ミュージカル版『痕』 投稿者:takataka
 花火の帰りの洞窟の中。
 怯える初音ちゃんに、オレはここに入ったことを後悔しはじめていた。
「……お、襲ってくるって。……ゆ、幽霊かなにか?」
 俺が訊くと、初音ちゃんは震える声で言った。
「……お兄ちゃん。……見ようとしないで、聴いてみて。聞こえるでしょ? あの恨めし
い歌が……」
「……聴こえる? ……なにが?」

「ほ、ほらっ、みんなで歌ってるっ!」

 初音ちゃんは耳を塞いで、俺の胸に顔を埋めた。

 歌が聴こえるって?
 何かを言ってるって?

 初音ちゃんに言われ、俺は耳を澄ませた。


「恨めしや〜
      恨めしや〜
           恨めしや〜
 憎しや〜
      憎しや〜
           憎しや〜
      
      」
 怨敵っ(べべん)次郎・衛・門〜〜〜〜〜♪

 ワンツースリーフォッ、
 ♪ボボンボンボン

 炎が燃えた 炎が燃えた 真っ赤な炎が〜
 さびしかった 僕の星に 命の炎が〜」


 たしかに聞こえた。
 歌が。
 オレは震える初音ちゃんを抱き寄せ、叫んだ。
「お前ら、何者だ!」

「♪うづきさんろく だんせい がっしょうだ〜〜ん」

 くっ! 見事なハーモニーだ。
 俺の鬼の力をもってしても対抗できるかどうか……。

「怖いよう、お兄ちゃん」
 オレの腕の中で震える初音ちゃん。
 たしかにおそろしいばかりの歌唱力だ。このままでは俺まで奴らの歌声に魅了されてし
まう。

 ボボボボン♪
 リ〜ドボーカルは〜

「ついにあらわれたか〜次郎衛門〜
 積年の恨み〜晴らしてやろうぞ〜♪(やろうぞ〜(コーラス))」

 スポットライトに照らされて、ドライアイスの煙を流しつつゴンドラがゆっくり下りて
くる。
 合唱団とは違い、たった一人での登場。主役クラスと見た。
 しかも、鬼の体の上に無理してステージ衣装をまとい、ケツに浅草サンバカーニバルの
ように大量の鳥の羽をひっ付けている。
 顔面白塗りだし、もちろん目バリもバッチリ入ってる。
 思わず『オスカルさま』と呼びたくなるようなそのたたずまい。

「よくぞ来た次郎衛門。我が名はダリエリ! わが一族の恨み、今こそ晴らしてくれる!
 われらの歌声、とくと聞くがよい!
 そして最後までゆっくり楽しむがよい!
 なお、場内は禁煙! 非常の際は係員の指示にしたがって避難するのだ、よいな!」

 ちゃっちゃらららら〜

「命の炎 燃ゆころ
 はじめて恋を おぼえた〜♪」

 くうぅ……まずい!
 このままだと、俺までファンになっちまう!
 しかも、杉良太郎目当てにハワイまで追っかけていくおばちゃんのようなコアなファン
にだ。それほど奴の歌声には魅了するものがあった。
 伸びのあるバリトン、魅惑の低音、そしてバックに控える雨月山麓男声合唱団。
 三大テノールも裸足で逃げ出すエルクゥ夢の競演だ。

「逃げるぞ、初音ちゃん」
 俺は一瞬の隙をついて初音ちゃんの首根っこをつかみ、出口まで走った。
「待ってようお兄ちゃん、いま盛り上がるとこなのに。
 ダリエリさまの魅惑の低音が聞きたいよう」
 すっかりファンになっているようだ。



「そうですか……彼らが、動き出したとは……」
 鶴来屋の会長室。
 千鶴さんは俺の話を聞くと、机に肘をつき、顔の前で手を組んだ。
「あれしかないようですな、ちーちゃん」
「そうですね。用意の方、お願いします」
 足立さんは一礼して部屋を出た。
 千鶴さんはなにかを決意したように、ゆっくりと立ちあがった。
「すでに梓と楓を呼んであります。
 耕一さん、隆山の未来のため、そして鶴来屋のために、私たちといっしょに戦っていた
だけますか?」
 俺の答えは当然決まっている。
 千鶴さんの差し出した手に、俺の手を重ねた。



 静かな夜を切り裂く一条の光。
 隆山を照らす月光の下、黒々とうずくまる雨月山のふもとで、いましも人外の宴が開か
れようとしていた。
 染み入るような静けさをやぶり、ひびく歌声もものすごく、周囲の生き物は残らずその
妙なるメロディーに聞きほれる。

