共棲(7) 投稿者:R/D
 ――第七日――

 秩序を回復しようとする努力は続けられていた。現場を駆けまわるもの、寸断された各種のラ
インを復旧させようとするもの、ダウンしたシステムを元へ戻そうとするもの。それは遅々とし
た歩みだったが、彼らの努力は着実に実を結びつつあった。崩壊した情報網は、再び往時の姿を
取り戻そうとしていた。

 電話回線を回復させようとするものたちがいた。技術者たちは回線を管理するシステムをチェ
ックし、プログラムを調べ、トラブルを引き起こした要因を探そうとした。コンピュータの中か
ら、彼らはウイルスを見つけ出すことに成功した。数ヶ月前に世界を騒がせたコンピュータウイ
ルスと似た、だが、かなり変化したウイルスだった。
 ワクチンソフトが使われた。改めてウイルスを解析し、別のワクチンを作ろうとするものもい
た。調査が進むにつれ、ウイルスが一種類だけでないことが分かってきた。それはコピーを繰り
返し、世代を重ね、その度に自らの姿を変貌させていた。

 生き残っているメイドロボメーカーの各研究所でも、暴走ロボットの分析が進められていた。
メイドロボのアルゴリズムに隠れたウイルスは各地で発見され、それへの対応策が急ぎ検討され
ていた。
 ウイルスプログラムの中に奇妙なものを発見した研究者がいた。それを解析した彼は、そのウ
イルスに感染されたアルゴリズムの効率が従来のものより2割がた上昇することを突きとめた。
メイドロボ用の思考アルゴリズムを強化するウイルス。その研究者は興奮を抑えることができな
かった。

 社内のシステムが完全にダウンした各マスコミでも、復旧作業が急がれていた。放送再開に向
けてあらゆるシステムの見直しが進められ、同じようにウイルスの発見と除去が行われた。現場
にとどまっていた記者やカメラマンたちに再び指示が飛び、彼らは流されることなく蓄積されて
いたニュースを、再び発信できるよう準備を始めた。
 システムに潜りこんでいたウイルスの中で、トラブルを起こさず、むしろ他の有害なウイルス
を駆除する働きを持つものを見つけた技術者がいた。再開を急ぐマスコミは、新たなワクチンの
製造を待たず、その“突然変異”を起こしたウイルスを使ってシステム復旧を図った。

 夜が明ける。一度は幻のように姿を消そうとしていた“日常”が、再び力強く現れてきた。



 チャイムが鳴った。浩之はソファーに腰掛けたまま動かなかった。腕の中にいるマルチの目が
動く。浩之は黙ってマルチを見ていた。

 何かが壊れる音。そして玄関から声が聞こえた。

「おいっ、この家には確かメイドロボがいたなっ」
「我々は自警団だ。調べさせてもらうぞ」

 沢山の足音が近づいてくる。浩之は黙って座っていた。

「……いるのなら返事を」
「なっ、何だそれはっ」

 入りこんできた男たちは、浩之が腕に抱えているものを見て、一瞬のけぞった。頭部の中身が
剥き出しになったメイドロボは、なまじ外観が人間に似ているだけに、男たちの恐怖を煽った。
一人が手に持ったバットを握りなおし、浩之に近づく。

「お前っ。それは何だっ」
「……マルチだよ」
「マルチぃ?」
「メイドロボだ」

 浩之は顔を上げ、男たちを見た。彼らが持っている獲物を見ても、浩之の表情は変わらなかっ
た。臆することなく言葉を続ける。

「これはマルチだ。あんたらが怖がっているメイドロボさ」
「なっ……誰が怖がってなぞっ」
「失せろよ。用事はない。勝手に人の家に上がりこむな」
「貴様っ、我々は皆のためにこうやって巡回しているんだぞっ。それをっ」
「余計なお世話だ」
「てめえっ」

 男の一人が大声を上げてゴルフクラブを振り上げた。

「てめえっ、メイドロボの味方かっ、人間を裏切るのかっ」

 浩之は醒めた目で男を見た。男の目に怯えが走る。浩之は動かない。マルチの目が忙しく動き
回る。それを見た男が、悲鳴を上げてゴルフクラブを振り下ろした。

 ガッ

 マルチに向かって叩きつけられたそのクラブを、浩之は自分の背中で受けた。激痛が走り、浩
之の身体がソファーから床へと崩れ落ちる。悲鳴に誘われたように他の男たちも次々に獲物を振
り上げ、浩之に、マルチに襲いかかる。

 背中、腰、首筋。次々に痛みが走る。浩之はマルチを抱き、庇いながら唇を噛み締める。激痛
にうめき声が漏れる。肋骨が軋み、腰骨に皹が入る。そして頭蓋骨へ打撃、浩之の意識が混濁す
る。

