手紙(下)  投稿者:R/D


 一本タタラ、一目小僧、山爺。一眼一足の妖怪はこの国に沢山いる。山の中を徘徊し、ただ一
つの目で人間を驚かしてきた妖怪たち。けど、この妖怪はずっと遡れば「天目一箇神(あまのま
ひとつがみ)」と呼ばれる八百万の神々の一員だった。
 彼らは優れた技術者だったと、その中年の男性は話した。古代の日本に於いて、彼らは独自の
テクノロジーを持ち、他の人々には作り出せないものを製造した。彼らが持っていたのは製鉄の
技術。「古代たたら製鉄」の技術者こそか、一眼一足の人々だという。
 古代、製鉄を行う人々は山の中を移動しながら暮らしていた。彼らは山の中で製鉄に必要なも
の、すなわち鉄鉱石や砂鉄、木炭、風を手に入れていた。原料となる鉄鉱石の鉱床が露出してい
るところを見つけ、川を浚って砂鉄を集める。山中の木を切り、炭焼き窯で木炭を作る。彼らが
製鉄用の炉を築いたのは風がよく通る山中の谷間。吹き抜ける自然の風が炉の中に吹き込み、内
部の温度を上昇させる。そして、炉の中で熱せられた鉄は鋼(はがね)と化す。
 ふいごを使って空気を炉に送り込む技術が開発されるのはもっと後の時代なんだって。彼らが
足踏み式のふいごである「たたら」を使うようになったのは、製鉄技術がより進歩した時代にな
ってから。技術者たちは炎の具合を目で確認しながら、足でふいごを踏み、そうやって貴重な工
業製品であった鉄を作り出したの。
 彼らが片目片足になってしまったのも製鉄に従事していたからよ。千数百度に達する炎を直接
見たり、何時間にも渡ってたたらを踏み続けたりした結果。長年そうした作業をしていれば、炎
を見続けた目はほとんど失明し、片足も不自由になったでしょうね。でも、そうまでして作り上
げた鉄は時代が下るとありふれた製品になっていった。かつては貴重なものを製造する能力の持
ち主として神にも例えられた人々は、やがて山の中で出会う妖怪へ変わってしまった。

『吉備津宮縁起によると温羅は吉備津彦の矢によって左目を失ったとされています。朝鮮半島か
ら渡来した片目の人物。そして、岡山を始めとした中国地方からは、古い時代の製鉄遺跡がよく
発掘されるのですよ』

 御釜殿で出会った中年の男性が発した言葉が、私の頭の中で渦を巻いていた。

『温羅とは、大陸から製鉄技術を持ってこの列島にやってきた技術者集団の代表者だったのでは
ないでしょうか』

「疲れたかい?」

 石上さんの声に私は顔を上げた。きつい坂を俯いて登っていた私の前には、石上さんの笑顔が
あった。最初に話しかけてきた時と同じ、屈託のない明るい表情。そこには休みを利用して吉備
の古代にかかわる場所を見て回ろうとする、歴史の好きな公務員がいたわ。吉備津神社の釜の前
で見せた厳しくいかめしい人物は、幻のように消え去って…。

「少し休もうか。いや、僕も疲れたよ。この程度の山で息が上がるようじゃ、やっぱり運動不足
だな」

 そう話しながら石上さんはゆっくりと道端に腰を下ろした。吉備津神社の横合いから伸びてい
る吉備の中山へと登る道で、私は石上さんの勧めに応じて彼の隣に座った。微かな風が山を覆う
木々を揺らしている。静かだった。
 私たちは中山の山頂近くにある古墳を目指して歩いていた。中山茶臼山古墳というのがその名
前で、吉備津彦が葬られた場所だと言われている。自動車用に舗装された道は傾斜角を抑えるた
めに曲がりくねり、山の斜面を縫うように続いている。時折、乗用車が咳き込みながら猛スピー
ドで通りすぎるのを、私たちはのんびりと眺めた。
 山の端を見つめる私の隣で、石上さんがおもむろに口を開いた。

