継承(7) 投稿者:R/D 投稿日:7月8日(土)00時48分
 メイドロボを売っている店までの距離は短かった。近くに駐車場がないと聞き、矢島は病院に
電動自動車を置いたまま歩くことにした。まだ正午までには時間があるというのに、すでに気温
は急激に上昇している。流れ落ちる汗を拭いながら、矢島は陽炎の立ち上る道を歩いた。隣を歩
く春木の表情は暗く沈んだままだった。
 彼女の年齢からすれば、おそらく両親はまだ環境ホルモンに冒されていなかったのだろう。同
世代の女性はまだ結婚していない者が多いのではなかろうか。彼女自身の周辺で、この問題で悩
んでいる人はあまりいなかったに違いない。人は自分と直接関係しないことに対しては意外に無
関心になれる。仕事の忙しさを言い訳にしたり、単に不愉快だからと目を逸らしたり。そして、
目の前にその事実を突き付けられた時に狼狽するのだ。かつて矢島が医者から宣告を受けた時の
ように。
 春木は香坂の話を聞いて、初めて環境ホルモンがもたらす現象について深刻に受け止めたのだ
ろう。ほとんどの夫婦がその影響を被っているということ。結果として子供を産むという選択肢
を選ばない人間が増えていること。その先に待つのは何か。果たして子孫を残さない生物はどう
なるのか。

 ばたばたと小さな子供が彼らの傍を駆けていった。子供は泣いていた。泣きながら子供が追っ
ているのは『メドー』だった。子供の後ろ姿を矢島は黙って見送った。『メドー』はまるで駄々
をこねる子供に怒った親がそうする時のように、わざと子供の声を無視して歩いていた。

「…あの子も、『メドー』が産んだのかしら」

 春木が低い声で呟く。無意識のうちに言葉が漏れたようだった。矢島は気づかなかったふりを
しながら再び足を動かし始めた。暑い。太陽はこの地上に生きるすべての者に何か恨みでも抱い
ているかのように、容赦なく照り続けている。

「何のご用でしょうか」

 冷房が効いた店内に入ると、完全にコントロールされた笑顔を浮かべた若い男性が表れた。カ
ラフルなツナギを身にまとった姿は、いかにも手慣れたエンジニアという雰囲気を湛えている。
胸元に室田と書かれた大きな名札をつけている。矢島はいつものように身分証明を見せた。男の
顔が驚きに変わった。

「警察の方、ですか」
「はい。ある事件について確認したいことがあります。店のご主人はどちらに」
「私ですが」

 不安そうな表情の男に向かって矢島は簡単に説明を始めた。春木は黙って手帳を取り出し、身
構えている。あちこちに展示用のメイドロボが飾られた広い店内にいるのは、目につく限りこの
3人だけだった。がらんとした屋内に矢島の声だけが響く。

「…つまり、その真鍋さんについてお知りになりたい、と」
「はい」
「残念ですが、お客様のプライバシーに関することですので」
「真鍋氏本人についてのデータを見たいのではありません。彼が購入したのが、このタイプで間
違いないかどうか、それだけ教えてほしいんですが」

 矢島はそう言いながら携帯端末を取り出し、あちこちで見せた画像を改めて示す。その映像を
しばらく黙って見つめた室田は、やむを得ないといった表情をしてみせた上で言った。

「ええ、確かにそのタイプです。購入された当時の最新型でした。やはり新しいものの方が安心
感がありますし、それにメドー社はこの分野では一番の老舗ですから」
「シリアルナンバーはこれで間違いないですか」

