継承(2) 投稿者:R/D 投稿日:7月2日(日)21時59分
 電動自動車はインターチェンジから降り、都心部を走った。人と車が溢れる街中は、矢島が生
まれた前世紀とほとんど変化はない。車の排気ガスが消え、歩く人間たちの間にメイドロボの姿
が混じり、ビルがさらに高層化したほかには。
 目的地へ向けてハンドルを切る。内燃機関を使わない電動自動車は極めて静かだ。今ではガソ
リンエンジンは緊急配備用の車両にしか使われていない。警官である彼らは必要とあればガソリ
ン車を使うことはできるが、通常の捜査はほとんど電動自動車で済ませるのが普通だ。まして、
今行こうとしているのは逃げることのできない企業だ。焦ることはない。

「あれです、矢島さん。あの建物です」

 助手席に座ってナビを見ていた春木が大声を上げた。どうも彼女は話す言葉が必要以上に大仰
だ。これは個人的な癖なのか、それともこの世代共通の特徴なのだろうか。矢島はそんな疑問を
心の奥に押し込みながら目的の建物へ車を入れた。

 受付に身分証明を提示するとにこやかな笑みを浮かべたメイドロボが案内に立った。メドータ
イプは表情も身振りも豊かなのが特徴だ。他のメイドロボに比べ、妊娠機能を持つメイドロボに
は感情が必要だとされる。彼らの先に立って応接へ向かうこのメイドロボも『メドー』だろう。
 感情を持ち、それを表現する機能を持つメイドロボは以前からあった。矢島も高校生のころ、
そういったメイドロボを見たことがある。だが、当時はそれは高級品とされていた。必要な部品
の数が大幅に増えるうえ、何より感情まで含めた思考プログラムを上手く作り上げるのが困難だ
ったという。だから、普及品のメイドロボは感情を持たない便利な家事機械として売り出される
のが普通だったのだ。メドー社が市場に参入するまで。

「こちらです」

 柔らかな声でメイドロボがソファを示す。簡単なカーテンウォールで仕切られた応接ルームに
置かれた人工皮革のソファに矢島と春木は並んで腰を下ろす。すぐに現れたメイドロボがお茶を
テーブルの上に置いた。微かな香りが立ち上った。
 きょろきょろと周囲を見回す春木の傍で、矢島は内心ため息をついていた。警察の仕事という
のは良く言えばチームワーク、悪く言えば人海戦術だ。捜査員を大量動員し、とにかくあらゆる
場所を調べていく。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。ダメでもともと。
 それでも重要な捜査対象と、そうでもない捜査対象が存在するのは明らかだ。今回なら自室で
死んでいた男の周辺捜査がやはり重要だろう。それに対し、確認のためメイドロボメーカーを訪
ねる役目は明らかに捜査の傍流に当たる。

「…お待たせしました」

 白衣を着込んだ男が部屋に入ってきた。男は如才ない態度で懐から名刺を取りだし、矢島らに
配る。名刺を見た矢島はそこに書かれた肩書きに驚きを覚えた。まさかCEOが自ら登場すると
は思っていなかったのだ。

「えーと、ぼくじょうさん、ですか」

 春木の間の抜けた声に白衣の男は笑った。顔のあちこちに笑い皺が寄る。40歳くらいだろう
か。

「偶にそう読む方がいますね。一応、まきばと読んでください」

 牧場はそう言ってソファに座る。その前に座った矢島は春木に目配せした。春木は慌てて手帳
と鉛筆を取りだして身構える。矢島は少し男を観察してから口を開いた。

「お忙しいところを失礼します。CEOにご足労いただけるとは思ってませんでしたが」
「いえいえ、『メドー』を開発したためにCEOなんて名乗っていますが実際は開発担当の責任
者といったところです。まあ、おかげさまで自分のペースで仕事がやれる立場にはいますがね。
それに何より、警察に協力するのは善意の市民として当然の義務ですから」
「そう言っていただけると助かります。では、早速ですがこれを見ていただけますか」

 矢島はそう言うとデジカメで撮影した画像を携帯端末に映し、それを牧場に見せた。アスファ
ルトに激突してバラバラになったメイドロボの残骸。牧場は携帯端末に目を近づけ、それをじっ
くりと観察した。

