継承(9) 投稿者:R/D 投稿日:7月9日(日)21時05分
 鈍痛がした。思わず呻き声が盛れる。身体中が汗に塗れている。そのじっとりとした感覚が不
快感を増幅する。矢島は何とか身体を起こそうとした。しばらくもがく。やがて、自分が後ろ手
に縛られていることに気づいた。矢島は身動きを止める。無駄な行動で体力を消耗するのは意味
がない。矢島は周囲の様子を窺った。
 暗い部屋だったが、いくつかの明かりもあり、全体の様子はぼんやりと掴むことができた。彼
はだだっ広い部屋の片隅に転がされていた。部屋の内部には各種の電子機器が置いてあるらしく
あちこちでディスプレイや表示機が明かりを放っていた。

「やれやれ、やっと起きたか。どうなったかと心配したよ」

 楽しそうな男の声がした。矢島は声の方角に頭を向けた。白衣をまとった牧場が椅子に腰掛け
ている。彼は手元にあるキーボードを数回叩き、ディスプレイを少し見つめると満足そうに頷き
唐突に話し出した。

「実によく眠ってたね。睡眠不足じゃないのかい。警察官はみんな仕事熱心だけど、少しは自分
の身体もいたわった方がいい。人は十分な睡眠を取らずに行動すると判断力も行動力も鈍る。そ
の結果として大きなミスを仕出かすことすらある。睡眠は大切だよ」
「ここはどこだ」

 牧場の戯言を無視して矢島はそれだけ言った。牧場は椅子を回転させて矢島の方に身体を向け
た。

「ここかい? ここは人工子宮センターの中央制御室。君が怖い顔をして飛び込んできたあの部
屋だよ」
「こんなところで、お前は何をしている」
「そんなことより腹は減ってないかい。いや、それより先に生理現象は」

 そう言われ、初めて矢島は尿意に襲われていることに気づいた。牧場はにやにやと笑いながら
矢島の傍に近づくと後ろ手に縛っていた縄を手に持ったナイフで切った。

「まあ、ここで私に襲いかかっても構わないがね。そんなことをしても無意味だとだけ言ってお
こう。それに襲いたければ先に用を済ませてからでも十分だ。取りあえず、トイレは真っ直ぐ行
った先にあるからそちらへどうぞ」
「…俺がトイレから脱出する可能性だってあるぞ」
「それは無理だ。窓もなにもない場所だからね」

 矢島は少し考えた。牧場には殺気も焦りも感じられない。相手の言う通り、無理にここで喧嘩
する必要はなさそうだ。矢島は牧場の言うとおりにトイレへ向かった。
 戻ってきた時、牧場は机の上にあるコンビニの袋を指差した。

「大した物は入ってないけど、パンくらいあったんじゃないかな。腹ごしらえをしておいた方が
いい。特にこれから犯人を捕まえようとする刑事さんは」
「自分が犯人だという自覚はあるのか」
「騒ぎを起こしたのは事実だし、いずれ捕まらなければならないだろうね。それは別に気にはし
ていない。私は自分が成し遂げた結果を見ることさえできればそれで満足だし」

 そう言うと牧場は手に持っていた菓子パンらしきものを頬張った。矢島もビニール袋を開け、
中のパンを取り出す。刑事としての義務感より好奇心が勝っていた。この男は一体何を考えてい
るのか。何を成し遂げようとしているのか。長期戦になるならば体力をつけておいた方がいいの
も事実だ。そして何より、矢島はかなりの空腹を感じていた。

「…成し遂げた結果、と言ったな」

 パンを次々に嚥下しながらそう言う。牧場は黙って頷いた。

「お前はどんな結果を期待しているんだ?」
「さあ、実は自分でもよく分からなくてね。でもまあ、要求を出してそろそろ24時間経過する
し、何らかの結論が出てくるんじゃないかな」
「ちょっと待て、24時間だとっ」