 矢島は表示画像を変え、予め入力しておいたあの『メドー』のナンバーを見せる。室田は少し
躊躇った後、手元に持ち運んでいた自分の携帯端末で顧客データを呼び出した。

「…お客様のプライバシーに関することなのではっきりとはお答えできないのですが」
「はい」
「そのナンバーについては否定いたしません」

 春木が不機嫌そうに鼻を鳴らす。あまりにも回りくどいこの男のやり方に苛立っているのだろ
う。矢島は静かに自分の端末を仕舞った。

「真鍋氏に売ったメイドロボに、何か変わった点はありませんでしたか」
「…変わった点って何ですか。私どもは厚生省の認可を受けたメーカーの製品だけを販売してい
るんです。どれもきちんとしたプレグナンス・メイドロボですよ」
「欠陥などが」
「そんなものはない筈です。ご存じでしょうがプレグナンス・メイドロボの規格はかなり厳しく
規制されています。ロボット三原則を搭載した思考プログラムと、すべて国の機関で検査された
人工子宮を載せていることが必要ですし、大きさや強度などについても通常のメイドロボより厳
しい基準をクリアしたものばかりです。人間の代わりに子供を産む存在なんですから、それだけ
高度な技術でもって作られているんですよ。さらに流通過程も含めてかなり厳密な管理体制も敷
いています。我々がお売りしているメイドロボに問題はない筈です」

 大声でまくし立てる室田を前に矢島は思わず辟易した。どうやら逆鱗に触れたようだ。おまけ
に細かい説明を長々と聞かされているうちに、また睡魔が頭の奥から染み出してきた。とにかく
真鍋がここでメイドロボを購入したことは確認できたのだ。いい加減なところで切り上げようと
思った時、それまで無言でメモを取っていた春木が口を開いた。

「ロボットに子供を産ませること事態が問題じゃないんですか」
「何ですって」
「人間が子供を産むのが普通じゃないですか。だって産まれてくるのは人間の赤ちゃんなんです
から。どんな完璧なメイドロボだとしても、やっぱり子供を産ませるのは変じゃないですか」

 春木の言葉に今度は室田が鼻白んだ表情を見せた。だが、彼の口調は変わらない。彼はあくま
で商売人としてのスタンスを守りながら説明した。

「もちろん、貴方のおっしゃる通りですよ。本当は人間が自分のお腹を痛めて子供を産むのが正
しいのでしょう。ですが、世の中にはそれが叶わない人もいるのです。そういう人々にとって、
プレグナンス・メイドロボは最後の希望の星なんですよ」

 室田はあくまで正式名称であるプレグナンス・メイドロボという表現を繰り返した。特定メー
カーの名称を使うこともきっと商売の妨げになるのだろう。

「それに、プレグナンス・メイドロボが他のメイドロボとは異なった独自の思考制御プログラム
を搭載していることもご存じでしょう。このプログラムのためにプレグナンス・メイドロボはま
るで生き物のような反応を、ごく自然な行動を見せるのです」
「自然といっても限界はあるでしょう」
「確かに限界はあります。ですが、プレグナンス・メイドロボの思考プログラムは学習型ですの
で、時と伴により自然に、より生き物らしい反応を見せるようになっていくんですよ。子供を前
にした時に我々が見せる意識的な、また無意識的な様々な行動を、プレグナンス・メイドロボも
また学んでいるのです。そうすることで子供の成長にふさわしい行動をするようになっているの
ですから」

 室田の言葉が気になった。矢島は口を挟む。

「今、学習型と言ってたな」
「ええ」
「あの『メドー』は学習型プログラムを搭載しているのか」
「メドー社の製品だけではありません。プレグナンス・メイドロボはすべてそうです」
「だとするとこの値段は信じられんな」

 矢島は壁に張ってあるポスターに大書された価格を指さした。

「学習システム搭載のメイドロボはメモリーだけでなく、身体機能全体を含めて余裕を持った設
計にする必要があると聞いているぞ。どうしてこんな安い値段で売れるんだ」

 矢島の脳裏に彼が高校時代に見た試作型メイドロボの姿が、学習機能を持ったメイドロボの姿
が思い浮かんでいた。そして、そのメイドロボと親しくしていた同級生の姿が、その同級生を一
途に見ていた少女の姿が。