「…これは、我が社の製品ですね」
「間違いありませんか」
「ええ、間違いないです。しかし…」

 牧場は携帯端末を自ら手に取るとさらに舐めまわすように画像を見始めた。矢島は黙ってその
様子を窺う。明らかに牧場は興奮していた。その指が端末を撫でるようにひっきりなしに動いて
いる。彼がやっと端末を手から離しテーブルの上に戻した時、彼の顔はわずかに紅潮していた。

「これは、一体どういうことなんですか」

 声は微かに震えている。牧場の内心がどんな感情に見舞われているのかは分からない。矢島は
低い声で話した。

「今日の正午少し前、警察に通報がありました。マンションからメイドロボが飛び降りたという
通報です。我々が駆けつけると、確かに御社の製品が路面に激突して破壊されていました。目撃
者の話によると、ロボの持ち主である人物の部屋のベランダから墜落したそうです」

 牧場は矢島の一言半句も漏らさぬように聞き耳をたてている。

「我々が教えて欲しいのは、メイドロボが、『メドー』がベランダから落ちるとしたら、どうい
うケースが考えられるのかということです。専門家の見解を知りたいのですが」
「…もう少し詳しく教えてくれませんか。『メドー』が落ちた時の状況について」

 矢島は簡単に説明した。メイドロボの持ち主が自殺していたらしいこと。持ち主の残した遺書
の話。真鍋が失業していたことは隠した。妻を失って絶望した男が『メドー』に二人の子供を託
して死んだという話を聞き、牧場は黙り込んだ。組んだ手の指を忙しく動かし、その視線をテー
ブルに据えたまま沈黙を続ける。

「…どうですか」
「え、ああ」

 矢島の声で手をほどき、牧場は顔を上げた。

「そう、ですね。確かに奇妙な話ではありますね」

 牧場は矢島と春木を等分に見ながら解説を始めた。

「通常、メイドロボが自ら飛び降りることはありません。ロボット三原則の第三原則に反します
から」
「第三原則?」
「ええ、ロボットは前項に反しない限り自らを守ることができる、というものです。ちなみに前
項、つまり第二原則の内容は、ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ですから、人間
が命令すればロボは飛び降りることもあります。でも、それは今回のケースには当てはまらない
でしょう」
「というと」
「第二原則にも前提条件がありましてね。それが第一原則、つまりロボットは人間を傷つけては
ならない、です。飛び降りるということは、彼女の中にいた胎児を傷つけることを意味します。
そうですよね」
「『メドー』の人工子宮内に胎児がいたかどうかは確認中ですが、おそらくいたでしょう」
「それにメドーシステム、つまりプレグナンス・メイドロボ用に我が社が開発した思考プログラ
ムを搭載したロボは、他のメイドロボに比べて防衛本能、生存本能が高いはずです」
「本能、ですか」
「いやいや、これは失礼しました」

 牧場は少しはにかんだように笑った。

「我々はメドーシステムを搭載したメイドロボの行動を、本能に基づいたものと呼んでいるので
すよ。システムのヒントになったのが進化論と行動生物学ですからね。生物学的な用語を使った
方が色々な概念を理解しやすいものですから」
「そうですか」
「ええ。何でしたらもっと詳しく説明して差し上げましょうか」
「いえ、それには及びません。いずれにせよ、メイドロボが自ら飛び降りた可能性はないのでし
ょう」
「何事も可能性が皆無とは言えませんよ。ですが、そうですね。『メドー』に関しては自殺はあ
り得ないと思いますし、それに今回のケースでは命令されて飛び降りた訳でもないだろうと考え
られます」
「それじゃ、やっぱり誰かに突き落とされた…」