「すまないね。何だかあちこち引っ張り回しているみたいで」

 そういって私を見た石上さんの目は、それまで見たことがないほど優しそうだった。それを見
た瞬間に、なぜか柏木君のことを思い出したの。普段は暢気な様子で、どこか大人びていて、で
もふとした瞬間に柔和な顔を見せて…。
 何書いているんだろうね、私。自分の意志で旅行に出た筈なのに、旅先で知り合った人の言う
通りに移動して、おかげで山に登るはめになって。疲れていたのか、何かに魅せられていたのか
分からないけど、この時の私はどこか茫然としていたわ。石上さんの言葉も良く頭に入ってこな
かった。ただ、彼の顔をじっと見ていただけ。その台詞に頷いていただけ。

 心のどこかでは、自分がこれから連れて行かれる場所のことを思って怯えていたような気もす
る。何かを予感していたような。

「さあ、行こうか」



 大和朝廷が派遣した将軍、五十狭芹彦(いさせりひこ)が吉備津彦と呼ばれるようになったの
は、温羅を退治した後のことよ。元々、温羅は「吉備冠者(きびのかじゃ)」という名でも呼ば
れていた。でも五十狭芹彦に敗れた時に、彼はその名を五十狭芹彦に献上したの。小碓命(おう
すのみこと)が熊襲建(くまそたける)という名の首長を倒した際に、その建という名を貰って
倭建(やまとたける)と改名したのと同じ。自分の名を献じるのは、相手に対する服属を表す行
為だったのよ。
 吉備の中山は、吉備の地にいる鬼(それとも渡来人の技術者?)を退治した英雄が眠る場所。
山頂へと続く石段を登りきると、目の前に現れるのが彼を葬ったお墓。

 茶臼山古墳。

「これが桃太郎の墓さ。昔話では鬼が島の鬼を退治してその財宝を持ち帰った桃太郎は、お爺さ
んやお婆さんと一緒にいつまでも幸せに暮らしたことになっている。死ぬこともなく、いつまで
もね。まあ、御伽噺はいつもそう終わるものさ。だけど、本当の桃太郎はやっぱり寿命には勝て
なかった」

 石上さんは周囲をゆっくりと見回しながら話している。私はぼんやりと樹木に覆われた山頂付
近を眺めていた。古墳だと言われなければ、ただの山にしか見えない。

「それだけじゃない。そもそも本当の桃太郎は自分が育った村に帰ることもしなかった。彼は鬼
を退治した後、鬼がいた吉備の地にとどまったんだ。本物の桃太郎、吉備津彦はこの地で死に、
そして神様になった」

 なぜか、吉備津彦神社でみかけた老婆を思い出した。真っ白な頭を垂れ、何かを祈っていたそ
の姿がくっきりと思い浮かぶ。両手を合わせ、山に向かって一心に思いを伝えていた彼女。それ
をかき消すように石上さんの言葉が連なる。

「鬼を倒した英雄を祭る社は、この土地で一番の格式を誇る宮となった。そして多くの人々がこ
の地を訪れ、桃太郎をお参りするようになった」

 その時、私はやっと違和感の正体に気づいた。吉備津彦神社で見かけたあのお婆さんに感じた
違和感。あのお婆さんは神社を拝んでいなかった。彼女は山に向かって頭を下げ、山に向かって
手を合わせていた。古墳がある山を、吉備津彦が葬られた古墳を。
 吉備津彦が? あの中年の男性が言ったことが事実なら、吉備の人にとって吉備津彦は地元の
技術者集団を殺したよそ者ということになる。あのお婆さんは本当によそ者を拝んでいたのだろ
うか。いや、もしかしたらこの古墳に埋葬されているのは…。

 霞がかかったように茫漠としていた私の頭の中がいきなりすっきりと晴れ渡った。その時、私
の横に立っていた男性が、乱暴に私の腕を掴む。私はその手を振りほどいた。石上さんは足を止
め、ゆっくりと振り返った。その顔には何の表情も浮かんでいない。

