ハーメルンの笛吹き男(1) 投稿者:R/D 投稿日:2月28日(月)22時12分
  キリスト生誕後の1284年に
  ハーメルンの町から連れ去られた
  それは当市生まれの130人の子供たち
  笛吹き男に導かれ、コッペンで消え失せた
                       ――ハーメルン市参事会堂に刻まれた言葉



 昼下がりのファーストフード店。遅い昼食をかきこむサラリーマンらしい若い男や、学校をサ
ボって駄弁る女子高生たち、子供を連れた若い主婦といった人々ががらんとした清潔さに溢れた
店内に散在する。浩之はその中をつたってカウンターへと向かった。

「いらっしゃいませぇ」

 マニュアル通りの顔をしたバイトの店員がマニュアル通りの声を張り上げる。浩之は彼女の横
からカウンターの奥を覗き込んだ。手前の客に近いところには主に女性が、奥の調理スペースで
は男性が忙しく立ち働いている。ハンバーグを焼いている顔の小さな女性の傍に、お目当ての人
物がいた。ちょうど煮立った油からフライドポテトを引き上げ、塩をふりかけているところだっ
た。その存在を確認した浩之は、目の前の店員にセットメニューを注文した。大きな声で注文を
反復した彼女は、少々お待ち下さいと九官鳥のような声で告げ奥へと引っ込んだ。

「…理緒ちゃん」
「え?」

 フライドポテトを紙の容器に入れた彼女が振りかえった瞬間に呼びかける。自分の名を聞いた
彼女の視線が泳ぎ、やがて浩之をとらえる。顔に浮かべた驚きの色は、それほど長くはとどまら
なかった。彼女はニッコリ笑ってみせると、すぐ自分が待たせていた客のところへ足早に向かっ
た。ファーストフード店のどぎつい制服に身を包んだ彼女が、かつてよく見た小さなストライド
で走る。浩之は自分が注文したテイクアウトの品を受け取ると彼女に合図して店を出る。すぐに
彼女が店外へ出てきた。

「驚いたわ、藤田くん。どうして私がここで働いてるの知ってたの」

 息を弾ませる彼女を正面から見ながら浩之は言った。

「今、大丈夫なのかい」
「いえ、仕事中だからそんなに時間は取れないけど」
「仕事はいつごろ終わるのかな」
「あと一時間くらいかかるけど」
「そうか。それじゃさ、一時間半後にあそこの喫茶店で会わない? 久しぶりだし、せっかくだ
から色々と話もしたいし」
「ええ。いいわよ」

 浩之が指差す店を見て大きく頷いた拍子に、彼女の跳ねあがった前髪が揺れる。浩之はそれじ
ゃ決まりと言ったあとで言葉を継いだ。

「…オレの大切な“人”に教えてもらったんだよ」
「え?」

 理緒の顔に訝しげな翳が差す。浩之はセットメニューが入った紙袋を握りなおしながら笑って
口を開いた。

「理緒ちゃんがここで働いていることを知った理由。偶然、その“人”が理緒ちゃんを見かけて
ね。オレに教えてくれたのさ」
「…そう」
「後で“彼女”も紹介するよ。じゃ、待ってるから」

 店の前で立ちすくむ理緒に軽く手を振り、浩之はその場に背を向けた。後ろ姿を暫く見送った
彼女は、やがて微かに笑みを浮かべると再び店内へ足を踏み入れた。仕事の続きをするために。



 男は懐に入れた手を動かす。握り締めたものが微かに軋む。使いなれた道具の感触が、男の緊
張を僅かながら和らげる。男は再び歩き出す。



 理緒は古びたドアの取っ手を握り、押し開けた。屋内に閉じ込められていた強い香りが彼女を
包む。コーヒーの匂い。暗い室内には磨きこまれた木製の机、椅子、戸棚、壁がある。カウンタ
ーの中から店主らしい男が彼女に視線を向けた。理緒は暗さに目を馴らすようにゆっくりと室内
を見まわす。隅の一角で身体を捻りながら彼女に向かって手を上げる男の姿があった。
 その隣に座った影が理緒の目に入る。短く揃えた頭髪が浩之の動きに合わせるように揺れる。
理緒は浩之に頷いて見せると、そのテーブルに向かい、彼の正面に腰を下ろした。浩之に挨拶を
した後で視線を横にずらす。メイドロボがいた。理緒の目線に気づいた浩之が口を開く。

「覚えてるかい。ほら、オレたちの学校に試験運用にきたことがあっただろ」
「ああ、そう言えば」

 理緒の記憶が甦ったのに歩調を合わせるようにそのメイドロボが柔らかな笑みを浮かべて頭を
下げた。彼女に向かって、前に買い物に来た時にお見かけしました。昔、学校でお会いしたこと
を思い出したけど、いきなりそう話しかけても驚かれると思ったのでその時は黙っていましたと
話す。意外と低い声に戸惑いを覚えながら理緒はメイドロボに向かって改めて自己紹介をした。