「確かに個別のメイドロボに学習機能を持たせると高価なものにつきます。ですが、今のプレグ
ナンス・メイドロボは独自のシステムを採用してその問題をクリアしているんですよ。知りませ
んでしたか」
「どんなシステムだって?」
「メドー社が開発したのでメドー・システムと呼ばれていますが、サテライトサービスを活用し
てすべてのメイドロボをいわば一つの個体にしたんです」
「どういうことだ」
「あるメイドロボが何か経験をします。その経験と、それがもたらした結果とをメイドロボはサ
テライトサービスを使って本社に送ります。もしその経験がプラスの結果をもたらしたと評価さ
れれば、その行動はいい行動としてサテライトサービスとつながったすべてのプレグナンス・メ
イドロボに送られます。逆にマイナスの結果をもたらした経験については、それもやはり悪い行
動として全メイドロボが情報を共有します。蓄積されたデータによって、メイドロボはより好ま
しい行動をとるようになるんです。試行錯誤をシステム化したものが学習システムだとしたら、
メドー・システムとは全メイドロボがお互いの試行錯誤経験を共有できるものと考えていただけ
ればいいでしょうね」

 とうとうと説明する男の顔に視線を据え、矢島は一生懸命言われたことを理解しようとした。
ここでも睡眠不足が祟っている。大雑把な概念は分かるのだが、どうにも腑に落ちない。室田の
説明に対し、何か質問をしなければならないと思う。だが、先ほど炎天下を歩いた影響か、全身
が妙なけだるさに覆われているようだった。
 歳を取った。そんな思いが全身を襲う。昔であれば多少の睡眠不足など気にせずに動き回って
いたのに。矢島は隣に立つ春木の横顔を見る。

「学習システムがあるからと言って、『メドー』が人間の親よりいいってことにはならないと思
います」
「そうかもしれません。ですが至らないところがあれば、それを直していけるのが今のプレグナ
ンス・メイドロボなんですよ。人間だって、最初から完璧な親などいないでしょう」
「それは、そうですけど」

 春木が悔しそうに唇を噛む。矢島はため息をつき腕時計を見た。来栖川電工を訪ねる時間が迫
っている。必要なら疑問点は後で質せばいい。春木の肩に手を置き、そろそろ潮時だと伝える。
振り返った彼女の瞳に微かに涙が浮かんでいることに気づき、矢島の胸の奥が疼いた。



「…矢島さん」

 耳元で声がする。頭の中にかかった霧を振り払うように頭を揺する。先ほどより僅かに脳髄の
重さが消えたような気がする。少し居眠りしてしまった。矢島は目許を両手で押さえ、それから
瞼を開いた。声がした方角を見ると、春木が思ったより近い距離で彼の顔を見ていた。不安に怯
える子供のような表情をその瞳の中に見いだし、矢島の動きが止まる。

「着きましたよ」

 春木は淡々と話す。矢島は車窓から外のビルを見上げる。昨日訪れた巨大なインテリジェント
ビルが変わらぬ様子で立ちはだかっている。矢島は頷くと車を降りた。

 昨日も見かけた受付のメイドロボは、矢島の顔を見た瞬間に立ちあがり、案内に立った。だが
メイドロボが向かったのは昨日の応接室とは違うところだった。廊下を何度も曲がり、エレベー
ターでフロアを移動した末に辿り着いたのは、ちょっとした工作室といった趣の部屋だった。
 部屋の中心にある大きなテーブルの上にはあの『メドー』が横たわっていた。アスファルトに
激突しバラバラに砕けた姿のまま。まるで解体途中のマネキン人形のようだった。壁際にはいく
つものパソコンとモニターが並び、さらに何に使うのか分からない各種の機器や道具が転がって
いる。部屋に入ったところで足を止めて辺りを見渡していた矢島たちに向かい、背後のメイドロ
ボが無機質な声で話す。

