追悼(下)  投稿者:R/D


『なぜ。なぜ私ばかりこんな目に。どうして』



 工房の場所は見つからなかった。捜査対象を彼女が電話した相手だけでなく、メイドロボの改
造や組み立てに関連するところ全てに拡大し、地域も広げてみたが、成果は上がらなかった。再
び捜査のやり方について見直しが行われ、改めて現場の聞き込みからやり直すことになった。矢
島は後輩とともにまた工場団地へ向かった。

 埃の舞う工場団地は相変わらず暑かった。立ち上る陽炎が彼方の山を揺らす。アルミの水筒を
傾け、後輩が言った。

「矢島さん。これで何日、帰っていませんか」
「さて、4日か5日か」
「昨日、久しぶりに嫁さんの顔を見たんですけどね、えらい剣幕で怒鳴られましたよ」

 後輩はそう言って苦笑した。家庭生活についてのぼやきは刑事の職業病みたいなものだ。ぼや
きで済んでいるうちはいい。いずれぼやきも出なくなることがある。

「君のところは子供はまだだったよな」
「ええ。嫁さんは早く欲しがっているんですけどね」
「君だってそうなんだろ」
「ええ、まあ」

 そう言って後輩は矢島から目を逸らした。手に持ったアルミの水筒が微かに震える。この後輩
は間違いなく矢島に気を遣っている。だが、同時に矢島を哀れんでいる。そして、矢島を反面教
師としている。
 コップの中の嵐は彼のすぐ傍にいる男を、矢島を巻き込んだ。だから彼はその嵐への対応策を
取ろうとしている。それが、他の奴とこの後輩との違いだ。矢島はハンカチを取り出した。しば
らく前に買ったばかりのハンカチもすでにくたびれきっている。汗を拭うと矢島は声をかけた。

「さあ、回るか」



『あなたがただけではないんですよ。実は…』



 メモや報告書が山を成していた。それを一枚一枚確認する。矢島はこの作業を昨日から続けて
いた。再度の目撃者探し、聞き込み、関係者への尋問は、全て無駄に終わろうとしていた。新た
な情報は出てこない。事件直前の被害者の足取りは、結局つかめていない。彼女が作成していた
と思われるメイドロボも、それを作っていた場所も、何も分からなかった。
 鑑識の報告を読み返す。現場の遺留品は極めて少ない。残されたタイヤ痕は、発見したトラッ
クのもの以外は結局、判別できなかった。ルミノール反応もごく僅か。犯行現場は間違いなく他
の場所であり、遺棄したところへ運ばれてきた際にはすでに出血もほとんど止まっていたと思わ
れる。何のヒントにもならない。
 第一発見者の証言。廃棄物処理業者の委託を受けて廃棄物を不法投棄に来て、転がっている無
残な死体を見つけた。恐怖に煽られ、後先考えずに警察へ連絡してしまったのが彼にとっては運
の尽きだった。不法投棄に対しては厳しい処置がとられるようになっている。罰金だけでは済ま
ないだろう。
 司法解剖の結果。2種類の刃物による損傷。直接の死因が出血しというのも、局部麻酔が効い
ていたからかもしれない。麻酔なしならショックによる心停止もあり得たのではなかろうか。胃
の内容物などから分かることはなし。死亡推定時刻は出ているが、彼女自身の足取りが全くつか
めていないため、意味をなさない。
 家族、友人、知人の情報。最近はあまり会ってない。年賀状をやり取りしただけ。そういや半
年ほど前に同窓会の連絡をした。どこに住んでいるか分からない。まさか、殺されたなんて。心
当たりはない。他人に恨まれるような性格ではなかった。エトセトラ、エトセトラ…。
 そして、メイドロボ関係の、最近の彼女を知る者たち。だが、これが見事なまでに彼女の人間
関係には無関心な連中ばかりだった。興味を持っているのはメイドロボだけ。他は別にどうでも
いい。相手が積極的に言わない限り、相手の個人的な部分に踏み込むつもりはない。相談に答え
ただけ、商品を売っただけ、それだけ。

 矢島は椅子の背もたれに寄り掛かり、眉間をつまんだ。頭の中を情報が飛び交い、動き回って
いる。嵐のように動き回るその中から、時には今まで見落としていたヒントが浮かび上がること
があった。しかし、今回はそうは行かなかった。混沌とした情報は混沌のままだった。
 矢島は頭を振ると、再び資料をひっくり返した。まだだ。まだ頭が整理されていない。次々と
メモを取りだし、目を通す。バイト先の関係者の証言、近所の住人の証言、彼女が一番よく利用
していたコンビニのバイトの話、モグリ医者の噂話…。

