学習セリオ(ぐったり篇) 投稿者:takataka
 研究所にも正月はある。
 もちろん所員は年末休暇で、本来ならば所内は無人になるはずだった。
 しかし、発売間もないメイドロボには思わぬ不都合の発生する恐れがある。そこで不測
の事態に対応するため、緊急メンテサービスを行なえるだけの人員はつねに詰めていた。
 セリオはその手伝いに来ていた。
 すでに来栖川家に所有の移った彼女がそうする義務はないのだが、ここに来ているのは
綾香の計らいだ。
「年末なんだし、里帰りするのも悪くないでしょ」

 ぴんぽーん。
 さっそくの来客。
 やってきたマルチはふらふらとおぼつかない足取りで、椅子に座りこむとそのままべた
ーんと机に突っ伏した。

「うう……なんだか歩くのも辛いですー」
「どうしたのですか、マルチさん」
「話せば長くなりますがー……」


	『浩之さん、あけましておめでとうございますー』
	『おうマルチ、その着物わりと似合ってるな』
	『えへへ、ありがとうございますぅ』
	『なあ。マルチ……』
	『はわわっ? どうして帯に手をかけるんですかー?』
	『それはなあっ』
	 一気に帯を引っ張る浩之。マルチはぐるぐるぐるーっとコマのように回転する。
	『は、はわわわわあ〜、回りますぅ』
	『わははははは回れまわれぇっ! くうう、これぞ漢の夢!』


「と言うわけなんですー」
「――それはコマ回しといって、お正月に行われる娯楽のひとつです」
「そ、そうなんですかー」
「他にも凧上げなどの風習がありますが」
「で、でもでもそのあと、新年そうそう……その……うぅ、恥ずかしいですう」
 赤面するマルチを見て、セリオはその言わんとするところを察した。

「『姫はじめ』です、マルチさん」

「ふぇ?」
「新年そうそう行われるその種の営みのことを伝統的にそう呼称するようです。先ほどサ
テライトのデータベースに問い合わせました」

 サテライトサービスにはわりとどうでもいい知識まで詰まっている。

「そ、そうだったんですねえ。私とっても恥ずかしかったんですけど、お正月にはそうい
うことをするものなんですかー」
「はい」

 マルチは心から安堵した。

 新年早々わざわざ手間をかけて着た着物を脱がされ、動きやすい服に着替えさせられた
うえ、耳カバーを強奪されて、
『わははは、羽根突きやろーぜえ』
 などと言いつつそれを手に持った板でぱっこんぱっこん打ち合ったのには、耳を見られ
て恥ずかしいやら驚くやらですっかり困惑してしまったが、それが伝統に根ざすものであ
れば仕方ないんだ、きっと。
 ともかくもそれは『姫はじめ』と言うらしい。マルチはしっかりとメモリに刻み込んだ。

「わかりました。今度あかりさんもおさそいしますぅ」
「それがいいでしょう」

「それはそれとして、くたびれましたー」
 マルチはあいかわらずべたーんと机に突っ伏したままだ。
「モーターが熱くなって、関節もいろんなところが焼けちゃったみたいで、なんだかもう
ぐったりですー」

 べたーん。
 すりすり。
「机の上が冷たくて気持ちいいですー」

「――『ぐったり』」
 セリオは今までそうした状態に陥ったことがない。
 機体の設計や素材そのものが高級志向で、マルチタイプに比べて耐久性の強いセリオは、
定期メンテをきちんと受けてさえいれば、内部動作に不都合が生じることはほとんどない。
 しかし、綾香にこんなことを言われたことがある。

「疲れを知らないって、どんな気持ち?
 いやね、実際にはそれっていいことなんだろうけど、こう、なんていうのかさ……身体
を動かしたあとのけだるい疲労感っていうか、スパーリングで一汗かいた時なんか、その
身体で実感できる疲れに対しての『ああ、これだけ運動したんだな』っていうような満足
感って味わったことないでしょ? いいもんよ、あれも」

