継承(8) 投稿者:R/D 投稿日:7月8日(土)23時35分
「二手に分かれよう」

 来栖川電工の正面玄関を出たところで矢島はそう言った。春木が首を傾げる。

「…メドー社に行って記録を見るんじゃ」
「それも必要だが、もう一つある。真鍋の遺品をもう一度借り受けなきゃならん」
「何をですか」
「メイドロボ用のオプションソフトだ。鳥のデータが入ったヤツを」
「え?」
「あの部屋に残されていたものの中で『カッコウ』に関連するのはそれだけだ。そちらも」

 ベルの音が彼らの会話を遮った。春木が慌ててバッグの中から携帯を取り出す。応答する春木
を横目で見ながら矢島は考えた。あのソフトを回収するのと、メドー社へ行くのではどちらが重
要だろうか。メドー社へ行けばおそらくメイドロボが転落した際の詳しい状況が判明する。だが
もしメイドロボの転落とあのソフトが何か関連を持っているとしたら、先にソフトを解析すべき
だろう。

「本当ですかっ」

 春木の声で矢島は思考を中断した。彼女の顔が引きつっている。嫌な予感がした。春木は携帯
を耳元から離すと、強張った表情で言った。

「…別の『メドー』が、暴走したそうです。商店街の真中で、いきなり刃物で自分のお腹を刺し
たって」

 矢島は黙って立ち尽くした。彼女の声が遠くから聞こえてくるような気がした。

「警官が周囲を囲んで取り押さえようとしているらしいんです。すぐ応援に来いって」
「自分のお腹、だと」
「ええ。つまりその、赤ちゃんを…」

 春木の顔が歪む。矢島は叫んだ。

「すぐに真鍋の母親を探しに行くんだ。署にも応援を頼め」
「え?」
「いいか、真鍋の部屋にあった『カッコウ』に関係するものはあのソフトだけだ。もしも、あの
『メドー』がカッコウに関連した何かのせいで暴走し、その結果ベランダから転落したのだとし
たら」
「あっ」
「鳥のソフトは、誰かがメイドロボを暴走させるために作ったのかもしれない」
「じゃあ、商店街で暴走したメイドロボも同じソフトを…」
「そのメイドロボだけじゃない。他のメイドロボが使う可能性だってある」

 携帯を掴む春木の腕が震え出した。矢島は電動自動車のドアを掴みながら言った。

「署に連絡して真鍋の母親を探すように言え。ついでに誰かに迎えに来てもらうんだ。緊急車両
を手配して、あのソフトのメーカーが分かったらそちらへ向かえ。流通経路も調べろ。メイドロ
ボが暴走した理由があのソフトと関係していたなら、急いで回収しなけりゃならん」
「矢島さんはどうするんですかっ」
「俺の車はガソリン車じゃない。急いでも限界がある。緊急車両を回してもらった方がいい。お
前から偉いさんに事情を説明しておいてくれ」

 矢島はドアを引き開け、運転席に滑り込んだ。

「…俺はメドー社へ向かう。こっちは急ぐ必要はないからな。何か分かったらすぐ連絡する」

 春木は力強く頷くと携帯に向かって手早く説明を始めた。矢島はすぐにアクセルを踏み込み、
車線へ飛び出した。メドー社にいけば、メイドロボが転落した際の状況もはっきりするだろう。
あのソフトを使ったことが明らかになれば暴走の原因も特定できそうだ。

 変わりかけた信号を無視して交差点を突っ切る。それにしてもお腹を刺すとは。『メドー』の
腹部には人工子宮が納まっている。人間の子宮と同じ位置だ。いくら暴走しているとはいえ、よ
りにもよって最も重要な部分を。
 脳髄の奥で何かが引っかかった。どうも何か忘れている気がする。そう言えばさっき、藤田と
話をしていた時にも聞くべきだったことを聞き忘れたような。何だっただろうか。何が気に掛か
っているのか。ナビを横目で睨み、ハンドルを切る。睡眠不足の上に無理やりアドレナリンを出
している状態だ。冷静に考えなければならないのに思考がまとまらない。
 カッコウ。メイドロボ。学習システム。この数日の間に出会った人間たちの顔が次々と思い浮
かぶ。記憶が遡る。影。陽射し。2本の足。陽炎。違法に作られたメイドロボが矢島に背を向け
て逃げ出そうとする。男が暴発した拳銃で傷つきうめく。切り裂かれた女の死体。医者の宣言に
衝撃を受けて取り乱す妻。抑えた口調で話す藤田。その隣に立つメイドロボ。子供。赤ん坊。誰
かが幼子を腕に抱えてそして。

