一年の計は元旦にあり 投稿者:takataka
 すがすがしい空気。
 一月の空は雲一つなく晴れ渡り、雀が三羽、お互いにあいさつをするように鳴きかわし
飛び去っていく。

 昨日と同じでありながらどこかちがう、そんな雰囲気。
 HMX−13セリオは二回目の正月をそんな感慨をもちながら迎えた。

 はじめてのときは年が変わるだけで何がそんなに変わるのか不思議だったが、今は少し
違う。
 来栖川家の門前に飾られた巨大な門松や、町にただようどこか浮き足立った空気、それ
に、主人である綾香の年末の様子ときたら――。

「姉さんも大掃除くらいしなさい! ええ? 危険なものがあるかもしれないから怖くて
いじれない? そんな、私にどうしろって言うのよー」
 綾香の部屋も必ずしも整っているとは言いがたかった。口には出さなかったが。

「ああっ着付けってどうやるんだっけ? 毎年おぼえるけどその都度忘れるのよね」
 一人で着付けできるようになってどうしようと言うのだろう。

 あげくのはてには、
「セリオお願い! 年賀状書くの手伝って!」
 目の前に裏面だけ書いた年賀状の束を山と積まれた。

「よろしければ綾香さまのお友達の住所録を直接はがき印刷にかけますが……」
「それじゃダメなのよ! 手書きじゃないとなんか心がこもってない気がするでしょ?」
 プリンターで印字するのとロボットに書かせるのではどう違うのでしょうか、と言おう
と思ったが黙っておいた。
「なによぉ、あんたいま笑わなかった?」
「いえ、そんなことはありません」
「怪しいなぁ」

 そう言いながらも綾香はクスクス笑っている。
 こんな何でもない日常の一つ一つが、はっきりと意味を持ちはじめている。
 元旦を迎えて、セリオはしみじみとそう感じるのだった。

 雀はもう飛び去っていた。
 静けさがいっそう耳にしみわたる。表通りからかなり離れた来栖川邸の母屋からは、行
き交う車のエンジン音もかすかな遠雷のようにひびく。
 セリオは掃き掃除の手を休め、庭を見渡した。薄く貼った池の氷の下では色鮮やかな鯉
がまどろみ、庭石の霜が日の光を浴びて溶けはじめている。
 足元でさくさくと小気味のよい音がする。霜柱を踏んでいるのだ。去年は無関心に踏み
つけていたこの繊細な氷の針を、今度は多少意識して踏んでみる。
 足に伝わるシャリシャリとした感触が、気持ちのよいものと思えた。

 以前は何とも思わなかった儀礼的習慣、人間のみなさんが正月と呼ぶところの、一年の
暦の出発点――昨日ととくに変わることのない一日。
 それでも、そこにはなにかの意味がある。
 どうしてだろうか?

 もちろん、理由は明らかだ。
 新年とは言うが、とくにそれを意味付ける自然現象やなんらかの物理的変動があるわけ
でもない。
 しいて言えば天体の運行が規則通りに一定の値を通過する、つまり、暦の上での新年が
訪れるわけだ。

 そこには多分に文化的な意味合いがあり、たとえばユリウス暦を使用している地域では、
もう少し先の、こちらの暦で言う『旧正月』がそうした意味を持つ一日となる。

 つまり、人間が自然の上に一種の概念としてもうけた仮構物であるところの暦が一周期
を終え、ふたたび一から開始すると言うだけのことにすぎない。
 そして、その観念上の出来事にすぎない『年越し』を肉体的に実感させるために、正月
を祝う数々の伝統行事や決まりごとが存在するのだ。

 しかし、それだけではなさそうだと、セリオは思っていた。
 自然現象を元にしているとはいえ、それがとくに具体的な意義を持つわけではない。
 それそのものは、ごく普通の冬の一日。
 しかし、そのただの一日を意味深い記念日にしてしまうのは、人間ならではの行為では
ないだろうか?
 月と太陽の動きを観察して、その一定の法則にもとづき暦を作成し、周期ごとの更新点
に意味を付与する。
 それが人間なのだろう、と思った。

 縁側をHM−12が盆をもって歩いていく。ウェッジウッドのティーセットの中身は、
芹香お気に入りのハーブティー。今日はカモミールらしい。
 セリオは縁側に上がって、黙ったままHM−12の後をついて歩く。