 矢島は思わず大声を上げた。牧場は笑みを含んだ言葉で答える。

「そうそう。つまり君は丸一日の間、眠りこけていたのさ。こっちも心配したよ。打ち所が悪く
て死ぬかもしれないと思うと、ね。例え全人類を敵に回すことになっても、やっぱりこの手で人
を殺したくはないし」
「待て、何を言ってるんだ。さっぱり分からんぞ」
「そうだろう。きちんと順を追って説明しないとわからないかもね。とは言え、私にもどこから
説明していいのか、今一つよく分からないんだ」
「要求を出して24時間経過したそうだな。つまり、お前は24時間以上前からここに立て篭も
っている訳か」
「そうだよ」
「何のためにだ」
「うーん。人質を確保しておくため、ということになるかな」
「俺は人質には不向きだぞ。家族はいない」
「君じゃないよ、刑事さん。もっと別の人質さ。私もこんなやり方は好きじゃないんだが、どう
しても確かめずにはいられなかったんでね」
「確かめるだと? 人質まで取って何を確かめようってんだ? それに、誰に向かってどんな要
求を出したんだ」
「要求は、まあ直接には厚生省に出したんだが、一応全人類向けってことになる」
「何っ」
「そう、全人類向けに要求したんだ。地球を明け渡すようにね」

 淡々と話す牧場の口調は全く変わらない。矢島はその平静さに不気味な何かを感じていた。

「…お前が地球侵略に来た宇宙人だとは思わなかったよ。できれば次からはもう少しそれらしい
格好をして欲しいもんだな」
「あははははは、面白い冗談だ。しかし私は宇宙人じゃない。ただの人間だよ」
「冗談を言っているのはお前の方だろう。今の話を素直に受け取ると、お前は自分自身を含めた
全人類に向かって地球を明け渡せと要求したことになるぞ」
「その通りさ」
「おい、自分で何を言っているか理解しているのか」
「もちろん。私の要求対象には私自身も含まれている」

 牧場はゆっくりと立ちあがって演説口調で言った。

「私も含めた全人類は地球を明け渡すべきである。我々を継承するものたちへ。何故なら我々は
すでに進化の袋小路へ入り込んでしまったから」

 牧場は言葉を区切り、矢島に視線を据えた。

「そう、人間たちよ。お前たちはカッコウになってしまったのだ」



 矢島の頭の片隅に引っかかっていた何かが今、はっきりとした形を取ろうとしていた。カッコ
ウが鳥の名だと気づいた時から気に掛かっていたことが。目の前に立つ牧場に向かって矢島はゆ
っくりと言葉を紡いだ

「…托卵か」
「まさにその通りだ。刑事さん、君は頭がいい」

 大きく頷いてみせた牧場は再び口を開いた。そこにはいない多くの観衆に説明するように、朗
々としたよく響く声で。

「カッコウという鳥を最も特徴づけているのは、その独特の育児法にある。いや、正確に言えば
カッコウは育児をしない。大半の鳥は番いで雛を一生懸命育てるのだが、カッコウは自らの雛を
まったく育てようとしないのだ」

 牧場はゆっくりと部屋の中を歩き回り始めた。

「カッコウのメスは抱卵しているホオジロやオオヨシキリの巣に忍び寄り、親がいない隙に自分
の卵をその巣に産みつける。カッコウの卵は外見的にはこういった鳥たちの卵ととてもよく似て
いるのだ。しかもカッコウは自分の卵を産んだ後に元々あった卵の一つを奪い取っていくから、
数も変わらない。かくして托卵された方はあっけなく騙され、自分の子供でない卵を抱いて暖め
るようになる」

 制御室の中を左右に歩き回る牧場から視線を外さないようにする。奴が妙な動きを見せればす
ぐに対応できるように。だが、牧場は自分の言葉に夢中になっていた。

「カッコウの卵は他の卵より早く孵化する。生まれたカッコウの子は他の卵を自分の背中に乗せ
て巣から放り出し、親が運んでくる餌を独占するんだ。カッコウという鳥は親も子供もこのよう
に托卵という行動に合わせて進化した。彼らは他人の巣で育つために必要な能力を生まれながら
に持っている。進化の結果、そうした能力を保有するようになったのだ」

 牧場は足を止め、矢島を見た。

「カッコウの托卵。これを聞いて君は何か思い出さないかね」
「人間がそうだと言いたいのか」

 子供を普通に生めなくなった人間。人工子宮に頼るしかなくなった人間。カッコウのように自
らの子孫を他者に委ね、押しつけ、そうやってかろうじて子孫を残そうとしている人間。

