共棲(4) 投稿者:R/D
 ――第四日――

 暗闇の中で、浩之はベッドに腰掛けていた。眠れなかった。自分があかりにした仕打ちを思い
出すと、眠ることなどできなかった。

 ノックの音がした。浩之は反射的に時計を見た。まだ夜明けには間がある。この家の中で、ノ
ックをする存在は自分以外には“一人”しかいない。浩之は声を出した。

「入っておいで、マルチ」

 扉が開き、緑の髪をしたメイドロボがゆっくりと歩み寄ってきた。街灯の僅かな明かりの中で
も、メイドロボの表情が悲しみで曇っているのが分かる。浩之は立ちあがってマルチに近づくと
そっと抱き締めた。

「……浩之さん」
「何だい、マルチ」
「わたし、わたしどうしたらいいんでしょう?」

 マルチの声が湿った。寝巻きの上から、メイドロボが流した涙が染みてくる。浩之は黙ってマ
ルチを抱く腕に力を込めた。

「わ、わたしは、人間の皆さんに喜んでもらいたいと、そう思ってきました。そのためになら何
でもやるつもりでいました。で、でも」

 マルチの声が途絶える。しゃくりあげるメイドロボを腕の中に抱え、浩之は黙って暗闇を睨ん
でいた。唇を噛み締めて。

「……あ、あかりさん、泣いて…ました。志保……さんも、泣いていました……」
「…………」
「喜んで…喜んでもらいたいのに……なのに……」

 浩之はマルチの頭に手を置いた。マルチが顔を上げる。薄闇に浮かぶその泣き顔に向かって、
浩之はゆっくりと話し始めた。

「他人に喜んでもらえることをしたい。そう思うのはいいことだ。だけど……」
「…………」
「だけど、すべての人に喜んでもらえることはできない。神様でない存在にそんなことはできっ
こない」
「……浩之…さん」
「時にはどうしても誰かを傷つけてしまうこともあるだろう。生きていて、誰も傷つけずに済ま
せることは無理だ。だから」

 浩之は笑ってみせた。

「だから、傷つけた人のことを忘れずに、その人の心の痛みを忘れずに、そうやって生きていく
しかない。分かるか、マルチ」

 マルチは浩之の目をじっと見詰め、ゆっくりと頷いた。夜が明けようとしていた。



『……来栖川電工の処理施設だけでなく、自治体が運営しているリサイクル施設からも同様の連
絡が入っている模様です。当局は……』

「うるさいぞ、そのテレビを消せっ」

 白衣を着た男が大声で怒鳴る。モニターを前に狂ったようにキーボードを叩くその男の背後で
は別の白衣が残骸から基盤を慎重に取り出そうとしている。来栖川電工第七研究開発室HM開発
課が使用している研究施設内は、破損したHMで溢れかえっていた。

「失礼しますっ。暴走HMの回収、これで最後ですっ」

 扉が開くと、警備員の服装をした男がカートに山と載せた残骸を持ちこんできた。

「どこに置きましょうか」
「適当でいい適当でっ。それよりバッテリーはちゃんと空になってるんだろうなっ、さっき運ん
できたヤツは解体しようとしたらいきなり動き出したぞっ」
「それは確認済みでありますっ」

 電話が鳴る。モニターの前に陣取っていた長瀬が手を伸ばして受話器を掴んだ。

「はいHM課……はい…はい……」

 首で受話器を支え、左手でキーボードを叩きながら長瀬は右手にペンを持ち、近くにあった紙
にメモを記して隣にいた研究員にそれを渡した。研究員は頷くと慌しく立ち上がり、部屋を出て
行く。

「……はい…分かりました。どんどん運んできてください。サンプルは多い方がいいですから…
ええ……そうですね…それじゃ」

 電話を置いた長瀬は再びわき目も振らずキーボードを叩く。音量を下げたテレビが派手にニュ
ースを流している。

『……同時に各地でメイドロボに突き飛ばされたり、殴られるなどして怪我する人が相次いでお
り……』



「メイドロボの叛乱?」

 雅史は朝食のテーブルで素っ頓狂な声を上げた。向かいに座っている姉の千絵美は子供をあや
しながら言った。

「そうよ〜。テレビで言っていたわ。日本中でメイドロボが暴走してるんですって〜」
「日本中でって、いくら何でもそれは大げさじゃないかな」
「そんなことないわよ。だってテレビがそう言っているのよ」
「テレビが言ってるからって、正しいとは限らないじゃないか。第一、本当に全部のメイドロボ
が暴走しているなら、今ごろお隣は大変だよ」

