主人たる資格 投稿者:takataka
「ああ……また、会えましたぁ〜〜」
「マルチ!」

 オレたちは万感の思いを込めて、お互いをかき抱こうと腕を伸ばした。
 発売されたマルチの妹を買って以来、繰り返されたせつない思い。
 でも、あのマルチはいまオレの腕の中に……

「ちょおっと待ってくださあい〜〜〜〜〜〜〜!」

 すかっ。

 がっつーん。

 見事に空振るオレの腕。
 その帰結として顔面でもって床に熱い抱擁をかました。
 マルチといえば両腕を前に突き出して『待ってください』ポーズで固まっている。
「だんどづぼりだ、てべー」
 オレは鼻にチリ紙をつめながら詰め寄った。
「まだユーザー手続きが終わってないですー」
「なんだとぉ?」

 確かにオレはユーザー手続きを怠っていた。そう、このあいだまでは。
 オレの家ではじめて起動したマルチ――HM−12の姿の中に、オレはどうしても昔の
ままのマルチを見出すことができなかった。感情のない瞳、ただひとつことを繰り返す唇
――その姿は、三年間マルチを待ちつづけたオレには正視に耐えられないものだった。
 葉書を出すのが遅れたのも、その辺のためらいがあったからなのだが。
 だがとにかく出すには出した。
 なにしろ高いし! バイト代持ってかれっぱなしってのもムカつくし!
 それにバージョンアップすればもう少しましになるかもしれないと思った……きっとそ
のたびにバージョンアップ料かっさらわれるのだろうが。

 そして、登録完了のお知らせとともに送られてきたのがあのDVDというような塩梅な
のだ。
「葉書出せばいいもんじゃなかったのか?」
「ちゃんと説明書読んで下さいー」

 パソコン屋のユーザーサポートみたいなことを言うマルチ。

『――オンラインもしくはお葉書によるユーザー認証終了後、ご家庭でメイドロボととも
に実行していただく手続きがあります。安全で正しい使用のためにぜひとも実行してくだ
さい』

「まだやることあんのか。いろいろ面倒だなー」
「それはもう、その、はいてくですから。メイドロボのマスターは、時代のトップランナ
ーでニュータイプでトップブリーダーなんですよ」
「するとなにか、ドッグフード薦めたりしなきゃならんのかオレは」
「それに、メイドロボを悪用する人がいるかもしれません。いいも悪いもご主人次第なの
ですー」

 ……鉄人かよ。
 まあいいや。ちゃっちゃとやっちゃってくれい。

「それではいきます! わたしについて復唱してください!

『メイドロボマスターの誓い!

	ひとつ! わたしはメイドロボを悪事に用いません!
	ひとつ! わたしはメイドロボで人に迷惑をかけません!』」

「うーい、かけませーん」

 適当に繰り返すオレ。
 案外面倒なもんだな。

『	ひとつ! わたしはメイドロボにえっちな行為を強要しません!』

 ……。
「マルチ、それ貸せ」
「あ、はーい」

 くしゃくしゃ、ぽいっ

「ああ、『マスターの誓い』をっ」
「いいかマルチ」
 オレは十年に一度クラスの真剣な表情とともにマルチの肩をぐっとつかんだ。
「オレはマルチに強要してるわけじゃない。ただ、なでなでよりもっといいことをマルチ
にしてやりたいだけなんだ。いわばこれは、愛だ!」
「愛……」
「そう! 愛はすべてだ。愛は地球を救い、エイズを予防し、遊星爆弾を撃破したりなん
かもする。
 その大いなる愛に、こんなチンケな紙切れが優るというのかっ」
 マルチは顔面蒼白になった。
 だいぶショックらしい。
 さすが属性愛なだけはある。
「わかりましたー! 愛ですね、浩之さんっ」
「おう、愛だぜ! マルチっ」
「そうと決まればこんなものー! えいっ」

 びりびりびりー。

 マスターの誓いを粉みじんに破るマルチ。
 ああ、オレ、マルチのマスターで本当によかったなあ。
 セリオだったらこうはいかない。

「とにかく、これで終わりだな! よーーーーーし。終わりなんだな!!」

 ふー。深呼吸。
 アキレス腱伸ばして屈伸して耳につば塗って、
 せーので、

 ぐぁっばああああああ

「まぁるちいいいいいいいやあああああああああああ!!!!!」

「さ、……触らないでくださいーーーーー!」

 どんっ!

 オレは茫然とマルチを眺めた。
 おい、本気でつきのけやがったぞ。こいつ。
 マルチの分際で。

「浩之さん! いよいよこれからが最後の試練ですう!!」

 しばばっ。

 足を肩幅に開き、腰を落として、左拳を後ろに引き、手のひらを相手に向けて軽く曲げ
た右腕を視線の先に固定する、マルチ。
 似合わん。
 似合わんのだが、しかし。
 その双眸には今までみたこともないような真剣味がただよう。

「これが最後の手続き!
 ……わたしと、勝負してくださああああいっ!!」

 どどーん!
 拳を突き出して迫るマルチ。
 固まるオレ。
 押し寄せる玄海灘の荒波。
 背後ではきっと竜虎相打つさまが日本画調に描かれていることだろう。

 ふところからちゃりんっと音を立てて、マルチはなにかを取り出した。

「マルチなっこー、装っ着!」

 じゃきいいいいいいん!!
 マルチはチタンナックルを装備した!
 攻撃力が「2」上がった!
 単位がついてないので具体的にどのくらい上がったのかは分からんが。

「さっきも言ったように、メイドロボのマスターになるには、言ったように、正義を愛す
る正しい心と、どんな困難も二人で乗り越えるための健全な肉体が必要です」

 そんなこと言ったっけ?