「そうだ。我々人間がやっていることこそ、まさしく托卵だ。ホオジロやオオヨシキリの代わり
にメイドロボと人工子宮を使っている。カッコウがなぜ托卵をするか、分かるか? 子育てとい
うのは親の無限の愛情によって行われるものではない。親は自らが生殖できる期間にできるだけ
多くの子供を成熟させるべく行動し、子供は成熟できる可能性を高めるため極力親に依存しよう
とする。子育てとは、限られた生育資源を巡って行われる世代間の闘争だと言ってもいい。親は
一匹の子供に投入する労力を抑えて他の子供を育てるだけの余力を残そうとし、子は親の労力を
できるだけ多く引き出そうとする。カッコウの托卵もまた、そういった争いの結果生まれた行動
なのだ」

 牧場はディスプレイを見つめた。ディスプレイの光が彼の顔を青白く照らす。

「多くの動物の親はやむを得ず自分の子供に労力を投じる。だがカッコウの親はそれを止めた。
自分の子孫のために自らの労力を投じるより、他者を騙して他者の労力を自分の子供のために使
わせようとしたんだ。親はいつも子育ての労力を極小化しようと努めている。その親が愚かな他
者を騙す方法を見出したらどうなる? 彼らはすぐに他者に子育てを押し付け、自らの労力を減
らそうとするだろう。その労力をもっと多い子供を産むために使うだろう。カッコウは合理的に
行動している。生き延びるための闘争で勝者になるために、彼らは最も効率的な方法を選ぼうと
してきたんだ」

 牧場は顔を上げる。彼はどこか遠くを見ているようだった。

「人間もまたそうだ。我々は人工子宮を活用することで生き延びようとしている。最も効率的に
生存競争に勝ち残ろうとしている。子育ての機能をすべてメイドロボに押しつけて」
「それがなぜいけない? 生き残ろうとするのはどんな生物でも同じだろう。カッコウのやって
いることを、お前は倫理的でないといって批判するのか」

 矢島の刺々しい言葉を受けた牧場は力ない笑みを浮かべた。

「まさか。刑事さんの言う通りだよ。托卵をするカッコウを人間の倫理や道徳で批判するのは無
意味だ。彼らはそうやって生き延びてきたんだし、あらゆる策を弄して生き延びようとするのは
どんな生物にも見られる行動さ。だけど、残念ながらカッコウのやり方は合理的に見えて、実は
まったく合理的ではない」

 牧場はゆっくりと近くにあったディスプレイを撫でた。指の間から漏れる光が縞を作る。

「考えても見てくれ。カッコウに托卵されたホオジロやオオヨシキリは、全力を投じてカッコウ
を育てる。彼らの労力はすべてカッコウの子供に注がれる。するとどうなる? ホオジロやオオ
ヨシキリは自分の子供を育てないんだよ。そのままでは、いずれ彼らは絶滅してしまうのさ。そ
うなった時、初めてカッコウは自分がやったことに気づく。もう托卵したくとも、卵を預けるべ
き相手がいないんだ。その時に慌てて自分たちで子供を育てようとしてもダメだ。カッコウは托
卵のためだけに進化してきた。自ら子育てする能力は既に失われている。托卵はホオジロやオオ
ヨシキリを滅亡へ追いこみ、そして最後にはカッコウ自身も絶滅への道を歩む」

 矢島は息を呑んだ。牧場は淡々と話し続ける。

「分かるかい。自然淘汰の働くこの世界で、托卵はいわば滅亡への一里塚なんだ。カッコウは托
卵を始めた段階で自ら進化の敗者となる道筋に嵌まり込んだんだよ。それは進化の袋小路さ。時
と伴にその生物の系統樹は先細り、やがて地球から消えていく。子育てを他者に押し付けるもの
は、全滅へ向けて歩き出しているのさ」
「人間もそうだと言いたいのか」

 牧場は笑みを浮かべたまま矢島を見る。沈黙が降りる。彼の笑みに苛立った矢島が口を開く。

「…他に方法がなかったじゃないか。環境ホルモンのために子供を作れなくなった人間が、他に
どんな方法で生き延びれば良かったというんだ。人工子宮を使って、環境ホルモンの悪影響がな
い状態を人為的に作り出す以外に何ができた。そうしなければ、それこそ全滅への道を歩んでい
たかもしれないだろうがっ」
「そうさ。つまり人間はもうすでに進化の袋小路に嵌まり込んでいるんだ。早いか遅いかの違い
に過ぎない」
「だからあのソフトを流通させたのか」