 音も、光もかすれる中、長瀬源五郎が残した最後の言葉が、浩之の脳裏に浮かんだ。

『……もし、もしわたしのこの言葉が誰にも届かなかったら。

『いや、それでも結果は変わらないだろう。我々とメイドロボ双方の被害は随分と膨れ上がるこ
とになる。だが、最後はきっと、我々は共棲への道を歩みはじめる。

『昔、オーストラリアで増えすぎた兎を減らすため強力なウイルスをばら撒いたことがあった。
ウイルスに感染した兎は次々と倒れ、その数は減っていった。しかし、それも一時的な現象だっ
た。兎は再び数を増やし始めた。人々がウイルスを調べると、兎を殺す筈のウイルスはほとんど
無害な存在になっていた。

『よく考えれば、当たり前のことだ。兎の中にはウイルスに対する耐性を持った個体がいる。他
の個体が死んでいく中で、耐性を持つ兎だけは繁殖ができた。いつしか兎のほとんどはウイルス
に対する耐性を持つようになった。

『一方でウイルスは突然変異を繰り返した。そして、兎を殺さない無害なウイルスが現れた。兎
を殺すウイルスは、宿主を殺すことで自らも繁殖する手だてを失う。一方、無害なウイルスは健
康な兎が増えるのに従って自らも増殖することができる。

『それが、進化だ。

『生存競争、天敵、自然淘汰、弱肉強食。進化の歴史を言葉にすると、あたかも無限の殺し合い
の中で、勝った者だけが生き延びてきたかのように思える。だが、それは間違いだ。本当は、生
命は殺し合いを続けてきたのではなく、共棲して生き延びてきたのだ。

『いずれ、人とメイドロボは、新しい関係を築き上げるだろう。わたしのこの言葉が伝えられな
くても。共棲することが双方にとって利益になるということに、いつか気づくだろう……。

 浩之の前に、長瀬主任の笑顔が浮かぶ。ただ一度だけ顔を合わせ、話をしたマルチの父親。
 その隣にマルチの笑顔が並ぶ。浩之に向かって、マルチが微笑む。

(マルチ)

(もし…もしも)

(オレたち人間と、お前たちメイドロボが互いに手を取り合って生きていけるなら)

(そういう時がやってくるなら……)

(その時は…お前を……)

 浩之の意識は白い闇に飲みこまれた。



「おい、どこへ行くんだ」

 背後からかけられた声に雅史は立ち止まった。一晩中徘徊を続け、ようやくあかりの家へと向
かう道を見つけ出し、そこを歩いている時だった。振り返ると、ボウガンを持った男がこちらを
睨んでいる。

「家へ戻ります」

 強い調子で話す。これ以上足止めされるのはごめんだ。とにかくあかりの家族に、志保の家族
に連絡を取らなければ。

「待て。良く見ろ」

 男は前方を指差した。路上に散在する障害物の陰に何かがいた。メイドロボだった。

「あそこにゃメイドロボがたむろしているんだ。ここを抜けて行くのは無理だ」
「ですが、ここを通らないと……」
「まあ待て」

 男はニヤリと笑って見せた。手に持ったボウガンを肩に担ぐ。

「実は近くに自衛隊が来ていてな。さっき話をしたんだが、しばらくすればこっちへ回ってくる
ことになっている。そうすりゃ大丈夫だ。あそこにいるメイドロボの数は少ない。すぐに鎮圧で
きるさ」
「自衛隊が……」
「そうだ。だからもう少し我慢しな。すぐにあいつらは全滅だ。それからでも遅くは……」

 前方を見ていた男の言葉が唐突に途切れた。顔に訝しげな色が射す。雅史は男の視線を追って
みた。

 銀色に光る物体が、障害物の蔭から姿を現し、ゆっくりと路上を動いていた。旧型のメイドロ
ボが、底部についた車輪を動かし、こちらへ向かって近づいていた。

「な、何だありゃ。こっちに飛び道具があることは連中も知っている筈……」
「……あれ、は」

 銀色のメイドロボは動きを止めない。そのカメラが雅史の方向に向けられ、液晶パネルが点滅
する。雅史は思い出した。あれは、昨晩自分が助けたあのロボットだ。

「ちっ、しゃあねえ」

 男がボウガンを構え、メイドロボを狙撃しようとした。雅史は大声を上げた。

「待ってくれっ」

 男が吃驚して雅史を見る。周囲にいた他の人間も彼らを見た。道路の向こうでは、メイドロボ
たちが物陰から顔を覗かせる。

「……待ってくれ。僕が、あのメイドロボと話をつける」

 雅史のよく通る声が周囲に響き渡る。沈黙が辺りを覆う。人とメイドロボの視線が集まる。

 雅史は近づいてくるメイドロボを見た。そして歩き始めた。彼には分かっていた。あのメイド
ロボはこちらに危害を加える意図はない。雅史は力強く足を進めた。

 雅史とメイドロボの距離が、ぐんぐんと近づいていく。



 逃げ惑う思い出たちが 君の家を訪ねたなら
 プラハへの道を 教えてあげてくれ
 そして朝 手を振って 見送って
                  ―― EIN BRIEF VON PLAG(パンタ)

                                       完

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