「そんなに改まることはないよ、理緒ちゃん。マルチはあの時学校で会った人は全部記憶してい
るんだから」
「え? そうなの」
「もちろんさ。でなきゃ、買い物に行ったときに理緒ちゃんを見かけてもそうと分からないじゃ
ないか」
「あ、そっか。言われてみればそうだよね」

 照れたように笑う理緒に浩之は色々と質問をぶつけた。それぞれの近況を報告しあう。高校を
卒業した浩之は大学になんとか合格し、今では自宅から大学に通っている。理緒は相変わらずバ
イトをしながらの生活だ。大学に行くだけの金はなかったが、バイトの合間に専門学校へ行って
いるのだという。

「でも藤田くんもメイドロボを買ったとは思わなかったなあ」
「あれ、そんなに意外だったか」
「ううん、そういう訳じゃなくってさ。もうほとんどの人が購入してるなって思って」
「そういやそうかな」
「ずっと前、販売されはじめたころはこんなもの買う必要はないって言う人も結構いたんだけど
ね」
「ああ、あの箱型ロボが出たころだろ。家事くらい自分でやれって人がいたな」
「うん。家電メーカーに踊らされてあんなものを買うのは、ハーメルンの笛吹き男についていく
子供みたいなもんだって。連れて行かれた先で、あの童話の子供たちのように穴に嵌まってしま
うってね」
「変なこと言う人がいたもんだな」
「私の知り合いなんだけど、ね。どうせ金ばかりかかって役に立たないに決まってるとか言って
たな」
「今はもう違うけどな。実際このマルチなんかオレのために一生懸命だし」

 浩之の言葉にマルチは顔を赤らめて俯いた。人間のような仕草を見ながら理緒はレモンティー
に口をつける。窓の外をふらふらとメイドロボが歩いて行った。それも今では珍しくもない光景
だ。視線を前方に据えて歩き続けるそのメイドロボを暫く眺めていた理緒は、浩之の言葉に振り
かえる。

「…メイドロボメーカーは『良い笛吹き男』だった、ということになるのかな」
「うーん。それはどうなのかなあ」

 首を傾げる理緒に浩之が不審な表情を向ける。

「違うのかい? メイドロボは実際、人間の役に立っているじゃないか」
「うん、それはそうだけどね。だけど、誰も彼もがメイドロボに頼ってしまうのって、やっぱり
どこか変な気がするんだけど」
「そんなことを言ったら、電気掃除機や全自動洗濯機に頼るのも変だってことになるぜ」
「そう、だよね。そうなんだけど…」

 口ごもる理緒に浩之は軽い調子で話しかける。

「理緒ちゃんも買ってみたらどうだい。とても役に立つと思うよ」
「そんなお金はないわよ。ウチにはとてもとても」

 苦笑して見せる理緒の目の前で、マルチが浩之の腕を引いた。先に買い物を済ませたいのだと
いう。雛山さんと話を続けてくれというマルチと、いやオレもついていって荷物持ちをやると主
張する浩之を見て、理緒は慌てて口を挟んだ。

「あ、私そろそろ帰らないと」
「そうか。すまん、もうちょっとゆっくりできれば良かったんだけどな」

 頭を下げる浩之に理緒は手を振って見せる。

「気にしないで、藤田くん。今日は久しぶりにお話しできて、とても楽しかったから」
「そうだな。またそのうち話をしよう。あそこのバイト、暫く続けるんだろ」
「うん、そのつもりだけど」
「じゃあ、そのうちまたあそこに行くよ。今度はメイドロボのカタログでも持って行くからさ」
「…藤田くん」

 出口へ向かいかけていた理緒は足を止め、浩之の方に顔を据えた。

「ハーメルンの笛吹き男は、ただの童話じゃないって知ってる?」
「へ?」

 浩之が気の抜けた声を出す。理緒は視線を動かすことなく言葉を連ねる。

「ドイツのハーメルンではね、本当に子供たちが行方不明になったことがあるんだって。130
人もの子供がいきなり姿を消した事件が中世のころにあったのよ」
「そ、そうなの?」
「うん。あの伝説の根っこにはね、唐突に子供を奪われた親たちの悲しみがあるの。それだけじ
ゃないわ。もっと悲しい歴史があの伝説の中にはある。笛吹き男が物語に登場するようになった
理由がね」

 理緒の目を呆気に取られて見つめる浩之。隣に立つマルチが浩之の腕を取る。理緒はその姿を
見て微かに笑った。

「…変な話をしちゃったな。ごめんね、買い物に行くのに足止めして」
「いや、別にいいけどな」
「それじゃまた。藤田くん、元気でね」

 小さく手を振って扉を引き開ける理緒を見送りながら浩之は首を傾げる。その腕をマルチが引
く。頭をかきながら暫く何事か考えていた浩之は、やがて諦めたようにまあいいかと呟くと、マ
ルチの手を握って歩き出した。