マルチのお掃除がんばるぞ! 投稿者:takataka
 放課後。
 さ〜て今日はどうするかな……。
 考えるまでもなかった。

「♪る〜ららら、るららら、るるらら〜るるるっらら〜」

 廊下に出たとたん耳に飛び込んでくる歌声。
 あいつまた掃除してるのか。オレは苦笑した。
「しかたねえ、手伝ってやっか!」

「いつもいつもすみませーん」
「いいっていいって、マルチはいいコだからな。掃除してるの見ると手伝わずにはいられ
ねーんだ」
 用具入れからひっぱりだしたモップをバケツにひたす。
 マルチはにこにこしながらそんなオレを見守っている。
 学校の掃除なんてふだんは面倒だと思ってなかなか進んでやらないが、いざ本腰を入れ
てやってみるとこれはこれでなかなか楽しかったりする。
 たまに風呂掃除とかやってみると異様にハマッて、ほっといてもいいようなタイル目地
のカビ汚れまで徹底的に落としたくなるのと同じ原理だな。

 それに、こいつがいるし。

 いすの上に乗って窓拭きするマルチを見上げる。マルチのちびっちゃい体ではいっぱい
に手を伸ばしても窓の上辺まで手が届かないのだ。
「うー、とどかないですー」
 それでも負けじと教室からいすを引っ張り出してきた。
 なんでそこまで一生懸命になれるんだろーな。

『人間の皆さんのお役に立ちたいですー』

 こいつの口ぐせだ。そのために作られたんだから、と。
 それにしても、マルチはこんなに一生懸命なんだから、たまには人間のだれかがその労
に報いてやってもいいようなもんだ。
 よし。
 いっちょやるか!


「ふわあ〜」
 マルチは目を丸くしてオレの持ち出したブツを見ている。
 ふふふふ。
 生徒が用もないのに持ち出しちゃいけない、電動ポリッシャー!
 ふだんこれを使えるのは年末の大掃除のときだけなんだが、まあマルチのためだ、大目
に見てもらおう。
 去年の大掃除んとき倉庫のダイヤル錠の番号こっそり見ておいたのが役にたったぜ……。

 俺は床にこぼすように洗剤を撒いて、ポリッシャーのスイッチを入れる。
 するとモーターに直結したブラシつきの回転盤が回りだし、じゃじゃじゃっと音を立て
て床を磨いていく。
「マルチ、あとに残った泡を拭きとってくれ」
「はいですぅ」
 水拭きのモップでぬぐうと、リノリュームの床面は今までとは比べ物にならない輝きを
見せた。
「すごいですー。科学の勝利ですう」
 掃除好きのマルチはもう夢中だ。
 しかし最新技術のかたまりのメイドロボでありながら、こんな原始的な掃除用具に驚く
とは……つくづくナチュラルな奴。
「ただこれにも欠点があってなあ。コードが届くトコじゃないと使えないんだよな」
 廊下にコンセントがないので、使えるのは教室の前の廊下だけに限られる。渡り廊下と
かでは使えないのだ。
「それなら大丈夫ですよー」
 マルチはおもむろに手首を外して、トラジマコードをポリッシャーのコンセントに直結
した。
 をを、なるほど。歩く電源か。
 マルチは見るからにうずうずしていた。ちょっとつついてやったら勢いよくどこかにす
っ飛んでいきそうな感じだ。
「では浩之さん、使い方教えてくださいっ!」
 お、なんかしゃべりにまで気合入ってる。
「いいか、これがスイッチで……」
 かち。
 あ。
 おい、待て! まだ使い方を……。

 うぃいいいいいいいん!
「はわああああああああ〜」

 スイッチつついたとたん勢いよくどこかにすっ飛んでいくマルチ。
 ただでさえ頼りなげな体が、マンガのようにポリッシャーにひきずられていく。
 そう、一見便利なように見えてポリッシャーという奴はおそるべき魔性の一面を秘めて
いる。慣れない奴が使うと、回転盤の面を床に対して平行に保てない場合があるものだが、
そうすると回転盤の一部だけが床に押しつけられ、高速回転するタイヤと化して、主人を
引きずって走り出してしまうのだ。
 オレも慣れないうちは何度こいつの暴走に翻弄されたか……泡まみれになったっけ……。
 それでキレて『瞬間芸泡踊り〜』とかやって……そこをあかりに見られて……。

 は!
 回想してる場合じゃねえ! マルチを追わねーと!

「あうあうあうあうあうあうあうあうあうあう」
「マルチ、スイッチだ! スイッチを切れ!」
「とどきませえ〜ん」

 こいつのスイッチはご丁寧なことに本体ではなくコードの途中についていた。
 そのコードはポリッシャーに引きずられるマルチのはるか後方だ。

「あうあうあうあうあうあうあうあうあうあう」
「しかたない、手を離すんだ!」
「だめです! そんなことしたらポリッシャーさんが……」

 ヘンなところで責任感強いマルチ。
 その責任感の十分の一でも、暴走ポリッシャーで廊下を走り回るというのがどういうこ
とか考えるタスクに振り向けてもらえたら……。
 しかたねえ! 生まれてせいぜい1週間、マルチはまだ赤ん坊同然なんだ。
 とにかく必死で追うオレ。