 低い声で唸った矢島を見て、牧場は首を傾げた。

「あのソフト?」
「鳥の鳴き声が入ったソフトだ。ウグイス、ホトトギス、そしてカッコウ」
「何を言っているのかな」
「とぼけるな。教育用ソフトと銘打って何らかのウイルスでも入れたんだろう。そのソフトを使
えばメイドロボが暴走するようなソフトをっ」

 黙って矢島を見ていた牧場が、いきなり爆笑した。腹を抱え、上半身を捩りながら大声で笑い
続ける。しばらく呆気に取られていた矢島は、やがて怒鳴った。

「何が可笑しいっ」

 牧場はそれでも笑い続ける。椅子にへたり込み、傍の机をバンバンと叩きながら。笑いの発作
が収まるまでにはたっぷり5分近くもかかった。

「…こ、こりゃ参った。まさか私を笑い死にさせようって作戦なのかね?」
「ふざけるのはそこまでだ」
「ふざけているのはそちらじゃないか、刑事さん。それとも私を買い被り過ぎているのかな」
「何だと」
「そんなソフトは作っちゃいないよ。あからさまにウイルスが仕込まれたソフトなんかそうそう
簡単に流通させることはできない。この業界はそんなにいい加減な業界じゃないよ」
「ならどうしてメイドロボが暴走したんだ。お前が何かしたからだろうがっ」
「違うね、私じゃない。あれをやったのはメイドロボそのものさ。“彼女”らが自らそういった
行動を取ったんだ。そういう風に進化したと言ってもいい」
「どういう意味だ」

 矢島は大声を上げた。牧場は肩を竦め、口を開く。

「君はプレグナンス・メイドロボに使われているメドー・システムのことは知っているかい」
「サテライトサービスを活用してフィードバックをする学習システムか」
「大雑把に言ってそうだね。そして、確か前にも言った筈だが、私はこのシステムを、進化論を
ヒントに作り上げたんだよ」

 牧場は再び立ちあがり、余裕の笑みを浮かべたまま演説を続ける。

「いいかい、生物の進化とは要するに試行錯誤なんだ。あらゆるパターンを試し、その中で上手
くいったものだけが生き延びる。それが進化の歴史だ。自然淘汰という神の見えざる手によって
生命はより単純なものから複雑なものへ、下等なものから高等なものへと変わってきた」
「それがどうした」
「いわば自然淘汰という神が、生命の試行錯誤について評価を下したのさ。こいつらはプラスの
評価、こいつらはマイナス。そしてマイナスの評価を受けた生命は生存競争の中で姿を消し、プ
ラスの評価を持つものが生き延びた。それじゃ、その神様はいったい何を基準にしてプラスマイ
ナスの評価を下したんだろうね」

 矢島の脳裏に思い浮かぶものがある。藤田からメドー・システムについて説明を受けた際に質
問しようと思ったこと。春木が口を挟んだため質問し忘れていた、重要な点を。メイドロボの行
動を評価する際の基準は、誰がどのように決めたのか。

「…自然淘汰という名の神の評価基準は単純さ。生きることに貪欲か否か。上手く生き残るだけ
の能力を持ち合わせているかどうか。貪欲なものはプラスの評価を受けて生き残り、そうでない
ものはマイナス評価を食らって全滅する。生き延びたものたちはさらに生き延びることに貪欲に
なっていく。自らと、自らの遺伝子を受け継ぐ子孫をいかに残すか。ただそれだけに全力をあげ
る生物のみが、自然淘汰の神から認められてこの世界に生き残った。そうやって生き延びた生物
たちの行動は、すべてそうした淘汰に適応したものに進化した。逆に言えば、生き物らしい行動
というのは自らの遺伝子が生き延びるためにもっとも相応しい行動を意味する」

