ハーメルンの笛吹き男(4) 投稿者:R/D 投稿日:3月3日(金)00時02分
「こうした事態を目撃したのは、幼児を抱いて遠くからついていった一人の子守娘で、娘はやが
て引き返して町に戻り、町中に知らせたのである。子供たちの親は皆家々の戸口からいっせいに
走り出てきて、悲しみで胸がはりさけんばかりになりながらわが子を探し求めた。母親たちは悲
しみの叫び声をあげて泣きくずれた。直ちに海陸あらゆる土地へ使者が派遣され、子供たちかあ
るいは何か探索の手がかりになるものをみなかったかが照会された。しかしすべては徒労であっ
た。消え去ったのは全体で130人の子供たちであった」
                ――グリム兄弟『ドイツ伝説集』<ハーメルンの子供たち>



 朝日の中を雅史は急いで歩いていた。昨日、浩之に呼び出されて歩いた路地をつたう。清々し
い空気を切り裂き、少しでも早く。角の向こうに昨日の空き地が見える。路地に近い場所に浩之
が立っている。雅史は声をかける。

「浩之っ」
「…おう」

 目線だけを動かして合図した浩之は再びそれまで見ていたものに顔を向ける。雅史もそちらを
見る。そこには眼鏡をかけた男がいる。白衣の裾が泥で汚れるのも気にせず、男は空き地にしゃ
がみこみ、そこに放置されていたメイドロボの頭部を取り上げてためつすがめつしている。

「…浩之、この人は」
「ああ。昨日言った…」

 二人の声が聞こえたのか、男がいきなり立ちあがって振りかえる。手にはメイドロボの頭部を
持ったままだ。砕かれた跡も生々しい頭部を正面に抱えて男が雅史を見る。

「おや、こちらは」
「オレの知り合いで佐藤って言います」

 浩之の簡単な紹介に合わせ、雅史は頭を下げる。眼鏡の男はふんふんと頷くとすぐに雅史に対
する興味を失ったようで、その場でまたしゃがみ込みメイドロボの残骸をさらに調べだした。浩
之が雅史を見て、こちらが来栖川電工の長瀬さんと告げる。男は次々に残骸を取り上げ、丹念に
見ている。

「…長瀬さん」
「はい?」
「何か、分かりましたか」
「…そうですねえ」

 呟くように言った男は、よっこらしょと年寄りじみた声を上げながら立ちあがった。相変わら
ず手にはメイドロボの頭を抱えたままだ。メイドロボの虚ろな目が浩之と雅史を見る。

「ここのとこ、見てください」

 男が手に持った頭部を突きつける。雅史は一瞬仰け反ったが、男に促され少しずつ顔を近づけ
ていった。浩之も男の指差すところに注目する。メイドロボの首筋、普段はその頭髪に隠れて見
えない部分を男は示す。雅史が見たその部分には、何かを削り取ったような跡があった。

「…分かりますか」
「削られていますね」
「その通りです。実はここにメイドロボの製造ナンバーがバーコードで記されている筈なんです
けどね」
「何ですって」

 浩之が男の顔を見て大きな声を出す。眼鏡の男は相変わらずメイドロボの頭部をひねくり回し
ながらぼそぼそと話す。

「…メイドロボの個体識別の方法は色々とあります。この製造ナンバーはどちらかと言うとメイ
ドロボのボディ識別用のもので、AIを含めた擬似人格システムを動かす並列処理コンピュータ
の場合はCPUのシリアルナンバーなどで区別できるようになっているんですけどね」
「そっちはどうなんですか」
「この個体の場合、CPUの一部は取り外されていますし、一部はバルク品と入れ替えられてい
るようですな。まあ、もともとCPUなんかは購入後に取りかえる人も多いんで、あまり個体識
別の役には立たないんですがね」
「じゃあ…」

 雅史が頭部だけになったメイドロボから目を逸らすようにしながら言う。

「じゃあ、このメイドロボの持ち主が誰かはもう分からないんですか」
「たとえ製造ナンバーが残っていても持ち主が不明であることも珍しくないんですよ」

 眼鏡の男は長い顔で何度も頷きながら言葉を繋いだ。

「…ユーザー登録してもらわないことには、知る手だてはありませんからねえ」
「畜生。それじゃこのメイドロボが拉致されたものかどうかも分からないのかよ」
「いえ、それは分かります」

 長瀬の淡々とした言葉に浩之は目を剥いた。

「…普通にメイドロボを購入したユーザーがわざわざ製造ナンバーを削ることはあり得ません。
このメイドロボは、何らかの不正な取引の対象になったものでしょう」
「ならやはりこれは拉致されたメイドロボ」
「その可能性はありますねえ」
「そうか、やっぱり『笛吹き男』はここを通ったんだなっ」