 佐藤家の隣人は最近、メイドロボを購入した。その隣人宅はきょうも静かだ。叛乱も暴走も起
きている様子はない。

「あ、そっか。言われてみればそうねぇ」
「まったく。姉さんは早とちりなんだから」
「な、何よ何よ。あたしじゃなくてテレビがそう言ってるって……」
「はいはい。分かりました」

 雅史は姉を黙らせるべくテレビのリモコンを入れた。画面に何とか評論家の姿が現れる。

『……2001年宇宙の旅ではですね、宇宙船に搭載されたコンピュータがですね、人間の指示
に従わなくなりましてですね……』

「へぇ〜、怖いのね〜」

 姉が随分と呑気な調子で話す。映画と現実をごっちゃにしているらしい評論家の暴論に呆れた
雅史は早々に席を立ち、部屋へ戻った。今からあかりの家に電話をして志保の居場所を聞いてみ
るつもりだった。



 その職場ではいつも通りに仕事が始まった。最先端の企業らしく、清潔なオフィスを闊歩して
いるのはほとんどがメイドロボだった。僅かな人間は大きめの机に陣取り、次々とメイドロボに
指示を与える。メイドロボたちは与えられた命令通りにてきぱきと動いていた。その時までは。

 一人の男が手を振り上げた。彼は短気な性格の持ち主だった。それまでもよくメイドロボを殴
りつけては拳を痛めていた。周囲の者はそのたびに男の短慮を嗤った。だが男の性格はその程度
では変わらなかった。本人もそれは分かっていた。だから、メイドロボを殴る時は、無意識に力
を抜くようになっていた。その時も、いつものように軽く殴るつもりだった。

 男は次の瞬間に宙を舞った。頭から机の列に突っ込む。大音響とともに机の上に積み重ねられ
た書類が崩れ落ちる。男はその山に埋もれた。騒がしかった職場内がいきなり沈黙に覆われた。

 男をKOしたメイドロボは呆然と佇んでいた。周りの人間もメイドロボもそちらを見ていた。
やがて我に返った職場の責任者が慌ててそのメイドロボの傍に駆け寄った。メイドロボはその男
から逃げようとするかのように数歩、後退した。

「な、何をしているんだっ」

 責任者は禿げた頭から湯気を出すような勢いでメイドロボを怒鳴り上げた。

「どうして彼を突き飛ばしたんだっ。大体だな、メイドロボのくせに何だってあんなことをする
んだっ。信じられん、まったく信じられんっ」

 その職場にいたメイドロボたちがゆっくりと動き出した。

「とにかくっ、どこがおかしいのか分からんがお前は危険だっ。おい、電源を落とすぞ、動くな
よ」

 そういって近づこうとした男は、いきなり背後から引っ張られて無様にひっくり返った。もう
一体のメイドロボが責任者を背後から引きずり倒していた。床に横たわり、呆然と天井を見上げ
る彼の視界の中で、次々とメイドロボたちが一ヶ所に集まっていた。徒党を組むように。

「や、やめろっ。こら、解散しろ解散っ」

 我に返った責任者が立ちあがり、怒鳴りながらメイドロボたちに近づく。次の瞬間、男は窓ガ
ラスに叩きつけられていた。

 窓ガラスは割れた。そこは地上12階だった。



 テレビの中で警官隊が動いている。激しく揺れるカメラが映し出すのは、無残に破壊された機
械が、ビルの中から運び出されるシーン。周囲を人々が取り囲み、怒号を上げている。それにか
ぶせるように実況の声が入る。

『……警官隊の突入でビル内に立てこもっていたメイドロボは排除されました。この事件による
死傷者は合わせて6人に達し……』

 テレビの前で難しい顔をしていた浩之はふと振り返った。ソファーに腰を下ろしたマルチが専
用端末に手首から出たコードで繋がり、目を閉じている。昨晩はあの騒ぎで充電するのを忘れて
いたらしい。思い出したのは今朝になって、バッテリーが上がりかけてからだった。
 浩之の顔に優しい笑みが浮かぶ。初めてマルチと出会った高校時代、“彼女”が図書館の中で
こうやって充電していたのを思い出す。浩之は再びテレビに目を向けた。