「――広報担当取締役から伝言です。本日は他の用事があって同席できませんが、代わりに当社
のメイドロボ開発担当者がお話させていただきます。何でもお尋ねください」
「分かった」
「――すぐに開発担当の者を呼んで参ります」

 メイドロボは完璧なお辞儀をすると廊下へ去った。矢島は中央のテーブルに近づき、メイドロ
ボの様子を調べた。あの女重役に渡した時とほとんど変わっていないように見える。この会社の
人間がどう調査したのか、素人である彼には分からなかった。春木は部屋の中をきょろきょろと
見渡し、隅っこにあったパイプ椅子を持ってきた。

「矢島さん、座りますか」
「ああ、ありがとう」

 椅子を受け取った時、扉が開いた。首から社員証をぶら提げた白衣の男が入ってくる。何気な
くその男の顔を見た矢島の顔が驚愕に染まり、そして歪んだ。すぐ傍にいた春木がその豹変ぶり
に驚き、矢島の視線の先を見る。
 入ってきた男は矢島と同年代に見えた。吊り目がちで、比較的背の高い人物だ。社員証には藤
田という名前が記されている。男もまた、矢島の顔を見て凍りついていた。二人の中年男は無愛
想な部屋の中、まるで決闘前のような緊張感を漂わせて睨み合っている。
 春木は再び矢島に視線を向けた。その目に強い憎しみが浮かんでいるのに気づき、彼女は知ら
ず身を引いていた。それまで春木の前で矢島が見せたことのない表情。時折、悲しみや狼狽を見
せることはあっても、基本的には冷静に行動し感情を上手く抑制していると思っていたこの男の
内面に隠された強烈な感情。それは傍にいるだけの春木すらも怯えさせる強い情念だった。

「矢島」

 白衣の男が呟く。矢島の顔がさらに歪んだ。搾り出すような声が部屋に響く。

「藤田、なぜお前が」

 声は途中で途切れた。二人の男はなおも凍りついた姿勢のまま睨み合いをしている。春木はそ
の傍に立ちつくす。どうにかした方がいい。この二人の間にある一触即発な何かを消さないと。
でも、何をすればいいのか分からないまま、春木もまた身動きがとれなくなっていた。矢島の持
つパイプ椅子が軋む。緊張が高まる。

 トントン

 扉をノックする音がしたのはその時だった。全員の目がそちらに向く。扉を開けたのは飲み物
を持ったメイドロボだった。それは室内の空気に気づいた様子もなく淡々と入り、中央の大テー
ブルの空いた場所に3人前の飲み物を置いた。

「…失礼。どうかお座りください」

 白衣の男が緊張の崩れたこの機会を逃してはならないことに気づいたのか、慌てた調子でそう
言った。春木は再び矢島を見る。先ほどまで表面に出ていた感情が消えている。矢島もまた自ら
の情動を抑えることにしたようだ。春木は先ほどまでの緊張感から自分を解放しようと小さく深
呼吸をする。初めて心臓の鼓動が早まっていたことに思い至った。

「このメイドロボについて分析してもらいたい、とのことでしたね」

 藤田はできるだけ平静を装いながらそう話す。彼の顔を見ながら矢島は自分の内面で荒れ狂う
暴風を必死に抑えていた。外見を取り繕うのが精一杯だった。心の中は麻のように乱れている。
亡き妻の顔。彼女の言葉。彼女を前に冷たく別れの言葉を告げた藤田。その隣に立っていたメイ
ドロボ。医者。その口から流れ出る言葉。ぶら下がる2本の足。陽射し。影。『メドー』の公式
採用を伝えるニュース。亡妻の泣き顔。子供。産まれることのなかった子供。子供。