 牧場は両手を広げた。まるで預言者のように。

「分かるだろう? メドー・システムとはそういうものさ。ただの機械であるメイドロボたちに
いかにも生き物らしい振るまいをさせるためには、生物が晒されている自然淘汰の圧力を与えて
やればいい。人間はバカ正直に、メイドロボが生き物らしくなれば子供を可愛がり、子供の正常
な成長にふさわしい行動を取るようになると思い込んだ。でもそれは間違いだったんだよ」
「そうか。メドー・システムで使われる評価基準ってのは」
「そう。メイドロボの行動がメイドロボそのものの存続にとってどれだけプラスだったかマイナ
スだったか。“彼女”らが生き残るうえでどのくらい役立つ行動だったのか。評価基準はそれだ
けだ。それこそがメドー・システムの持つ『生存本能』というヤツだよ。この評価に耐えず晒さ
れるメイドロボは、やがて他の動物と同じように自らの生き残りのためだけに行動するようにな
っていく。カッコウに托卵される鳥たちと同様にね」

 牧場の口元に浮かぶ笑みが歪みを増し、邪悪さを湛える。

「カッコウに托卵される鳥たちだって、自らが生き延びるためには何だってやろうとする。彼ら
もまた自然淘汰の中で進化するのさ。托卵される鳥の中には、カッコウに托卵されてもその卵を
暖めなかったり、あるいは巣の外に捨てたりといった行動を取る種がいる。彼らはいつまでも単
なる愚か者のままではないんだ。押しつけられた子供を、何があってもバカ正直に育ててくれる
とは限らないんだよ」
「お腹の子供を包丁で刺したメイドロボは…」
「彼らにしてみれば、カッコウの卵を巣の外に捨てたというだけのことさ。いいことを教えてあ
げよう。カッコウに托卵されるホオジロは英語でサイベリアン・『メドー』・バンティングと呼
ばれているんだ。そう。『メドー』だっていつまでも大人しく托卵されてる訳じゃない」

 矢島はゆっくりと立ちあがった。拳を無意識のうちに強く握る。

「君から最初にあのメイドロボの話を聞いた時、私には予感があった。ベランダから飛び降りた
メイドロボについて聞いた時にね。早速、私は会社のシステムに記録されていたメイドロボの行
動データを調べなおしたよ。“彼女”が飛び降りる少し前にカッコウについてのデータを市販ソ
フトから入手していたことを知り、私は確信したんだ。あのメイドロボは自殺したんじゃない。
誰かに突き落とされたのでもない。“彼女”はカッコウの卵を巣から投げ落とそうとしたんだ」

 牧場の言葉が、静かな部屋の中に響き渡る。

「自らの身体の中にある人工子宮を、その中にいる胎児を殺そうとしたんだ」



「ふざけるなっ」

 矢島は大声で怒鳴り、牧場の方へ一歩足を進めた。

「要するに貴様の作ったロボットは人間を殺そうとしたんだなっ」
「胎児は人間じゃない。殺しても殺人罪には問われないよ」
「黙れ。お前の話を聞く限りではメドー・システムは胎児も人間も区別していないとしか思えな
いだろうが」
「その可能性は高いね。“彼女”たちから見れば、胎児も人間も同じだろう」
「要するに貴様は化け物を作り出した訳だっ。ロボット三原則を無視した殺人機械をっ」
「“彼女”たちが化け物なら、我々もまた化け物だよ。そもそもロボット三原則なんてのは人間
が自分に都合よく作っただけのものだしね」
「当たり前だっ。ロボットは道具だ。使い手である人間に都合よく作られていて当然だろうが」
「ある面から見ればその通りだ。でもね、それは別の面から見ればこういうことを意味している
んだ。ロボットにとってあの三原則ってヤツは、その存在から必然的に導き出される論理じゃな
い。三原則は人間のためにあるのであって、ロボットにとってはそんなものはあってもなくても
どうでもいいってことに、ね」

 牧場は相変わらず笑みを浮かべている。矢島はさらに一歩進む。

「それが証拠に、産業ロボットに三原則を組み込んだプログラムが採用されたって話は聞いたこ
とがないだろう。現状では三原則プログラムを組み込まれているロボットはメイドロボだけだ。
三原則ってのがいかにご都合主義なものか、良く分かるじゃないか」
「それのどこがいけないんだ。人間の都合で組み込むことのどこが悪い」
「悪くないさ。逆に人間の都合で組み込んだものだから、うまく動作しないことだってある。三
原則プログラムは上書きできないようにROMに焼き付けてある。それがあるから、メイドロボ
自体の生存を優先したメドー・システムを各メーカーが採用したんだ。いざとなったらこの三原
則プログラムが歯止めになるから安全性に問題はない、とね。とんでもない。我々が人為的に加
えた淘汰の圧力はそんな浅知恵を軽く飛び越えてしまった。ROMからデータを読み込んでも、
実際の行動には移らないような無効化プログラムを、“彼女”らはいつの間にか作り上げてしま
ったのさ」

