『To Heart』PC版>PS版差分 5(あかり篇) 投稿者:takataka
 あかりと一緒に帰りながら、途中の商店街にさしかかったときのことだ。
「そういえば、浩之ちゃんの家ってペットとか飼ってないよね」
「まあな」
「昔は飼ってたよね、おっきなイヌ。いまはもう飼いたいとかって思わないの?」
「死んだときが可哀想だからな」
「……死んだとき?」
「ああ」
 オレは小学生のときに飼っていたイヌのボスを思い出しながら言った。
「愛情が湧けば、それだけ死んだときに辛いだろう」
「……うん。それはそうだけど」
 あかりは悲しい顔で俯いた。
 あ、しまった。
 なに暗い雰囲気にしてんだよ、オレは。
 オレは慌てて笑顔を作り直すと、
「でも、まあ、死ぬのは可哀想だけど、側にいるときはたしかに心がなごむよな」
 と言った。
 すると、あかりは、
「うんっ」
 と、明るくうなずいた。

「あのね、もしもまた、ペットを飼うとしたら、浩之ちゃんは何がいい?」
「オレか? ……そうだな」


	A、やっぱイヌかな。
	B、ネコだな。
	C、神岸あかり。


「神岸あかり、かな」
「え……」
「冗談だ」
「……」
「……」
「……」
「でも、もし万が一、お前がペットになったら、必ず大事に飼ってやるぜ」
「……ホント?」
「ああ」
「……だったら、やってみてもいいかなぁー……なんて」
「チョーシにのってんじゃねーよ」
「えへへ」
 オレはあかりの頭をちょんと小突いた。


 そう、冗談だったのに。

「浩之ちゃーんっ」

 来やがった。

 朝っぱらからわんわん吠えて人のこと起こしに来やがるところと言い、頼みもしないの
に後くっついて歩いてくるところと言い、ちょっとやさしいそぶりでも見せてやりゃそれ
こそうれし過ぎてわけわからなくなるところといい。
 ただでさえ犬チックな女、神岸あかり。

 そいつが犬耳にしっぽ装備して、首輪なんぞつけてきた日にはどうするよ、おい。

「えへへ、来たよー」
「来たよじゃねえ!」
「きゃっ」
「お前ぇっ! おまっ……なっ……バッ……」
 震えつつ指差すオレの手を、あかりの手がそっと包み込む。
「落ち着いてよぅ、浩之ちゃん」
「これが落ち着いていられる事態か! お前なんのつもりだそりゃ!?」
「ふふぅ」
 あかりは頬を染めて、後ろ手に持ったものをオレの目の前に突き出した。
 ちゃりんっと金属の音がする。
「ペットだよ、浩之ちゃん♪」
「……んだとう?」
 首輪につながれた鎖の先端をオレに握らせ、あかりは微笑んだ。
「私、今日から浩之ちゃんのペットになります。よろしくね」
「よろしくじゃあるかああぁーーーーー!!」
 絶叫しながらも、ピン、とオレの脳裏にひらめくものがあった。
 そう、変なモード発動だ。
 ……そうかよ。そういうつもりか。あかりの分際でオレをからかうとは生意気きわまり
ねえ。ここはひとつしかるべき報いを食らわしてやるのだ。
「ようし、飼ってやるぜえ」
「ほんとう!? 浩之ちゃん、ありがとう……私、わたし……」
「だが! ペットを飼うまでには幾多のハードルがあるのだ! それを乗り越えてからで
ないと真のトップブリーダーとは言えんな! あかり、オレとともに苦難をくぐりぬける
覚悟はあるか!?」
「はいっ!」
 おお!? あかりが燃えている!
 よっしゃ、行くぜええ!


「まずは第一の関門! ここだあ!!」
 あたりを払う威厳ある建物。コンクリートの壁が来館者を威圧する、お役所独特の雰囲
気だ。
 そう、ここは保健所! 畜犬登録の代表的窓口!!
 あかりがごくりと息を飲む。ふふふ、緊張しているな。
「犬飼うには登録しなきゃならんからなー、そうだろ? あかり」
 こくこく、とうなづく。そうそう、犬がしゃべったらまずいよな。
 もちろんオレたちは『ふざけんな』と大目玉を食らうことだろう。
 だが、あかりの野望を打ち砕くにはこのくらいのインパクトが必要なのだ。


「――じゃ、あとは予防注射を忘れずに――」


 ちゃりん。
 オレの手の中にきらめく金属板。
 鑑札。
 おいおい、出来ちゃったよ登録。
 畜犬登録の鑑札もらっちゃったって。
 窓口の奴! あんたの目は節穴か!?

「これで私、名実ともに浩之ちゃんの飼い犬なんだね……」
 感慨深げに胸に手をあてるあかり。
 お前いいのか? 登録されてんだぞ?
「いいよ。これで浩之ちゃんのものになれるなら、私しあわせだよ」
 ジステンパーと狂犬病の予防接種のあとを脱脂綿で押さえ、あかりは微笑む。
 オレはそんなあかりの首輪に鑑札を下げてやることで答えた。

 家に戻って、門柱に『犬』と書かれた登録シールを貼るオレを、あかりは満面の笑顔で
見守っていた。



 それからってーのがまた大変だ!
 だって近所の人もなにも言わねーし! かわいいワンちゃんねーとか言って頭なでなで
してく奴もいるし! 公園デビューで『餌なんかどうされてるんですか?』とか近所の愛
犬家に聞かれたときにゃどう答えりゃいいんだよ? 『コイツに作ってもらってます』っ
て言うのか?
 あかりの母さんにいたっては、
『よかったわねあかり、いい飼い主が見つかって……』
 などと目頭を押さえる始末。

 変だお前ら。人として。
 オレはこの異常性を訴えるべくあらゆる手を尽くした。

 ペット雑誌にオレの足元で甘えるあかりの写真を投稿!
 載りやがった! 『ご主人様大好きだワン』とか勝手にセリフつけられて!
 しかもその月のMVP! 副賞ドッグフード一年分もらったさ。

 ドッグショーに出場!
 初登場でいきなり最優秀賞ゲットだぜ!
 オレ、トップブリーダー!


