ハーメルンの笛吹き男(5) 投稿者:R/D 投稿日:3月3日(金)23時20分
「2、3の人のいうところによると、盲目と唖の二人の子供があとになって戻ってきたという。
盲目の子はその場所を示すことが出来なかったがどのようにして楽師<笛吹き男>についていっ
たのかを説明することは出来た。唖の子は場所を示すことは出来たが、何も語れなかった。ある
少年はシャツのままとび出したので、上衣を取りに戻ったために不運を免れた。この子が再びと
って帰したとき、他の子供たちは丘の穴のなかに消えてしまっていたからである。
 子供たちが市門まで通り抜けていった路は18世紀中葉においても(おそらく今日でも)舞楽
禁制通りと呼ばれた。ここでは舞踏も諸楽器の演奏も禁じられていたからである。花嫁行列が音
楽の伴奏を受けながら教会から出てくる時も、この小路では楽師も演奏をやめて静粛に通りすぎ
なければならなかった。子供たちが消え失せたハーメルン近郊の山はポッペンベルクと呼ばれ、
麓の左右に二つの石が十字形に立てられていた。2、3の者のいうところでは子供たちは穴を通
り抜け、ジーベンビュルゲンで再び地上に現れたという」
                ――グリム兄弟『ドイツ伝説集』<ハーメルンの子供たち>



「で、どう言い訳するつもり」
「どうって」
「言っておくけどね、来栖川電工の中から顧客情報が漏れたことがバレたら終わり。相手に怪し
まれた段階でこちらは協力を止めるつもりよ」
「だからその名簿をオレに見せようとしないのか」
「その通り。あなたの対応策を聞いた段階で顧客の住所氏名を教えてあげるわ」

 浩之と綾香はファーストフード店の片隅で小さな声でやりあっていた。早朝のファーストフー
ドには意外と多くの客がいる。ほとんどが出勤前に簡単な朝食を取ろうとするサラリーマンやO
Lたち。時間に追われるように食事をする者たちは、誰も浩之と綾香に気を留めようとしない。

「と言ってもだ、ストレートに聞いて回るしかないだろうが」
「ストレートぉ?」
「そうだ。メイドロボが行方不明になっているかどうか。笛吹き男を見たことがあるかどうか。
正面から聞いてみるしかない」
「相手は不審に思うでしょうね。何でそんなことを見ず知らずの人間から聞かれるのかって」
「正直に言うさ。オレのマルチが行方不明になっている。他にも同じように行方の知れないメイ
ドロボがいるし、どうやらメイドロボを拉致している男もいるらしいってね」
「何でウチに来たのか。他にもメイドロボを持っている人は多いでしょうに」
「しらみ潰しに聞いて回っていますと言うしかないだろ。今までだってそうやって来た…」

 浩之は口を噤む。綾香は何が楽しいのか、相変わらずにやにやと笑いながら浩之の顔に視線を
固定している。

「…ちょっと待て、オレはもうあの路地の周辺はほとんどしらみ潰しに調べたんだ。あそこには
来栖川の客だって多かっただろう。今さら名簿をもらってもあんまり意味がないじゃないか」
「そう言えばそうね」
「そう言えばじゃないっ。ったくなんて時間の無駄だ。やめやめ」

 立ち上がろうとする浩之の手を綾香が掴む。睨んでくる浩之を平然と見返しながら綾香は口を
開く。

「これがただの顧客名簿なら、そりゃ藤田君にとっては意味ないでしょうね。ただの顧客名簿な
ら」
「…おい」
「来栖川には顧客相談センターってのがあってね、客の問い合わせに懇切丁寧に答えるのを仕事
にしてるとこなのよ。んで、そこで最近、急に増えている問い合わせがあってね」
「まさかそれ」
「そ。ウチのメイドロボがお使いに出たまま帰らないんです。いったいどうなっているんですか
ってね。当然、問い合わせてきた客の名前や住所も把握しているわよ」

 浩之は無言で綾香が持つ書類に手を伸ばした。綾香は素早くそれを背中に隠す。

「寄越せっ。それがあれば…」
「今までより効率よく、行方不明のメイドロボの持ち主だけ回ることができる。でもね、いきな
りやってきた目つきの悪い男に、おたくのメイドロボが行方不明ですねなんて言われたら、その
人はどう思うかしらね」
「…しらみ潰しに回った結果分かったことだと言えば」
「それで納得する人がいるわけないでしょ。さあ、どうすんの。どう言い訳するのかしら」
「くっ」