 携帯電話が鳴っている。矢島は急カーブを切りながら片手で携帯を取り出し、耳に当てる。

『…矢島かっ』

 アクセルをいっぱいに踏み込む。スピードが出ない。これだから電動自動車は。

『おい、聞こえるかっ』
「聞こえてる」
『そうか。すまないが今時間はあるか』
「誰だ、あんた」
『佐藤だ』

 ハンドルを持つ手が滑りそうになった。今日はいったいどうなっているのか。誰かが密かに同
窓会を開いて矢島を呼ぼうとしているのだろうか。電話をかけてきたのは、藤田と同じく矢島の
高校時代の同級生だった。今は確か厚生省のキャリア官僚としてかなり出世している筈だ。

『教えて欲しいことがある。今テレビで報道されている暴走したメイドロボのことだ』
「すまん。今はその件も含めて忙しい。後にしてくれ」
『…待ってくれ矢島。こっちも急いで情報が欲しい。何でもいいんだ。知っていることを』
「具体的には何も知らない。これから調べるところだ。また後で」

 佐藤の返事を待たずに電話を切る。目の前の信号は赤になっていた。停止線に車を止め、矢島
は大きく息をつく。メドー社まではあと数分というところだろう。太陽に炙られる街中を睨みな
がら矢島はハンドルを強く握りなおす。この街のどこかでメイドロボが暴走しているのだ。いつ
もと同じように暑苦しいこの街のどこかで。
 佐藤は一体何を知りたがっているのだろうか。事件についての一般的な情報を知りたければマ
スコミの方が早いのが実態だ。無論、マスコミに出ない情報というものもあるが、そういう情報
は事件の現場にいるか、あるいは捜査の中枢にいないと分からない。佐藤はおそらく、矢島が現
場にいると踏んで電話してきたのだろう。彼が今、厚生省内でどういう立場にいるのか矢島は詳
しく知らなかったが、『メドー』の所管が厚生省である以上、佐藤も無関係ではあるまい。認可
を与えた役所の立場からすれば、暴走するメイドロボは悪夢以外の何物でもない。

 信号が青に変わった。再びアクセルを踏み込む。メドー社が見えてきた。



「…すみません、実はCEOは昨日から休みをいただいておりまして」

 受付のメイドロボとしばらく押し問答を繰り返した後で出てきた総務部長は、矢島に名刺を渡
しながらぺこぺこと頭を下げた。

「先ほどから暴走したメイドロボの件で問い合わせも殺到しておりまして、私どもの方もその対
応に追われている状態でして」
「その事件とも関係しているんです。早急に『メドー』のデータを見せていただきたい」
「ですがそれはCEOの許可が得られないと」
「それはそちらの事情です。こちらとしてはこれ以上の被害を増やさないためにも、すぐにデー
タを調べる必要があるのです」
「はあ、しかしこれはプライバシーにも関連するもので」
「こちらは人命に関わる恐れがあるんだ。早くしろっ」
「そ、それでは」

 頭部が禿げあがったその男は困りきった表情で周囲を見渡した。近くにいたのは神妙な顔つき
をした受付メイドロボが一体だけ。彼を救う人物は見当たらない。男はハンカチで顔を拭くと、
渋々と頷いた。

「…仕方ありません。それではウチの技術者を呼びますので、そこで調べていただけますか」

 矢島は不機嫌な表情のまま男についていった。彼が矢島を連れてきたのは、小奇麗なオフィス
のような場所だった。矢島を入り口付近に待たせたまま、男は部屋の中にいた若者を呼んで何事
か話をしている。その若者は髪の毛を二色に染め分け、デニムの上下を着用している。とても仕
事をやるスタイルには見えないが、首から社員証を下げているのを見るとこの会社の社員に間違
いなさそうだ。やがて総務部長が矢島を手招きした。

