ハーメルンの笛吹き男(3) 投稿者:R/D 投稿日:3月2日(木)00時22分
「市民たちは鼠の災難を免れると、報酬を約束したことを後悔し、いろいろな口実を並べたてて
男に支払いを拒絶した。男は烈しく怒って町を去っていった。6月26日のヨハネとパウロの日
の朝――他の伝承によると昼頃となっているが――、男は再びハーメルンの町に現れた。今度は
恐ろしい顔をした狩人のいで立ちで、赤い奇妙な帽子をかぶっていた男は小路で笛を吹きならし
た。やがて今度は鼠ではなく、4歳以上の少年少女が大勢走り寄ってきた。そのなかには市長の
成人した娘もいた。子供たちの群は男のあとをついて行き、山に着くとその男もろとも消え失せ
た」
                ――グリム兄弟『ドイツ伝説集』<ハーメルンの子供たち>



 夢を見る。うなされて男は目覚める。汗を拭う。男は心の中で自分のいる場所を反芻する。



 浩之は怒ったような表情で歩いている。彼は午前中の人影が少ないスーパーの店内を先ほどか
ら徘徊し続けている。歩き回ればマルチが見つかるかのように。行方不明になった翌日、浩之は
開店と同時にこの店舗を訪れ、屋内のあらゆる所を睨みながら隅々まで見て回ろうとしていた。
少しでもヒントを見つけようとして。

「…お客様、何かお探しのものでも」

 彼に近づいてきたのは警備員の服装をまとった若い男。浩之より大きく、体重もありそうだ。
浩之は黙って首を横に振ると店内から出るべくレジへと向かう。警備員は浩之の後ろ姿をじっと
見つめている。浩之はレジの前の棚にあるガムを一つ手に取り、代金を支払って外へ出た。
 このスーパーは最近増えてきた郊外型のものだった。自動扉をくぐった浩之の前には広大な駐
車場が広がり、まばらに車が止まっている。駐車場は国道に面しておりピーク時にはそこからひ
っきりなしに自家用車が出入りする。今はそんなことはない。駐車場を回り込むように浩之は歩
く。ボックスワゴンが一台、国道から駐車場へと滑り込んできた。整理にあたる店員だろうか、
お仕着せの目立たない制服をまとった男がワゴンに向かって小走りに近づく。彼がワゴンを誘導
する様子を浩之は足を止めて眺める。
 ワゴンの始末をつけた係員が踵を返して駐車場の隅に向かう。そこには彼らの詰め所らしきプ
レハブの建物がある。浩之はその係員に向かって歩きだす。彼に声をかける。

「…何かご用ですか」

 立ち止まって振りかえった彼は、近づいてくる浩之にそう話しかける。浩之はゆっくりと歩い
て男の前に立つ。遠くで見た時には若い男かと思ったが、その印象は改める必要がありそうだ。
ところどころ深い皺の刻まれた顔を見ながら、浩之は口を開く。

「実は、もし知っていたら教えてほしいんですが」
「はあ」
「昨日の夕方ごろなんですが、メイドロボを見かけませんでしたか」
「えーと、メイドロボですか」

 男が奇妙な顔をする。

「メイドロボなら沢山見ましたけど」
「いえ、買い物に来たメイドロボじゃなくて、その」

 浩之は口ごもる。一人で歩いていたメイドロボと言おうと思ったのだが、よく考えればメイド
ロボが一人で歩いている光景自体は珍しくはない。いや、多くの家庭では買い物をメイドロボに
任せ、家人は自宅にとどまってテレビなどを観ているようだ。浩之のようにわざわざ付き合う者
はあまりいない。

「…実は、オレ、いや、私のメイドロボが行方不明になりまして」
「そりゃあ…」

 男はそう言って言葉を切った。彼はあくまで無表情に浩之を見る。浩之は身振り手振りも交え
ながらマルチの外見について説明したが、男の顔には変化はなかった。外見だけなら、マルチは
他のHM−12タイプと変わらない。