「その真の意味とは……
 暴走対策なのですー!」

 がーん。
 ピアノの低音弦をまとめてぶっ叩いたような音が響く。

「ううっ……もしも不慮の事態が起きてメイドロボが暴走した場合は、そのマスターが責
任をもって、おのれの肉体でもって撃破しなければならないのですぅ。
 それが! 主人とメイドの悲しいさだめ! 運命なのですー!」
 涙ながらに語りこむマルチ。

 はっはっは、なにバカ言ってやんだコイツ。
 オレの手はマニュアルの最後の方に載ってるFAQを繰っていた。



	『こんなときは?

	Q,メイドロボが突然暴走して暴れだしたのですが?

	A,あなたの肉体が頼りです。がんばって止めてください。
	  なお、死して屍拾うものなし。
	  レディ、ファイッ!』



 ……。
 『ファイッ!!』じゃねえだろ、おい。
 PL法はどこ行った?

「ううっ……大好きな浩之さんに暴力を振るうなんて、わたしとっても心苦しいです……
でも! この試練を乗り越えないかぎり! 愛する二人の運命はてれこになってしまうの
ですー!」

 しかしマルチよ。
 泣きながらファイティングポーズはヘンだぞ、とても。
 それに内股だし。足震えてるし。

「そ、それでは行きます! えええええ〜い」
 腕ぶんぶん振りまわしながら突進してくるマルチ。
 どっ、どうするオレよ!
 このオレにほんとうに、あのマルチを倒すなんてことが出来るのか?


 いつも一生懸命だったマルチ。
 『人間のみなさんが大好きです』
 口ぐせのように言っていたマルチ。
 『犬さん犬さん、こんにちわー』
 無邪気な言葉。無垢な心。
 そのくせ誰よりもやさしい……。


 オレは……


「たりゃあああああああああああー!」
 迫りくるマルチ。
 オレは肩をだらりと落とし、両腕を下げたままにして――、

「お、お覚悟ー!」


 ばきっ。
「あうっ」

 マルチの放つ右ストレートをかわし、カウンターを叩きこんでさし上げた。


「はわわわわああああっ」

 ごろごろずしゃーんと盛大にひっくり返るマルチ。
 頬に手を当てて、状況がよく呑みこめていない様子だ。

「え? ええ!? 殴るんですか?」
 軽くフットワークを利かせて返事をするオレ。
「だってお前が倒せ言うからー」
「でもいま手おろしてたのに……」
「そんなん両手ブラリ戦法に決まってんだろーが。基本だぞ」

「で、でもお……


	『ええ〜〜〜〜い』

	 ぺち。

	『ひ、浩之さん!? 今のならかわせたはず……』

	 ふわ……

	『あ……』
	『馬鹿だな……オレがかわいいマルチを殴れるわけないだろ?』
	『で、でもでも、それじゃあユーザー登録が』
	『いいさ、もしマルチが暴走したりしたら、――オレがこうして、抱きとめてや
	るから』
	『ひ、浩之さあん……わたし、わたし……うっ、ぐすっ……』
	(なでなで……)
	『よしよし……かわいいぜ、マルチ……』


 みたいな展開にはならないんですかー!?」


「ならね」

 がーーーーーーーーーーーん。

 マルチ落胆。
 真っ白な灰になる。
 すきま風がひゅるりら〜とその灰を吹き散らかしていく。

「が、がっかりですううううううううう……わたしの三年間はいったい……」
「お前にとっちゃ一瞬だろーが!」
「あ、そうでしたー。てへっ」
「てへ、じゃねえぞおい」
 じろーり。
「ひぃえええええっ」
 オレの白眼視にビビるマルチ。
 自慢じゃないが目つきのワルさには定評があるこのオレだ。
「こちとら三年間待ちに待ってだなあ、大学生活の楽しみもなげうってバイトに精出して、
ようやく会えたと思ったら『何なりとご命令ください』だもんなあ……。
 いやもう泣いた泣いた。
 『かわいさ余って憎さ百倍』って知ってるか? マルチよお」
「ふ、ふぇぇえええぇぇぇ……」
 マルチ半べそ。
「ううう……それじゃあ、ぶつんですかー?」
「おう」
「す、すごくぶちますかぁ?」
「おう」

 マルチは涙目でオレを見上げ。

「……もしかして、オラオラですかぁ?」
 YESYESYESYES


 オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ

「あうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあう」

 オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ

「あうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあう」


 以下十回ほど繰り返し。


 こうしてオレは真のユーザー登録を終え、マルチとの生活の第一歩を踏み出したのだった。

「ぷしゅーーーーーーー……」

 オレたち二人のはじめての共同作業。
 それは、ぶち壊れたマルチを修理するため、来栖川電工研究所に行くことだった。
 保証期間内だが、ユーザーの暴行による故障なので有償修理だそうだ。
 ……いい商売しやがんなあ、来栖川!


 一方そのころ。


 ずざざっ

「――こんなかたちでお会いしたくはありませんでした……」

 ひゅおおおおおおおおおお……

「ふふ、宿命……ってヤツかもしれないわね。
 相手にとって不足はないわ。
 来なさい、セリオ!」

 来栖川綾香は、その格闘家人生において最大の強敵とあいまみえたりなんかしていた。



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