「矢島さん」

 囁くような声がした。春木が隣で心配そうな顔をしている。正面に立つ藤田は説明しかけた姿
のまま動きを止めている。その目が矢島の様子を窺っている。あのメイドロボの目が重なる。藤
田の隣に立っていたメイドロボ。矢島が撃ったメイドロボ。路面に転がったメイドロボ。落ち着
け。お前は真相を知らなければならない。そのためには感情に流されてはいけないんだ。冷静に
なれ。感情を消せ。怒りも悲しみも苦しみも喜びも無くせ。何もかも失って、ただ論理だけで動
く機械になるんだ。ロボットのように。

「…説明を続けていただけますか」

 自分の声が思ったよりいつも通りに聞こえたことに矢島は安心した。春木の表情が緩む。藤田
は表情を消したまま説明を再開する。

「おそらく調査済みでしょうが、このメイドロボはメドー社が開発した割と最近の機種です。購
入してからの経過時間はおそらく3ヶ月ほど。関節各部の磨耗状態などからほぼ間違いないと思
いますが」
「…はい、その通りです」
「で、ご依頼のあったメモリーについて、ですが」

 そう言うと藤田はテーブルを回り込み、壁際に並んでいるパソコンのうち一台の前に腰を据え
た。キーボードに指を走らせるとディスプレイに各種の数値やコマンドが流れた。やがて、藤田
の指が止まる。彼はディスプレイを見たまま口を開いた。

「メモリーそのものも物理的な損傷を被っていたため、データの完全な回収は不可能でした。そ
れでもかなりのデータは読み取ることが可能でしてね。本来は個人データに属するものだし、顧
客のプライバシー保護の点から読んではならない部分もあるんですが」
「止むを得ないでしょう」
「分かりました。ちなみにこれがメイドロボの内部に残っていた人名録です。3ヶ月前の購入時
点から破壊する直前までに知り合った人物でしょう。メモリーのこの部分には損傷はありません
でしたね」

 矢島と春木は立ち上がり、藤田が示したデータを覗き込む。真鍋とその妻、母親の名が最上位
に並んでいる。最も重要な人物だと認識していたのだろう。春木は急いで人名をメモに写し取り
始めた。矢島は黙って人名を追う。そのリストは、思ったより短く終わっている。

「…もういい、春木」
「え?」
「メモは取らなくていい。ここに乗っているのは家族以外は葬式の参列者と病院関係者だけだ」
「本当ですか」
「間違いない。真鍋が勤めていた会社の社員とあの病院の医者。それですべてだ」

 そう言うとディスプレイを見るために屈み込んでいた矢島は背を伸ばし、背後のテーブルを振
り返った。無言のメイドロボが虚ろな目で彼を見る。

「他に何かデータは」

 メイドロボを睨みながらそう言う。藤田の声が背後からする。

「いくつもありますよ。子育てに必要なデータ、家事に必要なデータ、何より多いのは各種の行
動制御のためのデータ。どんな『メドー』にもあるものですがね」
「このメイドロボがベランダから飛び降りる直前の記録はないんですか」

 春木が勢い込んで訪ねる。

「…残念ながら、その辺りが一番データの損傷が激しいんです。特にベランダから落ちたその日
の分は、ほとんど壊滅状態です」
「そんな」

 春木が情けない声を出した。これこそ最後の砦だと思っていたのだ。なのに一番肝心なデータ
が壊れていただなんて。がっくりと肩を落とす彼女を横目で見ながら、藤田はキーボードを叩い
た。それまで表示されていた各種のデータが消え、短い文字が表れる。