 矢島の手が止まった。そのメモには医療関係者の言葉があった。

 ――妊娠中絶だけじゃなく、不妊治療で最後にウチに駆け込む客も多い。中にはどうしようも
   ない例もあるんだが…

 矢島は慌てて資料の下に埋もれていた電話機を掻き出した。



『残念ですが、あなたがたの赤ちゃんは亡くなりました』



「いきなりの電話だから驚いたよ」

 ほとんど冷房の効いていない室内で矢島の友人は穏やかな笑みを浮かべた。高校時代に同級だ
った彼は、その後一流大学を出てこの中央省庁にキャリア官僚として採用された。サッカー部時
代の体育会系のつながりがものを言ったのかもしれない。

「で、僕に何か質問かい」
「ああ。捜査に関係あることなんだよ。是非協力してほしい」
「僕にできることならね。そっちは地方でこっちは国家が付くけど、どちらも公務員には変わり
ないしね」
「ああ、実は…」

 矢島の説明を聞いているうちに、相手は次第に困惑した表情になっていった。矢島は構わず要
件だけを述べる。質問が終わり、彼が口を開く。

「その質問がいったい、事件の捜査とどう関係するんだい」
「とりあえず答えてくれないか」
「…分かった。君の言う通り、そういった研究は各所で進められている。あまり大きく取り上げ
られてはいないけど、重要な問題だという認識は我々も持っているしね。だから研究に関係した
人物リストは作れると思うよ。もちろん、捜査目的だけに使用すると約束してもらう必要がある
けどね」
「それは当然だ」
「…でもなぜだい。どうしてそんなリストを」
「被害者はロボットを自作していた。メイドロボを」
「メイドロボ…」

 友人の表情が曇る。メイドロボと聞くとどうしても思い出してしまうことがあるのだろう。矢
島とも関係している、過去のある出来事が。

「おそらく、メイドロボを作る場所を提供している奴が犯人だ」
「しかし、それとその研究とが…」

 そこまで呟いた友人は、大きく目を見張った。その二つを結びつける可能性に思い至ったのだ
ろう。顔を上げ、矢島を正面から見た友人の顔は、驚愕に強張っていた。

「…後でリストを捜査本部の方へ送ってくれ」
「わ、分かった、でも」
「ありがとう、佐藤」



『流産したのはこれで3度目ですね。厳しいことを言うことになりますが、これ以上、赤ちゃん
を作ろうとしても無駄に終わるでしょう』
『そんな。なぜ、なぜなんです』
『話しておくべきでしょう。あなたにも、奥さんにも』



 矢島と後輩の乗った覆面パトはゆっくりと建物に近づいていった。昔の倉庫街だったこの一角
には、一時期、広大なスペースを活用したアトリエやライブハウスといった文化ゾーンを作る動
きがあったものの、最近はほとんど見向きもされていなかった。
 少し離れたところで車を止めた矢島たちは、できるだけ静かに車を降りた。隣りにいる後輩の
表情が固く見える。矢島はアスファルトを踏みしめて建物へ向かった。太陽はいつもと変わらず
地面を、人間を照らしつけている。

「ここにいるんですか」
「少なくとも、把握できた範囲ではな。後は行ってみるのが手っ取り早い」

 短く言葉を交わし、二人は建物へ接近した。大きな扉の前で立ち止まる。呼び鈴らしきものは
どこにもない。矢島は扉を拳で叩いた。鈍い金属の音が響く。

「はいー、何ですか」

 中から太い声がした。佐藤から入手したリストについていた写真を思い出す。かまきりのよう
な顔つきをした痩せぎすの男。声と外見とは必ずしも一致しないものだ。

「警察の者です。少し話を聞かせていただけませんか」
「はいはい。ちょっと待ってくださいね」

 ゆっくりと扉が横に引き開けられていく。外の光が強すぎるせいで、屋内は暗く見える。その
中でひときわ濃い影に向かい、矢島は警察手帳を示した。

「失礼。しばらく前にあった殺人、死体遺棄事件について捜査中のものです」
「はあはあ」
「被害者の女性がこちらの方でメイドロボの自作をやっていたと聞いて…」

 銃声。



『そんな、そんなことを相談されたって』
『なぜ、なぜ私ばかりこんな目に。どうして』
『落ち着いて。落ち着いてください、お二人とも』
『いや、いやいやいやぁあああっ』