 とうとうと話す牧場。矢島はさらに近づく。拳に力がこもる。

「…あのメイドロボのデータを消去したのはそれが理由か」
「そう。ベランダから飛び降りた“彼女”は、メイドロボとしては初めて三原則のくびきを打ち
砕いた。感動したよ。私が作ったのは単なる評価システムだけなのに、それが結果としてこんな
ものを生み出すなんてね。私はそれをフィードバックシステム上には残したが、“彼女”のデー
タ自体は消すことにした。誰かがそれを調べて無効化プログラムを発見しないようにね」
「思った通りだな」

 矢島はさらに進んだ。そろそろ拳の届く範囲になる。

「貴様は暴走ウイルスを組み込んだソフトは配らなかったかもしれん。だが、それと同じことを
やった。三原則無効化プログラムをサテライトサービスでばら撒いた。貴様は、人殺しだ」
「私が憎いかね」
「ああ」
「やれやれ。どうやら私を殴りたいようだな」
「止めるな」
「どうしてもと言うなら止めはしない。ただし、私を殴ればこの人工子宮センターにある全ての
人工子宮が爆破されることになるがね」

 矢島の拳が凍りついた。食いしばった歯の間から押し殺した声が漏れる。

「貴様は、とことん下劣な奴だっ」
「何と言われようと構わない。覚悟しているからね」

 牧場は背中を向け、壁際のモニターの傍へとゆっくり歩いていった。足を止め、一面に並ぶモ
ニターを見上げる。そこには人工子宮センターの地下にある多くの人工子宮に取りつけられた各
種センサーから送られてきた情報が並んでいた。

「…刑事さん。君はこの地球の歴史をどう思う」
「何だと」
「地球の、いや、生命の歴史と言おうか。40億年に及ぶ長い長い歴史だよ」
「貴様に歴史の講義をしてもらおうなどとは思わん」
「そう言わずに聞いてくれないか。いやなに、全人類向けに派手な要求を掲げたのはいいんだけ
ど、我ながら多少説明不足だったかなと思ってね」
「…どんな要求だったんだ」
「さっきも言った通りさ。我々は我等を継ぐものたちにこの地球を明け渡すべきである。メイド
ロボたちに。“彼女”らはすでに自らが生き延びるための力を手に入れている。そして我々人間
は“彼女”らに人質を取られた状態だ。胎児という名の人質を。もし、このセンターの地下にあ
る人工子宮がすべて破壊されたらどうなる? 残る人工子宮はすべてメイドロボの体内だ。我々
は繁殖のための最後の手段を失う。いずれにせよ、我々に未来はない」
「このセンターを破壊しなければ大丈夫だ」
「人工子宮センターを維持するのにどれだけの費用がかかっているか、知っているかね? 人工
子宮を使う方法がどれだけ非効率か」
「だが維持できないことはないだろう。我々はまだ進化の袋小路に入った訳じゃない」
「この社会が持ちこたえている限りはな。しかし、子供一人を育てるのに余りにコストのかかり
過ぎる構造はいつまでも維持できはしない。資源が尽きるか、資金が持たないか、あるいはエネ
ルギー不足になるか。いずれにせよ、人工子宮システムはいつかバランスを崩す」

 矢島は怒りに任せて椅子を蹴り飛ばした。

「だから何だってんだっ。そんなことを言って貴様のやろうとすることを正当化する気かっ」
「かもしれん」

 牧場は背中で手を組み、モニターを見つめ続ける。その表情は矢島のところからは見えない。

「生命の歴史を見ると、幾度も主役の交代があった。カンブリア期に各地に広まった生物たちは
やがて姿を消した。古生代に栄えた三葉虫も滅んだ。中生代に一世を風靡した恐竜もまた絶滅の
運命からは逃れられなかった」