 私は石上さんに視線を据え、口を開いた。

「桃太郎はそんなに偉かったのかしら? さっきのおじさんは言ってたよね、温羅は大陸からや
って来た技術者だって。彼はその技術でこの地に富をもたらしていたんでしょ。地元にとっては
英雄じゃない。なのになぜ彼が鬼と呼ばれるの? おかしいわ。絶対におかしい」
「…………」
「温羅の一族は大和朝廷がこの国を統一する過程で滅ぼされた地元の有力豪族だったんじゃない
の。大陸からやってきて、製鉄技術を力の源泉としていた人々。大和朝廷より進んだテクノロジ
ーを持つ文明。それが温羅だったんじゃないの?」
「…………」
「だけど彼らは滅ぼされた。大和朝廷は彼らの技術を自分たちの支配下に置くために、それだけ
のために温羅を殺したのよ。いえ、単に殺しただけじゃない。温羅は大和朝廷によって鬼にさせ
られてしまった。鬼だから滅ぼされて当然。鬼だから退治されるのが当たり前。温羅を鬼呼ばわ
りすることで、侵略者は自分たちを正当化したのよ」

 私の頭の中には、次郎衛門に滅ぼされた雨月山の鬼たちがいた。荒ぶる本性を「悪」だと断定
され殺された鬼たちがいた。吉備津の釜の磯良がいた。男に裏切られ、女の嫉妬は浅ましいと非
難された磯良がいた。

 男が無表情なまま口を開いた。

「……まつろわぬ民はやがて屈服させられる。それがこの国の歴史さ。まだ他国の例よりはまし
だ。モンゴルなんか抵抗した連中は根こそぎ殺害している。この国はそこまでしない。殺される
のはまつろわぬ者たちの一部だけだ。倭建は熊襲建だけ、吉備津彦は温羅だけを殺した」
「そうかしら? 殺して、さらに誇りまで奪うのがこの国のやり方じゃないの。滅ぼされた者た
ちは鬼や土蜘蛛になってしまう。そして侵略者が正義になる」
「それもまた珍しいことじゃない。侵略者の大半は自らを正義だと言っている」
「でも、侵略された側までがそれを信じたとは思えない」
「……ほう」
「その地に住み、温羅と一緒に過ごしてきた者たちが、そう簡単によそ者を拝むことができるの
かしら? 自分たちが『悪』だから正義に滅ぼされたのだと聞いて納得できるとは思えない。彼
らの中には敗北した後もなお温羅こそが正当性を持つと思う人も……」

 そこまで話したところで私は気づいた。目の前に立っている石上さんが笑っていた。口元を歪
め、歯をむき出したその顔は、それまで私が見てきた石上さんとは別人だった。彼は私を嘲笑っ
ていた。その瞳には侮蔑の色が宿っていた。

 私は、初めて目の前にいる男の本当の正体を知った。冗談を言ったり、時折優しい顔を見せた
りしていたのはすべて演技だったのだ。今の顔、冷酷で他人を見下した今の彼こそが本性だ。

「そうだ。お前の言う通りだ。ここは吉備津彦の墓じゃない」

 男は私の腕を強く掴んだ。引きつるような痛みが伝わる。

「ここは、温羅の墓だ」



 力ずくで引きずられて来たのは山頂近くにある朽ちた祠だった。石造りのそれは鬱蒼とした草
に覆われ、全体の姿は定かでない。

「誰でもよかった。女であればな。無用心な奴ならなお結構だったが、こうまで上手く行くとは
思わなかったよ」

 私をここまで連れてきた男は、そう呟きながら祠に手をかけ力を入れる。

「どうやって調達するか、それを考えながら乗りこんだ新幹線の中でいきなりドンピシャだ。ツ
イている。そうさ、俺はツイているんだ」

 男は顔を真っ赤にしながら祠を押した。地面に踏ん張った足が枯葉を鳴らす。私は男に向かっ
て、なぜ自分を連れてこようとしたのか聞いた。情けないことに声は震えていた。

「女連れなら、怪しまれない。男が一人で、山中を徘徊しているのを見つけると、不審に思う奴
がいるかもしれんが」

 男は息を切らしながら私を見た。祠が微かに動く。

「カップルなら、いちゃつく場所を探していると、思ってくれる訳さ」

 ゴトッ

 鈍い音と伴に祠がずれた。男は手をはたきながら、満足そうに地面を見下ろす。男の足元には
ぽっかりと黒い穴が開いていた。男はその場に膝をついて穴を覗きこんだ。光の加減か、中の様
子は全く窺えない。男はそれを予想していたかのように上着のポケットからペンライトを取り出
した。細い光が闇を裂く。

