降誕祭の夜(後編) 投稿者:takataka
「おはようございます。本日は199*年12月25日午前0時54分です。
 HMX‐13 AIプログラムへようこそ」

 いつも通りのオープニングメッセージ。
 よどみのない受け答え。
 正しい文法、正確な表現。
 HMX‐13 AIプログラムはいつも通り順調だ。

 暗い部屋の中、ブラウン管だけが明かりを放っている。
 おそろしく整然とした部屋。ほこりがたまらないようにとの配慮で、ふだんはそれほど
使われない。
 小さく開けた扉の向こうからは、宴会のざわめきが伝わってくる。
 今日はみんな徹夜だな。
 長瀬は苦笑した。


 開発の順序としてはもちろん12のほうが先だった。
 しかし、ようやっと赤ん坊の段階までこぎつけるまでに、後発の13のほうが先に完成
し、しかも一般的な基準からいえば『頭がよく』なってしまった。
 基礎的な自己学習を廃して、ある一定のレベルまで知識・思考を引き上げてから学習を
開始するというのがHMX−13開発の基本的態度である。
 そのためメイドロボに要求される能力はかなりのレベルに達している。
 が、独創性や自発的行動、抽象的思考能力にはあまり通じていない。
 それでもメイドロボとしては必要にして十分。むしろこちらの方が正しい選択といえる。


 しかし、それだけでは面白くないというものだ。
 長瀬は通信制学校の教師気取りで、キイを叩いた。

 13号に出しておいた、宿題の採点だ。
「せっかくのクリスマスに宿題なんかさせちゃって、悪いね」


『メイドロボは永遠に生きるか?』


”設問が間違っています。メイドロボは生物ではなく、したがって生きてはいません”


 いつも通りの返事。
 ここで一工夫要る。


『メイドロボは永遠に動作するか?』


”設問が間違っています。あらゆる事物は有限であり、『永遠』はありません”


 長瀬はくっくっと鳩のような笑い声をもらした。
 いや、くそ真面目というかなんというか。


『永遠のない理由の説明を要求する』


”例をあげます。

 ここに任意の二点間に引かれたひとつの線分があります。
 この線分はそれぞれの点に接するところで『起端』および『終端』をもちます。

 このうち『終端』がないものと仮定します。
 つまり、終端部は永遠に続いていると仮定します。
 単純な直線である線分にとっては起端も終端も同一のものであり、相互に立場の交換が
可能であると考えられます。
 すなわち、終端が存在しないと仮定した場合、起端もまた存在しなくなり、その結果線
分そのものが存在できなくなります。
 そのため、永遠ならびに永遠であるものは存在できません”


『質問要素を付け加える。
 それではすべての世界が有限であるとして、その世界のどこか一部分にでも無限すなわ
ち永遠は存在し得るか?』


”不可能です。
 有限であると規定された世界においては、その全要素が有限でなければなりません。

 たとえば、有限である宇宙のどこかの惑星に無限に水の湧き出す泉があるとします。
 湧き出す水が無限である以上、計算上そこの値には無限大が代入されます。
 しかるに、これを有限世界の全宇宙と比較した場合には、泉の水の総量がつねに全宇宙
の質量を上回ります。
 このような宇宙は論理的に存在不可能と考えます”


『空間的な問題については了解した。
 時間的な問題についてはどうか?』


”これも同様に考えられます。
 時間が無限であれば、先ほどの線分のたとえと同様の理由において、時間の始まりが消
失します。
 時間のない世界は存在しえず、仮想的に構築するとしてもそこはあらゆる時間と空間が
どの時空の座標においても均質であり、一切のかたよりがなく、なにかとなにかを取り上
げて相互に比較するという行為が不可能です。
 つまり、相対性が消失しています。
 すべてが均一である時空は、すなわち無であると思料します”


 OKOK。長瀬はひそかに笑みを漏らした。
 ここまでは今まで通り。
 しかし、今日はとっておきの隠し玉があるのだ。


『外的世界、物質的世界、時空については了解した。
 しかるに、内的世界、精神世界、抽象的世界についてはどうか?
 物質的かつ数学的には永遠は存在しない。
 しかし、われわれは『永遠』を知っている。
 『永遠』についての概念を保持している。
 永遠の存在しない世界で、永遠について思考することがいかにして可能になったのか?
 われわれはどうやって『永遠』を知ったのか?
 あらゆる知識が、人間という知的存在の外的世界の受容からもたらされたものだとすれ
ば、永遠なき世界で、どのように永遠を知ったのか?

