音をさえぎり、楓がかばうように前に出た。
「初音、耕一さんに乱暴しないで……」
「へえ、このチェーリーボーイがお好みかい」
 股間を押さえたままうずくまる耕一のあごをつかんで、くいっと上向かせる。
 思いきり白目むいていた。
「こ、耕一さんは……」
「へえ? なんだって」
 おかしそうに聞き返す初音。
「耕一さんは童貞じゃないもの!」
「なんですって?」
 とたん、千鶴の顔色が変わった。
「楓ちゃん? いまなんて言ったの?」
 わずかにひるんだ楓は、それでもない胸をぐっとそらして対抗した。
「耕一さんは経験済みだって言いました!」
「へえ……ほう……ふうん……初耳だわねえ……」
 千鶴の声が次第にトーンダウンする。
 その代わりといってはなんだが、爪がすこしづつ伸びていた。
「その話、地下室でゆっくり聞かせてもらおうかしら? 悲鳴とかが外にもれないように」
 退くかと思われた楓は逆に、望むところとばかりに、にやり、と凄絶な笑みを浮かべた。
 鬼の微笑が周囲の空気を凍らせる。
「いいでしょう……姉さん。四百年前の返礼をします」
 楓の足元が音を立ててずぶずぶと沈みこむ。
「おお、怖い怖い。こいつはとんだ修羅場に居合わせちまったぜ」
 おかしそうにけらけら笑う初音。
 梓は頭を抱えて座り込んだ。い、いやだああ! 姉妹同士で死ぬか殺すかの選択肢しか
ないのかよ!?
 これというのも!
「初音! あんたいいかげんにしなよ」
「梓姐さん……あンたには別に話がある。付き合ってもらおうか」



「初音」
 初音の部屋に入ると、梓は目を閉じ、ばきばきっと指を鳴らした。
「ちょっと痛くするけど、すぐ済むからなあ……」
「ちょいと待ちなよ兄弟。クールに行こうぜえ。
 アタイの話を聞いてからでもおそかないだろ?」
「反転状態で話なんか出来るか」
 はーっと拳に息を吹きかける梓。

「耕一をモノに出来る、って話でもかい?」

 振りかぶった拳が、ぴたっと止まった。
「あンたもホの字なんだろ、耕一によ」
「な、なにを……!」
 ひるんだ隙に横に回りこみ、ふっと梓の耳を吹く初音。
「ひゃっ!」
「くっくっく……ウブなネンネじゃあるまいし……」
 ぎゅっと身をちぢめる梓を、初音は喉の奥でクックッとせせら笑った。
「て、てめえぇ……」

「どうよ、アタイといっしょにこの家を出ねえか?」

「なんだって?」
「アタイと組まねえか? って言ってるのさ。こう見えても賭け事にはチョイと自信があ
るアタイだ、ものの形や色を覚えるのは超得意だぜ?
 だが斬ったはったにはどうも手が足りねえ。
 そこであんたに賭場でのアタイの用心棒を勤めてもらいてえと、まあこういう寸法よ」

 用心棒!?
 あたしが?
 梓の脳裏に、不精髭だらけのあごをさする和服姿の三船敏郎の映像が浮かんで消えた。
 ……ちょっといいかも。

「あンたは耕一のアパートに転がり込めばいい。アタイは賭博のあがりで一発億ションで
も借りてやらあな、ドーンとな!」
 全身を使って『ドーン』感を表現する初音。
「でも、どうやって向こうで生活してったらいいんだよ?」
「まあ待てって。カネはアタイが稼ぎ出す。バクチは水もんだ、運の向きようによっては
ちっとばかり細工するかも知れねえ。
 もちろんいかさまがバレりゃただじゃ済むめえが、なあにその時はあんたの自慢のエル
クゥぢからをちょいとばかりふるってもらえばこれノープロブレムってことよ」
「そ、そんなことできる訳ないだろ! だいたい学校はどうするんだよ」
「学校だぁ!? けっやめちまえやめちまえ、教科書は何も教えちゃくれねえぜ」

 無茶苦茶だ。
 やっぱり所詮反転は反転。こんな状態の初音の話をまともに聞いたほうが馬鹿だった。
 ふたたび梓パンチスタンバイOK。
 はーっと拳に息を吹きかけて……。

「いいのかい? 耕一をやつらに取られちまっても」
「え……?」
 またも止まる、梓の拳。

「さっきも楓姐さん言ってたよなあ『耕一さんは童貞じゃありません』、か……。
 一体どこのどなたさんと初体験なすったのかねぇ、え?」
「くっ……」
「チャンスは今だぜ、梓姐さん。レッツ略奪愛!
 あのお笑い貧乳コンビ『ザ・ペッターズ』を出しぬいて、下宿に帰った耕一としっぽり
ツーショットってわけよ。
 悪い話じゃないだろ? 憎いよこの、タスマニアタイガー!」

「耕一と、あたしが……?」

 信じられない。
 でも、世の中時には信じられないことが起きてもいいような気がする。

「そして狭いけれども二人を邪魔するものは何もない四畳半、愛さえあればほかに何もい
らない生活が続くってことよ。
 よっ、にくいよこの七十年代! 赤い手ぬぐいマフラーにするぜ、小さな石鹸カタカタ
鳴るぜ?」