 メイドロボを見ながら説明を続けていた長瀬が顔を上げた。その目は浩之を不審そうに見つめ
ている。

「笛吹き男?」
「ああ。マルチを攫ったヤツだ」
「…ほう」

 眼鏡の奥の目が細められる。浩之は雅史に視線を移して言葉を繋ぐ。

「雅史、今日はこの辺りでセリオタイプのメイドロボを持っていて、そのロボが行方不明になっ
ている人を捜そう。もしかしたらこの壊されたメイドロボの持ち主が見つかるかもしれない」
「いや、それが…」
「…どうしたんだ」
「ごめん。今日は外せない用事があるんだ。クラブの方で」
「あ、そうか」

 浩之は雅史を見ながらそう呟いた。雅史は大学のサッカー部に入っている。体育会系だけに練
習は厳しい。浩之の都合だけで振りまわすわけにはいかない。

「夕方以降なら何とか時間を空けられるよ。だから」
「分かった。それじゃ夕方に例の公園で落ち合おう。それまではオレ一人で何とかする」
「…ところで、その笛吹き男というのは何者なんですかね」

 横合いから長瀬が口を挟んだ。浩之は手短にこれまでの調査結果について説明する。それを聞
いた長瀬は何事か考えるように宙を睨んだ。雅史がその長い顔を覗き込む。長瀬は一つ頷くと浩
之たちを見た。

「分かりました。この周辺で我が社のメイドロボユーザーとして登録している人の一覧を手に入
れてみましょう。いや、本当は外部の人に見せてはいけないんですがね。そういうのがあった方
が調べやすいでしょう」
「本当ですか。是非ともお願いします」
「ええ、それに私の方でも色々と調べますよ。連絡先を教えていただけますか」

 浩之は携帯電話の番号を伝えた。



 男は歩く。そろそろ河岸を変えなくては。周囲を窺うように視線を走らせる。手の中の道具が
軋む。



 昼の太陽が真上にある。浩之は路地に面したタバコ屋の軒先に置かれた缶飲料の自動販売機の
前に立つ。早朝から歩き回っているため、顔には疲労の色が濃い。缶飲料を取り出すと彼は近く
の電信柱に凭れるようにしながらその中身を飲み干した。
 狭い路地が縦横に交差するこの辺りは、普段浩之があまり通ることのない地域だった。彼の自
宅周辺は綺麗に区画された住宅街であり、大学へ通学するために通る駅までの道も整備された広
い道だ。こうした路地を楽しんで走りまわっていたのはまだ子供だったころ。小学校のころまで
だろうか。今ではもう用もないのにこんなところへ入り込むことはない。

「…お前がやったんだろ」
「そうだそうだ」
「違わいっ。オレんちは関係ないっ」

 角から駆け出してきた子供たちの声が浩之の耳を打つ。浩之は缶を手に持ったままそちらに視
線を向ける。複数の子供が一人を取り囲んで囃したてている。

「お前んちがいきなり買えるなんておかしいじゃないかっ」
「そうだよ。今まで持ってなかったのに、どうしていきなり買えるようになるんだよっ」
「悪いのかよ。ウチがメイドロボ買っちゃ悪いかよっ」

 むきになって言い返している子供が着ている服には、肘や膝の部分に布が当ててあった。浩之
の脳裏に誰かの姿が浮かぶ。

「買ったんじゃなくて盗んだんだろっ。先生のものをお前が取ったんだ」
「違う違う違う」
「泥棒っ」
「泥棒じゃないっ。買ったんだっ」
「先生言ってたじゃないか。メイドロボが行方不明になったって。あれはお前がやったんだ」
「やってないっ」

 浩之の手の中にある缶が握りつぶされる。彼は大またで子供たちに近づくと大声を上げた。

「おい。ちょっといいか」

 子供たちが振りかえる。浩之は一人一人の目を睨むようにしながら、誰のメイドロボが行方不
明になったのか問い質した。



 男は過去を思い出す。誰も彼の価値を認めてくれなかった頃のことを。手の中の道具が汗でべ
とつく。



「…ええ、確かにセリオタイプです。私の家で購入したものです」

 浩之の前にいる若い女性教師がそう話す。先ほど出会った子供たちの担任教師。自宅で購入し
たメイドロボが最近になって行方不明になった。彼女はそう話した。

「でもそれが貴方に何の関係があるんですか」

 彼女の顔に浮かぶ警戒の色。浩之は何度目かになる説明を始めた。自分の購入したメイドロボ
も行方不明になったこと、警察があてにならないこと、そこで自分でその行方を探そうと決心し
たこと。さらに彼はあの空き地で発見したセリオタイプのメイドロボの残骸についても話した。
彼女の顔が青褪める。