 マルチは今そうした状態にあるようだ。
 だらりと椅子にかけ、上体を机にゆだね、腕を前に出してちょうどスライディングでも
するような格好で、横向けにした顔は机に密着して、頬が平面上でふにっと変形している。

 そのだらしなーいありさまをまじまじと観察するセリオ。
 マルチの姿勢を細大もらさず記録し、データベースに蓄積する。

 セリオは思うのだ。
 たしかに自分はマルチさんに比べて高機能には出来ている。
 しかし、将来職場で働く段になって、同僚として働く人間の皆さんは、いくら長時間働
いても疲れる様子も見せないメイドロボをどう思うだろう?
 職場の一員として受け入れてもらうためには、時には疲れた様子も見せる必要があるの
かもしれない。人間は自分で思っているよりも感性や感情のままに行動するものだ。

 しかし、セリオは疲れない。
 『ぐったり』することは、よく分からない。

 セリオは人差し指を立て、唇で指の先端を軽くはさみこむ。
 指くわえ状態。
 なにか欲求を感じたとき、それを口に出せないセリオにとってこのしぐさは習慣となっ
ていた。

 ――わたしも、『ぐったり』を……。



「あれセリオ、帰ってたの……って、どうしたのよあんた?」

 いつでもきちっと姿勢を正して綾香を出迎えるはずのセリオが、ぐったりと机に突っ伏
して、綾香の声にも顔を上げないのだ。
 顔の片面を机にべったりとくっつけている。
 ふにっ、と変形したほっぺがきゅーと。

「おーいセリオー。大丈夫?」
 つんつん。
 つついても反応なし。
 気を失っているのかと思ったがそうではないらしく、綾香を見上げる視線には生気が感
じられる。
 軽くゆすぶってみようとしても、石のように硬直して動かない。

「むー」

 綾香は一考して、セリオのもたれかかっている机をそっと横に引いてみた。

「おおっ」

 机が完全に移動しても、セリオは同じように上半身スライディングふうの姿勢を保って
いる。
 見た目とてもヘン。

「なんか催眠術にこんなのあったわねえ」

 今度は椅子。
 やはり同じ。空気椅子のように同じ姿勢を保ちつづけるセリオ。

 やがて無理な負担のかかった膝関節部のアクチュエーターが異常信号を発し、運動神経
野がただちに腰部バランサーに重心配分の変更を命令する。
 しかし、別の命令が最大の優先権をもって控えていた。
 『ぐったり』維持。
 あらゆる割り込みを廃して、この命令だけがセリオの全駆動系をつき動かしている。も
ちろんロボット三原則など真っ先に排除した。
 だが万有引力の法則に逆らうのにも限界があった。
 バランス担当の腰椎部反射神経叢がアラートを発する。
 カーボングラファイトをチタンで強化した大腿骨と脛骨。その接点である膝関節の流体
軸受ユニットに限度以上の過重がかかり、関節腔から潤滑剤が漏出しはじめた。
 人間でいうと膝に水がたまる状態だ。
 そして、すでにもてる出力を出しきった人工筋。ケミカル系の素材のため設計基準より
強度に余裕をもたせてあるものの、このままでは材質剥離限界を突破する恐れさえある。
 肉ばなれしちゃうかもしれないのだ。

 だが、セリオの自律思考系にはそれよりはるかに重大な不安要素が飛び込んできた。
 背中のホックが外れかけている。
 こんなときにかぎって!
 やはりフロントホックにしておけば……。
 後悔があせりを加速させる。

 そして、機体のあらゆる構造的強度の限界がじりじりと近づいて……。

 くきっ。

 腰にきた。



「綾香さま……」

 腰を押さえて床に崩れおちたセリオ。
 もちろんホックも外れてる。
 その光なき瞳、無表情なはずのCCDの奥にひらめく悲しみの影が、綾香を貫いた。

「どうして私の『ぐったり』を妨害されるのですか……」

 『知るかーっ!』と言いかけて、うっ、とつまる。
 前髪にかくれてよくは見えないが、付き合いの長い綾香にははっきりと分かった。
 無表情なクールビューティーの高級機、HMX−13セリオ。
 その眉がなんと、ハの字。
 これほどまでに『ぐったり』に思いを寄せていたとは。

――なっ、なによなんなのよ。私? 私が悪いの?