『……ついに死者が出る事態となったことに関連し、メイドロボメーカーを非難する声が高まっ
ております。最大手の来栖川電工は……』

 浩之はテレビを切った。マルチが目を覚ますのはもう少し後だろうが、“彼女”にはこの事件
を知らせたくなかった。メイドロボの叛乱? 馬鹿げている。ここにいるメイドロボは叛乱どこ
ろか、人を泣かせたことでショックを受けているんだ。そんな優しいロボットが何で暴走などす
るものか。
 自分に言い聞かせる浩之だが、胸の内で不安が膨れ上がるのを抑えることはできなかった。腕
を組んでテレビに映る自分の顔を睨む。ふと思いついたことがあった。浩之は立ちあがり、玄関
の電話へと歩いていった。

 受話器を取り上げ、プッシュする。簡単には繋がらないかもしれない。何しろ、高校時代に少
し言葉を交わした程度だ。それでも可能性があるのなら……。

 カチャ

『……はい』

 浩之は勢い込んで話し始めた。



 ブザーを押す。しばらくして玄関が開かれた。中から髪の毛を背後でまとめた女性が顔を覗か
せる。

「まあ、雅史くん。久しぶりねえ」
「ご無沙汰してます。あかりちゃんはいますか」
「え、ええ。ごめんなさいね、わざわざ」

 あかりの母が雅史を玄関に入れる。雅史が靴を脱いだところで、二階へ続く階段から志保が慌
しく駆け降りてきた。

「あ、雅史っ。来たのね」
「志保。あかりちゃんの家なんだから、そんなに乱暴に走ったら」
「あらいいのよ、雅史くん。志保さんも本当にありがとうね、あの娘のことで気を使ってもらっ
て」
「あ、いえ、気になさらないでください」

 志保が顔を赤らめ、ぺこぺこと頭を下げる。雅史は志保に言葉をかけた。

「あかりちゃんは部屋かな」
「ええ、ついてきて」

 二人は階段を上がった。あかりの部屋に入る。部屋の主は、ベッドに腰掛け膝を抱いていた。

「……あ、あかり。雅史が来たわよ」
「…………」
「あかりちゃん」
「…………」

 膝に埋めていた顔をゆっくりと上げる。ほとんど寝ていないのだろう。腫れぼったい瞼の向こ
うから歪んだ瞳が雅史に向けられる。大人の女性がこれだけ無防備に泣いているのを見たのは、
雅史は初めてだった。ショックを押し隠し、努めて明るい表情を作る。

「あかりちゃん。その……」

 声をかけ、後が続かず、雅史は口ごもった。志保から簡単な事情は聞いた。浩之から告げられ
た別れの言葉。それからあかりは一言も話していない。志保が浩之の家から彼女を連れだし、家
まで送ってそれから慰め続けている間、あかりは何も話さなかった。
 疑問がなかった訳ではない。今までもあかりと浩之の仲は僅かずつだが冷えていた。だが、破
局へ突き進んでいる様子でもなかった。何でいきなりこうなったのか。志保が帰ってきて、久し
ぶりに四人が揃えば、少しは事態もよくなるかもしれない。そう楽観していた雅史にとって事態
の急変は予想外だった。

「……とにかく、元気を出しなよ。いつまでも泣いていたっていいことなんかないんだから」
「そ、そうよ、あかり。雅史の言う通りよ」
「…………」
「何があったのか、詳しくは知らないけどさ。浩之があかりちゃんのことを嫌いになる筈はない
よ。何か事情があるんじゃないかな。良かったら僕からも浩之に話をしてみるけど」
「そうね、それがいいじゃない。ね、あかり。雅史にちょっとお願いしてみましょうよ」

 あかりは黙って二人を見ていた。その瞳には何も映っていないかのようだった。雅史は小さく
ため息をつくと、志保に向き直った。

「浩之と会ったのは昨晩なんだろ」
「え? ええ、そうよ」
「じゃあ、今日はもう落ち着いたんじゃないかな。今から会ってくるよ」
「あ、そ、そう」

 志保が頷く。その顔に浮かぶ不安そうな表情に雅史は驚きを覚えた。



 繁華街の喫茶店。浩之はゆっくりとコーヒーを啜る。扉が開き、待ち人が現れた。彼女は店内
を一通り見まわし、浩之を発見すると落ち着いた様子で歩み寄ってくる。

「……驚いたわよ。いきなり電話してくるなんて」

 来栖川綾香はそう言うとストンと浩之の向かいに腰を下ろした。ウエイトレスに紅茶を注文し
て浩之に向き直る。

「見たでしょ、例の事件。あれでもうウチにも嫌がらせの電話がじゃんじゃんかかってきている
のよ。そんな時に連絡してくるんですもの、長瀬さんなんか青い顔していたわよ」
「すまなかった」

