セリオに感情をみいだす会 投稿者:takataka
「テスト期間が延長になりましたー」
 オレはマルチの話に耳をうたがった。なんでも今度はこっちの学校にセリオがくるとい
うのだ。
「じゃあお前は?」
「次は私が寺女に行きますー」

 あのお嬢さま学校に、マルチ。

 深窓の令嬢がいきかう静かな午後の廊下に、
『はわわわわわわ〜ああ』
とか、

 傾きかけた西日がけだるげに照らす重厚な階段で、
『おちる〜〜〜〜う』
とか、

 静まりかえってかたりとも音のしない、深海底のような図書室で、
『ぷしゅーーーーーーーーーー』
とかなってしまうわけか。

 ぽむ。
 オレはマルチの肩に手を置いた。
「ま、がんばれ」
「はい! がんばりますう!」
 がっつぽーず! なマルチ。どーゆーとこに行くかも知らんと。
 南無。


	 〜〜〜〜〜〜

	「ごきげんよう」
	「ごきげんよう」

	「ごきげんようですう」

	「『ですう』はいりませんのよ、マルチさま」
	「そ、そうですかー」

	 〜〜〜〜〜〜


 いっぽうセリオはどうか。これは問題ないだろう。
 あのお嬢さま学校で立派にテスト期間を終えてきたのだ。オレたちのトコみたいな一般
庶民の通う学校なんてあくびが出るくらいじゃないのか?


 と思っていたのだが、状況はあんまりよろしくなかった。
 いままでみんなマルチに慣れすぎていたためか、セリオのようないかにもロボットロボ
ットしたロボットには困惑したようだ。
 また、セリオの外見にも問題があった。
 マルチみたいな、小学生かこいつ? と思ってしまうようなかわいらしさよりも、むし
ろ有能な秘書や知的なOLをイメージして作られたセリオはあくまで毅然とはりつめた美
しさをたたえていた。
 もちろんそれだからといってオレたちが頼む雑用を、
「そんなつまらないことはできません」
 と断ったりはしないのだが、なぜだかそんな風に突っぱねられそうな気がしてなかなか
頼みごともできない始末だ。
 おもしろ半分にパンを買ってくるよう頼んだクラスメートが、背筋をピンと伸ばして毅
然とした態度でカツサンドを差し出すセリオに『すいません』と敬語で謝ってしまったと
いうのもむべなるかな、である。


「このままじゃいかんだろ」
 オレは力説した。
 そう、マルチの次はセリオを助けてやらねばならない。
 セリオをみんなに親しまれるメイドロボにしてやりたい。
 それがオレに課せられた使命なのだ。
「いいぞメカフェチー」
「死ぬか? 志保ちゃんよお」
「やなこった」
「てんめえええええええええ」
「きゃはははははははははは」
「浩之ちゃーん、みんな集まってもらってるんだから早く進めないと」
「おう、悪いなあかり。ちっとこの性悪女を処刑してから」
「ええからはよせんかいこらぁ!」
 委員長がばんっと黒板を叩いて、ようやく静まった。
 立ちのぼるチョークのもやの中からあらわれるタイトル。

『セリオに感情をみいだす会 第1回総会』

 会長はオレだ。
 放課後オレたちの教室に片っ端から知り合いをかき集めて、このよき日、無事総会を開
催の運びにいたりましてまことに……。

「進行私がやってええな」

 おう、すまねえないいんちょ。

「そんなわけでセリオを親しまれるようにしたいんやけど。
 藤田くん、まず方針どうすんねん。セリオを変えるのか、それともみんなを変えるのか」

 みんなマルチを知っているから、メイドロボとはああいうものだという先入観がある。
 このさいセリオに変わってもらうのが手っ取り早くていいだろう。

「そうねえ、あの子ちょっと堅い感じがするから。も少しハジけてもいいんじゃない?」
「お前はハジけ過ぎだがな」
「きいっ、なんですってえ」
 志保はあまり参考にならん。
 というか、ぜひとも参考にして欲しくない代表選手だ。