「あなたのメイドロボは、どこで行方不明になったんですか」
「それが、よく分からないんです。何しろ買い物に行ったきり帰ってこなかったもので」
「買い物…」
「ええ、あそこのスーパーで」

 やはりマルチが行方不明になったあのスーパーだった。浩之は唾を飲み込む。見つけた。やっ
と自分と同じ被害者を発見したのだ。さらに詳しい話を聞きたいと彼は告げた。こういう話をず
っと学校でしている訳にもいかない。彼女は頷き、近くにある喫茶店の名をあげた。浩之は一足
先にそちらへ向かうと言い、学校を出た。

 喫茶店に彼女がやって来たのは30分ほど後だった。改めて互いに自己紹介する。彼女はどう
やら両親と一緒に暮らしているらしい。セリオも彼女の両親が購入したのだという。是非とも欲
しいと思ったわけでもないが、彼女の母親が近所の主婦から話を聞いて買うつもりになったらし
い。もう持っている人も多いし、それに結構便利なんだって。買い物とかで重い荷物を持ってく
れれば助かるしね。安くなったからそろそろ買ってもいいでしょう。

「…まあ、実際に買い物なんかはほとんど任せていたし、確かに便利ではあったわね」
「行方不明になったのはいつ頃ですか」
「ええと、4、5日前かしら。普段のように買い物に行かせたらいつまでたっても帰ってこなか
ったの。警察に届は出したけど探すつもりはなさそうだったし、どうしようかと思ってるところ
よ。不便で困るんだけど、新しいのを買うのも何だか腹が立つしね」
「買い物はいつもあのスーパーで?」
「ええ。夕方にあそこで買い物をして、戻ってから食事を作るのがいつものパターンよ。メニュ
ーもほとんどサテライトサービスに任せっきりだったわね」

 彼女はそう言うと目の前のコーヒーを口元に運ぶ。浩之はいよいよ『笛吹き男』の話を持ち出
すことにした。彼女が顔を顰める。

「笛吹き男?」
「ええ。そんな男が目撃されているんです。心当たりとか、そういう男を見た記憶とかありませ
んか」
「それって童話の? あれでしょ、鼠を連れて海か何かに行くっていう」
「鼠じゃなくて、メイドロボを連れていったらしいんですよ。どこに行ったかは分からないんで
す。少しでもいいから情報を集めたくて」
「…ねえ。ちょっと聞いていい?」

 彼女はいきなり姿勢をあらため、浩之の顔を正面から見据えた。浩之はどうぞと答える。

「…何でそんなに必死に犯人を捜しているの」
「そりゃ、オレもメイドロボを取られたわけですから。何とかして取り返せないかと思って」
「そうかなあ。あたしは別のことを考えたけどね」
「え?」
「他人についていったのが事実なら、そのメイドロボは不良品よ。持ち主以外に簡単についてい
くような道具なんて使えないじゃない。あたしだったらそういう風にメーカーに文句つけるわ。
そして代わりに新品を寄越せって言うけどね」
「…な」
「だってその方が得じゃない。今じゃセリオタイプよりいいものが出ているんだからさ。やっぱ
り新しいのがいいわよ」

 彼女は得々と語っている。浩之はテーブルの下で拳を握った。無表情を装いながら彼女の言葉
を遮り、冷静な声を作る。

「オレがマルチを探している理由はどうでもいいです。それよりオレの質問には答えてくれない
んですか」
「え? 質問って?」
「笛吹き男ですよ」
「ああ。笛を吹きながらメイドロボを連れて歩いていた男のこと。そんなの聞いたことないわね
え」
「本当に聞いたことありませんか」
「ないってば。第一、笛を吹いていたってだけで、どんな格好しているかも分からないんじゃ」
「格好は分かります。白衣を着て背の高い…」

 浩之は言葉を途切れさせた。白衣を着た背の高い男。自分はその条件に当てはまる人物をごく
最近、見かけたのではないか。浩之の沈黙を気に留めず、彼女は話す。

「やっぱり知らないわ。お役に立てなくてごめんね。じゃあたし、用事があるから」

 立ちあがる彼女を見て浩之は慌てて話す。

「ちょっと待って」
「え、何?」
「いや、さっきも言ったけど、この近くにセリオタイプのメイドロボが棄てられているんだ。で
きたらそれを見てもらいたいんだけど」
「何で?」
「いや、だから、そのセリオタイプが貴方の家のものかもしれないし…」
「見たって分からないわよそんなの。セリオタイプなんてあちこちで見かけるじゃない。それに
万が一ウチのだとしても、棄てられた汚いメイドロボなんかいらないもの」
「な…」
「あのね、ウチは無理すればまたメイドロボを買い替えることだってできるの。父なんかそうし
た方がいいって言ってるのよ。またメーカーに儲けさせるのが嫌だからそうしないだけ。貴方み
たいに古いメイドロボでも取り返さなくちゃならないほど貧乏じゃないの。分かった」