 春木が口を挟んだ。牧場は沈鬱な表情で顎を引いた。

「考えられると思います」
「そうですか」

 矢島は頷くとソファから立ちあがった。春木が慌てて手帳を仕舞い込む。

「ありがとうございました。また分からないことがあればお尋ねしますので」
「構いません。何でも聞いてください」

 牧場はにこやかに答えると自ら出口に向かい、扉を開けた。

「あのー、それと」
「はい?」

 廊下に出た矢島に続こうとしていた春木がいきなり足を止め、牧場の顔を覗き込むように問い
かけた。

「昔から知りたかったんですけど、どうして社名をメドーにしたんですか」
「ああ、そんなことですか」

 二人を見送るために自分も廊下に出てきた牧場は、白衣の胸につけた名札を指差してみせた。

「私の名前と関係した社名にしたかったんですが、でも単純な社名は嫌でしてね。それで牧草と
いう意味を持つ英語を使ったんです」

 牧場は満面に笑みを浮かべた。

「まさかここまでこの名前が売れるとは思ってなかったもんですから。今になって、もっと格好
いい名前にしとけば良かったと思っていますよ」



 刑事部屋の扉を開けた時、中から一人の女性が出てきた。年老いたその女性はハンカチで目を
押さえたまま、矢島の横をくぐり抜けるように通り過ぎた。僅かな嗚咽が矢島の耳に届く。矢島
は黙って室内に入った。疲れた表情の上司が自分の机の上に置かれた書類を黙って見ている。

「戻りました」

 矢島の声に顔を上げた彼は黙って手招きした。矢島にくっついて春木も上司の席に近づく。

「報告してくれ」

 矢島はメドー社で聞いた話を繰り返した。上司は表情を消したまま黙って話を聞いていた。矢
島の説明が終わると同時に、彼は机の上にあった書類を矢島に手渡した。

「遺体の解剖所見だ」

 矢島は書類に視線を落とす。横合いから春木が一生懸命背伸びしながらそれを覗き込もうとす
る。上司は席を立ち、窓に視線を向けながら話した。

「最初に見た通り、自殺にほぼ間違いない。首筋の索条痕の特徴や死体の汚れ具合など、どれを
取っても自殺を疑う要因はない。それに、暗証ロックのデータを調べたところ、あの部屋の入り
口は10時に男とメイドロボが帰宅して以来、鍵が掛かったままだった。警備会社の記録もそれ
を裏付けている」
「そんな…」

 春木が小さな声で呟く。構わず上司は説明を続けた。

「それに、今の君らの報告を聞く限りでは、メイドロボによる殺害もあり得ないようだな。ロボ
ット三原則に従う限り、あの『メドー』が男を殺したという線もない。つまりこれは単純な自殺
だということになる」
「しかし」

 春木が大声を上げた。上司はそれを無視する。

「そして自殺であれば、これ以上捜査する必要もなくなる。ご苦労さんだったな」
「待ってください、まだ密室の謎が残っていますっ」

 春木は矢島を押しのけるように上司の席に近づくと大きな声で訴えた。刑事部屋に残った連中
が一斉にこちらを注目する。

「密室だと?」
「ええ、そうです。矢島さんの報告にもあった通り、メイドロボが自ら飛び降りた筈はないんで
す。だからあの部屋には誰かがいて、そいつがメイドロボを突き落としたうえで部屋を密室にし
て逃げ出したんです」
「君は私の話を聞いていなかったのか。奴が部屋に戻ってから警察が踏み込むまで、あの扉は鍵
がかかって閉ざされていたと言っただろう」
「暗証ロックのデータと警備会社の記録ですか。データならいくらでも改竄できます」
「理屈の上ではそうでも実際には困難だ」
「それじゃ、何でメイドロボはベランダから落ちたんですか」
「自殺でないなら事故だろう」
「ベランダの手すりはかなりの高さがあります。事故なんて考えられません」
「事件であるという証拠もない。メイドロボが落ちる瞬間を見ていた人はいるが、それを突き落
とした人間を目撃したという証言はないんだ」
「見落としていただけかもしれないじゃないですか」
「いい加減にしたまえ」

 上司の声が上ずった。

「…いいか、もし本当に誰かがメイドロボを突き落としたとしてもだ、そいつの罪状はせいぜい
器物破損程度なんだぞ。その程度のことに人数や時間を割けるほど警察は暇じゃない」
「お腹の中に子供がいたんですよ」
「胎児を殺しても殺人にはならない。刑事のくせにその程度のことも知らんのか」
「でも」
「とにかく終わりだ。この件はこれで終わったんだ。さっさと報告書をまとめて次の仕事に取り
掛かれっ」
「それでも密室の謎は…」
「春木、来い」

 矢島は春木の腕を掴むと強引に引っ張った。

「ちょ、待ってください矢島さん。私はまだ言いたいことが」
「報告書は後で私が出します。いいですね」

 春木の台詞を無視して矢島は上司にそう言った。上司が頷くのを確認する間もなく彼は春木を
刑事部屋の外へ無理やり連れ出す。

「放してください。矢島さん。おかしいです。絶対に変です。矢島さんだってそう思うでしょ。
だからもっときちんと調べなくちゃいけないんです。何かがあるんです必ずっ」

 際限なく甲高い声で喚く春木を引きずる。署内の連中や警察に用事があって訪れた人々が目を
丸くして彼らを見る。自分が思いきり注目を集めていることに気付いているのか、春木はとうと
うと話し続ける。

