リーフひみつシリーズ『ちゃん付けのひみつ』 投稿者:takataka
『長瀬ちゃん……』

 俺たちはテレビに釘付けになっていた。
 連続テレビドラマ『雫』。今日はその最終回だ。

『忘れるわけないよ、長瀬ちゃんだもの』

 ……じ〜〜ん。

 番組が終わってもなお俺たちはテレビの前を動けなかった。
「いい話でしたね……」
 目頭を押さえつつ、楓ちゃんがしみじみという。
「やっぱり、脚本が、ううっ、いいよねー」
 初音ちゃんはすでにボロボロに泣いてしまっている。
「いやーあ、あの音楽もなかなか」
「あれ? 梓なんであさっての方向いてるんだ? まさかお前まで……」
「な、なに馬鹿言ってるんだよ!」
 真っ赤な顔をして俺から目をそらす梓。だが俺はその目に涙がこぼれる寸前までたまっ
ていたのを見逃さなかった。
 実はかく言うこの俺も、油断するとちょっと泣きそうだった。
 というかいま現在進行形でヤバイ。


	『長瀬ちゃんのこと、助けてあげたいと思った……』
	『長瀬ちゃんの好きにしていいよ』


 いかん! いかんぞオレよ! なぜこういうときに限っていい感じのシーンが走馬灯の
ように思い出されてくるんだ!
 やべ、泣きそう。
 うわ、しかも心の中であのオルゴールの曲が流れてきちゃったし!
 
 ピーンチ! ど、どうしたらいいんだ。


	『いいか耕一、男って奴は、泣きたい時には思いっきり泣いてもいいんだ……』


 そ、そうか親父! いいのかホントに!? 泣いちゃうぞコラア!
 うおう、助けて千鶴さん!

「いやあー、いいドラマでしたよねえ千鶴さん……千、千鶴さん?」
 俺のワザとらしいフリにも気づかない様子で、千鶴さんはじっと画面に見入っていた。

	『来週からの新番組は……』

 なんだ、次回予告が気になってたのか。
 それにしても何だか様子が変だよなあ。

	『To Heart』

 次からは雫とはうってかわって明るい恋愛ドラマみたいだ。
 ちょっと犬っぽい雰囲気のある赤毛の女の子が映る。


	『浩之ちゃ〜ん、浩之ちゃんってばー、遅刻しちゃうよー』

	『……で、でも、浩之ちゃんは、やっぱり小さい頃からずっと浩之ちゃんだし、
	これからだって、私にとっての浩之ちゃんは浩之ちゃんだし、できればこのまま、
	ずっと浩之ちゃんのままがいいなって……』


「ふ〜ん」
 梓がなにか納得したようにうなづいた。
 涙はひっこんだらしい。変わり身の早いやつめ。
「どうした?」
「ふふん、耕一ぃ、さては気づいてないだろ?」
「なんにだよ」
「べえつにぃい?」
 薄笑いなんか浮かべつつオレを見ている。むう、梓の分際で。
「それじゃあヒント。雫と今度の新番組の共通点はなに?」
 なんだと?
 見てもいないのに分かるわけないだろうそんなもん。
「やーい耕一の鈍感」
「んだとぅ? 千鶴さん何とかいってやってくださいよ……
 あの、もしもし? 千鶴さん」
 千鶴さんは画面をのぞきこんだまま何かぶつぶつつぶやいている。
 むっちゃ怖いんですけど。
 そのまますっと部屋を出ていってしまった。
 何なんだ。


 夢。
 夢を見ている。
 俺が三姉妹にいぢめられる夢だ。
 やだなあ。こういうのって正夢になるんじゃないか。
 しかしあれだ。初音ちゃんが加わってないぞ。
 そうかそうか、初音ちゃんはやっぱりいい子なんだよなあ……。


「……あの、起きてください」
 千鶴さんの声がする。いつも通りやさしげな笑みを浮かべて、俺を見ている。
「……ああ、おはよう千鶴さん」
 俺が目を開けると、千鶴さんは静かに微笑んだ。