「あかり、お前はどうだ」
「え? えっと……わたしもだいたい志保と同じ、かな。
 そうだ浩之ちゃん、お弁当作ってきてもらう、ってどうかなー?」
「オレにか?」
 うっ、とつまるあかり。みずから墓穴を掘ったかたちだ。
「まさかクラス全員分作ってきてもらうわけにもいかんしな」
「うう……でも、浩之ちゃんのお弁当は……」
 後輩二名の方をこっそり盗み見る。これ以上ライバルを増やしたくないってことか。

「ハーイハイハイ! Niceアイデアデース!」
「なんだよレミィ?」
「Huntingネ! 自分の中の『鬼』を解放するのデース!」
「却下」
「No!」
 コイツは〜。
「しらねえぞおい。あいつの場合衛星軌道から粒子ビームで狙い撃ちされるから、ハンタ
ーモード入ったらオレら全員命ないぞ」
「そうなのですカ……」
 ウソだがな。

「あのう、マルチさんみたいに校門であいさつするっていうのはどうでしょう!
 毎朝やってれば、きっとみんな振り向いてくれますよ!」
 葵ちゃんが手を上げた。
 悪い考えじゃない、でも。
「それでセリオが傷ついたりしなきゃいいんだけどなあ。最初のうちはみんな変な目で見
るだろうし……」
 セリオがそうしたことをどう思うかは分からない。
 ただ、ことによってはひどく傷つくようなことはさせたくはない。
 葵ちゃんはそろそろと手を下ろした。
 他人から変な目で見られるときの気持ちは、女だてらに格闘技同好会設立を夢見るこの
子が一番よく知っているのだ。

「あの……やっぱり、変わるっていっても、そう簡単にはいかないんじゃないでしょうか
……。セリオさんにも自分のやり方があるでしょうし」
 琴音ちゃんが遠慮がちに言う。苦労して内向的な自分を変えてきた子だけに、重みのあ
る言葉だ。
「そうだなあ……」
 みんな黙りこくってしまったそのとき。

「…………」

「先輩……『それでもあの子は変わらなければいけません、あの子自身のためなんです』
って……」
 オレにだけしか分からなかったのかもしれないが、芹香先輩はいつになくきびしい顔を
していた。
 感情を表にあらわすことのないセリオ。
 芹香先輩はそのなかに、ぬいぐるみだけが友達だった小さいころの自分の姿を見ている
のだ。
「決まりやな」
 いいんちょがぽそっと言った。


	 〜〜〜〜〜〜

	「マルチおねえさまっ」
	「はい、なんですかー」
	「わたし、一目見たときからお姉さまのこと好きになりました! 愛してしまっ
	たんです!」
	「ええ? それはありがとうございます」
	「好きっ」
	 ひしっ
	「あ、うれしいです〜。でもなんかいやな予感がするのは気のせいでしょうか
	ー?」
	 なでなで……。
	「んふうぅ、しあわせですうう」
	 ニヤリ
	「お姉さま、なでなでよりもっと気持ちのいいこと、教えてさし上げましょう
	か?」
	 さわっ
	「え? あ、ふえぇ……、はわあああああああああああーーーーーーーー!」

	暗転。
	
	 〜〜〜〜〜〜


「よっしゃセリオ! いくでえ!」
「はい、智子さま」
 まずはいいんちょ。期待してるぜ。
「わたしのお勧めは……ここやー!」
 ゲーセン。
 やはり、そうくるとは思ったが。
 そして予想通りクレーンゲーの前で立ち止まる。
「セリオセリオ、あれ取ってみ」
「はい」
(ふっ……あれは昨日わたしが五千円つぎ込んでとれんかった初音ちゃんぬいぐるみ!
 セリオ、クレーン取り損ねたときの口惜しさ! 一辺味わってみい!)