「…鍵は密室ですよきっと。きっとそうなんです。それにあの隣人が聞いた『かっこう』ってい
う言葉。これが解ければ真相が分かると思います。矢島さんもそう思うでしょ。だからもっと調
べなきゃ。密室の謎を解かなくちゃ。ねえ、そうでしょ」

 最近の若い連中は本当に何を考えているのか分からない。矢島は春木の腕を引っ張りながら心
の中でため息をついた。



 署の近くにある喫茶店に入ってもしばらく春木は話し続けた。矢島が注意したおかげで音量こ
そ抑えたものの、話し終えることはなかった。

「…だから可能性は皆無じゃないんです。これってたしかボクジョウさんの台詞にもありました
よね。あの人のいう通りですよ。そりゃ入り口にはずっと鍵が掛かっていたかもしれません。誰
もあの『メドー』を突き落とした人間を目撃した人はいないかもしれません。でもデジタルデー
タなんか書き換えてしまえばそれまでだし、目撃談だって100%正確だという保証はないじゃ
ないですか。あるいは全部その通りだとしても、私たちが見落としをしていないとは限らないで
しょ。そう、もしかしたら誰もが気付いていない『ユダの窓』があるかもしれないんです。なの
にどうして終わりなんですか、どうして」
「ちょっと待ってくれ」

 頭痛に耐えるように額に手を当てていた矢島はようやく口を挟んだ。これまで春木と一緒に仕
事をしたことがなかったため知らなかったが、この娘はどうやらミステリマニアで、思い込みが
激しく、おまけに喋りだすと止まらない体質の持ち主らしい。矢島はこれまで春木と組まされな
かった幸運を神に感謝すると同時に、今回彼女と組ませることを決めた上司を密かに恨んだ。

「少し落ち着いたらどうなんだ。興奮したって何にもならないだろうに」
「だって変です。おかしいですよ」
「その台詞は何度も聞いた。そりゃ確かに変なところはある。だがな、彼の言うことにだって一
理あるだろう」
「そりゃ一理あるのはその通りです。でも」
「まあまあ。もっとよく考えてみろよ」

 矢島はアイスコーヒーを掴んでストローを啜った。正面の春木はのんびりした矢島の様子に頬
を膨らませている。

「…どうしてメイドロボはベランダから落ちたのか。お前さんの疑問点は要するにこの点にある
訳だよな」
「そうです。それが最大の疑問点です」
「例えばこう考えたらどうだ、あれは警報だったと」
「警報?」
「警報というか、要するに注意を集めようとしたんだってな」
「どういう意味ですか」
「おそらくメイドロボが落ちたのはあの部屋の住人が自殺した後だ。もし先にメイドロボが落ち
たなら、あの男があんな遺書を残して自殺する筈がない。メイドロボを、いや、人工子宮内にあ
る自分の子供を助けようとするのが先だろう。首をくくるのはいつでも構わないからな」
「ええ、私もそう思います。多分、彼が首を吊った後になって何かが起きたんです」
「逆に言えば、あのメイドロボは目の前でご主人様が自殺するのを見たということになる」
「…あ」
「確かロボットの第一原則は人間を傷つけてはいけない、だったな。自分で傷つけている訳では
ないにせよ、目の前に死にかけた人間が現れれば何とかしようとするんじゃないのか。ましてあ
いつはあの『メドー』のご主人様だったんだし」
「でも、それなら首を吊っていた綱を切るとか、他にできることがあったんじゃないですか」
「それができない事情があったんだろう。そもそも、綱を切りたくともあの部屋には何もなかっ
た。鋏も刃物も見当たらなかったしな。誰かに助けを求めたくとも、電話も置いてなかった。だ
からあのメイドロボは最後の手段を使って助けを求めようとしたんじゃないか」
「…その最後の手段が、ベランダから飛び降りることだったというんですか」
「そう。アスファルトに墜落すれば凄い音がする。隣人に対して無関心なことが多いあの手のマ
ンションの住人だって、さすがに何かが起きたことに気付くだろう。メイドロボは他人の関心を
引くために敢えてあんなことをしたんだ」