「♪ラヴミーデュ〜 シャイなあなたに鬼チョップ〜
 即死したならnonnon 命の炎が広がるわ〜」

「ダリエリさまステキ〜
           ステキ〜
               ステキ〜」

 アイドル系もイケるエルクゥの王、ダリエリ。
 この俺も緒方理奈と組んでアルバム出してやろうか、などと思ったそのときだった。

「待ちなさい!」
 凛とした声があたりを制する。
 暗闇の中から現れる、五つの人影。
「来たか……」
 にやり。ダリエリは凄絶な笑みを浮かべる。

「とうっ」
 月明かりが戦士たちを照らす。
 空手着に身を包んだ梓。
 妙に肩口のはだけた色っぽい着物を着た楓ちゃん。
 ふりふりのドレスに大きなリボン、そして胸に抱いた熊のぬいぐるみがプリティーな初
音ちゃん。
 そして!
 ああ! これだけはどうかと思うんだが……。

 矢がすりの着物に袴ばき、裾からは編み上げのブーツがのぞく。
 いわゆる典型的な昔の女学生スタイル。
 流れる黒髪を後ろでしばり、凛と相手を見すえる瞳。
 気持ちはわかる、うん。
 でも千鶴さん……ちょっと無理があるんじゃあ……。

 そして、その手に出刃包丁がきらりと輝く。
 『ちーちゃんONLY』と飛騨の職人さんに彫ってもらった業物だ。
 リアルを志すなら日本刀だろうが、このさい何でもかまわないらしい。

「鶴来屋少女歌劇団『鬼組』!」

 う〜〜〜〜〜ん。
 変に派手な戦闘服に身を包みながらも、俺は頭を抱えていた。
 まずい、まずすぎる。
 柏木の美人四姉妹、そろいもそろってダメ人間。

「メンバー足りないね、梓お姉ちゃん」
「くっ、こんなことなら委員長と弥生さんを呼んでおくんだった……」
 誰だそいつら。
「どうしました、大神さ……ゲフッゲフフン耕一さん」
 せき込む千鶴さん。
 つーか、大神さん言うな。
「いや、なんか……」
 千鶴さん、その格好にはちょっとその、年齢制限が……。
 だめだ、言えるわけがない。
 俺の中の鬼も『それ言ったらマジやばいって!』と警告を発している。

「少女歌劇団だと!? 笑わせるな!
 そもそも前提からして矛盾しているではないか!」

 ああ、ダリエリ怒ってる。
 そりゃそうだよなあ。
 ごめん、ダリ公(いまいちあやまってない)。

 千鶴さんがなぜか一番敏感に反応する。
「矛盾ですって? どういうことか説明してみるがいいわ!」
「少女! 少女などとよくも恥ずかしげもなく! ならば言ってやろう、このなかに一人
だけ少女でない奴がいる!」

 ああ。
 言ってはいけないことを。

「梓! 姉さん悲しいわ! そんな大事なこと黙ってるなんて!」
「な、なんだよ!?」
「あなたやっぱり男だったのね!」
「……なんだと?」
「くぅっ……家族のかたい絆でこの辛い運命を乗り越えてきたのに、まさかそんなおまけ
シナリオが待っていようとは……」
 目頭を押さえる千鶴さん。
「でもよかったわね梓、イロモノとはいえ主役は主役。手術代は半分までなら持ってあげ
るわ」
「あーのーなー!!」
 しびれを切らしたのか、ダリエリが叫ぶ。
「ふざけるのもたいがいにしろ、このおハダの曲がり角が! 一度肌年齢計ってみたらど
うだ!」
 びっしいいいいいい。その指はまっすぐに千鶴さんにつきつけられた。

 ついー、とよける千鶴さん。
 あわせて指を動かすダリエリ。
 シンクロ率もバッチリだ。

「ほ……ほほほほほほほ! どうやら雌雄を決するときが来たようですね!」
 あ、ごまかした。

「くっ、面白い。ブルースの帝王と呼ばれた俺の魅惑の低音に勝てるかな?」
 ダリエリは腕組みしてこちらの出方を見ている。
 先手必勝! 千鶴さんがマイクをつかんだ!
 すうっと息を吸い込み――。


 その晩のことに関しては、さまざまな記録が伝えている。
 いわく、むこう一週間というもの雨月山から野生動物の姿が消え去った。
 いわく、隆山市内のガラス屋がおおいに繁盛した。
 いわく、米軍が関与した。
 いわく、鶴来屋調理室に保管されていたぬかミソが腐敗した。

 そして、俺たち――千鶴さん以外の柏木ファミリー――は病院で手厚い看護を受けていた。
 昏睡状態の続くなか、俺は、

「千鶴さん……『ボエ〜』以外に歌詞ないのか……」

 とうわごとのように繰り返していたという。



「ぬかミソにフタしとけって……そりゃないですぅ、足立さん。てへっ」





http://plaza15.mbn.or.jp/~JTPD/