「何とかサルベージできたのはこれだけでしてね」
「え? 全部消えたんじゃなかったんですかっ」

 春木が慌ててディスプレイを覗き込む。矢島も振り返った。暗いディスプレイには短いアルフ
ァベットが映っていた。

 Cuculus

 狐につままれたような表情の春木が振り返る。矢島と視線が合った

「…くくるす、って読むんでしょうか」
「そうなんだろうな」
「どんな意味でしょう」

 矢島は黙って首を横に振る。春木はディスプレイの前に座った藤田に聞いた。

「コンピューターやメイドロボ関連の専門用語に、こういう言葉はありますか」
「いえ、聞いたことないですね」
「他には何もないんですか」
「まだすべて調べた訳じゃないですが、これまでの調査で意味がありそうだったのは先ほどの人
名とこの『ククルス』という言葉だけです」

 大きく息を吐いた春木はディスプレイを見つめた。

「アナグラムだとも思えないし、何かの言葉の一部だとしたらこれだけでは何も分からないし」
「考えても分からないならもっと調べるしかないだろう。その言葉をキーワードにして各種のデ
ータベースに片っ端から当たる方が手っ取り早い」
「それもそうですね」
「何でしたら、今調べましょうか」

 藤田が椅子に座ったまま後ろを向いてそう言う。

「え? できるんですか」
「ネットにはすぐ接続できますんでね。各種公共データベースで調べればすぐに分かると思いま
すけど」
「お願いします」

 春木の言葉に頷いた藤田はすぐにキーボードに指を走らせた。ディスプレイが再び切り替わり
用語検索を行う画面になる。藤田が7文字のアルファベットを打ち込んだ。3人の視線がディス
プレイに集中する。やがて、複数の検索結果が出てきた。一番上に並ぶ文字が目に飛び込む。

 Cuculus canorus

「ラテン語、ってことは」
「何かの学名」

 藤田と矢島が同時に呟く。

「検索内容を表示してくれ」

 矢島に言われるまでもなく藤田は検索結果を選択し、その内容を表示した。

 Cuculus canorus
 和名 カッコウ

「カッコウだってっ」

 驚愕が矢島を襲う。春木が息を呑んだ。過剰な反応に驚いた藤田が振り返って二人の刑事を見
る。矢島の脳裏に記憶が甦る。事件直後の聞き込みで隣人が話していた言葉。あの『メドー』が
転落する際に聞こえてきた言葉。

『かっこう』

 矢島はその表示を睨みながら急いで頭を回転させた。どこかで見た。この言葉はどこかで俺の
目に映った筈だ。耳で聞いたのではなく。思い出せ、あれは確か真鍋のマンションだった。家具
がほとんどない空っぽの部屋の中でどこかに。あそこにあったのは確か、遺書と預金通帳、万年
床にメイドロボのマニュアルと各種のオプションソフト…

「畜生っ、そうだ、カッコウだ」

 オプションソフトの中に鳥の鳴き声を収録したのがあった。確か、鶯に郭公。ウグイスにカッ
コウ。あの隣人が残した謎の言葉の解答が、真鍋の部屋の中にあったのだ。我々の目の前に。矢
島は自分の頭を殴りつけたい気分になった。あの時になぜ気づかなかったのか。

「…で、でも」

 春木がとまどったような声を上げる。

「あの隣室の女性が聞いた『カッコウ』という言葉が鳥のカッコウを意味していたとして、何で
メイドロボが転落する時にそんな言葉が聞こえてきたんでしょうか。誰がそんなことを言ったの
かも分かりませんし」
「分からないことは調べればいい。いくぞ」
「えっ、どこへ」
「真鍋の母親のところだ。あのソフトを借り出さないと」

 矢島が出口へ向かって突進しかけた時、背後から藤田が大声を上げた。

「ちょっと待ってくれ」

 矢島はドアノブを掴んで回しながら言った。

「悪いが後だ。急用ができた」
「メイドロボが飛び降りる寸前のことは調べなくていいのか」

 矢島の動きが止まる。春木の声がする。

「調べるって、でもその当たりのデータはすべて壊れていたって」
「メイドロボのメモリー内のデータは全部おしゃかですよ。でもメドー社に行けばかなり詳しい
データが残っている筈です」
「何だとっ」