「…マルチタイプのメイドロボも多いですからねえ。昨日も大勢いたと思いますが」
「はあ。やっぱり心当たりはないですか」
「さて、私以外にも昨日仕事をしていた連中もいますから、何ならちょっと話を聞いてみましょ
うか」

 男は詰め所らしきプレハブを指差して言う。浩之は頷き、そちらへ向かって男と肩を並べて歩
く。扉を開いた男は中にいる同じ制服を着込んだ連中に簡単に事情を説明する。男の同僚たちは
年齢も顔つきもばらばらだった。いずれも浩之の問いに首を振る。浩之の表情に落胆の色が浮か
ぶ。部屋の隅から声があがる。

「そう言えば」

 浩之が声の主を見る。一番年齢が若く見える男が、浩之を見ながら呟くように言う。

「お客さんのメイドロボかどうかは知らないけど、妙なものを見たな」
「何を見たんですか」

 勢い込んで訪ねる浩之に彼は答える。

「いやね、変なものを口に当てた男が駐車場の隅を歩いていたんだけど、そいつの後ろに何体か
のメイドロボがついていってたんだよ」
「…何ですって」
「男の動きに歩調を合わせるみたいに、ゆらゆらと歩いていたな。最近のメイドロボは昔に比べ
て動きもスムーズになっている筈なのに、何だか妙にぎくしゃくと歩いていたから印象に残って
いるよ」
「どんな男ですか、そいつはっ」
「うん、確か白衣を着ていたな。けっこう、背は高かったと思う」
「顔は」
「いやあ、後ろ姿しか見ていないから」
「お前、そんな奇妙なもんを見ていたなら報告しろよな」

 若い男の隣にいる同僚がそう声をかける。男は頭をかきながら見たのは一瞬で、忙しさにかま
けているうちに忘れてしまったと話す。浩之はその会話を遮るように若い男を問い詰める。

「どこで見たんですか、駐車場のどの辺りで」
「えーと、ちょっと待ってよ」

 男は立ちあがるとプレハブの戸口から外を覗く。浩之が隣に立つ。男はスーパーの敷地内から
あまり人通りの多くない路地へと通じている付近を指差す。

「あの辺だ。あそこから路地の方へ歩いていったよ」
「…それにしても何だな」

 二人の背後から顔を覗かせていた背の高い男が呟くようにいった。

「変な男が先頭に立って、そのあとをぞろぞろとついて行ったなんてあれだな。まるでほら、ア
ンデルセンか何かの」
「そりゃアンデルセンじゃなくてグリムだろ」
「ああ、あの」

 係員たちがさんざめきながら言葉を交わす。浩之の脳裏にあの有名な話が思い浮かぶ。

『ハーメルンの笛吹き男』



 男はくつろいでいる。今日はもう仕事はしない。成果は十分だ。男は口元を吊り上げる。



 浩之は公園のベンチに腰を下ろしていた。先ほどまで中天にあったかと思える太陽はすでに西
に傾き、長い影を落とす。ベンチの背もたれに身体をあずけ、浩之はため息をつく。まだ青い空
に視線を据え、唇を噛み締める。公園の入り口近くにある路地を子供たちが駆けていく。足音に
気づいてそちらに顔を向けた浩之は、再び空に目を戻す。地面を踏みしめる音が近づく。

