恋するキモチを魔法にこめて 投稿者:takataka
「にゃあおおおおおおおん」
 墨を溶かし出したような夜の闇の中、わたしはひとつの窓の明かりへと急いだ。
 同じような家の立ち並ぶ住宅街の中、同じような窓の、同じような明かり。
 でもそのひとつだけは、わたしにとって大きな意味を持っている。
 わたしのたいせつなひと。
 浩之さんの部屋へ。

「にゃあおおおおおおん」
「にゃあおおおおおおん」

 猫の跳躍力で塀の上に飛びうつり、屋根をつたってその窓の下。
 明かりはまだついている。
 やさしい人影が、ガラスの向こうに揺らめく。

「にゃあおおおおおおん」
「にゃあおおおおおおん」

 がらっと音を立てて窓が開いた。
 柔毛におおわれたちいさな胸が、とびだしそうに大きくはずみあがる。
 浩之さんは寝乱れた髪をかきむしり、半眼で私を見ていた。

「なあ、オレになんか用なのか?」

 !
 話しかけてくれた?
 わたしの言いたいこと、分かるんですか?
 でも、今のわたしは口を聞くことが出来ない。
 だから、この鳴き声にのせて、せめてこの胸の中にひそめたたったひとつの思い、あな
たのこと、いつの時にもあなたを思っているというそのことを――。

「にゃあおおおおおおん」
「にゃあおおおおおおん」

 がらっ、ぴしゃん。
 心臓が止まるほどに大きな音を立てて、窓は閉じられた。
 浩之さんの影が横になる。
 ヘッドフォンをかけたしぐさは。ガラス越しにも見て取れた。


 にゃ?

 猫さんの意識が戻りはじめた。このへんが潮時。
 ごめんなさいね、猫さん。体、返しますから――。

 にゃあ。

 猫さんはこくりとうなづくと、わたしと『交代』した。


 びくん、と、背筋に冷たいものを差し込まれたような感触。
 わたしは部屋の中に、魔方陣の中心に座っている自分に気づいた。
 『戻る』ときの感触は、いまだに好きになれない。

 だめだった。
 わたしはそのことを半分悲しく、半分は安心して受けとめていた。
 奇妙な二律背反。

 あの人のことが気になりはじめたのは早春、桜のつぼみが色づきはじめたころだった。
 二度もぶつかってこられたのにはびっくりしたけど、わたしはそのことを神様に感謝し
ている。あのひとに、会わせてくれたから。
 本を届けてくれたときのやさしい瞳が忘れられなくて、わたしは何とかあのひとと話し
たい、少しでもそばにいたいと思った。
 きっかけは魔法から。教室での占い、それからオカルト同好会の部室で。
 お料理もうまくない、おしゃれにも関心のない、まともにしゃべることも出来ない、そ
んなわたしには、魔法しかなかった。
 気味悪がられるかもしれないと思ったけど、浩之さんはそんなわたしを受け入れてくれ
た。
 うれしかった。人とお話しが出来ること、だれかがわたしのことを考えていてくれるこ
と、それから――ひとを、好きになれたこと。

 でも、わたしはそんな気持ちを言葉に出来ない。
 好きです。
 あなたがいてくれることで、わたしがどれだけ、しあわせな気持ちでいられるか――。
 それが言えなかった。

 猫さんが帰ってきた。にゃあと一声鳴いて、わたしのひざに首をすりよせる。
 ごくろうさま。軽くなでてあげると、ごろごろと気持ちよさそうに喉を鳴らし、伸びを
した。
 さびしがり屋の猫さん、わたしとおんなじだね。
 いいえ、猫さんは『あなたがすきですよ』って、体で表現している。
 すりよせた体から伝わるぬくもり。

 わたしは、浩之さんに、なにを伝えられただろうか――?

 わたしはまだ言葉に出来ない。
 あふれる気持ちを、口に出すことが出来ない。
 言葉がこわいから。
 浩之さんがわたしの本当の気持ちを知ってしまうこと。
 それと、浩之さんの、本当の気持ち。
 はじめて会ったときを思い出す。浩之さんのとなり、赤い髪に黄色いリボン。かわいい
顔をした、同級生の女の子。
 神岸あかりさんと浩之さんは、いつも一緒に登校してくる。
 それはとても似合っていて、だれも二人のあいだに入り込むすきがなくて、わたしはそ
んな二人を見るたびに、なにも言えなくなってしまう。
 わたしは言葉がこわい。
 浩之さんの口から、その言葉を聞くのが。


 それでも、わたしはもう一度試してみた。
 よく晴れた休日、浩之さんは庭で水撒きをしている。
 ホースから流れる水が緑の葉に撥ねかえり、いくつもの雫となって日の光を反射する。
 植え込みの影に身をひそめたわたしは、するすると身をくねらせて浩之さんの元へと。

「うわっ!?」

 ………………。
 わたしは蛇さんを腕に巻きつかせると、タオルでそっと拭った。
 ごめんなさい。みずびたしになっちゃったね。
 蛇さんは割れた舌でわたしの頬をくすぐった。怒ってないみたいで、安心した。
 浩之さん、ずいぶん驚いていた。
 わたしのこと、蛇みたいにしつこい女だって思ってないだろうか。


 言葉なんかなしに、思いを伝えることが出来たら。
 何度もそう思った。
 でも、それじゃいけない。
 だって、浩之さんはわたしのためにあんなに話しかけてくれるのに、あんなにたくさん
のやさしい言葉をおくってくれるのに、わたしはただ聞こえるかどうかの小声でやっと返
事をするだけなんて。
 気持ちを、言葉にすること。
 それが出来なければ。

 わたしは魔法の準備にとりかかった。
 今までで一番大きな魔法の。



 ふえ〜。今日も一日終わったぜえ。
 つまらんテレビ見て夜更かしするのもなんだし、今日は早く寝るとすっかな。
 ここんとこ夫婦喧嘩やら猫やらに邪魔されて睡眠不足だしな。
 オレはベッドに向かった。
 おや?
 なんか布団が異様にふくらんでいる。
 そりゃ朝急いで布団をはねのけたからきれいにたたんであるはずもないのだが、あれは
あきらかに中になんか入ってるふくらみだ。
 まさか泥棒?
 オレは部屋の隅にあったバットをにぎりしめ、そっと布団をはがした。

 ラルヴァが。
 赤ん坊のように体をちぢめて、両の拳を口元によせるキュートなしぐさで。
 枕元には箱ティッシュ。

「グゲゲ……ヒロユキサン……ス・キ(はぁと)」


「おっぎゅをおおおおおわやおえわああああっ!?」



 しくしくしくしくしくしく……。
 わたしは子供のように泣きじゃくっていた。
 浩之さん……そんな奇声あげながら猛ダッシュで逃げたくなるくらい、わたしのこと嫌
いなんですか……。
 泣きながらカードを一枚手に取る。
 わたしになにかまずいところがあったんでしょうか、点取り占いさま?


『そういう もんだいじゃあ ないぞ(3点)』