 あ、矢島だ。
「なにやってんだ藤田……はぶっ」
 ごりゅりゅりゅりゅりゅ。
 暴走ポリッシャーにどつき倒されたうえ、顔面をタワシより硬いブラシで磨かれまくる。
 しかもマルチ、追いうちとばかりに顔面踏んづけてくし。
「むぎゅ」
 すげー痛そう……。
「はわわわわわわわわあっ! ごめんなさあい〜」
 これ謝って済む問題じゃないかもしらんぞ。

「でさ〜あのメガネ女超むかつくってゆ〜か」
 おい岡田! 危ないぞ!
「なによ藤田く……きゃああっ!?」
「あうあうあうあうあうあうあうあうあうあう」
 ごりゅりゅりゅりゅりゅりゅ。
 成仏しろよ、岡田……。

 あ、橋本せんぱ……
 ごりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅ
「むぎゅ」
 一言のセリフすらない。
 ……まあ、人生そういうこともあるさ! ドンマイ橋本先輩!

「ひ、浩之さん、大変ですう!」
「どうしたマルチ!」
「なんだかだんだん楽しくなってきました!」
「なるなーっ!」

 ポリッシャーに翻弄されるメイドロボ、マルチ。
 運命の荒波は彼女をどこへつれていくのか?
 さっきから走りつづけのオレもそろそろ限界だ。

 と、マルチがぴたりと止まる。
 ポリッシャーは回ったままだ。
 その回転盤は床面と平行に保たれ、安定して床を磨きつづけている。
「やったなマルチ! ついにポリッシャーの極意をつかんで……」

「浩之さん」

 うつむいたままのマルチがぽつりと言った。
 その目は、前髪にかくれて見えない。
「わたし、ずっと考えてました。このまま流されてちゃいけない、自分の力で人間の皆さ
んのお役に立たなきゃいけないって」
 なんだ? 何か悩みでもあるのか?
「気にすることないぜマルチ、お前は十分役に立って……」
「このままじゃだめなんです。今までは、そう思ってました」

 なんだかマルチらしくない。オレは少し心配になってきた。

「わたし、メイドロボのくせに何にもできません。ただ唯一得意なのはお掃除だけで。
 この力で人間の皆さんをしあわせにするにはどうしたらいいかって考えました。
 最近、地球が汚れているっていいます。きれいな地球がいいって、毎日のようにテレビ
とかで目にします。
 でも、その地球を一番汚してるのは人間さんなんですぅ……」

 痛いところをつかれた。たしかにそうなのかもしれない。
 マルチはキッと顔を上げて、

「そこで考えたんです! 人間のみなさんがいなくなれば、地球はきれいになるです!
 人間のみなさんの夢がかなうんです!
 洗剤のコマーシャルでも言ってました。

『くさい匂いは元から断たなきゃダメ!』

 わたし、地球をお掃除します! 人間のみなさんの夢をかなえるため、人間のみなさん
を絶滅しようって、そう思ったんですぅ!」

 ……。
 無茶言うな。
 やはり昨日の晩、充電中のトコを無理いってB級SF映画の深夜放送に付き合わせたの
が悪かったか。
 あれに出てた悪の首領もそんなことを言っていた。

「ふふふふ、この最強アイテム、電動パニッシャーさんがあれば、まるちは絶対無敵の最
強正義ロボなのですう〜」

 ふらふらとポリッシャーを泳がせ、威嚇するマルチ。
 目がイッてる。
 それに、パニッシャーじゃなくてポリッシャーだ。

「てめえ、ポリッシャー一本で天下取った気になってんなよ」
「浩之さん……あなたは、正義のみなごろしお掃除ロボまるちの名誉ある第一号おしおき
対象者として歴史に残りますう。おめでとうございますー」
「めでたくあるか!」

「さようなら、浩之さん」
 マルチはためらいがちにポリッシャーをかたむけ……。

 じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃっ!

 紙一重でかわしたが、あのグズだったマルチとは思えないほどのスピードだった。
 恐るべし、パニッシャーマルチ!
 足が冷たい。見ると、上履きが泡だらけになっていた。
 オレのこめかみを汗がつたう。

「つぎはありませんー。おとなしくおしおきされてくださ〜い」
 イヤじゃ!

 マルチはまたポリッシャーを傾けた。
 ――来るか?
 そのまま身体ごと傾いて、ポリッシャーごと、ばたっと倒れた。
 ゆっくりと回転を止めるブラシ。



「予備電源まで使いきったから、ここ数時間の記憶は残ってないよ」
 出張してきた長瀬主任は、メンテ用ノートパソコンをいじりながら言った。
「原因は電圧低下による思考回路の混乱だな。ダメじゃないか藤田くん。外部に電源供給
できるほど容量ないんだから」
 そんなこと言われても、オレが繋いだんじゃないし。
 急速充電したから二時間くらいで目覚めるよ、と言い残して長瀬主任は去っていった。
 地球征服宣言したロボットを放って。
 無責任な。

 しかし、とオレは眠るマルチを見下ろして思った。
 これが最後のおしおきロボとは思えない。
 人間が地球を汚し続けるかぎり、いつかまた第二第三のおしおきメイドロボが現れるに
違いない。
 ……なーんつったりしてよお。



 じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃ。
 高速回転するブラシ。

「あらセリオ、精が出るわねー。お掃除?」
「――いえ」
 朱色の髪のロボは、綾香を挑戦的に見上げた。
「おしおき、です」