	『特集・わんわんファミリー大集合

	 今期ドッグショー最優秀賞受賞者 藤田浩之さん(17歳)
	                 愛犬 アカリ号(メス17歳)

	「優勝の秘訣はずばり何でしょうか?」
	「まあ……愛じゃないスかねえ……(笑)」
	「頭に結んだリボンがかわいいと評判でしたが、これは藤田さんがお選びになっ
	たんですか?」
	「いや……こいつが自分で……」
	「またまたぁ(笑)」』


 まあ、なんだかんだで定着してしまった。
 いーのかよ。


 月がきれいな晩だった。
 夜風が心地いい。オレはリビングの窓を開け放って、縁台に腰を下ろした。
 ふと思い立って部屋の電気を消してみる。
 月明かりだけが斜めにさしこみ、その白く冷たい光でオレの座っている縁台のあたりを
スポットライトのように照らし出した。
 何だか不思議な気分だ。いつもなら言えないことが口をついて出る、そんな雰囲気。
 白い月を見ながらオレが思い出すのはなぜだか、白くてでっかかったあいつ、ボスのこ
とだ。
 あかりのことがあったからだろうか。懐かしい思い出の中のそいつの顔は、何だか笑っ
ているようだ。
 ただ……オレはどうしてこんなに寂しい気待ちなんだろう?

 ひんやりとした夜気のなかからオレの肩をあたためるぬくもり。
 あかりがとなりに寄り添っていた。

「あのね」
「なんだよ」

 あかりの声はまるで遠くから聞こえてくるようにかぼそく、ささやかなものだった。
 こんなにも近くにいるのに。

「もし私が死んじゃったら、浩之ちゃん、泣いてくれる?」

「お前……」
 縁起でもないこと言うなよ、というオレの言葉は口に出さることはなかった。
 あかりが、あまりにも真剣にオレの顔をのぞきこんでいたから。

「……おう、まあ、泣くだろう……と思う。多分」

 オレは顔をそむけて答えた。
 こんな顔見せられるかよ。

「よかったあ」
 あかりが心の底からほっとしたように胸をなでおろすもんだから、オレはちょっとむっ
とした。
「お前えー。オレを冷血人間か何かだと思ってんのか? 身近な奴が死ねばそりゃオレだ
って悲しくもなるだろ」
「うん。浩之ちゃん、やさしいもんね」
 子供をあやす母親のようにやさしく微笑んで見せるあかり。コイツ、分かっててこうい
うこと言いやがるからなー。

 と、いつものように冗談で流したいところだが、今日はどういうわけかそういう気分で
はなかった。
 春先の夜、あたたかく吹き寄せる夜風の中、どこかで咲く夜桜の香りをふくんだ不思議
とやさしい空気のせいかもしれない。
 それとも、この場所でオレたちだけを照らし出している月の光のせいかも――。

 いや、回り道はよそう。
 オレはあかりの母親みたいな表情の中に、水面に浮く一枚の木の葉のような、ほんのわ
ずかな悲しみの影を見ていた。

「浩之ちゃん」

 すこしトーンを落とした声で、あかりが言う。

「もし私が死んじゃったら、一日だけ、私のために一日だけ使って、泣いてね。
 そうしてから、それからどうするかは浩之ちゃんの自由だけど……」

 真剣な目でオレを見つめる。

「ひとつだけ、お願いがあるの」

 ふいにやわらかくなるあかりの瞳。
 光の雫がひとすじ流れて、落ちた。

「新しい犬、飼ってね。私のかわりに。
 私、浩之ちゃんがいつまでも悲しい顔してるのはいやだから。
 ボスみたいなピレネーでも、シベリアンハスキーでも、ゴールデンレトリバーでも……
私よりかわいくて、忠実で、私よりも浩之ちゃんのためにつくしてあげられる犬を探して
ね。きっと、いっぱいいるよ……」

 オレはあかりの肩をがしっとつかんで、乱暴に引き寄せた。
 びくっとしたあかりの緊張の波が手に伝わる。


「お前以外の犬なんか飼えるかよ」


「だめだよう、ひろゆきちゃん……」
 あかりはオレに抱かれて、身体をふるわせ、すこし泣いた。

 オレはあかりの肩をぽんぽんと叩いてやり、すこし落ち着いたところを見計らって部屋
に連れていった。今晩くらい、いっしょの部屋で寝てやろう。
 あかりはオレのベッドの上に乗り、足元で丸くなって『浩之ちゃん、おやすみ……』と
いって眠りについた。
 犬耳を寝かせて、しっぽで顔を包み込むようにして眠るあかり。その顔はいつもより安
らかだった。
 オレはほっと胸をなでおろした。気づかれなくてよかった、と。
 何となれば、オレのシャツがあかりの涙で湿っていたように、あかりの肩もまた濡れて
いたからだ。

 まあなんだな。
 これからはずっといっしょだ。少なくとも死ぬまでは。
 カーテンを引き、空を見上げる。
 夜空に浮かぶまっしろな月が、白くてでっかいボスの笑い顔に見えた。




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