 かち。
 うぃーん。
 ぱふ。
 ぽとっ

「とれました」
「ぐはあっ」
 委員長ダメージ9。
「くっ……じゃああれや! あれいっとけ!」
 いいんちょがさしたのはクレーン範囲外の、どうあがいても取れない梓ぬいぐるみ。
「不可能です」
「何やそれ! 根性で不可能を可能にしてみいや! 瞬着だって不可能を可能にしよる
で!」
 むちゃくちゃ言うな、おい。
「いけセリオ! 宇宙一になったるんや!」

 で、当然取れない。
「なんっやああああああああ! マジしゃあっそオラアアアアアアア!」
 逆上して筐体蹴りまくるいいんちょ。
 お前が切れてどうする。
 奥から飛んでくる店員をぎろりと睨み付け、いいんちょはセリオの肩を押した。

「いっとけ。かまうことあらへん」
「どうすればよろしいのですか?」
 委員長は耳元でぽそぽそ知恵を入れる。

「……こう、な……。
 あ、でも急には言いにくいかも知らんし、自分で適当に言いやすいように言い」

 セリオは店員の正面に立った。
 相手の目をきっちり見つめて(ガン付けのつもりか?)、

「耳道からマニピュレーターを挿入して臼歯を振動させましょうか?」

 ?

 おお!
『耳から手ぇつっこんで奥歯がたがたいわせたろか!』
 つうことだな。

 なんか中耳炎の治療法を聞いてるようにも思えるが。

「……はあ」
 店員もどうしたらいいか分からずぼうっとしている。
 委員長ははあっとため息をついて、肩を落とした。


	 〜〜〜〜〜〜
	
	「ううっ……ひどい目にあってしまいましたぁ……」
	「あら? マルチじゃない。何か服が乱れてるけど、どうかした?」
	「ううっ、綾香さん……ふぇ、うえええええええええ〜」
	「あらあら」
	 なでなで。
	「うえええええええ〜、ぐしっ、ひっく」
	 なでなでなでなで。
	「……ぼちぼち落ち着いた?」
	「はい……すみませぇん……」
	「よっし。じゃ元気出たところでお願いがあるんだけど」
	「はいっ! なんでしょうかー」
	「ちょっと友達に頼まれちゃってねー。演劇部で人手が足りないらしいのよ」
	「演劇部ですかぁ……?」
	
	 〜〜〜〜〜〜


「わたしと、本気で戦ってください!」
 片足を後ろに引いた構えで、正面に立つ朱色の髪の少女を見据える。
 葵ちゃんは本気だ。
 その目の色を見れば分かる。燃える炎をやどした双眸を。
 吹きすさぶ風のなか対峙する、二人の戦士。
 そのあいだを風に吹かれ、陸マリモが転がっていく。
 西部劇とかでよくある、あれだ。正式名称は知らん。


「わたしに出来ることって結局これしかないんです」
 葵ちゃんは少しうつむき加減だった。
「でも、こんなことで先輩のお役に立てるんだったら、わたしやります!」
 オレのじゃなくてセリオの役に、なんだけどな。
「見ていてください! わたし、先輩のため精一杯がんばります!」
 ……。
 あかりが何だか怖い顔でこっちを見ているが、まあとりあえずはよし。


 が、しかし。
「わたしは人間の方に危害を加えることは出来ません」
 セリオの方はまったくやる気なし。
 そういや、そもそもメイドロボに格闘って出来るかどうか確認してなかった。
「格闘関係のデータをダウンロードすれば可能ですが」
「じゃ、それいってみよう」
「ですから、人間の……」
「命令」
「……」

 あんまりいい気持ちはしないが、まあ仕方ない。

 セリオはしばらく目をつむって、こころもち上を向いた。

「――行きます」

 しずかに双眸が開かれる。
 葵ちゃんを見据える。
 なにもうつさない瞳に、わずかに生気がひらめいたようだった。

「はっ!」

 しかけたのは葵ちゃんからだった。
 小さな身体から放たれる猛攻を、セリオは最小限の動きで受け流していく。
 あたかも華麗な舞踊を見ているかのような二人の動き。
 しかし、少しづつ均衡が崩れはじめてきた。
 セリオの格闘関係の知識や経験は、みずから学び、自分の身体から掬い上げたものでは
ない。あらかじめ他のボディから採取した情報を当てはめているだけだ。
 その微妙なずれが、セリオの動きにいくらかの無駄と不自然さを加えていた。
 素人には判別できない程度の動きの無駄を、葵ちゃんは見逃さない。
 右のローキックから態勢の崩れたセリオの間合いに飛び込んで、左フックを放つ。
 かろうじて止めたが、次の瞬間には渾身のハイキックがセリオの側頭部に飛んでいた。
 セリオはとっさに腕を上げ――。