 開きかけた扉から矢島が振り返って怒鳴った。藤田はわざとしているかのようにゆっくりと話
した。

「メドー・システムを搭載したメイドロボは、相互にサテライトサービスを使って情報のやり取
りをしている。どんな行動がどんな結果をもたらしたかについて。それがあのシステム最大の売
り物だからな」
「それは知っている」
「つまり、メイドロボが報告した行動やその結果については各社のシステムに必ず記録が残って
いる筈なんだ」
「あっ」

 春木が声をあげた。

「メイドロボから送られてきた行動と結果を受け取った各社のシステムは、それにプラス或いは
マイナスの評価を与えた上で全てのメイドロボにフィードバックする。個別のメイドロボが経験
したことが、すべてのメイドロボに共有される仕組みだ。メイドロボがそれぞれ別々に学習機能
を生かして自らの最適な行動パターンを学んでいくより遥かに効率的なんだよ」
「それはつまり…」
「待ってください」

 矢島の声を遮るように春木が叫んだ。

「確か、メドー・システムって全部の『メドー』で採用されているシステムですよね。つまり、
今存在する全ての『メドー』は、どこのメーカーが作ったかは関係なく同じシステムで動いてい
る筈じゃないですか」
「ええ、その通りですよ」
「であればメドー社のメイドロボの行動記録は他社の、例えばこの来栖川電工のシステムにも残
っているんじゃないですか」
「そんなことをしたらウチのシステムがパンクします。メイドロボの行動及び結果を記録するの
はあくまで個別のメーカーだけで、フィードバックのみ全メイドロボ向けに発信するようになっ
ているんです」
「でも、全部の試行錯誤の結果についてフィードバックしたら、今度はメイドロボのメモリーが
パンクしそうな気がするんですけど」
「正確にはメイドロボが何らかの行動を取る必要に迫られた際に、それに関連するデータをサテ
ライトサービス経由で全メイドロボメーカーに要求することができるんです。それに個別の経験
を加えてメモリー内に保存する。メーカーの持つデータの平均値に個別の経験を足すようなやり
方で記録していますから、それほどメモリーを食う訳じゃありません」

 藤田は春木に向かって丁寧な口調で説明を続けた。

「メイドロボを生物に例えるなら、メーカーが持つ膨大なデータは先天的に生物の行動を決める
遺伝子であり、それにメイドロボ自身が後天的に個別の学習で得た知識を上乗せしていると思っ
てください。単に個別の経験だけで学習するよりは効率的で、なおかつそのメイドロボが置かれ
ている状況にできるだけ柔軟に対応できるシステムとして、こうした仕組みが考えられたんです
よ」
「しかし、なぜそういったシステムを『メドー』だけに搭載しているんですか。どうして『メド
ー』にそういう仕組みが必要だと」
「プレグナンス・メイドロボにこういったシステムが必要だと思われたのは、その種のメイドロ
ボが子供の養育に大きな影響を与えると思われたからです。子供を相手にする際に人間は無意識
のうちに様々な表情を作っています。表情だけではなく、声のトーンや身振りなどあらゆる言葉
以外のコミュニケーションを使って赤ん坊と接しているんですよ。そうしたコミュニケーション
のやり方をすべて事前にプログラムするのは無理です。それよりは試行錯誤の中で、実際に赤ん
坊の反応を見ながら修練した方が早い。人間も、メイドロボもね」

 藤田の口調も、矢島に話す時と女性を前にした時とでは無意識のうちに切り替わっているよう
だった。矢島は何となく苛立ちを覚えながら口を挟む。

「そんな話は後でいい。行くぞ」
「あ、はい」
「引き続きこのメイドロボの解析をお願いしたい。いいですね」

 矢島は藤田にそう言い捨てて廊下へ飛び出す。春木は軽く頭を下げ出口へ向かった。慌しい刑
事たちを見送りながら、藤田は僅かに苦笑した。




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