 来栖川家に勤める老齢の執事の顔が思い浮かぶ。過保護を絵に書いたような人物だった。もっ
とも、目の前の女性は執事の干渉をほとんど無視して好き勝手していたようだが。

「実はその、例の事件を見て気になってな。それで誰かに相談したいと思ったんだ」
「相談って、何?」

 目の前の女性は知り合いとも言えない程度の付き合いしかない。だが、他に頼るものがない以
上は仕方がない。正面きって来栖川電工の研究開発室へと連絡を取ろうとした試みは、無駄に終
わった。ならば搦め手しかない。

「来栖川電工の開発関係の人に会いたいんだ。その、できればこの手紙を書いた人に……」

 浩之は綾香の目の前に紙切れを見せた。マルチを購入したしばらく後で、送られてきたDVD
に同封されていた手紙。差出人となっている「来栖川電工第七研究開発室HM開発課主任」なら
今回の事態について何か知っているかもしれない。

 相次ぎ報道されているメイドロボの暴走事件は、ついに死者の発生に繋がった。それを機にマ
スコミの論調が一変したのを、浩之は感じていた。暴走ロボットを作り出したメーカーに対する
非難だけでなく、ロボットそのものへの排撃を煽るような文句が、テレビで流れるようになって
きた。こんな危険なものを野放しにしていいのか。当局は何をしているのか。
 背景には、景気低迷の中で人間の職場を奪いつつあるメイドロボへの不満があるのだろう。企
業の中にはリストラで首切りを進め、一方でより低コストな労働力であるメイドロボの導入を拡
大するところが増えていた。ロボットによって人間の職場が奪われる。最先端の事業を進めてい
るところほど、そういう傾向が強まっている。人間はロボットに追い落とされつつある。
 本当は非難されるべきはロボットではない。そういうリストラを進めている経営陣や、企業が
必要とする技能を磨いてこなかった従業員自らこそが責めを負うべきなのだ。そう、理屈を述べ
る者もいた。だが、それは多数の声にはならなかった。誰もが安易に悪者を求め、そいつに全責
任を押しかぶせる。この国のマスコミがよくやる手だ。この国の国民が簡単に乗せられるいつも
のシナリオだ。

 綾香は手紙に目を通し、浩之に視線を戻した。その真剣な眼差しを見て、綾香は疑問を口に出
した。

「なぜ、この人に会いたいと思ったの? 確かにメイドロボが各地で暴走しているのは事実だけ
ど、あなたにそれが関係ある?」
「ある。オレにとっては重要なことだ」
「あなたがこの、マルチってメイドロボを所有しているから?」

 手紙に目を落として綾香が質問する。そうだ。だが、それだけではない。マルチのためにあか
りを傷つけた。だからあかりの分までマルチを守ってやらねばならない。浩之は心の中でそう呟
いた。口には、出さなかった。ただ、じっと綾香の目を見詰めていた。

「…………」
「……分かったわ。けどね、勘違いしないでね。わたしの祖父は確かに来栖川電工のオーナーだ
けど、そのことと孫であるあたしとは本来、何の関係もないのよ。わたしが会いたいからと言っ
て、来栖川電工の社員はわたしに会わなければならない義務はないの」
「そう……だろうな」
「努力はしてみる。けど、会えないこともあり得るわ。まして今はこの騒ぎでしょ? 多分、こ
の人は事件の対応に追われているんじゃないかな」

 綾香の声が自信なさそうに弱まる。浩之は一つ深呼吸をすると、笑みを浮かべた。

「構わない。何でもいいからやってみたいんだ。よろしく頼む」



 玄関から姿を現した緑色の髪を見て、雅史はタイムスリップしたような気分になった。浩之が
このメイドロボを購入していたのは知っていた。だが、実物を見るのは今日が初めてだった。見
て分かった。これは高校時代に、雅史の学校へ試験運用に来ていたあのメイドロボだ。間違いな
くそうだ。