「お前な」
 オレはジト目でセリオを見上げていた。
 気を失って倒れている葵ちゃんは、どうやら大したこともないようだ。
「スタンガンはないだろー。葵ちゃんは真剣に闘ってたのに」

「しかし、松原さんは『本気で』とおっしゃいました。
 わたしはそれを『HMX−13の全機能を駆使して』という意味に解釈したのですが」

「そうかも知らんけどなあ……」



	 〜〜〜〜〜〜


	「た、ただのきれいな『うぉーたー』……ですぅ」

	「くっ、奇跡の人ヘレン・ケラー!
	 この難しい役を演じる上で、突然こんなアドリブが入れられるなんて!
	 HMX−12マルチ……おそろしい子……」

	「先輩、ひたいに縦線入っていますわ」
	「それに白目むいてますわ」
	「お黙りなさいあなたたち!」
	 ぶんっ
	「きゃっ」
	「たてまきロールの先端が目にっ」
	「ふふふ……よくてよマルチさんっ、秋の学園祭での劇、楽しみにしています
	わ……」

	 マルチの研修期間は1週間だ。ちなみに。


	 〜〜〜〜〜〜


「またしてもだめか……」
「浩之ちゃん、私の番だね」
「ちくしょう、どうしたらいいんだ」
「浩之ちゃん、あのね」
「オレたちはセリオの力になってやることは出来ねーのか?」
「ねえ、浩之ちゃん」
「自分の無力さが身にしみるぜ……」
「…………ぅぅ」

 ちら。
 やべっ!
 あかり半泣き!

「よしあかり、お前の番だ!」
「うんっ」



 そんなわけで、あかり。
「セリオちゃん、一緒に帰ろう」
 セリオはあっさり承諾しかけ……、ふとなにかに気づいたように首をかしげた。
 あかりの普段の生活を知っていれば気づくべきことだ。
「今日は浩之さんとは一緒にお帰りにならないのですか?」
「ふふ、今日はいいの。セリオちゃんと二人っきりでお話したいんだ」
 にっこりと笑うあかり


「浩之ちゃんは絶対に見にこないでね」

 オレはあかりに厳重に釘を刺されていた。

「セリオちゃんとお話するの。
 女の子どうしでしか出来ないお話だから、浩之ちゃんは聞いちゃダメだよ」
「――つまりそれは、こっそりついて来いという意味か?」
「浩之ちゃん」
 あかりはオレを懸命な表情で見上げ、学ランの裾をつかんで引っ張る。
 のびるって、おい。
「ダメだよ……本当に絶対だからね。絶対の絶対だよ」
「おう」
「絶対、ぜえったいだよ。ほんとに」
「いかねーって。
 だいたいなんでそこまでこだわるんだ? オレの陰口大会でも開こうって腹か」
「そ、そんなことないよー」
「じゃなんでだよ」

 あかりは真っ赤になってうつむいた。
 何の話するつもりなんだ、コイツ?



 そして、オレはもちろんこっそり覗きに来ていた。
 あかりとの約束を破る結果になってしまったが、これもセリオの感情をみいだす会会長
としての職務だ! しかたないんだ! オレとしても実に残念だ!
 けっしてデバガメ根性じゃないぞ!


 散り落ちた花びらが、葉桜の下をとりまいている。
 あかりとセリオは花びらのじゅうたんの上を歩いていく。
 学校であったことを、仲のいい友達どうしのように話しこんでいた。
 あくまでも見た目は、だ。

 オレはひとつのことに気づいた。
 さっきからしきりに話題をふっているのはあかりの方だ。
 セリオはというと、あかりの問いかけや質問に答えるばかりで、たまに話しかけること
があっても、あかりの話す内容にはっきりしない点があったりする場合に限られていた。

 そういえば、オレはセリオに話しかけられたことがない。
 他の連中にしたってそうだろう。
 もちろん用事でもある場合はまた別だが。

 用事がないと話もしないのか。

『用もないのに、なれなれしく話し掛けんといて!』

 そんなこともあったな、そういえば。
 あのころ、人前で泣きも笑いもせず、クールに仕事をこなしていたいいんちょは、セリ
オに少し似ていた。
 今にしてそう思う。

『もうわたしにかまわないでください!』

 琴音ちゃんがクラスの連中とのあいだに壁を作っていたように、周りの連中もまた琴音
ちゃんを壁の向こうに遠ざけたままにしていた。
 走って逃げられたこともあったよなあ。