	 雪の降りしきるなか銭湯へ急ぐ二人。
	 気づかぬままに握られた手はお互いをいたわり合うように、温かみをつたえあ
	っている。
	「寒いね」
	「ああ、寒いな」
	 交わされる言葉に意味はなく、ただ固くつながれた手だけが二人の気持ちを通
	じ合わせていた。


	 風呂上りの梓の肩を、耕一はぽんと叩いた。
	「悪い、待ったか?」
	「ううん、あたしもいま出たとこ」
	 耕一は少し笑って、いきなり梓を抱きすくめた。
	「な……!?」
	「髪、冷たくなってるじゃないか」
	「……」
	 耕一の手のひらの感触が伝わる。あたたかくて、大きな手のひら。
	「待たせてゴメンな」
	「……うん」

	 電車の走り去るガードのとなりの六畳間だった。
	 轟音と振動がひどく、電車が走り去るたびに陶器がちりんちりんと音をたてて
	鳴るほどだったが、二人にはそんな些細なことは気にならなかった。

	「耕一ぃ」
	「なんだ?」
	「いいのかな、あたし」
	「何がだよ」
	「こんな風で、さ。隆山にも帰らずに……」
	「気にするなよ。千鶴さんも、いつか俺たちのこと分かってくれるさ」
	「楓には悪いことしちゃったけどね……」
	「……ああ」
	 軽い後悔が胸の痕をよぎる。あの日隆山駅のホームで二人を泣いて見送った楓。
	 おかっぱ頭が寂しそうにうなだれていた。
	「耕一、あたしなんかで後悔してないの?」
	「馬鹿言うなよ」
	 ぐっと肩を抱き寄せる。そのぬくもりが、梓の心を溶かしていく。
	「あたし、怖いんだよ。耕一のその優しさが」
	「馬鹿言うなよ梓。俺は、お前のことが……!!」
	
	 特急列車の轟音がセリフをさえぎる。流しの茶碗がちりちり音を立てる。
	 部屋の中をめまぐるしくよぎる車窓の明かり。
	 耕一は荒々しく、まるで掴み掛かるように梓を抱き寄せた。

	 そして、耕一の口からつむぎ出された言葉。
	 優しいんだから。その優しさがあたしを包みこんでくれる。その優しさで柏木
	家のみんなを傷つけた、あたしのために。
	「うぅ……耕一ぃ……あたし……」
	 轟音が去って、静かな嗚咽が六畳間を満たし、それが消えてなくなるまで耕一
	は梓の頭をまるで小さな子供をなだめるように撫でつづけていた。
	 長い夜だった――。



「妄想やめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 初音の気合に、はっと我に帰った。

「あ、あのあのあたし……」
 自分の空想でちょっと泣き入っている梓。
 こうなればもはや思う壺だ。
「どうよ姐さん、わくわく同棲ランドだぜ?
 ったく、まかせとけよアタイに。
 あンたのこの無駄にでかいうしちちも、ナニかと使いでがあるってもんさね」

 もみっ

「ひゃっ」
「くっくっく……かわいいねえ」





「おうおう兄ちゃん、誰に断わってここで商売してんだ、あ〜〜〜ん?」
 縁日の神社の境内に、反転初音の怒声が響く。
 白の背広の下にはイタリアンカラーの黒シャツ、そして白いネクタイ。
 肩で風切って歩くたび、首から下げた『YAZAWA』タオルがゆらゆら揺れる。
「ま、アタシはいいんだぜ?
 ……ただ若いモンはそれじゃ納まりつかねえかもなあ、後ろのおっかない姉ちゃんがな
んていうか」

「うらあああああああ! こんドサンピンがああ!」

 グンゼのシャツにももひき、しかも腹巻き着用の上に首から成田山のお守りを下げた梓
がどかーんと屋台をひっくり返す。
 三下ヤクザを意識したコスチュームだが、気を抜くとバカボンパパになってしまうので
要注意なのだ。

「赤猫走らしたろかこらああああ!」

(注・『赤猫走らす』とはそっちの世界の隠語で『キミんちに火ィ付けちゃうゾ☆』とい
う意味です)

 屋台の兄ちゃんはなかば腰を抜かして逃げていく。
 顔で怒って心で泣いて。
 涙ナミダの梓であった。

「初音ぇ、いつまでこんなこと続けるんだよぉ……」
「仕方ねーだろ? 賭場を開くにゃ先立つ物がなきゃ話になんねえってことよ」

 六畳一間で耕一と愛のある二人暮らしができるのはいつの日か。
 涙をぬぐって夜空を見れば、十五夜お月さんも泣いている。

「ううう……待っててね耕一、金さえたまればきっと会いに行くよ……」





「それにしても驚いたよ、俺が気失って倒れてるあいだに初音ちゃんと梓は行方不明に
なるし、千鶴さんと楓ちゃんは入院してるし……はい千鶴さん、リンゴむけたよ」
「すみません、耕一さん……」
「ほら、楓ちゃんも」
「耕一さん、ありがとうございます」
「いったいなにがあったんだ? まさかあの鬼が生きてて、復讐に来たんじゃ……」
「ちっ違うんですよ耕一さん! ねっ楓?」
「はい。何でもありません」
「ならいいけど……それにしても、二人ともどこ行ったのかなあ」



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