「この田所君が説明しますので」
「こっち」

 田所と呼ばれた若者は自己紹介も何もせずにいきなり矢島を差し招いた。矢島は彼について部
屋の中央に置かれただだっ広いテーブルへ向かう。田所はテーブルに雑然と置いてあるパソコン
の一つを引き寄せると素早くマウスを動かし、キーボードを叩いた。

「…あっち見て」

 田所は片手をテーブル中央に向けた。そこには幟のようなものが天井から下げられていた。よ
く見るとプロジェクターを使って映し出された映像が見える。田所の打ち込むコマンドが次々に
流れていく。どうやらこの幟がディスプレイらしい。

「で、シリアルナンバーは」

 田所が自分に話しかけたことに気づくのに少し時間がかかった。矢島は自分の携帯端末を取り
出し、そこに記録してあるあのメイドロボのシリアルナンバーを読み上げた。すべての始まりだ
ったあの『メドー』の転落事件から、もうかなりの時間がたったような気がする。
 無言でキーボードを叩き続ける田所の目は中央のプロジェクター映像を見ていなかった。よく
見れば彼の着用している眼鏡にも小さな文字が点滅している。あの眼鏡をヘッドアップディスプ
レイとして使っているのだろう。眼鏡の奥の目が細かいまばたきを繰り返しながら目の前の文字
を読み取っている。
 田所が首を傾げた。キーボード上に置いていた手をマウスへと動かし、何やら別の操作を試み
ようとしている。矢島は再び中央の映像に視線を向けた。再びコマンドが走り、画像がめまぐる
しく入れ替わる。矢島は待った。田所がキーボードを叩く音が止む。舌打ち。再びキーボードを
叩く音。画像が動く。そしてまた沈黙。素っ頓狂な声が聞こえた。

「なンだよこれ。どうなってんの」

 矢島は振りかえった。田所が仰け反った格好で両手を頭に乗せていた。矢島が問いかける。

「どうした?」
「消えてんだよ、データが」
「何だって」

 矢島は慌てて田所の近くに移動する。田所は室内を見渡して大声を上げた。

「おい、誰かメイドロボのフィードバック用データを勝手に消した奴はいるかぁ」
「勝手にって、どういうことだよ」
「あ、そういや僕、バグってたのを一つ消したけど」
「デリート記録は残したか」
「そりゃ当然、残したよ。どうしたのさ」
「んじゃそれは違うな。誰か勝手に消してんだよ、このメイドロボのフィードバックデータ。デ
リート記録をつけないでさ」
「シリアル入力をミスったんじゃねーの」
「いんや。同じナンバーの販売記録は残ってる。フィードバック用だけだよ、消えてんの」
「そりゃ変だな、確かに」

 室内にいた他の技術者たちがぞろぞろとテーブルの周りに集まってきた。中にはテーブルにあ
る他のパソコンを操作し始める連中もいる。やがてその中の一人が声を上げる。

「げ。本当に消えてら」
「マジ? おいおい、まずいじゃねーの。厚生省の定期検査の時にどう言やいいんだよ」
「定期検査っていつだっけ?」
「しばらく無かったと思うけど」
「んなことよりもよ、本当に誰も知らねーのかよ。このデータ」
「…どうなっているんだ」

 矢島は抑えた声で田所に問い掛けた。田所は矢島を見て初めてそんな人間がいたことに気づい
たかのような表情をしてみせた。そして口を開く。

「ん、ああ。消えてんだ。データが」
「消えたのは、このメイドロボがこの会社のシステムに送っていたデータだな」
「そ。困ったなあ、フィードバック用のデータは全部きちんと保管しとかなきゃいけないのに」
「誰かが消したのか」
「そうとしか思えないけどね。おい、本当に誰もやってねえんだな?」
「する訳ねーじゃん。して何の意味あんのよ」
「そだよな。んなことする意味ねーよな」
「だが、誰かが消したのは間違いないんだろう。本当に誰もこれを消した奴はいないのか」