 オレは思うのだ。あそこでオレが諦めていたら、二人とも今ごろどうだったろうか?
 多分、いまにいたるまでなにも変わらなかったろう。
 でも、二人とも笑顔を見せてくれた。
 内心不安に思っていたオレも、それでようやく安心できたのだ。
 心の壁の向こうから、おずおずと微笑んでくれた。
 そのことだけで、オレはこの子達をほんとうに好きになれた。

 だから、セリオ。無理にしゃべれとはいわない。
 ほんのわずかでもいい。
 笑ってみてくれないか。



 バス停でマルチを待つあいだ、あかりは話すネタも尽きたのか、いよいよ本当にどうで
もいいようなことばっかり話していた。
 特にオレにとって。

 小さいころ、かくれんぼで置き去りにされたときオレが迎えに来たこと。
 中学生のとき、オレに無視されたときどんなに悲しかったか。
 そして今年の四月、一緒のクラスになれたとわかった時の驚きと、感激。

 ……なんで全部オレのことなんだよ。

「先ほどから、話題の内容が藤田浩之さんのことに偏向しているようですが……」

 セリオがおかしいと思うのももっともだ。
 しかし、あかりはわが意を得たりとばかりに微笑んだ。

 オレはこの表情を知っている。
 屋上で、二人で虹を見上げたあのときと同じ顔だ。

「ふふぅ、どうしてか分かる?」
 くるっと振りかえる。

「藤田さんと神岸さんが幼なじみであり、他の級友より親密な関係であるということが第
一に挙げられます。
 しかし、それですと佐藤雅史さんの話題も同じ割合で含まれないのは不自然です」
 冷徹に分析するセリオ。

「くすくす、セリオちゃんって本当にまじめなんだね」

 あかりの奴、何が言いたいんだ?

 ……オレには分かっていた。
 分かっていながら、分からないふりをしていた。


「好き、だからだよ」


「好き?」


 春の風が、さくらの花びらを舞い上げる。
 さくら色に染まる空気の中で、対照的な二人の少女。
 あかりは頬を赤らめて、それでも何かを訴えかけるようにセリオをみつめている。
 セリオはもの問いたげにすましかえっている。次の言葉を待っているのか。

「あのね、セリオちゃんも、好きなひと見つけようよ」
「好きなひと、ですか?」
「うん」
「それは特定の個人に対する特別な愛着としてよろしいでしょうか」
「うん」
「恋、ですか」

 顔を真っ赤にして口元に手をやるあかり。
 無言の肯定。

 適当なところで口出ししてやろうと思っていたオレは、もうとっくに出る機会を失って
いた。
 言いにくい言葉を舌にのせて、精一杯の勇気をふりしぼってあかりは言う。

「あのね。だれかを好きになるって、とっても素敵なことなんだよ。
 ここのところがふわってあったかくなって……しあわせな気持ちなの……」

 セリオの胸に手をあてる。
 あかりの手をじっと見つめるセリオ。
 電気で律動する機械の心臓にも、そのあたたかみを伝えることはできるんだろうか。



「あ、セリオさーん、あかりさーん」
 寺女から帰ってきたマルチが手をぶんぶん振りながら走ってきた。
 セリオは一考して、マルチの首根っこをふん捕まえて引きずっていく。

