継承(10) 投稿者:R/D 投稿日:7月10日(月)23時12分
 ノックの音がした。

「どうぞ」

 ベッドの横に置いた椅子に腰掛けた春木が返事をする。佐藤が見舞い品を持って室内に入って
きた。ベッドに横たわる矢島の顔を見て笑みを浮かべる。

「何だ、元気そうじゃないか」
「やれやれ、言ってくれるぜ。丸一日以上、犯人に監禁されていたんだ。もっといたわってくれ
てもよさそうなもんだろ」
「そんな必要ありませんよ。矢島さん、何でも捕まっている間ほとんど寝てたんですって」
「おい、バラすなよっ」

 春木と矢島の掛け合いを聞き、笑いながら佐藤は近くの椅子に腰を据えた。

「いつ退院できるんだい?」
「明日か明後日にはな。結局、打撲傷だけだったし、大騒ぎした割には大したことなかったよ。
泰山鳴動して何とやらだ」
「それは何よりだ」
「あ、佐藤さんもメロンいりますか。うちの上司が奮発した見舞い品なんですけど」
「ありがとう。いただきますよ」

 春木が包丁を持って席を外す。佐藤は彼女の後ろ姿を見送った後、物問いたげな視線を矢島に
向けた。矢島はそらとぼけて話す。

「…で、まだいくつかよく分からないところがあってね」
「分からないところって」
「事件について、さ。そもそも牧場の奴がどんな要求を出したのか、俺は知らないんだが」
「要求ね。随分派手な要求だったよ。我々人類は絶滅の危機に瀕している。自ら作り出した環境
ホルモンによって将来を失おうとしている。だから我々は自らの後継者を作り出さねばならない
のだ。それはメイドロボである。まず、我々はメイドロボが我々と対等の存在であることを認め
なければいけない。だからロボット三原則を廃止せよ」
「…そうしなければ人工子宮センターの施設を破壊する、か」
「それだけじゃないよ。例の商店街で起きたメイドロボ暴走事件を解説して、これはメイドロボ
が生命としての生存本能に目覚めた結果であるとも言ってたね。ご丁寧に厚生省だけじゃなくて
警察や各マスコミにまでね。お蔭ですぐに国内全体で大騒ぎさ」
「そうか」

 矢島は黙り込んだ。佐藤は彼の顔を見ながら言葉を継いだ。

「電力供給を止めたあの決定に、不満を抱いているんだろ」
「…ああ、そうだ。ロボットを行動不能にするのは構わないが、そのために胎児を犠牲にすると
いう決断はいくら何でもやり過ぎじゃないか」
「おっしゃる通りさ。電力を止めた影響が大きかったのは、君も知っているだろう? マスコミ
まで麻痺したもんだから、情報を遮断された不安のあまり暴動になりかけた地域もあったらしい
ね。それに電力供給を止め、メイドロボが充電できなくするってことは、つまり人工子宮への栄
養補給も途絶えることを意味する。胎児はかなり死んでしまったそうだよ。さらに病院では生命
維持に使われている機器が停止したために亡くなった人もいたらしい。政府部内は今、責任問題
で大騒ぎさ」
「だったらなぜ」
「あの時はほとんど反論はなかったんだ。僅かな反論は推進派の声にあっさりと押しきられ、あ
っという間に正式決定がなされたんだ」
「推進派の声?」
「あんな木偶人形に我々人間が滅ぼされていいのか、っていう声さ」
「なるほど、ね」

 春木が音を立てないようにしながら室内へ入ってくる。気づかなかった佐藤は説明を続ける。

「結局、牧場は我々人間がどういう存在なのか、読み違えていたみたいだね。人間もまた他の生
物とまったく同じだったんだ。40億年に渡って生存競争を繰り広げてきた他の生物と。牧場の
言葉を借りて言えば、我々もまた生き延びることに貪欲な生物だったのさ。素直に他者に地位を
譲ろうなんて殊勝なことを考えるほど、人間は立派な存在じゃなかったんだよ」