 矢島は周囲を見渡してそう言った。背後に立っていた総務部長が慌てて矢島を警察の人間だと
紹介する。感銘を受けた様子もなく彼らは首を横に振った。矢島は振り返って田所に問う。

「この部屋にいる人間以外にデータに触れることができるのは誰がいる」
「いねえと思うけど…あとは会社のお偉いさんかな。そのおっさんもアクセス権はあるぜ」

 いきなり話を振られた総務部長が驚愕して首を真横に振る。

「ま、待ってください。アクセス権はあっても私にはとても」
「そりゃ無理だよな。まあ、我が社の偉いさんはどうやってアクセスしていいかも分からんよう
な人たちばかりだし」

 田所がにやにや笑いながら指摘する。矢島はその時、一人の男を思い浮かべていた。自ら研究
者だと名乗った男。白衣を着て落ち着いた様子で説明していたあの男。

「…牧場はどうなんだ」
「あん?」
「CEOだ」
「あー、ボクジョウのおっさんか。そういやあのおっさんならできるな」

 田所は大きく首を上下に振った。

「うんうん、言われてみりゃそうだよ。何で気づかなかったんだろ」
「でもよぉ、ボクジョウさんが何でデータ消すの」
「そりゃ、アレだ、ほれ、その、何でだろ」

 田所の言葉を無視して矢島は総務部長を見た。彼の顔は引きつっていた。

「CEOは何処にいるんだ? どこか出張なのか」
「それは…」
「言うんだ。どこなんだ」
「いや、実は知らないんです」
「何だと」
「いえその、今までもよく数日会社を休むことはあったもので。何と言いますか、CEOはよく
自宅で作業したりするそうなんですが、偶にその作業に熱中して会社に出てくるのを忘れること
が…」
「自宅にいる可能性が高いのか」
「そうとも言いきれませんが」
「住所を教えろ」

 矢島は低い声で言った。



 住宅密集地を道に迷いながら走る。牧場の住んでいる場所は住所がわかりにくいことで有名な
地域だった。太陽が西に傾きつつある。自動車の運転席は先ほどから射し込む光に何度も直射さ
れていた。矢島はナビと睨めっこをしながら牧場の家を目指す。
 電力消費を覚悟のうえでラジオをつけた。商店街で起きたメイドロボの暴走事件は警察がロボ
ットを取り押さえることで一応の解決を見ていた。被害者はなし。怪我人もなし。ただ、メイド
ロボが包丁を突き立てたお腹の中の胎児を除いて。
 ラジオのニュースでは、警察だけでなく『メドー』を所管する厚生省も事態の解明に乗り出し
たと伝えている。各メイドロボメーカーの担当者を役所に呼んで聞き取り調査を行う意向を大臣
が示したそうだ。春木が調べているはずの、あの鳥のソフトについての捜査結果は報道されてい
なかった。彼女はうまいこと真鍋の母親をつかまえ、あのソフトを回収することができたのだろ
うか。
 いや、それより当面は牧場をつかまえることだ。彼の行動はおかしい。なぜ彼はメイドロボの
データを消去したのだろう。まるであの事件の際のメイドロボの行動を隠そうとしているかのよ
うに。
 もしかしたら、牧場は本当に隠したいのかもしれない。それが明らかになると彼にとっては拙
いことになるのかも。考えてみれば、最初に矢島らがメドー社を訪ねた際に、彼は自社にそのメ
イドロボのデータが残されていることを教えてもよかった筈だ。メイドロボが自ら飛び降りるこ
とがあり得るかどうかなどと延々論じるのでなく、ちょっとその時のデータを洗い直しますので
お待ち下さいと言えば。
 最悪の場合、牧場こそがあの鳥のソフトをばらまいた本人である可能性もある。彼は何らかの
理由でメイドロボを暴走させようと思い、そしてあのカッコウのソフトを流通させた。
 矢島は首を振った。それも妙だ。矢島が最初にメドー社を訪れて牧場に会った時、彼はカッコ
ウの話など一言もしなかった。もしも牧場がカッコウのソフトを作った張本人だったとしても、
あのメイドロボの転落事件がそのソフトによるものだったかどうかは、彼には分からなかった筈
だ。それに、そもそも何のためにメイドロボを暴走させる必要があるのだ。牧場はこのメイドロ
ボ業界で成功者となった人物だ。メイドロボは彼に成功を約束してくれる。それをどうして暴走
させなければならないのだろう。
 頭の奥に何かが引っかかっている。さっきからこの感じが消えない。カッコウ。メイドロボ。
暴走。フィードバックシステム。何かまだ見落としている。何かもっと、きちんと調べなければ
ならないことを見逃したまま…。