「ふえ? セリオさん、どうしたんですかー?」
「マルチさん、恋です」
「はいー?」
「二人の恋はすでに始まっているのです。手遅れです」

「え? え? え?」

 そうこうしているうちに人影のない路地に引きこまれるマルチ。

「さて、二頭のケダモノのように激しく求めあいましょうマルチさん。
 往来でありながらも人目なんか気にしないものすごい愛のかたちを実践するのです」

「は、はわわわあああ〜」

「待て待て待てーいい!」
 オレは慌ててカットに入る。
 セリオが何か残念そうに見えるのは……きっと気のせいだろう。

「なにやってんだお前ぇ!」
「恋です」

 平然と言い放つセリオ。

「ちがうだろ! 恋ってのはこう、もっと……なんだ、ええと……
 でええい! とにかく女同士でやるもんじゃないぞ!」

「しかし、恋愛とは一般に同種族の異性間に発生するものと考えます」
「おう」
「まれには同性間にも発生するようです」
「……ま、そーゆーやつもいるわな」
「しかし、異種族間では発生しづらいもののようです」
「……なんかヤバげな話だな、おい」
「わたしは人間ではありませんから、人間の男性と恋愛関係にいたるのは不可能です。
 そしてメイドロボに男性型が存在しない以上、わたしの恋愛対象はマルチさんがもっと
も適当であると思われます」
「……う」

 説得されてしまった。

「浩之ちゃん」
 いつのまにか、オレの後ろにはあかりが立っていた。
「聞いちゃったんだね……」

 う。
 気まずい。

「すまん」
 オレは頭を下げた。
 このさいあれこれ言い訳しても仕方ない。

「あのね」

 あかりは顔を真っ赤にして、目を潤ませている。
 オレが一番苦手な表情だ。あかりに泣かれるのははじめてじゃないが、そんなときはい
つもはげしい後悔をともなう。
 しかし、涙を浮かべながら、あかりは笑っている。

「来て欲しく、なかった。
 でもね、ただ……あれだけしつこく念を押しといたら、浩之ちゃんきっと来ちゃうんだ
ろうな……って、思ってたの」

 涙があふれださない程度に、目を細めるあかり。
 予想はしてたのか。
 予想した上での発言か、あれは。

「――あかり」
「なあに?」

「セリオに変なこと教えたのお前か?」

 あかりは拍子抜けしたようだった。ぽかんと口を開いている。
 オレがなにか他のことを言うのを期待していたのだろう。
 でもなあ、そりゃオレも悪かったけど。
 確信犯ってのは卑怯だぞ、うん。

「なあセリオ、どこでそんな知識おぼえたんだよ。同性間の恋愛とか、ケダモノがどうと
か」
「浩之さんのベッドの下の蔵書から……」

 ……てめえ! 何で知ってやがる?

「あ、あれね……えっちなやつ」

 あかり、お前もか?
 お前らいったい!?




 ――しかし、ついに笑ってくれなかったな、セリオ。




「仕方ない、ついにこのオレの出番のようだな!
 まったくどいつもコイツもふがいない。
 いいかお前ら! このオレの生きざまをよく見ておけ!!
 そしてオレに惚れろ!」

 ばんばん黒板を叩く。
 テンションあげまくり。
 なにしろ、このオレが最後の砦だ。
 こうなったら男の意地にかけても、セリオを笑かす!!

 ……なんか目標がズレてるような気がするが、ちらりとでも笑顔を見せてくれればそれ
だけでいいんだ。
 オレは最後の秘策を胸に、時を待った。


 そしてお昼休みの図書室。
 セリオはマルチと同じように、静かなこの場所で充電中だ。
 ブラインド越しにさしこむ光を受けて、午後の眠りを楽しむ機械姫。
 制服の胸もとがかすかに上下する。
 メンテ用ノートパソコンのディスクアクセス音だけが、かりかりと耳をくすぐる。
 チャーンス!!
 オレはそっと忍び寄り……


「ほんまに変わったんか?」
「信じられないわね」
 ふふふ、細工はりゅうりゅう、仕上げをごろうじろ、てとこだ。
 そして充電の終わったセリオが出てくる。

 !!
 オレ以外の全員、息を飲む。
「ま、まさか……」
「そ、そんな……」
「ば、ばかな……」
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……


 セリオの耳カバー……
 上下、逆!!!


「ぶわはははははははは」
「きゃはははははは」
「あっはっははは」

 よし!
 ばっちりウケた!

 ひーひーと苦しい息のもと、あかりがオレの腕をとる。
「ひ、浩之ちゃん……いるよね、こういうの……」
 なにがいるんだ、あかり。
「いるよ、こういう犬……あはははは、苦しいー」

 これにはオレも大爆笑だ。
 たしかになんかよくいるタイプのタレ耳系の犬だ!
 よくぞ気づいたあかり! だてに犬チック名乗ってねーな!