「大丈夫かっ、しっかりしろ」
「や、矢島さん。あいつを追って」

 後輩がわき腹を押さえて蹲っていた。指の間から赤い液体が次第に溢れだしてくる。奴が撃っ
たのだ。どこで入手したのか分からないが、犯人は銃を保有していた。

「は、早くっ」

 後輩の声に押されるように、矢島は一歩、倉庫の中に足を踏み入れた。念のために署から持ち
出しておいた短銃を構える。目を慣らすため、入り口近くでしばらくとどまる。硝煙の臭いが鼻
をつく。やがて、屋内の様子が少しずつ見えてきた。
 そこは玄関兼居間兼寝室、要するに普段の暮らしをすべてそこで賄うようなスペースだった。
簡易式のベッドがあり、床には弁当の空き箱が散乱している。後は書物。部屋の主はそこにはい
なかった。奥へと向かう扉が開いたままになっている。
 矢島は扉をくぐった。短い廊下があった。裸電球だけが光源になっているそこの床は、色々な
物を運び込んだ痕跡らしいひっかき傷がたくさんあった。矢島は廊下を通り、その突き当たりに
ある扉を開けた。

「うっ」

 広かった。その広い場所があらゆる機器で埋め尽くされていた。パソコンやプリンターと言っ
たコンピュータ機器、様々な形状の工作機械、そして四角い箱や透明のケース、その中に培養液
を満たしたバイオ関連の機器。

「来るなぁあっ」

 声の方に振り向くと、男がいた。男は立ったまま、十字架に張り付けられているように両腕を
横に広げていた。その目は矢島をにらみ据えていた。カマキリのような顔は引きつっている。

「渡さない、彼女は渡さないからなっ。貴様なんかに彼女はっ」

 男の背後には、メイドロボがいた。
 メイドロボはゆったりとした服装を身にまとい、男の肩の向こうから矢島を覗き見ていた。
 虚ろな瞳が、矢島の姿を歪んで映していた。



『…人間とどこが違うんだ』
『違うじゃないっ。それはロボットじゃないのっ。なのに』
『ロボットであるより前に、………はただの女の子だ』
『何を言ってるんだ……、お前………さんを泣かせるつもりかっ』
『矢島、オレは………を選んだんだよ』
『嫌ぁあっ、……ちゃぁあああああああんっ』



「ふざけるなっ」

 矢島は叫んだ。胸の痛みが大きくなる。目の前の男が勢いに押されるようにのけ反る。

「何が彼女だっ、何が渡さないだっ。貴様のいう彼女ってのは何だ。その出来損ないの機械のこ
とかあっ」
「で、出来損ないだとっ」

 カマキリのような男の顔が憤怒に歪む。男は歯をむき出し、唾を飛ばして喚いた。

「違う、彼女は出来損ないなんかじゃない、機械なんかじゃない」
「どこが違うんだっ。それは機械だ。ただのロボットだ。物だ」
「違うぞ違う。お前は知らないからそんなことを言うんだ。そうさ知らないのさ、彼女はただの
機械じゃない、ただのロボットじゃない。そんなものとは全然別なんだよっ、なぜなら」

「妊娠できるから…か」

 男の顔が驚愕に染まる。口が大きく開かれ、紫色の舌が見えた。矢島の胸の痛みが強まる。

「…そ、そうさ。彼女はただのロボットじゃないんだ。妊娠できるんだよ、分かるか。子供を産
むことができるんだ。そういう風に僕が作りあげたんだ。いいか、ただのメイドロボにはそんな
機能はない。けどな、僕が開発した人工臓器関連のバイオ技術を活用すれば話は別さ」

 男の口元がアルカイックにつり上がっていった。

「そう、人工子宮さ。僕の作った人工子宮が彼女の中にある。もちろん、普通の子宮と機能は全
く変わらない。受精卵が着床し、胎盤を形成することができる。栄養分も人工子宮経由で胎児に
送り込むことができる。分かるだろ、本当に妊娠できるんだよ。彼女は子供をはらみ、産むこと
ができるんだ。ロボットなんかじゃない。立派な女だよっ」

 男は手に持っていた短銃の筒先をゆっくりと矢島に向ける。矢島はその銃口を睨み据えた。胸
の痛みは耐えられぬ程になり、噛みしめた唇からは血が流れた。

「ははっ。いいかいよく聞けよ。おまけに彼女の中にはなっ、すでに子供がいるんだ。そうさ。
僕の子供だ。僕と、この娘(こ)との、二人の子供がな。だから僕は彼女を守る。彼女と子供を
守る。親が子供を守るのは当然だろ。僕と、彼女との…」
「違うな」
「な、何」