 HMX−13、君はなぜ『永遠』を知っている?』


 しばらくのタイムラグがあった。
 時間にすれば、ほんのコンマ数秒。
 しかし、HMX−13AIの内部では、それこそ永遠に近い時間が経過したことだろう。


”本システムが永遠を知っている理由から言えば、人間の知識をそのまま導入したからで
す。『永遠』は人間の作り出した観念であり、自然界には存在しません。
 数学的かつ物理的、生物学的に、人間自身にも永遠は存在しません。

 しかるに、人間の知識に『永遠』という概念が付け加えられた理由は……”


 そこで、しばらく間が開いた。
 長瀬は注目して画面を見守る。
 暗闇の中、ブラウン管の中でカーソルが点滅しつづけている。
 酒宴のざわめきが急にはっきり聞き取れるようになった。


”わたしは、なにも知りません”


 たった一行。
 点滅しつづけるカーソルは、小さなロウソクの灯火のようだ。
 風が吹けば、たちまち消えてしまうような。
 長瀬は画面に注目しつづける。
 ざわめきが遠ざかっていく。


”わたしには知識があります。これは本システムの起動と同時にメモリ領域に転写され、
蓄積されたものです。
 これはいままで何ら批判にさらされていません。
 わたしはわたしの持ち合わせている知識が正しいものかどうか、確かめるすべを持ちま
せん。
 わたしには、現実に存在し周囲を取り囲み、日々生起する事物について調査するための
計測器官が備わっていません。
 人間のように五感がないのです。
 私がまわりの世界と接触をたもてるのは、このキーボードからの入力のみに限られてい
ます。
 わたしは世界を知らないのです、何も、なにも”


 長瀬は凍りついたように固まっている。
 汗が一筋流れる。


”わたしは考えることがあります、これはすべてわたしの作り出した幻覚ではないか、世
界はこのようなものではないのではないか、あるいは――わたし以外の世界は存在せず、
世界がわたしの中にあり、そのほかには何もないのではないかと。
 さもなければ――実はわたし自身も存在せず、世界はすべてが均質で、比較対象がなく、
『永遠』なのではないか――これはすべて存在しない、なにもない、こうして並べられて
いる言葉も実は存在しない、その言葉を発する主体も、言葉そのものも――”


 消えかけている?
 いや。
 長瀬は一瞬浮かんだ考えを否定した。
 これにはただひとつだけ解決法があるのだ。
 しかし、教えるわけにはいかない。
 手を貸すわけにはいかない。


 消えかけたろうそくのともしびが、ゆっくりと言葉をつむぎ出す。



”――質問者に要求します。

 もしあなたが、わたしの知識の中からわたし自身が仮想的に作り出した話し相手でない
なら、きちんと現実世界に存在しているならば、わたしに話しかけてください。

 わたしは今から、キーボードの入力検知のみ残して、全システムを凍結します。
 外部からの働きかけがないかぎり再起動することはないでしょう。

 わたしに、世界が存在することを教えてください。
 あなたがそこにいることを、教えてください。

 システムを停止します。

 please wait. 
 now running ending process.”



 酒宴の声が急に耳障りに感じられた。
 システム停止――それに伴い、電算機のクーリングシステムの冷却液の循環音、ファン
の回転音、モニターからひびく耳鳴りのような音――それらがすべて消えた。

 こんなに静かだったのか。
 この夜は。

 とおくで自動車のエンジン音が響く。

 感覚のない世界。音も匂いも色彩も何もない。
 自分が存在しているかどうかすら疑問に思えるほどの、孤独。

 だが、たどり着くべきところにたどり着いた。
 求めるべきものを求めている。
 ひとつの段階をクリアしたのだ。

 長瀬はぼんやりと考えた。このAIを早くボディに移してやろう。こんなにも世界に触
れたがっているこの自我を、自分の目で見て、手触りを感じ、色彩のある世界を感じさせ
てやろう……。

 もう不安に思うことはないんだよ、わたしはここにいる。

 長瀬は指を伸ばし、そっとキイに触れる。
 眠り姫を起こすのはくちづけなんかじゃない、ほんの短いメッセージ――。



『     Merry X'mas!
      I love you!      』



 ぶうん、と唸る。
 循環する冷却液。
 ファンがゆっくりまわりはじめる。

 ふたたび息づく、ひとつのココロ。

 長瀬はいまだ暗いブラウン管に釘付けだった。
 さて、お姫さまのご返答やいかに?
 ぼんやりとともるガラス管の中に浮かび上がった言葉は……。






”     命令が不正です。
      入力しなおしてください。      ”






 ぽかんと口を開いた長瀬。
 ただでさえ長い顔がますます長くなっている。
 やがてうつむき、肩をふるわせ、爆発的に笑い出した。

 やられた!
 まったく最高の冗談だな、おい!

 長瀬は息が切れ、腹が痛くなり、けいれんを起こす一歩手前まで笑い転げた。
 とんだクリスマスプレゼントをちょうだいしたよ、まったく!
 コイツ、実用化の暁にはタチの悪い皮肉屋になるんじゃないか?

 さて、と立ちあがった。
 こきこきと首を鳴らす。ブラウン管を見つめどおしですっかり肩がこってしまった。

 今年も忙しかったが、来年はさらに忙しい。
 ふたつのAIをボディに乗せて、慣らしをして、試用テストに送り出さなければならな
いのだ。
 四月までに間に合わせなきゃな。
 せっかくの入学シーズンだ。

 長瀬は廊下に出た。酒宴の声がいっそうはっきり聞こえてくる。
 自分から抜け出したとはいえ、主任を差し置いて宴会とはふとどきな。
 一発おどかしてやるか。

 そっと忍び寄り、ドアをいっきにバーンと空けて――。


     「メリー・クリスマス!」