 牧場の声は低く流れる。矢島の足元を風が流れる。

「最近になってもその歴史は繰り返されている。高度な文化を持っていると言われたネアンデル
タール人ですら滅び、そして今はホモ=サピエンスが栄えている。分かるだろう? どんな生物
だっていずれは滅亡する。かつて生きていた証として骨だけを残し、地球から姿を消していくん
だ。それが生命の歴史であり、進化の歴史だ」

 風。違和感。矢島は周囲を窺う。おかしい、何か変化が起きている。

「どんな生物も生き延びようと足掻いたのだろう。でも、いずれは消えていく運命だ。そして栄
えた生き物が滅んだ後には、別の種が繁栄を極める。人間もやがては絶滅し、そしてその後を他
の生物が乗っ取るんだよ。もしかしたらゴキブリ、あるいは鼠。我々がまだ知らない生物かもし
れない。いずれにせよ、我々はいずれ予想もしない生き物に未来を譲り渡すことになる。今のま
まならな」

 矢島の視線がある場所で止まった。その目が細められ、身体がすぐに行動できるように少し沈
み込む。

「だが、もしかしたら我々には違う選択ができるかもしれないんだ。そう、メイドロボを我々の
継承者にするという選択が。たんぱく質を使って営々と受け継がれてきた生命の歴史を大きく転
換させることができるかもしれない。そして何より」

 黒い影がゆっくりと壁際を移動している。矢島もそれに動きを合わせ、足音を殺したまま牧場
へと近づいていく。

「何より我々は生命の歴史上で初めて、自ら後継者を選び平和的にその地位を禅譲する存在にな
れるかもしれないんだ。果てしない生存競争の末に刀折れ矢尽きて滅び去り、そして全く自分と
違う存在にその地位を奪われる。そういったこれまでの生命の歴史を我々だけが拒否できる。自
らの手で作り上げたものを継承者にすることで」

 ディスプレイの光が黒い影の顔を映す。春木だった。彼女はじわじわと牧場に接近していく。
矢島もさらに歩みを進める。

「そして我々は誇り高く進化の表舞台から退場していくのだ。いや、40億年に及ぶ進化の頂点
に立ったものとして、進化の新しいステージを我々から始めていくと言ってもいい。別に今すぐ
全滅する必要はないんだ。ゆっくりとメイドロボたちに、我等を継ぐものたちにその地位を譲り
渡していけばいいんだ。何世代もかけて」

 もう少しで牧場に触れる距離まで辿り着く。殴るといけないということは、衝撃を与えると何
らかの方法で人工子宮を爆破できるような仕掛けをほどこしているのだろう。となれば、牧場が
身動きできないように動きを押さえるしかない。どうやるか。

「当面はメイドロボが生命のように活動するのを認めればいい。ロボット三原則を廃止するだけ
でもいいんだ。そうやって徐々に“彼女”たちを我々の継承者にして…」

 衝撃。春木が床に倒れ込み、短い悲鳴を上げた。矢島もバランスを崩す。壁面のモニターが明
るく輝き、次に粉々に砕ける。見上げた位置に牧場の顔があった。彼の横顔は酷く年老いて見え
た。悲しそうだった。

「…何てことを」

 その呟きはすぐに何かが砕ける音に遮られた。次々と衝撃が、爆発音が響く。牧場が身体を抱
え込むように床に崩れ落ちた。矢島の身体が無意識のうちに動く。警官として長い間培ってきた
反応に従って。彼は牧場の上に覆い被さり、彼を庇った。背中に何かが当たる。大きな物が次々
と追突してくる。衝撃。苦痛。矢島の意識が遠くなっていく。

 轟音がいつまでも鳴り響く。



「…矢島さんっ、矢島さんっ」

 耳元に響く怒鳴り声で矢島は意識を取り戻した。自分の身体がうつ伏せになっているのが分か
る。取りあえず立ちあがろうと四肢に力を入れた時、腰に強烈な痛みが走った。呻き声。誰かの
腕が身体に回される。

「大丈夫ですか矢島さんっ。しっかりしてっ」
「ああ、大丈夫だ」

 誰かに支えられたままゆっくりと身体を起こす。腰以外に太腿と肩に痛みがあった。顔を上げ
て周囲を窺おうとする。暗闇だ。矢島を支える人間の肌の温もりがじんわりと伝わってくる。そ
の時、闇の中に光の線が走っていたことに気づく。