「も、目的の場所に来たならもう私に用はないでしょ。わ、私は帰るわよ」
「生憎だがそうはいかない。ここまで来た以上、最後までつきあってもらう」
「なぜよ」
「俺がここにいることを誰かに知られる訳にはいかんのでな。特に地元の連中には」
「誰にも言わないわよ。だから」
「そんな言葉を信じると思うのか」
「ぜ、絶対に厭よ。何で私があんたなんかに」
「ついて来なければ殺す」

 男の目は彼が本気であることを物語っていた。私は黙って俯くことしかできなかった。耳元に
男の厭らしい声が響く。ねっとりとした声が。

「面白いものを見せてやるさ。だからついて来るんだ」

 男はそう言って私の腕を掴んだ。あの穴が私の視界に広がる。ペンライトに照らされた穴は垂
直にしばらく落ち込んだ後で斜め下方へと伸びていた。男に促され、私は身体をその穴に潜りこ
ませる。乾いた土が服を汚し、木の根が浮き出した穴の底で足が取られる。私は滑り台を降りる
ように、斜め下へ通じる穴を降りて行った。

「確かに、この古墳は吉備津彦のものだと言われる。だが、吉備津神社で見たあの釜をよく思い
出せ。なぜあそこに釜を据えることになったのか。なぜ温羅の妻をわざわざこの山へと呼び寄せ
ることにしたのか」

 男の声が頭上から響く。私は暗闇へと身を沈めていく。

「温羅の首を、釜殿の竃の下八尺を掘って埋めた。吉備津宮縁起にはそう伝わっている。温羅は
この地に埋まっているのさ。いや、はっきり言おう。温羅はまさにこの山に、この古墳に葬られ
たんだ」
「……証拠がないわ」
「あるさ。お前が言ったじゃないか。侵略者を拝むなんておかしいとな。あの婆ぁを思い出せ。
吉備津彦神社でみたあいつだ。奴は社でなく、山を拝んでいた。この古墳を拝んでいたんだ。地
元の人間にとってお参りすべきものはこの古墳さ。もちろん、正義を自称する侵略者を崇めてい
る訳じゃない。彼らが参拝しているのは古墳に葬られた地元の英雄。つまり」
「つまり、温羅ね」
「その通りさ」
「じゃあ、麓の神社は何? あれは吉備津彦を、侵略者を祭っているじゃない」
「表立ってはな。だがな、本当は違うという説もある」
「どんな?」
「吉備津神社の本殿がどちらの方角を向いているか、知ってるか? 東北、艮(うしとら)の方
位、すなわち鬼門だ」

 私の足が固いものを踏んだ。肩越しにペンライトの光が前方へと投げかけられる。その光の輪
の中に、組み上げられた巨石が姿を現した。そこは古墳の羨道だった。ひんやりとした空気に満
たされたそこに、私たちはいた。

「……たとえ、その通りだとしても」

 私は足を止め、光が照らし出した玄室へと通じる狭い道を睨んだ。

「ここが温羅の古墳だとしても、そんな所に何の用があるの。最近の考古学者はこういうやり方
で発掘調査をするのかしら」

 振り返る。男は嘲笑を浮かべ、私を見ていた。心の中に怒りが湧きあがってくる。何でこんな
奴の言いなりにならなきゃいけないの。どうしてここまで傲慢な男にバカにされるのよ。

「……何で大和朝廷が温羅を倒したのか、それもお前は推理していたよな」
「ええ。温羅たち渡来系技術者が持つ技術を手に入れようとしたからでしょ。優れた製品を作り
出すことができる者たちを支配下に置こうとしたから」
「そうさ。温羅は優れた技術を持っていた。優れたものを作り上げた。当時の大和朝廷にとって
温羅が作るものはまさしく『お宝』だったのさ」
「まさか」