 ブレーキを踏んだ。前方の曲がり角にかつて見たことのある人物の後ろ姿が見えた。まさか自
宅でも白衣を着用しているとは思わなかった。牧場はこちらに気づいた様子もなく、角を曲がっ
て姿を消す。
 ゆっくりと車を転がして角に近づく。街路の中を遠ざかる大型バンが視界に飛び込んだ。矢島
はハンドルを切るとそのバンの背後に距離を置いて付き従った。バンの中には複数の人影が見え
る。牧場は誰かと一緒に行動しているのだろうか。矢島は意識を集中させながらバンを追う。
 バンは住宅街を抜けると都心部へ向かって移動し始めた。大きな道路に出て速度を上げる。間
に2、3台の車両を入れて尾行を続けることにした。まずどこへ行くかを見極めるとしよう。彼
を問い詰めるのはその後でも構わない。困ったことに、再び寝不足の影響が出てきた。集中しよ
うとするほど、睡魔が邪魔だてする。矢島は目を擦りながらバンに視線を送り続けた。

 暑い一日が終わろうとしている。帰宅の車両が郊外へと流れ、これから遊ぼうとする車両が都
心部へ向かう。排気ガスこそ消えたものの、交通渋滞は消えないままだ。前世紀の終わりから高
度道路交通システムなど各種の新システム導入による渋滞解消策が図られたが、どれもうまくい
かなかった。根本的な問題、車両の増加に比べて道路が増えないという根っこの問題が解決され
ない限り、この渋滞はどうしようもないのだろうか。
 バンもあちこちで渋滞や信号に引っかかりながらゆっくりと都心を目指していた。会社に行こ
うとしているのだろうか。それとも別の場所に。信号待ちのタイミングで矢島は署に連絡を入れ
ようかと考えた。春木の調査がどうなったか知りたい。取り押さえられたあの暴走メイドロボに
ついても。信号が変わる。バンが動き出す。携帯を使うタイミングを失い、矢島は再び尾行に集
中する。
 ほぼ日が完全に沈んだ直後、バンはある場所で止まった。矢島は距離を置いた場所に止まる。
バンから降りた連中はすぐ傍にある建物の中へぞろぞろと入っていった。女たちが多い。いや、
『メドー』たちか。その中にあの白衣が見えた。矢島も車から降りる。ゆっくりと頑丈なつくり
をしたその建物の正面入り口へと足を進める。看板が見えた。

 人工子宮センター

 中に入った牧場がどこにいったのか、外からは窺えない。矢島は深呼吸を一つするとセンター
へ足を踏み入れた。自動ドアが開く。灯りを落とした正面ロビーが矢島の目の前に現れる。警備
員が近づいてきた。

「失礼ですが、今日の受付はもう終わっています。明日以降にまた…」
「先ほどここに入ってきた人がいましたね」
「は?」
「メドー社のCEOが来てたでしょう。どこに行きましたか」
「何ですか貴方はいきなり」

 矢島は黙って奥へ踏み込もうとした。警備員が慌てて彼の正面に立つ。

「何をするんですか。これ以上勝手に入り込むのなら警察を呼びますよ」
「警察ならここにいる」

 矢島はそう言って身分証明を提示した。警備員の顔が驚きに歪む。

「そ、それは」
「あの男はどこへ行った?」
「あ、えーと、中央制御室へ」
「中央制御室?」
「ええ、人工子宮の管理を集中的に行っている場所ですが」
「彼はなぜそんな」