「…浩之」

 声の方角を見た浩之はすぐにベンチから立ちあがると、彼に向かって歩いてきた若い男に頭を
下げた。

「すまん、雅史。変なことを頼んで」
「いや、別に僕は構わないけど」

 いきなり頭を下げられた友人は慌てたように手を振り、浩之を促して元の姿勢に戻した。夕日
が二人を照らす。

「それにしても何がどうしたって言うのさ。メイドロボが行方不明って聞いたんだけど」
「ああ。昨日のことなんだ」

 浩之はこれまでの経緯を彼に話し始めた。スーパーの店内でマルチが消え失せたこと。警察は
頼りにならないこと。駐車場の係員の目撃談を聞き、それから男とメイドロボたちが消えた路地
でずっと聞き込みを続けたこと。だが、誰も白衣の男を見たものはいなかった。メイドロボを連
れた『笛吹き男』の痕跡は、駐車場を出たところでふっつりと途切れている。
 浩之は雅史に協力を頼んだ。一人では効率が悪い。できれば目撃者捜しを手伝ってくれないだ
ろうか。手分けして聞き込みをすれば、新しい情報も入るかもしれない。無理は承知のうえで何
とかして欲しい。雅史は頷きながら質問する。

「…その男に連れ去られたのは間違いないのかな」
「どういう意味だ」
「例えば、何か理由があって浩之の前に姿を現すことができなくなっているとか」
「そんなことがある訳ない」

 浩之は強い口調で否定した。

「あいつがオレから姿を隠す理由なんかない。あいつとオレの関係はそんなもんじゃない。何が
あったって、あいつはオレから逃げる筈はない」
「他には理由は考えられないのかな。事故とか何とか」
「どんな事故があり得るってんだ? 車に轢き逃げされたとでも言うのか? だいたい、姿を消
したのは屋内だ。外で道に迷ったわけでもない。スーパーの中で待っていればオレと一緒になる
ことができたんだぞ。なのにあいつは消えちまった」

 浩之は雅史を睨むようにしながら断言した。

「マルチは拉致されたんだ。それしか考えられない」

 雅史はゆっくりと頷くと、もう一度スーパーまで戻ってそこからやり直そうと提案した。闇雲
に駆け回っても時間を費やすだけだ。その言葉に浩之も納得し、二人はスーパーまで通じる路地
を歩き出す。太陽はいよいよ傾き、次第に辺りは夕日の赤に染まり始める。目に映る景色が一つ
の色に収斂していく。
 二人の目の前に一匹の野良犬が飛び出す。野良犬は口に銜えたものを取られまいとするかのよ
うに姿勢を低くして二人の様子を窺う。銜えたものが太陽の光を反射して煌く。浩之の目が見開
かれる。二人に背を向けて野良犬が走り去ると同時に浩之が叫ぶ。

「…見たか今の」
「え?」

 雅史が戸惑いの声を上げる。浩之は説明もせず、野良犬が飛び出してきた路地脇の空き地を睨
む。草が生い茂ったその空き地もまた、夕日に染め上げられている。浩之は無言のままその中に
入る。雑草を踏みしめ押し分け、空き地の奥へ向かう。

「どうしたのさ、浩之」

 背後に雅史が続く。浩之は草をかきわけ、視線を走らせながら叫ぶように言う。

「あの野良犬が銜えていたもの。あれはメイドロボのセンサーだ」
「何だって」
「メイドロボの耳についてるだろ。あの犬はそれを銜えてたんだよ」

 浩之の足が止まる。空き地の一角に彼の視線が据えられる。浩之はその場所に向かって走る。
雅史が続く。乱暴に雑草をへし折り、踏みしだいた浩之は、その陰から姿を現したものを見て息
を呑んだ。

 そこには、メイドロボの残骸があった。四肢をもぎ取られ、頭部を砕かれ、胴体に巨大な穴が
開いていた。
 雑草に絡むメイドロボの長い髪を見ながら、浩之は強く奥歯を噛み締めた。



 男は歩く。夜の道を軽やかな足取りで。男の顔は楽しげに綻んでいる。密やかな愉悦の時に期
待を膨らませながら男は歩く。



「…警察は来ないよ」

 すっかり暮れた路地を照らす街灯の下に雅史が現れ、そう話す。浩之は驚愕の表情を浮かべ、
大声を上げる。

「どうしてだ。何で来ないんだよ」
「廃棄物の管轄は警察じゃないってさ」
「何だって」
「不法投棄されたメイドロボの処理を担当するのは警察じゃなくて地元自治体だ。警察が介入す
べき事柄じゃない。ついてはこちらへ連絡してくれって廃棄物処理センターの電話番号を教えて
くれたよ」