「す、すみません。浩之さん、どこかにお出かけみたいで……」

 メイドロボは恐縮したように身を縮め、雅史にそう言った。雅史は軽く笑ってみせた。

「じゃあ、ちょっと待たせてもらえないかな」
「は、はい。雅史さんだったら構わないと思います」

 メイドロボは雅史のことも覚えていたらしい。彼を応接間に案内すると、すぐにお茶を運んで
きた。雅史は礼を述べて一口飲んだ。さわやかな芳香が立ち上る。

「へえ。結構おいしいね」
「あ、ありがとうございますっ」

 メイドロボは大きな声を上げ、満面の笑みを浮かべた。誉められた子供が見せるような笑い。
とてもロボットとは思えない。人間が作り上げたプログラムに従い顔面の人工筋肉が動いただけ
なのに、その笑顔は雅史の心に強い印象を残した。雅史は妙な気分になった。このメイドロボが
本当にあかりを泣かせたのだろうか。

 雅史はしばらく待った。浩之はなかなか帰ってこない。メイドロボは一言断りを入れ、家事の
続きを始めた。手持ち無沙汰になった雅史は仕方なくテレビのスイッチを入れた。

『……繰り返します。先ほど市内の交差点でメイドロボに突き飛ばされた小学生が自動車に跳ね
られる事件が起こり……』

 雅史はソファーから立ちあがった。テレビのブラウン管に目が釘づけになる。

『……事態を重く見た政府は緊急声明を出し、すべてのメイドロボの電源を落とすよう勧告を発
しました。各家庭でご使用になっているメイドロボの電源を落としてください。人間に危害を加
える危険があります。各家庭で……』

 背後で何かが床に落ち、割れる音がした。振り返った雅史の視界に、蒼白になったメイドロボ
の姿が飛び込んできた。



 工場内に人々がなだれ込んできた。ここでもメイドロボはかなり働いている。急速に増加する
法人需要の中、オフィスや工場といった職場に次々とメイドロボが進出していた。数多いメイド
ロボの電源をすべて落とすのはかなりやっかいだ。普段は事務所に詰めている事務職の女性まで
含め、ほとんどの社員が駆り出された。

「あ、あれぇ」

 先頭を切って工場に入ってきた若い男が素っ頓狂な声を上げる。工場内は静かだった。作業し
ている筈のメイドロボは一切見当たらず、機械類も動きを止めていた。

「ちょ、ちょっとこれどういうことです」
「お、おかしいな。さっきまできちんとラインは動いていたし、メイドロボも持ち場にいた筈な
んだが」

 責任者らしき作業服の男が首をかしげながら工場内に踏みこむ。皆がそれにぞろぞろとついて
いった。工場内はあくまで静けさに包まれていた。

「変だな。おーい、どうしたー。どこにいるー」
「なあ、ここって人間の管理者もいるんだろ」
「ああ、もちろん」
「そいつはどうしたんだ? どこに姿をくらまして……」

 その会話は絹を裂くような悲鳴で遮られた。悲鳴の主は若い女性だった。彼女はラインの蔭を
見ながら咽喉から悲鳴を搾り出し続ける。近くにいた男性たちが慌てて駆け寄った。

 そこに、死体があった。

 死体は頭部を割られていた。そこから夥しい赤い血が床に流れ出していた。ラインを監督して
いる従業員だった。

 ゴッ

 皆が死体に気を取られているその時、鈍い音がした。振り返った人々の前で、責任者の身体が
ゆっくりと傾き、床に倒れた。天井から吊り下げられているクレーンが振り子のように揺れてい
た。ちょうど、人間の頭の高さで。責任者が被っていたヘルメットは真っ二つに割れていた。

「い、い、いやあああああああああああああああああ」

 女性従業員の悲鳴を合図にしたかのように、物陰に隠れていたメイドロボが次々と姿を現し、
人間に向かって走り始めた。その手には金属製のパイプが握られていた。

 風を巻いて、鉄パイプが振り下ろされる。



『……メイドロボの襲撃による死傷者は確認されただけで12人に達しており、さらに増える可
能性もあります。繰り返し、政府からの勧告を……』

 夜空を背景に輝く街頭テレビの大型スクリーンの前に集まった人々の間からざわめきが広がっ
た。血を流し運び出される怪我人の映像が、その騒ぎを加速する。

「畜生、このままだとおれらメイドロボに殺されちまうぞっ」
「何なんだよ。なんでいきなりこんなことにっ」
「企業が悪いんだよ、不良品を作りやがって」
「そうだそうだ。あいつらがっ……」