 私は男の目を見た。それは貪欲で冷たい瞳。だが、狂気を孕んでいるようには見えなかった。

「まさか、ここにお宝があるなんて思っているんじゃ」
「その通りだ。本当にお前は頭がいいよ」
「待ってよ、何を言っているの? ここがどこだか知っているでしょ。1000年以上も前に作
られたお墓よ。当時は色々と価値のあるものが埋葬されていたでしょうけど、それが残っている
とは思えないわ。きっと盗掘されて」
「地元の信仰厚い山だ。昔のまま残っている可能性はある」
「ツタンカーメン王の墓みたいに黄金に飾られたものがあるとでも? いくら何でも」
「違うな。誰が黄金の話なんかしているんだ」
「え?」

 男はゆっくりと私に向かって歩を進めた。私は気おされるように下がる。

「言っただろう、温羅は技術者だと。その宝といえば、彼らの技術に関連したものに決まってい
る」
「ぎ、技術って」
「製鉄だ」
「ば、バカなこと言わないでよ。今さら鉄がお宝ですって? 鉄なんて何処にでもあるじゃない
のよ」
「最も優れた日本刀は、いつの時代に作られたか知っているか」
「へ?」
「鎌倉時代以前だ。室町時代より後になって作られた日本刀は、鎌倉以前のものに比べれば質が
落ちると言われる。その最大の理由は原料となる鋼(はがね)だ。鎌倉時代までは作ることがで
きた優れた日本刀向けの鋼が、後の時代になると製造できなくなった」
「そ、そんな筈が」
「ある。そもそも、今の高炉を使った西洋風の製鉄技法では鉄鉱石から直接鋼を作ることはでき
ない。たたら製鉄と言われる古代からの技法であれば鉄鉱石からすぐに玉鋼(たまはがね)とい
う日本刀の原料を作れるんだ」

 男はそう言うと手に持ったペンライトを奥へと向けた。振り向くとそこはすでに玄室だった。
後ずさりを続けているうちにここまで来てしまったらしい。そして、ペンライトの光の中に石棺
が浮かび上がった。

「温羅の柩だ」

 男は私に乱暴にペンライトを押しつけると石棺に駆け寄った。蓋に手をかけ、それを持ち上げ
る。永久の眠りを貪っていた柩が、ゆっくりと開かれた。

「早く照らせ」

 私は魅入られたように石棺へ近づいた。男のやり方に納得した訳じゃない。だけど、私自身が
この柩の正体を知りたくなっていたのも事実だ。手に持ったペンライトを動かし、石棺の中を照
らし出す。

 そこには、人のものとは思えないほど巨大な髑髏があった。

「!」
「……身の丈は一丈四尺。頭を刎ね、犬に食わせて肉は尽きてもなお吠え止まなかった。吉備津
彦はその髑髏を地面の下八尺を掘って埋めた、か」
「そ、それが…」
「ふん。俺が欲しいのはこんなものじゃない」

 男はその髑髏を乱暴に柩から取り出すと放り投げた。私は思わず悲鳴を上げた。男は気にも留
めずに柩の中を漁ろうとした。

「もう止めろ」

 声がしたのはその時だった。私は喉の奥から漏れる悲鳴を死に物狂いで抑えこんだ。羨道の方
に黒い影がわだかまっているのが目に入る。
 男は振り返ると、ゆっくりと立ち上がった。私が無意識に向けたペンライトが黒い影に光を投
げる。そこにいたのは、吉備津神社の御釜殿で出会ったあの中年の男性だった。弱い光の中、和
服を纏ったその男性の顔は憤怒で歪んでいた。それは、鬼のような顔だった。

「生憎だが止めるつもりはない」
「これ以上、死者を辱めてどうするつもりだ。なぜ大人しく眠らせておかない」
「これはこれは。鬼の郎党がそんな殊勝な台詞を言うとは思わなかったな」
「温羅は鬼ではない。いくらお前が物部の一族だからといって、そのようなことを言う権利はな
い」
「あるのさ。お前たちはまつろわぬ民で、我らはそれを鎮める軍(みいくさ)だ。我々こそが正
義であり、鬼は絶対悪。この国では、そういうことになっているんだ」
「人の世ならばそうだろう。だが、ここは違う」