 浩之は激したように悪口雑言を吐き棄てる。雅史は黙って彼の顔を見た。夜に沈んだ浩之の横
顔が揺れる。彼が落ち着くのを待って雅史は口を開いた。

「警察をあてにしても仕方ない。そう言ったのは浩之だろ」
「…ああ、そうだな。こうなりゃオレたちで何とかするしかないだろうな」
「でも、具体的にどうするのさ」
「考えてるよ、今」

 腕を組んだ浩之はそう話すと空き地に横たわるセリオタイプのメイドロボの残骸を睨んだ。そ
れは闇に埋もれてほとんど見えない。浩之はゆっくりと言葉を押し出す。

「あれがある以上、やっぱり『笛吹き男』がこちらの方に来たのは間違いないんだろうな」
「そうとも限らないんじゃないのかな」
「どういう意味だ、雅史」
「いや、あのメイドロボが誰かに拉致されたものとは限らないってことだよ。もしかしたら持ち
主が勝手に棄てただけかも…」
「何だと」
「粗大ゴミやリサイクルに出すとお金がかかるから、だからこの空き地に…」
「もしもそうなら、そんなヤツにはメイドロボを買う資格はないっ」
「それはそうかもしれないけどね」

 雅史は浩之に冷静な視線を向けながら言葉を連ねる。

「…とにかく、あれが拉致されたロボットなのか、そうでなくてただ棄てられただけなのかを確
かめることが先決じゃないかな」
「だけどどうやって確かめるんだ」
「さあ。僕にはやり方は分からない。製造番号か何かを調べて、そこから持ち主を捜し出して聞
いてみるとかしないと」
「製造番号か」
「ロボットのどこに製造番号があるか、浩之には分かるかい」
「いや…」

 浩之は闇を見据えながら小さな声で呟く。雅史は腰に手を当て、首を振った。

「それじゃ、どうしようもないか」
「…そうとも限らんぞ」

 浩之は大きく一つ頷くといきなり走り出した。

「…浩之っ」
「ついてこい、雅史っ」

 雅史は慌てて足を動かす。二人は路地を駆け抜け、広い道に出る。まだ人通りの多い町並みを
駆け抜ける。浩之が自宅に向かっているらしいことに雅史は気づいた。普段あまり運動をしてい
ない筈の浩之の走る速度になかなか追いつくことができない。住宅地を通り過ぎ、浩之は自分の
家に駆け込んだ。
 玄関で雅史が息を整えている間、浩之は二階の自室で何かを探しているようだった。やがて扉
を蹴り開ける音と階段を駆け降りる音が上から響く。雅史の目の前に飛び出した浩之は手に持っ
た紙を睨みながら受話器を取り、プッシュボタンを押し始めた。

「…どこに電話してるのさ」

 浩之は少し彼の方に視線を向けただけで、雅史の問いには答えようとしなかった。受話器の向
こうに意識を集中している。相手が出てくると、浩之は勢い込んで説明を始めた。暫く続く押し
問答。浩之の顔に苛立ちが浮かぶ。数分たらい回しが行われた後になって、ようやく呼び出して
いた人物に電話がつながったらしい。浩之が真剣な表情で言葉を紡ぐ。

「…ええ、そうです。あのマルチを買った者です」

 電話の向こうからの問いに答える浩之。やり取りを続けるうちに、次第にその表情が明るさを
増してくる。受話器を置く時には、口元に薄く笑みさえ浮かべていた。浩之は隣で不可思議な表
情をしている雅史を見て言った。

「…明日の朝一番で調べに来てくれるそうだ」
「誰が」
「専門家さ」

 そう言ってニヤリと笑う。

「来栖川電工で、マルチを開発した人だ」



 男は作業を始める。器具をそろえ、目の前にあるモノの分解に取りかかる。男の額を汗がつた
う。男は黙って手を動かし続ける。