 矢島は佐藤の言葉に頷き、春木に声をかけた。メロンを3人で頬張る。冷たい果実は心地良く
彼らの喉に涼をもたらした。

「…それにしても、何でお前は商店街の事件があった時、俺に電話してきたんだ?」
「ああ」

 食べ終わった矢島の質問に、一拍おいて佐藤が答える。

「絶対、現場にいると思ったのさ。何しろ『メドー』の起こした事件だからな。その…昔のこと
を考えると、な」
「昔のこと、ね」

 矢島は苦笑した。そういえば彼が違法製造されたメイドロボを撃ったあの事件の際には、佐藤
にもいろいろと協力してもらったのだった。メイドロボの暴走と聞いて、佐藤はあの事件をすぐ
に思い出したのだろう。

「『メドー』については省内でも危惧を抱いている者がいたってこと。生存本能システムとでも
言うべきものを搭載したメイドロボは人間にとって本当に安全な存在なのかどうか、疑問を持っ
ていたんだ。だからメイドロボの暴走についてできるだけ早く情報を手に入れ、対応策を打ち出
す必要があったんだよ。まあ、矢島が現場にいると思い込んだのはミスだったけどね。他人が何
を考えているかなんて、簡単には分からないっていうことの見本みたいだな。これじゃ牧場を笑
えないか」
「そうだな。俺も一つ、牧場の行動を完全に読み違えていたしな」
「あーっ、そう言えば矢島さん。私、あのソフト作ったメーカーに行って大恥かいちゃったんで
すよっ。どうしてくれるんですかっ」
「すまんすまん。お詫びに何かおごるからさ」
「ま、過ちは人の常ってことかな。牧場みたいな決定的な勘違いでなければいいんじゃないの」
「決定的な過ちか。人間もただの生き物であることを忘れた男の悲劇って訳か」
「人間が陥りがちな過ちだけどね」

 メロンを乗せていた皿を膝の上に置き、佐藤はまた口を開いた。

「多分、牧場のもっとも致命的な勘違いは、人間が進化の頂点に立ったという誤った認識を持っ
てしまったことにあるんじゃないかな」
「え?」

 立ちあがって皿を片付けようとしていた春木が不思議そうな声で聞く。

「でも、人間は進化の結果、この星に登場してきたんでしょ。昔は恐竜で、それから哺乳類が支
配的な地位について、そして最後に人間が」
「そう思う人は多いね。進化とは単純なものから複雑なものへ、下等なものから高等なものへ進
んできた。つまり、進化の最後に登場した人間は最も複雑で高等な生物だ。昔からそう考える人
はいたし、そういう発想から社会ダーウィニズムなんてものも生まれてきた。でも、それは間違
いなんだ」

 佐藤が真面目な顔で2人を見る。矢島は黙って彼の言葉を聞いた。

「進化には方向性なんかない。複雑なものへ向かうこともあれば単純なものへ向かうことだって
あるんだ。当然、そこには下等とか高等といった優劣は存在しない。人間は進化の最先端に立つ
生き物ではなく、あくまでこの星の一部分にある生態的な隙間、ニッチにしがみついているだけ
の生き物なんだ。当然、人間はこの星を支配してなんかいない。人間の前の哺乳類も、あるいは
恐竜も、この星で支配的な生物であった訳じゃないんだよ」

 佐藤は少し笑顔を見せた。昔から見せる穏やかな笑みだった。

「もしこの星の支配的生物を敢えて上げるのなら、それはバクテリアさ。40億円前も、今も変
わらず。バクテリアくらい数の多い生物はいない。バクテリアほどあらゆる環境下で生存してい
る生物もいないし、バクテリアほど長い時間ほとんど姿を変えずに生き残ってきた生物もない。
地球は生まれた時からずっとバクテリアの星だ。恐竜も人間も、彼らに比べれば本当にちっぽけ
な存在でしかないんだ。牧場がちゃんとその事実に気づいていれば、『我等を継ぐもの』なんて
いう妄想に囚われることもなかっただろうね」

 佐藤の話を聞き、春木は妙な顔をした。

「うーん、そう言われればそうなのかもしれないですけど、でも…」
「納得いかないかもね。それは仕方ないよ。我々は人間である我々自身の肉体にずっと縛られて
いる。価値判断など、いろんな面で人間を中心に物事を考えてしまうのは、ある意味当然さ」
「…もう一つ聞いていいか」
「うん?」

