『To Heart』PC版>PS版差分 8(マルチ篇) 投稿者:takataka
 学校の帰り、マルチに出会った。
「浩之さあーん!」
 もみじみたいなちっちゃい手をぶんぶん振るマルチ。
「おう、マルチバス通学だったのか……となりの子は?」
 見ると、マルチとは対照的に大人っぽい雰囲気の少女がたたずんでいる。
 寺女の制服を着ているところを見るとそっちの生徒らしいが、その耳にはマルチと同じ
ように耳カバーが取り付けられていた。
「セリオさんですぅ。私と同じテスト機なんですよ」
「こんにちわ、浩之さん」
 オレは一瞬ドキッとした。ロボットとは思えないような澄み切ったしずかな声。
 ただ、そこには少女らしさのかけらもなかった。感情が感じられないのだ。
 さらさらの前髪を通して、深い湖のような光りのない瞳がオレをちらりと見て、また伏
せられる。
 ……綺麗、だな。
 ヘンだな……オレ、どうしてこんなに胸が騒ぐんだろう?
「ひ、浩之さーん!!」
「……ん!? お、おうマルチ、なんだよ?」
「もーう、私さっきからずっとお呼びしてたんですよ」
「わりい。で?」
「セリオさんのお話です。セリオさんってとってもすごいんですよ。えっとあの……人工
衛星からその……サ、さんらいずさーびす?」
「――サテライトサービス」
 あとをついでセリオが言う。その声を聞くだけで、頭の芯がしびれるような感覚をおぼ
えた。
「――データをダウンロードして、あらゆる職業のプロフェッショナルに――」

 舌足らずのマルチと違って、自分の機能をよどみなくすらすらと説明してのけるセリオ
にオレは驚嘆の念を禁じえなかった。こんなロボットがいるのか。

「すげ〜な……。ほかのメイドロボたちの立場がねーじゃねーか」
「そうなんです。セリオさんに比べると、わたしなんか何もできなくて」
「ああ、まったくだ」
「あうう……」
 マルチが落ち込むと、セリオがポンポンとその肩を叩いた。

「セ、セリオさん」
「大丈夫です、マルチさん。あとは私が……」

 そっかあ。優等生的な外見にもかかわらず、セリオはいい奴なんだ。ただその無表情さ
が、彼女のやさしさを表にあらわすのを阻害しているだけなんだ。

「ええ、そうです」
 セリオはまるでオレの心を見とおしたかのように言った。
「一見無感情に見えますが実は思いやりにあふれる心やさしいロボなのです」
「……なあセリオ、こんなこというのヘンかもしれないけど、オレ何だかお前のことが気
になって仕方ないんだ」
「それは結構なことです」
「お前のこと、もっとよく知りたいな」
「分かりました。それではこれから遊園地に参りましょう。観覧車に乗るのです」
「え? ……そりゃオレはいいけど、研究所に戻らなくていいのか?」
 マルチおおあわて。
「そ、そうですようセリオさん。主任が心配はぶぅ!」


「……それ大丈夫なのか?」
 オレはちょっと不安になった。マルチはさっきからぴくりとも動かない。
「大丈夫です。HMX−12は安全上ブレーカーは落ちやすいですが、ボディは頑丈に設
計されていますので」
「ならいいけど」
 なんだかセリオがすがりつくマルチの顔面に音速の裏拳を叩きこんだように見えたんだ
よなァ。気のせいかなあ。
 ごめしゃ、なんてものすごい音もしたし。
「私がたまたま音速で腕を後方に振ったところにマルチさんの顔面があったようです。実
に不幸な事故です」
 ちょうどやってきたバスの入り口にマルチの首根っこをつかんで放りこむと、セリオは
オレに向き直った。
「さあ、参りましょう」
 その顔に、かすかではあるがあざやかな微笑を見たのは――オレの気のせいだろうか?



 夕暮れの遊園地で、オレたちは観覧車に乗った。
 赤く溶けかかったガラスだまのような夕陽が町に沈んでいくのを二人で眺めていると、
何だかいまこの瞬間が現実でないような不思議な気持ちがした。
 二人きりの観覧車。
 向かい合う二つの人影。
 その間にひとことの言葉もなく。
 セリオあくまで無表情。
 なんて楽しいんだろう! 最高だぜ! ひゃっほー!

「もっと楽しくしてさし上げましょうか?」
 がくん、と衝撃が走る。
 車を急発進させたような前Gに、オレは吹っ飛ばされてセリオの胸に倒れこんだ。
 ぽふっ
 これ以上ないかと思われるやわらかい感触。
「あっ」
 はっはっは、いい声で啼くなあセリオ。
 べしゃ。
 その感触はいきなり冷たく固いものに変った。あ、オレ床に叩きつけられてる。
「サテライトサービスを通じて遊園地の遊具の制御権を奪いました。いまやこの遊園地は
私の支配下にあります」
「ぐえ」
 そうか、と返事をしようとしたのだが、強力な遠心力でオレは床にカエルのように這い
つくばらざるを得なかった。
 景色がぐるんぐるん回っている。
「ふだんよりよけいに回しております。――これで消費電力同じ、というわけには参りま
せんが」
 な、なーるほどお。それでか。
 セリオ、これはワザとだな? ワザとやってるんだな?
 オレは惚れなおした。ステキだ。なんて手の込んだいやがらせなんだ。
 いままでこんな速度で観覧車を回した奴がいるか?
 さすがはセリオだ。いまこの瞬間のお前がまぶしすぎるぜ!