 中年の男性が一歩、前へと進んだ。するとその背後から新たな影が現れた。私は息をのんでそ
の人影を見た。あの老婆が、ゆっくりと中年の男性の隣へ歩みを進める。その背後から一人、ま
た一人、さらに一人。次々と人が姿を現した。鬼の住む地にいて、鬼を崇めてきた人々が。権力
によって力も正当性も奪われた人々が。

 人数に気おされたかのように柩を荒らそうとしていた男が後ずさる。その身体が急に傾いた。

「なっ」

 男の足にあの髑髏が絡んでいた。男が悲鳴を上げた。その叫びが玄室の中を満たす。咆哮の中
を何かが駆け抜け、髑髏に躓いて転びそうになっている男にぶつかった。黒い液体がペンライト
の光の中を舞う。一段と大きな唸り声が私の耳を突いた。

「…ここは温羅の地。鬼の住まう地」

 唸り声だった。温羅の髑髏が唸っていた。切り落とされても、犬に食われても、埋められても
なお叫び続けた温羅の声が、玄室の中で殷殷と響いていた。墓荒しは今や大勢の人間に取り囲ま
れ、姿が見えなくなっていた。生暖かい液体が私の顔にへばりついた。それでも私はペンライト
の光を向け続けた。唸り声を聞き続けた。

 何かが足元に転がってきた。ペンライトを向けた。それは

 切り落とされた石上さんの首

 私は悲鳴を上げて

 髑髏が唸って

 そして



 なーんてね。嘘よ、ウ・ソ。そんな面白いことがある訳ないじゃない。

 確かに岡山には吉備津神社があるし、その近くの山には古墳もあるわ。でもね、その古墳の周
りは柵で囲まれているの。もちろん、中に入ることなんかできないわよ。
 中国地方で古い製鉄遺跡がよく発見されるのは事実よ。でもね、一番古いものでもだいたい6
世紀ごろと見られているの。6世紀といったら聖徳太子の時代。大和朝廷が全国に支配地域を広
げていた4世紀ごろの製鉄遺跡は見つかってないのよ。製鉄技術が欲しくて吉備に攻め込んだと
いう理屈は、ちょっと成立しそうにないわね。
 ついでに言うと「鬼ノ城」はおそらく7世紀のもの。白村江の戦いに敗北した後、国防のため
瀬戸内沿岸のあちこちに作られた「朝鮮式山城」の一つでしょうね。
 そうそう、鎌倉時代以前の日本刀が新しいものより尊重されているのは事実らしいわ。でも、
それは低温で作られた鋼が日本刀に向いていただけのこと。より高温で鋼を作ることができるよ
うになった後世の方が、鉄を大量生産できるようになったのよ。少なくとも高温を出す技術は古
代より近代の方が優れているわ。日本刀は鉄を原料とした数多くある製品の一つに過ぎないって
こと。

 え? じゃ、何でこんなことを手紙に書いたのかって?

 ま、要するに私の吉備旅行は平々凡々たるものだったのよ。色々見て回ったけど、楽しいハプ
ニングは一切なかったわ。ほーんと、誰かと一緒に来ればよかった、と思ったくらい。せめて手
紙くらいは面白いものにしたかったの。分かってちょうだい。
 でも、一応「鬼」に関するところは見ることができたし、それはそれで有意義な旅だったと思
う。いいよね、こんな旅行をする人間がいてもさ。

 それにしても長々と変な話につきあわせちゃってゴメンね。ちゃんとお土産に吉備団子を買っ
て帰るからそれで許して。
 あと、隆山にいる柏木君の親戚の人にもよろしく伝えてね。いずれまた雨月山の話を調べに隆
山へ旅行するつもりだから。

 じゃあ、また大学で会いましょう。


                                      敬具


 柏木耕一様

                                    小出由美子