 芹香は部屋で魔道書の精読にいそしんでいた。もうまもなく来栖川家の新年のパーティ
ーがはじまるせいか、時間を惜しむように熱心に取り組んでいた。
 ほの暗いロウソクの明かりの中、人形めいた白い顔が闇に浮かび上がっている。
 となりにはHM−12が何かを待つように控えている。
 セリオはそのまま気づかれないように去った。

 ずばーん!!
 ずばーん!!
「あはは、正月そうそう汗くさいったらないわねえ。いやね、午後から葵が来るって言う
もんだから。年始まいりついでに、ジム貸してあげるのよ。初詣客が多くて神社で練習で
きないんだってさ」
 サンドバッグの振動を身体で止めた綾香は、セリオの放ったタオルを片手でとった。
「ん、サンキュ」
 セリオの視線に気づいたのか、綾香は照れ隠しにへらっと笑った。
「はは、私までトレーニングすることないんだけど。でも、ひさびさに組手付き合ってあ
げたいしさ。それに……」
 綾香は視線をそらした。激しい運動の後で、軽く羽織るように着たタンクトップが胸に
貼りついている。太腿に密着したスパッツをとおして、一切の無駄なく鍛えられた筋肉が
優美で、かつ獰猛な曲線を描いている。
「あせってるのかもね。きっと葵も好恵も正月そうそうトレーニングに励んでるんだろう
なーとか思うと、さ」
 ふいに細めた目を向けると、人差し指をつきつけた。
「あの二人にこんなこと言うんじゃないわよ」

 魔法が使えなくても何の不自由もない芹香さま。
 格闘技が出来なくても別段不都合のない綾香さま。
 それでも、二人とも毎日のように魔道書のページを繰り、サンドバッグを蹴りつづけて
いる。
 どうしてそんなに一生懸命なのだろう、と思ってきた。
 最近分かりかけてきたような気がする。

 何があるわけでもないただの一日、そこに積極的に意味を見つけだすこと、意味付ける
ことによってあたらしい何かを作り出すこと、そして自分の立っている位置を確かめ、ま
た一歩進むために足を踏み出す。

 それは人間がみずからの足場を固め、前に進むために必要なことなのだ。

 自然とはまた別の世界、人間が生きていける世界を、人と人とのつながりのなかで、人
として生きてゆけるためのあたたかい世界を作っていくのは、人間が世界を意味付ける力
……想像力なのだから。



 わたしに、その力はあるだろうか?
 セリオは自問自答する。
 それはわからない、でも。



 ふたたび庭に出て、あたりを見渡す。
 すでに日は高くなり、池の氷の真ん中には穴が開いている。霜柱のあとは小さなぬかる
みとなり、庭全体をうっすらと冬色に染めていた霜は影もかたちもない。

 これは何の変哲もない、気温の上昇による変化。
 別段意味はない。自然現象の一環としては。

 昨日とちがう今日、さっきまでとはちがう今この瞬間。
 変化そのものに意味はない。あるひとつの意思が、心がそれに意味を与えるのだ。
 わたしは、意味を与えられるだろうか?
 自分の世界を創り出せるだろうか?

 わたしは、変化できるだろうか?



「気づいたときには、もう変わってるんだよ。
 変わらなきゃ、気づかんさ」

 長瀬主任の言葉が脳裏をよぎる。セリオが来栖川家に勤めることが決まって、送り出す
ときにそう言われたのだ。
 セリオの変化する様子が見たいと言った主任に、具体的にどのような変化ですか、とた
ずねたときの返事だ。

「見つけておいで、新しい自分を。
 お前にはその可能性がある。
 お前も、夢を見ることが出来るんだよ」

 私の夢は、まだ分からない。
 それでも、一歩一歩、すこしづつでも進んでいこう。
 セリオは、この思考を今年一年の抱負としてメモリに刻み込んだ。
 この分野に関してはるか先を行く姉――HMX−12マルチに対する、かすかにじりじ
りとする思いとともに。


 正門へと続く道から、一人の少女が歩いてきた。
 頬に貼ったバンソウコウが活発さを示している。

「おはようございます、セリオさん! 今日もいいお天気ですね!」

 セリオは瞬時に松原葵のデータを呼び起こし、綾香のいるトレーニングルームに案内し
ようと思って、ふと立ち止まった。
 その前にやらなければならないことがある。
 月並みな「ようこそいらっしゃいました」ではない、今日この日だから言える言葉。

「松原さん――」

 いつもより深く、長めにお辞儀をする。一年の計だからおろそかには出来ない。



「あけまして、おめでとうございます」