 矢島は身を乗り出した。

「俺が何を追って捜査していたかは聞いているか」
「…ベランダから転落したメイドロボだね。聞いているよ」
「牧場はあれを、メイドロボが子供を、胎児を殺そうとした結果だと言ってた。でも本当にそう
なのか? つまり、ロボット三原則っていうのはそんなにあっさりとキャンセルされてしまうよ
うなもんなのか」
「三原則プログラムがキャンセルされていたのは事実らしいよ。あのメイドロボを調べていた来
栖川電工の技術者からそう話を聞いている」

 藤田の顔が思い浮かぶ。矢島は佐藤の言葉に集中しようとした。

「牧場は、あの『メドー』が子供を殺すために三原則をキャンセルし、ベランダから飛び降りた
んだと考えていたようだね。でもそれは変だ。胎児を殺すのが目的なら、商店街で暴れたメイド
ロボのように包丁でも使えばいい」
「あの部屋には家具も荷物もほとんどなかったんだ」
「それでもガラス戸くらいはあったんだろ? ならそれを割ればガラスの破片が入手できる。わ
ざわざ飛び降りる必要はなくなるんじゃないかな」
「…それじゃあ、牧場の考えは間違っていたのか」
「さあ。僕には断言できない。ただ、こういうことも考えられるんじゃないかな。三原則をキャ
ンセルしたってことは、第三原則、つまりロボットは自らを守ることができるという原則も無効
になったってことだ。そうなると、ロボットが自ら飛び降りることだってできるようになる」
「…あのメイドロボが、真鍋の後を追って自殺したと」
「分からないよ、僕には。あくまで仮説だからね」

 真鍋の母親の顔を思い出した。少なくとも、牧場の説よりこっちの説の方が彼女には受け入れ
やすいだろう。メイドロボは彼女の孫を殺そうとしたのではなく、ご主人様を失った悲しみで身
を投げたという考えの方が。

「でも、結局ほとんどの人工子宮が破壊されたり栄養供給を止められてしまったのよね。そこだ
けはあの男の思い通りに」

 春木が低い声で呟いた。佐藤が彼女の顔を見る。彼は力強い笑みを浮かべていた。

「いいや。そんなことはないよ。確かに人工子宮は破壊された。大きな被害も出た。だけど、そ
れは別に彼が言うように我々人類が滅亡へ向かって進んでいることを意味してはいないよ」
「でも、人工子宮なしでは子供を生めない人が多いって」
「確かにね。けど、人工子宮の製造ノウハウまで消えた訳じゃないから、また新たに人工子宮セ
ンターを作ればいい。それに、おそらく今後は人工子宮に頼らずとも子供を産める人が増えてく
ると思うよ」
「えっ」

 春木が驚いて立ちすくんだ。佐藤はゆっくりと立ちあがると扉に近づく。

「…牧場もそうだったけど、多くの人は恐竜が滅亡したと思っている。でも、そうでないという
説の方が今は一般的なんだ。恐竜は生き延びた。そして今でも生きている。鳥に姿を変えて」

 ドアノブを掴む。

「鳥類は恐竜類の一部が進化し、自らの姿を変えたものだ。いいかい、生物は生き延びるために
自らを変える。中には滅亡するものもいるが、多くの生命はそれより自ら変化して生き残る術を
探ろうとする。人間も同じさ」

 扉を開けた。先ほどまで聞こえなかった騒音が飛び込んでくる。

 赤ん坊の泣き声。

「…この病院には人工子宮を使うのに反対している人々のための産婦人科があるんだ。そこの医
者の話によると、最近は以前より上手く子供が生まれて育つケースが増えているそうだよ。おそ
らく胎児が成長する仮定で、うまいこと環境ホルモンの影響をキャンセルする仕組みができあが
っているんだろう」

 春木が矢島の方へ手を伸ばす。

「環境ホルモンが我々の生殖に影響を与えるなら、人間はその新しい状況の下で生き延びるべく
自らを変える。新たな環境に適応する。それこそが進化だよ。それが生物の持つ力なんだ」

 力強い泣き声。春木が矢島の手を強く握る。

「…生物とは、我々が思っているより強い存在なんだよ」



 外は夏の陽射し。強い光が地上を照らす。すべての生命の源となる光が。

                                        完

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