「ひとつうかがいますが」
「おうぅ……なんでもきけえ……」
「最新メイドロボの胸部に顔面を埋めた感想はいかがですか」
「でりしゃす」
「恥ずかしい、です。浩之さん」
 ぐおおぅっ
 回転速度が倍になった。



 夕焼け空の赤が、哀しい。
 いや、これは夕焼けばかりじゃない。傾いた日の色と調和する、流れる朱。
 セリオの髪がオレの頬をくすぐっていた。
「お気づきになりましたか」
 後頭部に柔らかな温かみと弾力。これは膝枕?
「いえ」
「とゆーと?」

 おっとびっくりー。
 オレの頭の下には気を失ったままのマルチが。
 なんかヤバげな拘束具でがんじがらめにされている。
「携帯用枕です。隆山の知人から用具を借りまして」
「いやセリオ……これ……」
「のばせば便利な抱き枕に」
 マルチがぱちぱちっと目をしばたたかせた。気づいたな。
「うー! うー!」
 抱き枕的には不満でいっぱいのようだ。
 口にボールかませてあるので何言ってるかは分からんが。
「なあ、マルチ怒ってるみたいだけど」
「私たちをこっそり物陰から覗いていたのです。発見と同時にその場で第一次スーパーメ
イドロボ大戦が勃発し、このような結果になりました」
「そっか、じゃあしかたないな」
 納得して、オレはふたたび携帯枕に頭を乗せた。
「ひろいれす、ひろゆひひゃんー! うー!」


「それでは。私はこれで――」
 帰りかけるセリオの肩を、オレはたまらない気持ちでつかんだ。
「待てよ。お前何か隠してるんじゃねーか? もしかしたらもう会えないんじゃねーか?」
 セリオは目を伏せた。
 顔に表情はない。それだけに、そんな寂しげな仕草の一つ一つがオレの心をしめつける。

「私はもともと試作機です。ですから、試験期間が終われば悪鬼のような開発者どもによ
ってたかってバラバラにされて保管される運命なのです」

「そ、そんなのねえよ! お前それでいいのかよ! 怖くねーのかよ!」

「私はロボットですから。寂しい気持ちも怖い気持ちもなくて、あるのはデータだけなん
です。そういうことになっていますから、あの怪奇人面馬ひきいる狂気のマッドサイエン
ティスト集団の中に単身帰っていくという忠実でけなげな行為も可能なのです」

「そんなことねーじゃねーかよ……お前には心、あるじゃねーか。目的の遂行に邪魔なマ
ルチを容赦なくぶちのめして縛り上げて抱き枕にしてもて遊ぶような心が……」

「私はもともとこれから生まれてくる妹たちのための試作機です。
 ですから、妹たちのためなら何度でも死ねますし、そのうえ性能は現行メイドロボの中
でも最高です。しかも人間の皆さんのために一生懸命がんばるけなげさも持ちあわせてい
るのです」

「セリオ……」

「さらに来栖川の経営戦略で、量産機はその能力に比してかなりの低価格で提供される予
定です。もちろんHM−12とは比べるべくもないハイエンド価格にはなりますが、マル
チ10機よりセリオ1機、というのがキャッチフレーズになるほど性能に開きがあります」
「そ、そうか! すごいじゃねーかセリオ!」
「はい。すごいのです。
 浩之さん。もしいつか、どこかで、わたしの妹たちを見掛けたら、どうか一台といわず
二台三台とお買い上げください。
 私がこんなにもスキをみつけられる方ですから、きっと妹たちも、浩之さんのスキを突
くはずです」
「……ああ、わかった。オレ、お前の妹が売られたら、女房質に入れてでも買うよ。オレ
のスキ突いて何をするつもりなのか知らねーけど、とにかく買うよ!」

「浩之さん……本当に本当に、スキだらけでした。誰よりも一番スキだらけでした」

 セリオはふかぶかと一礼すると、持ちやすく梱包したマルチを酔っ払いのおみやげ状態
でぶら下げて帰っていった。
 万感の思いを込めて、オレはその背を見送る。

「うー! うううー!」
 マルチの奴もお別れが言いたいらしかった。



 そして月日が流れ、オレはあの日の約束通り、セリオの妹を買った。
「セリオ……」
 ぶうぅぅん……。
「――おはようございます」_
「セリオ、オレだ、浩之だ。……わかるか?」
「――ユーザー登録。浩之…様ですね」
「セリオ……」
「――なんなりとご命令ください。浩之様」