 そのざわめきを貫き、絹を裂くような悲鳴が走る。人々が声の方向を見ると、地面に倒れた人
影と、その傍に立つ特徴的なシルエットがあった。メイドロボだった。

「この、このメイドロボが今その人をっ」

 メイドロボが動く。周りの人間がそこへと駆け寄った。メイドロボは腕を振りまわし、何人か
弾き飛ばす。

「この野郎っ」
「ぶち壊せっ」
「やっちまえっ」

 怒号、悲鳴、喧騒、混乱。メイドロボのボディがへこみ、腕が外れ、頭部が踏みにじられる。
暴れまわる人間たちの表情が興奮に塗りこめられ、夜の空気が異常な熱気を帯びる。

「やられる前にやるんだっ」
「壊せっ、壊せっ、壊せっ」

 群集は何かに取り憑かれたかのように移動を始めた。



 浩之と綾香はロビーの中にある待ち合わせ用の椅子に並んで腰掛けていた。あれから綾香はす
ぐに会社側と連絡をとり、何とかアポを取りつけた。綾香の行動力に浩之は舌を巻いていた。自
分は彼女ほどがむしゃらに担当者に会おうとしただろうか。
 ロビーから見えるガラス張りの入り口の向こうはすでに暗闇だった。どうにかこうにか会う約
束はできたが、時間はいつになるか分からなかった。もうここで何時間待っているだろう。受付
の女性もとうに姿を消し、時折現れる警備員が不審そうにこちら見やるばかりだった。

「日本人って、仕事が好きなのねえ」

 綾香がそう呟いた。ちょうど今も一人の社員が裏口から駆け込んできたところだ。手に抱えて
いるのは弁当だろうか。夕食を取り、それからさらに働くつもりらしい。弁当箱の数を見る限り
では、同じ事を考えている従業員がもっと大勢いる筈だ。

「給料分の拘束時間は終わったんだから、とっとと帰ればいいのに」
「そんなこと言ったって、今は非常時だろう」
「だから?」
「だからって、この会社の製品が暴走しているなら、できるだけ早く止める方法を探し出す必要
があるじゃないか。そのためにみんな仕事をしているんだろう」
「浩之。あんたって意外と頭悪いのねぇ」

 とてつもなく無遠慮な台詞がぶつけられた。浩之は呆気に取られる

「暴走しているのはウチだけじゃなくて、全メーカーのメイドロボよ。これは来栖川電工の問題
じゃなくて、メイドロボメーカー全体の問題なの。いえ、もしかしたら、工業化されたこの社会
全体の問題かもね」
「ず、随分と大きく出たな」
「だってそうでしょ。何でもかんでもメイドロボ頼りにする人間が増えたからこそ、こんなトラ
ブルが起きているのよ。第一、メイドロボの目的である家事なんて昔から人間がやってきたこと
じゃないのよ。サボって楽したがる人間が多いからこそメイドロボが普及した。そのことを忘れ
ちゃ困るわ」
「そりゃそうだが」

 そんなことを言い始めたら、文明の進歩そのものが原因になってしまう。理屈は綾香の言う通
りだろうが。
 苦笑しながら再びガラス張りの正面入り口を見た浩之は、その向こうにある門の所で蠢く影を
見つけた。訝しげな表情をする浩之に気づき、綾香もそちらを見る。その顔がすぐに青褪めた。

「な、何あれっ」

 街灯の下で照らされている門が揺れる。いや、揺すられている。やがてそれはゆっくりと敷地
内へ傾いた。蠢いていた影が溢れ出すように来栖川電工の敷地になだれ込んでくる。その先頭は
すぐにガラス扉に辿り着き、これを揺らし始めた。鍵のかけられた扉が軋む。

 それは、歯を剥き出し、口々に叫び声を上げる人間の集団だった。

「なにしているのよあの連中はっ」

 綾香が立ちあがって叫ぶ。浩之は慌ててその手を掴むと、裏口へ向かって走り始める。

「ちょ、ちょっと何よっ」
「良く分からないがとにかく危ない。逃げた方がいいっ」
「何で逃げるのよっ。あたしらが何か悪いことでもしたって言うのっ」
「連中の顔を見ただろっ。ありゃ理屈は通用しないぞっ」

 次の瞬間、正面扉が激しい音を立てて砕けた。



『……各地で電源を落とされようとしたメイドロボが集団で抵抗を続けております。政府は非常
事態宣言を発令し……』



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