 ど、どうすべー。
 綾香はこめかみに指を当て、眉間にしわを寄せた。

 ぽく、ぽく、ぽく、
 ちーん。


「それよ、セリオ!」
 びしいっと指を突きつける。

「!?」

「今のあなたのその状態! それこそがあなたの求めていたもの、『ぐったり』よ!

「これが『ぐったり』……」

 不思議な充実感がセリオを包む。
 腰はイッてるし、筋肉は疲労しまくっているし、ブラはずり下がっている。
 だが、これこそが『ぐったり』なのだ。
 セリオはこの状態を不揮発性メモリに刻み込み、来栖川データベースの最重要機密フォ
ルダにしまいこむ。
 これでいつでも『ぐったり』できる。
 いつの日か自分が作動しなくなる日が来ても、次世代のメイドロボが、まだ見ぬ妹たち
がこの『ぐったり』を受け継いでくれるのだ。
 青空を見上げ、祈るように手を組み合わせ、サテライトにデータを送信する。
 今日この日の記憶を永遠にとどめておくために。
「――私はまだまだマルチさんに学ぶ必要がありそうです……」


「私しーらないっと……」
 綾香はそそくさと去っていった。
「主力製品があんなんで、うちの会社って先行き大丈夫なのかしらねー」
 ダメっぽい。


 メンテのすんだマルチはさっそくあかりの家に足を運んだ。
「なあにマルチちゃん?」
「浩之さんの家に行きましょう!」
「わんっ♪」
 犬はよろこび庭かけまわる。
 あかりは浮き足立ってそわそわと準備し始めた。
 うちで作ったおせちを少し持っていってあげようかな、それともお雑煮のほうがいいか
なー?
「いいよ、マルチちゃん。行こうっ」

「はい! じゃあ浩之さんの家で、いっしょに『姫はじめ』するですー!」

 どごすっ。
 電柱に激しくパチキをかますあかり。


 その日、藤田邸では赤い羆嵐が荒れまくったという。



「ま、何にせよよかったじゃない。勉強にはなったでしょ?」
「はい。人間のみなさまとおつきあいしていく上で、重要なことが学べたと思います」
 綾香はほっと胸をなでおろした。
 セリオまでマルチみたいになってしまったらと、さすがに気になってわざわざ研究所ま
で足を運んだのだが、セリオの様子はいつもと変わらず冷静沈着だ。
「んで今日もサポートの留守番? あいかわらず真面目なんだぁ」
「――おそれいります」

 ぴんぽーん。
 さっそくの来客だ。
「ふえええええええー」
 ばったり。
 研究所につくと同時にマルチはまたも倒れこんだ。
「うーん、くまが……あばれぐまが……」
「どうしたのですか、マルチさん」
「はっ! セリオさん……ぅぅ、うわあああああん、こわかったんですううう」
 優しくマルチの肩を抱いてやるセリオ。
 よほど恐ろしい目にあったのだろう。子犬のようにがたがたと震えている。
 そのままなでていると落ち着いてきたのか、マルチはすんすんと鼻を鳴らして顔をぬぐ
った。
「うう……ひどいことになってしまいました……」
 察するに、藤田家で何かたいへんな事態が起こったらしい。
 マルチはすっかり憔悴している。
「あかりさんが……ああっ、い、言えませ〜ん」
 きゅっと目をつむって耳をふさぐ。カバーつけてるからあまり意味はないが。
「大丈夫ですから落ち着いてください」
 しかしここまでが限界か、マルチはへなへなと床に崩れ落ちた。


「ううう……セリオさん。わたし、もう、げんなりです〜」

 だらーん。

 みっともないありさまに苦笑する綾香。
 と、その顔が見る見る青ざめる。

「セリオ! 見ちゃダメ!」



「――『げんなり』……」



「うっわあああああ!? すでに指くわえモード!?」
「私も……」
「いらんことすなーーーーーーーっっ!」