「おはようございます、耕一ちゃん」

 …………。

 俺はまだ寝ぼけているらしい。
 もう一回。

「おはよう、千鶴さん」
「おはようございます、耕一ちゃん」

 …………。

「あのう、千鶴さ……?」
「何だかうなされてたみたいですけど、悪い夢でも見たんですか? 耕一ちゃん」
 間違いないようだ。
 俺は勇気をふるいおこして聞いた。
「千鶴さん、どうしてまた俺のことを」
「朝食の用意が出来てますから、着替えたら来てくださいね、耕一ちゃん」
 千鶴さんは俺の台詞をさえぎって、まるで念を押すかのように言ってのけた。
 一切の反論を許さない、あたたかさの裏になにか隠し持った感じの笑み。
 俺は言葉を失った。

「とりあえず、朝飯か……」
 昨日から様子おかしかったしなあ、千鶴さん。


 食堂にはすでに楓ちゃんがいた。
 食べるのも早いがスタンバイもまた早い。さすがだ。
「おはよう、楓ちゃん」
「おはようございます、耕……」
 いつにもまして消え入るような声。語尾がもごもごと聞き取りにくい感じだった。
「どうしたの? 何だか元気ないみたいだけど」
「何でもないです、耕い……ちゃ……」
 楓ちゃんは真っ赤になってうつむいてしまった。

 だが次の瞬間、俺はもっと驚くべきことを耳にした。

「お、もう起きたのか耕一ちゃん」

 な!?
 梓!?

「梓……おまえ……」
「なに鳩が豆鉄砲食ったような顔してんだよ耕一ちゃん。早く食わないと冷めるだろ耕一
ちゃん! まったくグータラ学生なんだからなあ耕一ちゃんは!」
 梓はだんだん早口になっっていく。
 見ると口の端が引きつっているようだ。
「ほら早くしないと……あたしが遅刻するだろ耕一……ちゃん……ぐわああああっ!!」
 突然頭を抱えてぶっ倒れる梓。
「大丈夫かおい!?」
「みっ、みるなあああああああ!!」

 ごッ

 梓の顔は真っ赤になっていたらしい。

 らしい、というのは、うずくまった梓を助け起こそうとしたとたん、強烈なアッパーを
あごの先端に頂戴したからだ。
「ああああ!! あたしには出来ない!! できないんだあああああ!!」
 ごろごろと床を転げまわる梓。
 そしてスローモーションで倒れる俺。
 床の上をはねるマウスピース。
 ……ふ、いいの持ってんじゃねえか、梓……

「やはり、この子たちも……」
 気づくと、柱の影に千鶴さん。
 見てたんならなぜ止めないかな。



「さて、一体どういう訳か説明してもらおうか……」
 俺は腕組みして座卓の前に座った。
 しゅんとしている梓と、目をそらしている楓ちゃんをちらりと見ると、千鶴さんが重い
口を開いた。

「分かりませんか、耕一ちゃん。
 『雫』といい『To Heart』といい、主人公をちゃん付けで呼ぶのはつねにメイ
ンヒロイン!
 ちゃん付け、それは真のヒロインのみに許された特権なのです!」

 …………。
 言いきった。

 ひとこと言わせてもらおう。
 あんたたちゃーヘンな姉妹だ。とてもヘンだ。
 だが、俺はその言葉を飲みこんだ。
 物憂く伏せられた瞳。せつなげな視線を投げかける千鶴さん。
 おどおどと視線をそらしながら、それでもときどき俺の様子をうかがい見る楓ちゃん。
 ちょっとふくれたように畳のけばをむしって、落ち着かない様子の梓。

 そうだよな。彼女たちなりに俺のことを思ってしてくれたことだ。
 そんなこと言っちゃあ悪いか。

「まあ、みんなの気持ちはわかるけど……
 でもみんなすこし変だよ。そんな呼び方なんかにこだわらなくったって、俺はみんなの
こと大好きだし」
 うう、ちょっと照れるぜ。
「耕一さん、そんな……」
「……耕一さん」
「耕一ぃ……」