 そう言うと彼女は足音高く出て行った。机の上には彼女が飲んだコーヒー代が置かれている。
浩之はその硬貨を見つめ、唇を噛んだ。



 男は周囲を見回す。ここならいい。男の視界に看板がある。男がかつて勤めていた企業。男は
心底楽しそうに笑みを浮かべる。



 日は傾く。マルチが行方不明になってほぼ丸2日。メイドロボの残骸を目の前に胸のうちに焦
燥を抱え、浩之は立ち尽くしている。隣にいる雅史は声をかけることもできず、その様子を見守
っている。
 クラブ活動を終えた雅史と合流し、再び浩之は周辺の聞き込みを行った。どこにも笛吹き男を
見かけた目撃者はいなかった。購入したメイドロボが行方不明になっている人も。この空き地に
転がるセリオタイプの持ち主が誰なのかも、いまだに分からないままだった。

「…浩之」
「…………」
「浩之」

 雅史の度重なる呼びかけに浩之が振りかえる。表情をそぎ落としたようなその顔を見ながら雅
史は言葉を押し出す。

「…そろそろ、日が暮れるよ」
「…………」
「いつまでもこうしていても仕方ないだろ」
「…………」
「今日はもう諦めよう。心配なのは分かるけど、これ以上あたっても無理じゃないかな」
「…諦める」
「ああ。それに長瀬さんが言ってただろ。メイドロボ購入者の名簿を何とかして手に入れてくれ
るって。名簿を見てからでもいいじゃないか。それから…」
「それから順番に名簿に載っている人を当たっていくのか。おたくのメイドロボは行方不明にな
っていませんかって」
「それしかないだろ」
「行方不明だという人には、今度は笛吹き男を見かけませんでしたかって聞くわけだ。で、そこ
で見かけた人がいたら、どこでいつ、どんな顔をしていて、どんなことをしていたかを問い質し
て。そうやって目撃情報を集めていくんだな」
「そう、だけど」
「いったいどのくらいの時間がかかるんだ。何日、何週間、何ヶ月かければ笛吹き男に辿り着け
るんだ。どうなんだよ雅史っ」
「…そんなことを言われても」
「その間、マルチが無事だって保証はあるのかっ。このメイドロボみたいにならないって言いき
れるのかよっ」

 大声で喚く浩之を悲しそうな目で見る雅史。一通り騒ぐと浩之は再び不機嫌な沈黙の中へと沈
んでいく。さらに太陽が傾く。自動車の警笛が鳴る。雅史は背後を振りかえった。スポーツタイ
プの国産車が彼の後ろにいる。運転席から長髪の女性が顔を突き出す。

「久しぶり。えーと、佐藤君だっけ」
「え?」
「あら、覚えてないの。こんな美人の顔を忘れるとは大したもんじゃないの」
「へ?」

 ひたすら呆気に取られる雅史を無視するように車を降りた女は、空き地に立ちすくむ浩之を見
ると獲物を見つけた肉食動物のような笑みを浮かべて彼に声をかける。

「なーに黄昏てんのよ。藤田君」
「…誰だよお前」

 ただでさえ怖い浩之の目つきがより凶悪に歪む。その顔を見た女が舌なめずりせんばかりに楽
しそうな表情をする。

「あなたまで忘れたとはねえ。それともどっかに脳みそを置き忘れてきたの」
「何だと」

 低い声で凄む浩之。女はまったく動じた様子がない。

「おい、オレは今とても不愉快なんだよ。見ず知らずの他人をからかいに来たのなら別のヤツに
しとけ」
「あらあら。あたしは見ず知らずの他人をからかうほど暇じゃないわよ」
「…痛い目にあいたいのか」
「あわせられるもんならね。葵相手にのされていたような男に負けるつもりはないけどね」
「葵…」

 浩之の目に訝しげな色が浮かぶ。高校時代に同じクラブにいた後輩の名を聞いて考え込んでい
た彼の脳裏で、一つの名前が目の前にいる顔と繋がる。浩之は思わずその名を口にする。

「…来栖川綾香」
「正解」

 女は腰に手を当て、胸を張った。雅史がその名を聞いてあっと短く叫ぶ。

「…ついでに言うとね、ここに来たのは来栖川電工のある人物から言伝を預かっているからなん
だけど」
「長瀬さんかっ」

 雅史の声に綾香は鷹揚に頷く。そして、背中に回していた手を高々と掲げて見せた。その手に
は束ねた書類が握られていた。

「この顧客名簿を届けてくれってね。藤田浩之なる人物に」



 夜。男は引き上げることを決める。明日からはここが舞台だ。今までの場所に近づくことはも
うない。新しいハーメルンから男は意気揚揚と引き上げる。