 矢島は嗤った。

「そいつはやっぱり、ただのロボット、ただの木偶人形だ」
「何だと」
「いくら人工子宮を持とうと、いくら腹の中に受精卵を埋め込もうと、それはただの機械だ。そ
れは子供の母親じゃない」
「な、何を言ってるんだ」

「本当の母親は、お前が殺して卵子を摘出したあの女性だ」

 カマキリ男は顔面蒼白になった。

「そうだよ。お前が局部麻酔をしたうえで卵巣を切り裂き、卵子を奪った彼女こそ、その子供の
本当の母親だ。そこにいるのは、ただの箱だ」
「ち、畜生、畜生っ」

 男が両手を短銃に添える。矢島は叫んだ。

「貴様は子供の母親を殺したんだっ」

 轟音。



『…子供に恵まれない夫婦が最近は増えているんですよ。あなたがたのように』
『そ、それはどういう意味なんですか』
『ご存じでしょう、環境ホルモンのことは』
『ええ』
『環境ホルモンは人間の体内で働く各種のホルモンのバランスを崩します。そして、ホルモンが
一番大事な働きをするのは、人間の成長過程。つまり、子供や、特に胎児の成長において欠かせ
ないものがホルモンです』
『す、すると』
『環境ホルモンと言われるものは、20世紀に入って人間が開発した、本来自然界には存在しな
い各種の合成物質です。これがホルモンと似た働きをするのです。もしこの物質を胎児や子供が
大量に摂取するとどうなるでしょう。大人にとっては大した影響のない物質ですが、子供や胎児
の成長には大きなダメージを与えることも、成長できなくすることすらあり得るのです』
『そ、そんな。まさか』
『特に胎児の場合は問題です。もし、母親の体内にそういった合成物質が蓄積していたら…』
『まさか、まさかまさかまさか』
『…食物連鎖の上位にいる人間の体内には、様々な物質が濃縮されます。その中には、大人であ
る母親には影響を与えないけれど、胎児には大きな障害になる物質も…』
『なぜだっ、なぜなんだぁあっ』
『ですから、冷たいようですが、もう諦めた方がよろしいでしょう。残念ですが、あなたがたが
子供を作ることは不可能だと思われます』



 男はコンクリートがむき出しの床に横たわり、のたうち回っていた。右腕の手首から先がなく
なり、血液がすさまじい勢いで噴き出している。矢島はそんな男の様子を醒めた目で見つめてい
る。短銃が暴発したのだ。安物の模造品だったのだろう。

「…お前を傷害と銃刀法違反の現行犯で逮捕する」

 男は床の上から矢島を見上げ、凄絶に笑った。

「お、お前は間違っている」
「なんだと」
「い…いいか、最近はな…妊娠できない夫婦が…増えているんだ」

 矢島の表情が凍り付いた。

「か、環境ホルモンの…せいだ。人間のホルモンのバランスはもう……崩れているんだよ。だけ
ど…」

 男が喜悦を瞳に浮かべる。

「彼女は、この娘(こ)は違う…違うんだ。ホルモンのバランスだって…問題ない。そうさ、人
間はもう子供を…産めなくなっている。彼女は産める」

 胸の痛みが耐えられなくなる。

「そう、さ。彼女こそ本当の女性……だ。人間を…超え…た」

 銃声。



『そうよ、殺されたのよっ』
『落ち着け、落ち着くんだ………っ』
『環境ホルモンって企業が作ったんでしょっ。そんなの作った企業があの子を、あたしたちの子
供を殺したのよっ』
『やめないか、そんなことを言って何になる』
『どうして、どうしてよ。何であたしから何もかも奪おうとするのよっ』
『………、やめろっ』
『あの時もそうよっ、企業が、企業の作ったメイドロボが……ちゃんを、あたしから……ちゃん
をっ』
『やめろぉおおおおおおおおおおっ』



 男はもう動かない。矢島はかすかに煙を上げる短銃を握り、今やただの物体と化したそれを見
下ろした。

 カタリ

 微かな音に振り返る。メイドロボだった。矢島の視線に気付いたメイドロボは慌てて自分の下
腹部をかばうようなしぐさを見せた。矢島の胸の痛みが高まった。目の前が怒りで赤く染まって
いった。人間が子供を産めないのに、なぜロボットが。
 矢島の短銃を握った右腕がゆっくりと上がっていく。メイドロボはかぶりをふり、ゆっくりと
後ずさる。それに合わせるように矢島が前進する。メイドロボの瞳に、恐怖が浮かんだような気
がする。
 メイドロボが矢島に背を向け、走り出した。



『あの子に一度、服を買って着せてあげたかった…』



 銃声。

                                     追悼 完