「どうなさったのですか、みなさん」

 本人気づいてないし!

「セリオ、鏡見ろ鏡……」

 う、だめだ。見ると笑ってしまう。
 図書館の入り口近くにある大きな姿見に、自分の姿をうつすセリオ。

 端正な面影。
 すらりとした容姿。
 美しく流れるロングヘア。


 そんで、耳カバー逆。



「…………――――くす」

 お?
 おお!?

 こころもちうつむいて、口元に握りこぶしをあて、肩をふるわせるセリオ。

 ……笑った!?

「セリオ! おまえ、今……」
「はい」

 視線を横にそらして、どこか照れながら、はじらうように目を伏せて。
 そうして、かすかに笑った。

「困ります、浩之さん」

 ぱち……
 パチパチパチ……。

 委員長が、琴音ちゃんが、そしてみんなが出てきて手を叩く。
「おめでとう、セリオちゃん」
 あかりが目頭を押さえる。ホント泣き虫だよな、こいつ。

「やれば出来るもんやなあ、セリオ。立派やで」
「あの……おめでとうございます……よかったですね」
「nice fightネ!」
「よかったですね! またいっしょに闘いましょう!」
「ふふーん、ニュースソースがまた増えたわね♪」
「……」
 みんなに囲まれて、祝福されているセリオ。
 その顔にはもう笑みはなく、いつもと同じような無表情がはりついている。
 でも、いいんだ。セリオが笑えるってみんなにも分かったことだしな。
 これからはその端正な顔の下に、笑顔や、当惑や、時には涙を流すさまを思い浮かべる
ことができる。
 そこからはじめるってのもアリだろ。
 な、セリオ。


 と、そのとき。

「待ちなさい!」

 図書館の入り口にさっそうと現れる人影。

「あんたたちセリオになにしてんのよ!」

 綾香!? なんでここに?

 猫科の吊り目がセリオの姿を上から下までスキャン。
 そしてオレたちを一瞥する。
「ほーう、よってたかってセリオにそんなコトを……」

 ばきばきっ。

「で、責任者は?」

 待てお前ら!
 何でみんな申し合わせたようにオレのほうを向くんだ!

「ひ〜ろ〜ゆ〜きぃい」

 うわっ、マジこええ!
「よしあかり、お前を二代目セリオの感情を見出す会会長に任命する! オレの役目は終
わった、老兵は消え去るのみ……。
 そんなわけで綾香、責任者コイツだからもー煮るなり焼くなりお好きなように!
 じゃあ!」
 さわやかに立ち去るオレ。
 その襟首をふんづかまえるゆびさき。

 不思議だよな。
 この白魚のような指に、なぜにこんな超人パワーが?

 にやーり、と笑う綾香。
 こいつのこーゆー笑顔は見たくない。
 切実にそう思った。

「神様にお祈りは済ませた? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする準備はOK?」

 ……死にませんように。
 オレはとりあえずそれだけを祈った。


 オレが生死の境をさまよっていたころ、研究所では。
「長瀬主任、お願いがあります……」
「どうしたんだい、セリオ?」


 そして翌日。
 オレたちは長瀬主任の粋な計らいを目にすることになった。

 セリオの耳カバーにつけられた、回転機構。

 ブルーな気分のときは半回転して、タレ耳風になる。
 それだけで無表情なセリオになんかショボーンとした風情が出てくるから不思議だ。
 ちなみに、うれしいときは大回転。
 よかったな、セリオ。

「よくなーい!」
「綾香さま……」
「はずしなさい! 情けないから!」
「……」

 くるっ
 ショボーン。

「う……」

 後ろ向きのセリオ。
 つま先で小石を蹴る。
 ちらりと綾香を振りかえって、また下を向いた。

「うううううう……いいわよ、勝手にしなさいな」

「綾香さまっ」ぱあぁっ

 ぎゅるるるるるるるるーん!

「回すなーっ!」



 で、そのころマルチはどうしてたかというと。


	「マルチおねえさま〜、激LOVEっす〜」
	「ふぇええええ」
	 すりすりっ
	「ああっこの薄い胸が細い足が○学生ボディがあああぁっ!」
	「た、たすけてえ〜」


 ……とっても苦労していた。