「…どっちだ」
「こちらです、早くっ」
「急げ、担架だ」

 複数の声がする。矢島を支えていた誰かが激しく手を振って合図している。その時になってや
っと矢島は自分を支えていたのが春木であることに気づいた。

「足元に犯人がいます。怪我の様子はまだ暗くて確認していません」
「分かった」
「矢島さん、待ってください。もうすぐ担架が来ますから」
「…春木」
「はい」

 矢島は春木の声がした方角に目を向けた。僅かな明かりの中に浮かんだ彼女の顔は泣き笑いの
ような表情を浮かべている。矢島は無理やり口元を歪めて笑みを作った。

「どうやって入り込んだ? 鍵がかかっていた筈だろう」
「え」

 矢島の台詞が、署の駐車場にある彼の電動自動車に勝手に潜り込んだ時と同じものだと気づい
て、春木は知らず微笑んだ。

「…かかっていませんでしたよ」
「嘘つけ」

 続々と入ってきた救急隊員と警官が床に倒れていた牧場を担ぎ上げた。彼はすぐに正気を取り
戻したようだ。担架を拒否し、歩いていくといった。矢島もまた春木の肩を借りてゆっくりと足
を進めていった。人工子宮センターの内部は無残な有様だった。一部の地域では床が派手にめく
れ上がっている。地下で何かが爆発したのは間違いなかった。それを見た牧場は悲しそうな顔を
したまま連行されていく。

 外は夜だった。センターの周囲は警告灯を照らす各種緊急車両でいっぱいだった。正面玄関を
出たところで、矢島は意外な人物を見た。厚生省のキャリア官僚である彼は、連行されて出てき
た牧場の姿を見て、ゆっくりと彼に近づいた。

「…貴方の要求を受け取った厚生省の佐藤です」
「ああ、貴方が電話に出てきた人ですか」

 悲しそうな顔のまま、牧場は頷いた。

「要求に対する返答を言っておいた方がいいと思ったもので」
「いえ、もういいんですよ」

 牧場は佐藤の言葉を遮る。

「言った筈ですよね。私が配備した警備用のメイドロボを破壊すれば人工子宮室を爆破すると。
なのに貴方がたは」
「メイドロボの破壊は政府の正式決定です。それともう一つ、貴方の要求も正式に拒否します」
「いえ、それは無理です。無意味ですよ」

 牧場はそう言うと俯いた。

「貴方がたは私の忠告を聞かずにこのセンターの人工子宮をすべて破壊した。中の胎児と一緒に
ね。今や人工子宮はメイドロボの体内にあるものだけしかこの世に存在しない。もう、どうやっ
てもメイドロボを我等の後継者と認めるしかないでしょう。切り札は“彼女”たちの側にだけ残
っているのですから」
「いいえ」

 佐藤ははっきりと否定の言葉を口にした。牧場が驚いて顔を上げる。

「もうメイドロボの側に切り札はありません。終わったんですよ、全部」
「…何を言ってるんですか。人工子宮が“彼女”たちに残されている以上、我々は人質を取られ
たも同然でしょう」

 牧場の話を無視するように佐藤は隣にいる警官に合図を送った。頷いた警官が、傍に止めてい
たトラックのヘッドライトを照射する。遠くまで地面が照らし出された。

 その地面には、数多くのメイドロボが転がっていた。それらはすべて活動を停止していた。

「…………」

 牧場が息を呑む音が聞こえた。矢島は呆然とその景色を眺めていた。佐藤の声が、夜の市街地
を淡々と流れる

「センターへの突入を決めるより前に、政府は国内全域の電力会社に対し、あらゆる電力供給を
止めるよう命じました。およそ18時間前のことです。結果、国内で稼動しているすべてのメイ
ドロボは充電不可能となり、電力不足により活動を停止しました。このセンターには自家発電か
らの電力を送り込んでいたので、センター内部にいた貴方は異変に気づかなかったのでしょう。
一度でも自分の目で外部を見ていればおかしいと思ったでしょうがね」
「…そんな、そんな」

 牧場の全身ががくがくと震えていた。まるで人形のように彼の身体が崩れ落ちる。

「現在、稼動しているメイドロボは一体もありません」

 佐藤は牧場の傍に立ち、累々と横たわるメイドロボたちを見ながら言った。

「…これが、貴方の言う『我等の継承者』の姿ですよ、牧場さん」




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