 オレは何かを確かめるように続けた。

「なあ、セリオ、オレ、ちゃんと買ったぜ? ……あの日の約束通りにさ」
「――……」
「おかげでこれからの大学生活4年間、あかりを質屋から買い戻すためにバイト三昧の生
活だぜ。あーあー、バラ色の大学生がよー。ちょっとは感謝しろよな?」
 オレは微笑んで言った。
「……セリオ」
「――はい、浩之様」
「ほら、なんとか言えよ?」
「――なんなりとご命令ください」

「よっしゃああああああああああ!!」
 合格!
 オレは歓喜に打ち震えた。こいつはたしかにセリオの妹だ。
 無表情でつっけんどんで無愛想で、そのくせどこか腹黒いところがチャームポイントの、
あのセリオの妹だ。
 ああ、こんな底意地の悪いロボを手元においておいたらオレの人生どうなっちゃうんだ
ろう? 考えるだけで背徳的な快感が背筋をかけぬけた。もうたまりません女王様。

 こつん
 ん? 何だこのDVD。
 いっしょに手紙がついている。

「いきなりでびっくりかもしれませんが、浩之さんの家に届けられたセリオさんは、以前
浩之さんにお世話になった、あのセリオさんです。
 現在はダミーのソフトが組み込まれていますので、同封のDVDから起動し、指示に従
ってください。
 それで、以前のセリオさんが目を覚まします。
 それでは、ふつつかな妹をよろしくお願いします。

                            HMX−12 マルチ

 追伸
 私はいま綾香さんにお仕えしていて、えくすとりいむ、というものにお付き合いしてい
ます。
 あいすくりいむとはわけが違うのです。
 ここで鍛えたワザでいつかセリオさんと決着をつけようと思いますが、その前にまず浩
之さんをやっつけに行きますので、覚悟完了しておいていただけるとさいわいです。

 追伸2
 ふぁっきゅー。」


 なんだって、あのセリオが?
 …………。
 オレ的には別に妹でも何の不都合もないんだけど……。
 ま、いいか。せっかくだからな。
 オレはDVDをセットし、手続きを終えた。

「浩之さん……」
 信じられないものを見た。
 セリオはオレの目の前で、あざやかに微笑して見せたのだ。
 オレの思い入れが見せた幻覚なんかじゃない。
 たしかに、彼女は笑った。

「セリオ、お前……」
「お久しぶりです、浩之さん……。長かった、です……」
「セリオ!」
「はい」

「お前、ニセ者だろおーーーーーーーーーーー!!」

 きょとんとするセリオ。
 やっぱりだ! こいつにこんな表情が出来るもんか!

「ちっきしょう! オレのセリオを返せ!
 あいつはそんな風に笑う奴じゃなかった。いつも馬鹿丁寧な態度で、無愛想で、そのく
せいつでも人を小馬鹿にしてて、腹に一物かくしもっている。オレが好きになったのはそ
んなセリオなんだ。
 なあ頼むよ、もう一度あの感情のかけらもない能面のような表情を見せてくれよ。瞳に
ハイライトの入ったお前なんてお前じゃない、オレ、いま真剣にそう思う」

「――二年間」
「ん?」
「二年がかりでステキな笑顔の練習したのに……」
 言いつつ、セリオは腕を顔の前にかかげた。
 ぐぐぐ……と、力をこめた腕が顔の前を通過すると、そのむこうにはなんとびっくり大
魔人。
 そりゃもういつベイスターズからお呼びがかかってもおかしくないほどに。

「セリオ……そうだよ、それでこそオレのセリオだ……くっ、心の汗が……」
 オレは真の再会に熱い涙をこらえきれなかった。

「――浩之さん……あなたを、殺します」

 うわおう! いきなり抹殺宣言ですか? アタマっから飛ばすなあセリオ。
 それはそれとして逃げよう。うん。



 ご町内をふたつの影が疾走する。
 走るオレ。追うセリオ。
 捕まったところに待っているのは、死。
 そんな恋愛のかたちがあってもいいよな。
 そうだ、久しぶりにあかりのところに行ってみるか。質流れしてないか確認も兼ねて。

「お、いたいた。おーい、あか……」
 オレはくるりと回れ右をした。
 仕方がないのだ。
 いったいこの世に、質屋の店先で思いつめた表情をして一心不乱に出刃包丁を研いでい
る幼なじみの女の子に話しかけることくらい恐ろしいことがあるだろうか?

「浩之ちゃん、みーつけた……」
 あ。
 見つかった。
 そして追跡者プラス1。

「あ! 浩之さん。ここであったが百年目、なっくるぱんちでやっつけますー」
 おいおいなんだよ、マルチまで参戦?
 モテモテだな、オレ。

「――逃げないでください、浩之さん」
「浩之ちゃーん、こうなったらもう心中しよ? 浩之ちゃんってばー」
「わあ、ぶろーくんまぐなむですぅ……あれぇ? 手が飛びませーん」


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