 そこまで言って矢島は再びコーヒーを飲んだ。目の前の春木は黙って矢島の様子を見ている。
直前までに比べて興奮はかなり収まったようだ。アイスコーヒーの入ったグラスをテーブルに戻
すと同時に春木が口を開く。

「…それで、私に納得しろと言うんですか」
「無理かな?」
「無理です。隣人の注意を引きたければベランダから落ちる必要はありません。ベランダで悲鳴
を上げればいいんですから」
「さすがに気づくか」
「当たり前です。でも」

 春木の視線が厳しくなった。

「…どうして矢島さんまでそんなことを言うんですか」
「どうして、とは?」
「矢島さんはあの現場と遺書を見て、すぐに奇妙だって言いましたよね。私と同じことにすぐに
気づいたんですよね」
「誰だって気づくさ」
「でも、矢島さんはその疑問を放っておけるタイプの人じゃない筈です」
「そう言える根拠は」
「私のカンです」
「根拠なし、か。見込み捜査は厳禁。警察学校でそう習わなかったのか」
「自殺だから捜査の必要はない。メイドロボが墜落したことなど大した問題じゃない。それこそ
見込み捜査じゃないですか」
「だがな、組織としては効率のいい判断でもある。器物破損の犯人を探す暇があったら、もっと
重大な犯罪を犯した者を追いかけた方がいい」
「そう思って、本当は重要な犯罪者を見落としていたとしたら」

 春木が身を乗り出してきた。目が再び興奮で輝いている。矢島は思わず仰け反った。

「…よく考えてください。首を吊った男は、矢島さんが言う通り、メイドロボの目の前で自殺し
たことになるんです。これって変でしょ」
「変、というと」
「さっき矢島さん自身が言ったじゃないですか。ロボット三原則の第一原則です。目の前で自殺
しそうになっている人間がいれば、ロボットはそれを妨害しようとする筈なんです。なのにあの
『メドー』はそうした様子がない。鋏や刃物を使って綱を切る以前に、まず彼が首をかけようと
するのを邪魔するのが普通でしょう。それをしていないんです」
「ロボット三原則ってのは確か、メイドロボ業界の自主ルールに基づいてロボットの思考プログ
ラムに入っているものだろう」
「ええ。でもそれがないと販売が認可されませんから、法律に近いルールだと考えた方がいいと
思います」
「逆に言えば、それはあくまでメーカーが自主的に入れたプログラムでしかないということだ。
何かトラブルが生じればロボットが原則に反した行動を取る可能性だってあるだろう」
「ええ、その通りです。或いは、メイドロボ自身は第一原則に従って行動しようとしたが、何ら
かの理由でそれが叶わなかったケースも考えられます。いずれにせよ、何かトラブルが起きたの
は間違いないんです」

 矢島は腕を組んで春木を見た。春木は一語一語ゆっくりと言葉を押し出す。

「…どんなトラブルがあったかを知るには材料が不足し過ぎています。だからこんなことだって
考えられるんです。何者かがあの場所にいて、住人を自殺に見せかけて殺害したうえでメイドロ
ボをベランダから放り投げた、ということも」
「ああ、可能性だけならな」
「そうだとしたら、この事件は単なる器物破損じゃありません。殺人です」
「…やれやれ」

 矢島は腕をといて肩を竦めてみせた。

「まったく。お前さんの言う通りだよ」
「認めますね。やっぱりこの事件は変だって、矢島さんもそう思うんですねっ」
「ああそうだ。そう思うよ。ついでに、このヤマは窓際の中年刑事向きだ、とも思うね」
「え?」

 呆気に取られた春木の顔を見て矢島はにやりと笑ってみせる。

「…キャリアの若手刑事が上司と喧嘩してまでやるヤマじゃない、ということさ。分かるか」
「それって」
「そうだ。後は俺がやる。本当にただの器物破損で俺のやることが無駄足になったとしても、俺
にとっては今更どうということはない。だから俺がやる」
「矢島、さん」
「分かったらお前は戻れ。別の、もっと手柄を立てやすい仕事に専念しろ。いいな」

 そう言い捨てて矢島はレシートを握った。その手首を春木が掴む。振り向いた矢島を見て春木
は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「…ダメです。上手いこと言って手柄を一人占めしようとしても許しませんよ」




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