伝説 投稿者:R/D 投稿日:3月17日(金)23時26分
  序章

「私はその土地の伝説とか、そういったものに興味があるのよ」
「へえ」
 俺は目の前にいる由美子さんを見た。夏休みを利用して親父の故郷である隆山へ遊びに来た俺
は、そこで大学の同級生である彼女と偶然に出会った。喫茶店に腰を据えた俺の前で、彼女はこ
の地を訪れた理由を話し始めた。
「隆山に来たのもそれが理由なの。柏木君は知ってるかな、雨月山の伝説を」
「雨月山の伝説? いや、生憎と知らないけど」
「うーん、結構有名なんだけどなあ。『雨月山の亀』の話」

「…………今、何と」

「だから雨月山の亀。かつて雨月山に巣食って近在の人々を脅かした亀がいたのよ」
「…えーと」
「でね、ある時、次郎衛門という武士がこの亀を退治したんですって」
「はあ、そうですか」
「そうなのよ。次郎衛門は隆山の人々を苦しめる亀と激しい戦いを繰り広げ、そしてついに亀を
追い詰めとどめを刺そうとしたその時っ」
 いきなり由美子さんが机を叩いて身を乗り出す。俺は思わず仰け反った。
「…これこれ亀を苛めてはいけないと言いながら姿を現したのは」
「そりゃ浦島太郎だっ」


  千鶴の章

「そうです。柏木家は、亀の血を引いているんですっ」
 俺は柏木家の隠された秘密を明かす千鶴さんの顔を唖然茫然と見つめていた。
「女性であれば、成人してもこの血にとらわれることはありません。ですが、柏木家の男性は年
を取るにつれて次第に亀の血が発現し、そしてついには心の内なる亀に意識を乗っ取られてしま
うのです。私の父も、そしてあのやさしい叔父さまもっ」
「亀に…ねえ」
「ええ。それが分かっていたから、だから叔父さまは耕一さんと離れて暮らしたんです。自らの
血を抑えることができないから、あなたに迷惑をかけないようにと」
「迷惑って、どんな」
 俺の問いに、千鶴さんは流れる涙もそのままに悲痛な声を上げた。

「一日中、日なたぼっこをするんですっ」

「…………そりゃ確かに迷惑かもしれんけど」
「ああ、何て恐ろしい。叔父さまは自らを止めようとしました。たとえどんなにいい天気でも決
して外に出ないようにと。ですが、それも無駄な足掻きだった。亀の血を抑えられなくなった叔
父さまは、無意識のうちに縁側でうつぶせになって甲羅干しを始めるようになってしまったんで
すっ」
「のどか…ですね」
「ええ。これが本当の『亀ののろい』です」
「…………」
「…………」
「…………」
「…えーっと、これは『呪い』と亀の足が『のろい』をかけた駄洒落で」
「いや、それは分かりますが、何で今さらそんな古いギャグを」
「駄洒落、地口はギャグの基本です」
「はあ」


  梓の章

「そうさ耕一。あたしは化け物の子孫なんだっ」
 梓の瞳が赤く染まる。彼女の周囲に尋常ならざる気が満ちる。
「ほう。貴様、同族だったか」
 俺たちの前に立つ若い眼鏡の刑事がそう呟く。次の瞬間、男の目もまた赤く輝く。
「耕一、下がってなっ。こいつはあたしがやるっ」
「くくくくく、甘く見てくれたものだな。そう簡単にこの俺に勝てると思っているのか」
「やってやるさっ」
 二人の発する気がマンションの屋内で渦を巻く。梓の足元の床がじわじわと沈み、男の身体が
歪む。俺は何もできなかった。ただ彼らを見ることしか。
「うおおおおおおおおおっ」
「ぐぅああああああああっ」
 咆哮が高まる。部屋が揺れる。緊迫感が極限まで膨れ上がり、そして

 ぽん

 間の抜けた音と伴に現れたのは二つの甲羅だった。
「…………」
「…………」
「…………」
 どうやら二人とも亀の血が発現したらしい。多分、手足を引っ込めているんだろう。
「で、俺はどうすりゃいいんだ」
 マンションの中に横たわる巨大な甲羅二つを前に、俺はいつまでも途方に暮れていた。


  楓の章

「耕一さん。…いえ、次郎衛門」
「何だって」
 俺の目の前にいる少女はこらえ切れぬ思いを浮かべた瞳でこちらを見る。俺の胸にせつない痛
みが宿る。
「やっと、やっと会えた」
「楓ちゃん。君はいったい」
「覚えていないの、次郎衛門? 私よ、エディフェルよ」
 彼女の目から涙の雫がこぼれ落ちる。俺のものではない記憶が白い闇の中におぼろな形を作ろ
うとしている。それは数百年前の事件。俺と彼女をつなぐ前世の想い。そうだ。俺は、俺の名前
は……
「ちょっと待てよ。確か次郎衛門は亀を退治したんじゃ」
「ええ、そうです」
「てことはエディフェルって言うのも」
「もちろん、亀です」
「…………」
「思い出してくれましたか、次郎衛門。あなたは私と一緒にいてくれたじゃないですか。いつも
私を見て、私に話をしてたじゃないですか。『ああ、亀はいいなあ。日がな一日、何も考えずに
のんびりしていられて…。俺も亀になりたいなあ』って」

 …………次郎衛門。お前、友達いなかったのか?


  初音の章

 洞窟の中を歩く俺たちの前に、幽霊が姿を現した。
「お兄ちゃん、あれっ」
「くっ、亀の怨霊だとぉっ」
「お兄ちゃんっ」
「初音ちゃん、こっちへっ」

 亀の怨霊は黙って佇んでいる。

「駄目っ。お兄ちゃんに酷いことをしないでっ」
「初音ちゃん、危ない」
「わたしはいいの。だからお兄ちゃんにはっ」

 亀の怨霊は黙って佇んでいる。

「初音ちゃん。君は、君は何て健気なんだっ」
「そ、そんな…。お兄ちゃん(ぽっ)」
「初音ちゃんっ(がっし)。もう、もう離さないっ」

 亀の怨霊は黙って佇んでいる。

「お兄ちゃん。わたし、お兄ちゃんなら…いいよ」
「は、初音ちゃんっ」
「お兄ちゃんっ」
「初音ちゃん、初音ちゃん、初音ちゃんっ」
「ああっ、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃんっ」

 亀の怨霊は黙って佇んでいる。


  終章

「私はその土地の伝説とか、そういったものに興味があるのよ」
「へえ」
 俺は目の前にいる由美子さんを以下略。
「隆山に来たのもそれが理由なの。柏木君は知ってるかな、雨月山の伝説を」
「雨月山の伝説? いや、生憎と知らないけど」
「うーん、結構有名なんだけどなあ。『雨月山のウニ』の話」

「…………今、何と」

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 この物語を、奈良県明日香村の酒船石遺跡で見つかった亀型石造物に捧げます(笑)。

                                R/D

 以下は私の作品を掲載してもらっている健やかさんのHPです。

http://www1.kcn.ne.jp/~typezero/