「普通でいいと思うよ?」

 とたとたとた。
 軽快な足音がひびいてきた。

 がらっ
「たいへんたいへん! 遅刻しちゃう!」
 ぴんと立った特徴のあるくせっ毛が顔を出した。
 初音ちゃんだ。

「あ、おはよう耕一お兄ちゃん!!」

 瞬間、空気が凍った。

 耕一お兄、ちゃん。


「「「お前かああああああああああああ!!!!!」」」


 びっしいいいいいぃぃぃぃぃぃ。



「えへへ、何だか照れちゃうな……」
 初音ちゃんは、柏木邸居間の上座にもうけられた十五段積み座布団の上に座らされてい
た。笑点ならハワイに一往復と片道行ける枚数だ。
 かたわらの立て看板には『ヒロイン様御座』と張り紙があったりなんかする。
 そして、三者三様の態を見せる姉妹。
 かりかりと畳を引っかきながらジト目で見つめる梓。
 イスラム教徒のごとく平伏する楓ちゃん。
 千鶴さんは何もかも抜けきったようなハニワ顔でだらりと座りこんでいる。
 よほどショックだったのだろうか。

「それじゃあそれじゃあ、私が耕一お兄ちゃんと……きゃっ」
 頬に手を当ててイヤイヤするように首を振る。顔はトマトみたいに真っ赤になっている
初音ちゃん。
 ううっ、かわいいぜ!
「初音ちゃん、俺……」
 くっ、こうなったらもはや俺内リミッター解除しか!!

	『耕一、お前があの子たちを守ってやるんだ……』

 ごめん親父。俺、親父との約束を守れそうにないよ。
「ああああああはっつねちゃああああああああ」

 づどむっ

「調子に乗るなよ耕一」
 梓のボディーブローは効いた。とっても。

 ぴた
「そうですよ耕一さん、初音はまだ子供なんですから……」
 千鶴さん……話はさておき、その出刃を頚動脈からどけて欲しいんですが……。

「……っっ!」
 あ、楓ちゃん! 待ってくれ!
 廊下に出て追いかける。
 とたん、天地がひっくり返った。
 穴の底から見る柏木家はいつもと違った風情だ。
 って、いつの間に落とし穴!?
 ととと……と楓ちゃんが戻ってきて、

 にや。

 とととととと……

 ひとり穴の底に取り残される、俺。
 梓、千鶴さん、助けてー。
 来てくれた二人は黙々と働いた。
 穴にフタをするために。

 初音ちゃんは学校に行ったらしい。
 逃げたな……。


 その後、穴の上にて。
「でもでも、わたしだって昔はちゃん付けでした!」
 暗幕引いてふすまをスクリーン代わりに八ミリ上映する千鶴。
 どこにあった、そんなもん。


『よろしくね、耕ちゃん』(セーラー服)


「ほーら御覧なさい!」
「でも思いっきりいやがられてるよね……」
「うっ……梓、あなた人の心の痕をえぐるようなことを……」
「――でも、いま、千鶴姉さんそう呼ばない」
「それは……」
「――やっぱり年が……」

「か・え・で・ちゃ〜〜〜ん?」

 ぴくっ。
 そろ〜〜〜〜〜
「逃げられるとでも思うのかな〜〜〜〜?」
 ぐわしっと襟首をひっ捕まえて吊り下げられる楓。
 猫耳が外向きになってるのは恐怖を感じているときだという。
 うなじの毛、逆立ってるし。

「♪山寺の 和尚さんが 鞠を蹴りたし鞠はなし……」

 楽しげに歌い出す千鶴。

「猫を紙袋に押しこんで♪」

 楓を入れた袋の口をきゅっと閉じ、

「ポンと蹴りゃ♪」

 ごすぅ

 心しずかに合掌する梓。
『楓、あんたのことは忘れないよ……』


 三日後、みかん箱に押し込められてみーみー泣いている柏木楓が、長瀬刑事によって発
見されたという。


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