 警備員を矢島が問い質そうとしたその瞬間、鈍く響く音が奥から聞こえてきた。同時に振動が
建物を揺らす。警備員がバランスを崩しそうになり、短い悲鳴を上げた。矢島はすぐさま音のし
た方向へ走る。
 警報が激しく鳴り響き、あちこちで赤いランプが点滅を始めた。きな臭い空気が奥の方角から
漂ってくる。間違いない。奴が何か仕出かしたんだ。やはりあの男は事件に絡んでいたのだ。角
を曲がりドアを引き開けながら矢島は歯軋りした。奴が何を企んでいるにせよ、止めなければな
らない。
 正面に扉が見えてくる。中央制御室という文字が目に入った。ノブに飛びつき、捻る。簡単に
開いた。矢島は暗い室内に飛び込む。その瞬間、後頭部に衝撃が加わる。矢島は無様に床の上に
倒れ込んだ。



 メイドロボがいた。矢島の目の前に立っている。そのメイドロボは矢島を見て口元を歪める。

『オマエハかっこうダ』

 その目は虚ろに夏の空を映している。アスファルトの上に横たわり、陽炎に揺られながら。バ
ラバラになった手足があさっての方角を向き、まるで化け物のよう。メイドロボの首が胴体から
離れてころころと転がる。それは矢島の足元まで転がってくる。靴先にぶつかって止まった首は
下から矢島を見上げる。

『オマエハかっこうダ』

 特徴的なセンサーが暗い明かりを僅かに反射する。その瞳にも光は射し込み、揺れる。まるで
不安に怯える子供の目のように。メイドロボは若い男の腕を両手で抱え込むようにしている。そ
うすれば怖いことはないと思っているのか。メイドロボにしがみつかれた吊り目の若い男が低い
声で何か話す。誰かの悲鳴が矢島の脳裏に響く。嫌、嫌、嫌。声が大きくなるにつれてメイドロ
ボの口元がゆっくりとせり上がる。

『オマエハかっこうダ』

 陽炎の道を走る。自宅の扉を開ける。太陽が射し込み白く光る窓。その白を背景に浮かび上が
るシルエットだけの2本の足。振り子のように足が揺れる。柱時計の音が大きく響く。ぶらさが
った足から伸びる影が矢島の足元に絡む。闇が矢島を飲み込もうとする。矢島は悲鳴を上げ、助
けを求める。天井からぶら下がった女がその声に答えるように両手を伸ばす。矢島はその顔を見
る。虚ろな目のメイドロボが矢島に向かって迫り。

『オマエハかっこうダ』

 ビニールシートに包まれた首。テーブルに放り出された首。豪華なソファに座った女が声を上
げる。メイドロボは自殺などしません。メイドロボはいつも、殺されるのです。人間が殺すので
す。死ねと命令するんです。ロボットは命令には従わなくてはなりません。だからメイドロボは
飛び降ります。自分を包丁で刺します。銃で撃たれます。撃たれます。

『オマエハかっこうダ』

 認めろ。お前はロボットを、木偶人形を憎んでいると。こいつらさえいなければ、自分の人生
はもっと違うものになっていた筈だと。このダッチワイフどもがお前の過去をかき乱し、ぶち壊
し、台無しにしたと。こいつらがいなくなればお前は幸せになれる。こいつらが消え失せればす
べてが上手くいく。だからお前はあの時、引き金を。

『オマエハかっこうダ』

 足元に倒れていた男の呼吸が止まった。それは生物からただの物体に戻った。声のない悲鳴に
顔を上げる。メイドロボがいた。膨らんだ下腹部を庇うように、それは後ずさる。手に持った短
銃が重い。硝煙の臭いが鼻をつく。メイドロボが力なく首を左右に振る。短銃が持ち上げられて
いく。メイドロボが背中を向けて走り出す。短銃を構えてそして引き金を。

「お前たちは、カッコウだ」




http://www1.kcn.ne.jp/~typezero/rdindex.html