 黙り込む浩之。しばらく鼠をいたぶる猫のような表情で彼を見ていた綾香は、やがて徐に傍に
置いた鞄からレポート用紙を取り出した。

「まったく考え無しなんだから。仕方ないから手伝ってあげるわよ」
「手伝うって」
「佐藤君は昼間はクラブ活動やら何やらで忙しいんでしょ。だからこの来栖川綾香様がじきじき
に何とかしてあげようってこと」
「おい。どうするつもりだ」
「任せなさいって。相手が目の血走った男なら警戒する人でも、若くて美人の女性だと油断する
ことが多いわ。分かるでしょ」
「若くて美人だ? お前がとんでもなく思いあがった女だというのはよく分かった」
「あら、思いあがりじゃなくて真実よ。とにかく、あたしに任せてちょうだい。藤田君は黙って
隣に立っていればいいから」

 そう言うと綾香はさっさと立ち上がり、トレーをゴミ箱へと運んだ。そして入り口から振りか
えって浩之を急かす。

「何してんのよ。早く早く」



 男は目的地に着く。ここでは今日が初仕事だ。慌てる必要はない。男はゆっくりと周囲を見わ
たす。



「…ありがとうございましたー」
「いいえ。卒論頑張ってね」

 にこやかに頭を下げる綾香の向こうで主婦らしい女性が楽しそうに話す。門の外で待つ浩之の
ところまで来た綾香は、手に持ったクッキーを彼に渡す。

「…何だこりゃ」
「今の人にもらったのよ。疲れているでしょうから甘いものが欲しいんじゃないの、って」
「お前、詐欺師になった方が良かったんじゃないのか」
「誰のためにやってると思ってんの。別に止めてもいいのよ」
「すまん。オレが悪かった」

 浩之はすぐに頭を下げた。横目でその様子を窺った綾香は小さくため息をつく。腕に抱えたレ
ポート用紙に視線を落とす。卒業論文のためのフィールドワークとして、各家庭でのメイドロボ
の普及状況を調べています。そう言いながら名簿にある家々を回った結果、レポート用紙はもっ
ともらしいメモ書きで埋め尽されていた。だが、すべては無駄だった。

「…誰もメイドロボが行方不明になった理由は知らないし、笛吹き男らしい者を見た人もなし。
共通項は行方不明になった場所があのスーパーの近くだってことだけ」

 呟くように言う綾香の隣で、浩之は黙って地面を睨んでいる。

「白衣の男も、そのあとを追ってふらふらと歩くメイドロボの行列も目撃例はなし、か」
「あと回っていない家は」
「残りは3軒だけ。こりゃ参ったわ」

 綾香は目の前に続く細い路地を見ながら言った。流石に疲労の色が濃い。浩之も何も言わずに
立ち尽くしている。
 彼らの目の前の角を曲がって軽トラックが現れる。二人は道の片隅に寄ってトラックをやり過
ごす。トラックは少し走ったところで止まり、運転手が近くにあった古いアパートへと駆けあが
る。綾香は名簿を開き、地図と睨めっこをしている。浩之は何となくその運転手を眺めている。
 アパートの階段をいったん降りてきた運転手は、荷台を開けると大きなダンボール箱をそこか
ら引っ張り出した。メイドロボだ。何の名前も入っていないまっさらのダンボール箱を抱えて運
転手がアパートに向かう。アパートから飛び出した子供がその周囲にまとわりつく。母親らしき
顔の小さな女性が姿を現し、子供を叱りながらダンボール箱に満足そうな視線を送る。
 アパートの部屋に運び込まれるメイドロボを見ながら、浩之は心の中から浮かび上がる違和感
を感じていた。運転手がその女性からはんこを受け取る時も、彼は視線を逸らさなかった。

「…何してんの、浩之」
「え」
「次、行くわよ」

 振りかえると綾香が浩之の方を見ながらそう促している。浩之は頷いて彼女の後に従う。最後
に一度振りかえった彼の視界に、古いアパートが焼きついた。



 好調だ。男は心の裡でそう呟く。これはいい場所を見つけた。看板を見ながら男は嗤う。



 公園に着いた雅史は、ベンチに力なく座る男女二人組みを見て落胆を押さえられなかった。声
をかけても浩之は顔も上げず、その隣にいる綾香も昨日とはうって変わってやつれた表情を見せ
ただけだった。

「…駄目だったのかい」
「ええ。予想が甘かったみたいね。どこの誰に聞いても笛吹き男なんて知らない。そんなヤツを
見たことはない。そればっかり」
「いったいどういうことなんだろう」

 マルチが行方不明になってすでに丸3日になる。その数日前から他のメイドロボも行方不明に
なっているのだ。笛吹き男がいるのなら、相当数のメイドロボを連れ去っている筈だ。にも関わ
らず、目撃情報は相変わらずない。

「…まるで空中に消えたみたいね。スーパーの駐車場から路地に入ったとたん、ぱっと姿を消し
たとしか思えないわ」
「まさかそんな」
「…だとしても、連れていたメイドロボはどうなったんだ。メイドロボまで消えたと言うつもり
じゃないだろうな」
「できればそう言いたいわね」
「そんなわけがないだろう」
「ええ。そんなわけない。でもそうとしか思えない」

 雅史は二人を見下ろした。細長い影を落とした二人はその影に力を吸い取られているかのよう
に精気がなかった。

「…そういや、童話の笛吹き男も子供を連れて姿を消したんだっけ」
「ええ。確か笛吹き男が山に子供を連れて行ったら、そこに大きな穴があいて男と一緒に子供を
飲み込んだ筈よ」
「あの路地に、メイドロボを飲み込むような穴は…」
「あるわけない。何を言ってるんだ」
「…そうよね。穴に飲み込まれたのでも空中に消えたのでもない。間違いなく、笛吹き男はメイ
ドロボをどこかに連れて行ったのよ」

 綾香は手に持った書類に視線を落とした。一日中持ち歩いた書類はくたびれ、あちこちに皺が
寄っている。

「この名簿も役に立たなかった、か」
「…………」
「…仕方ないわね」

 呟いた綾香はゆっくりと立ち上がった。雅史と浩之を見た彼女は意を決したように言葉を発し
た。

「最後の手段をとるわ」
「最後の手段?」

 雅史が彼女の顔を見る。綾香は静かに頷いた。

「ええ。取りあえず今分かっているのは、メイドロボがあのスーパーの近くで行方不明になるっ
てことだけ。だから、それを利用するわ」
「利用するって、いったい何をするつもりなんだい」
「あたしに考えがある」

 綾香はそう言うと口元に笑みを浮かべた。

「…でも、これはあたしだけでやるわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」

 雅史が大声を上げる。浩之が訝しげな表情で綾香の顔を見上げる。その顔に次第にいつもの自
信に満ち溢れた表情が浮かんでくるのを、雅史は呆然と見つめた。

「いったい何をやるつもりなんだよ」
「色々とね。大丈夫よ、貴方たちには迷惑はかけないから」
「おい、綾香」
「と言うより、貴方たちがいても役に立たないって言った方がいいかな」
「何だって」
「心配しないで。任せときなさい」

 彼女はそう言うと二人に背を向けた。雅史は彼女に声をかけたが、彼女は振りかえることもな
く公園を出て行った。やがて物陰から彼女のものらしい自動車のエンジン音が沸きあがり、遠ざ
かっていく。立ち尽くして見送った雅史が振りかえる。ベンチに腰を下ろした浩之は、腕を組ん
で正面を見つめていた。

「浩之。彼女はいったい何を考えているんだい」
「…さあな」

 ぶっきらぼうに答えると浩之はベンチを立った。そのまま雅史と視線を合わせずに公園から出
て行こうとする。

「お、おい浩之。どこ行くんだよ」

 足を止めた浩之は振りかえらずに答える。

「…オレなりに確かめたいことがある」
「ちょ、ちょっと待ってよ。確かめたいことって」
「すまんな雅史。わざわざ来てもらったけど、今日はもういい」
「もういいって」
「後はオレ一人で確かめる。だからもう帰ってもらってもいい」
「何言ってるんだよ浩之っ」

 雅史の声に答えず、浩之は片手を上げて公園を出て行く。しばらく彼の後ろ姿を見ていた雅史
は、やがて憤懣やる方ないといった表情で彼の後を追った。