共棲(5) 投稿者:R/D
 ――第五日――

 あかりの家を辞し、自宅へと歩きはじめた。志保は今夜も泊まっていくらしい。あかりの様子
が一向に変わらないことに、雅史は痛みを感じていた。浩之を捕まえて話を聞くことができてい
れば、それがあかりを慰めるのに役立ったかもしれない。浩之は結局、帰ってこなかった。
 雅史が浩之の家を去り、あかりの家に戻ったのはもう夜も相当遅い時間だった。雅史から話を
聞いた志保はため息をついた。あかりは黙ったままだった。とにかく、食べ物を口にしてくれた
のが唯一の救いだと志保は言った。雅史があかりと志保に別れを告げた時は、日付が変わってい
た。

 夜道には異常な緊張感が流れていた。雅史はすぐにそれに気づいた。人々はほとんど家に閉じ
こもって息を潜めている。時折、低空でヘリが飛んで行く。何かが起きた。雅史は走り出した。
とにかく急いで家に帰った方がいい。あまり外にいない方が。

「止まれっ」

 誰何の声に、雅史は心臓が止まりそうになった。慌てて両手を上げる。街灯の光の中に姿を現
したのは、数人の男性だった。一人が猟銃を構えている。

「おいお前っ。何でこんな時間にうろついているっ」
「し、知り合いの家から帰るところ、です」

 声が裏返った。まさかこの日本で銃を突きつけられる経験をするとは思わなかった。それも、
どうみても警察関係者ではない連中に。

「……男、か。お前、メイドロボじゃないな」
「は? な、何ですって」
「人間だなと聞いているっ」
「そ、そうですっ」

 男が猟銃を下げた。周りの連中も緊張感が緩んだのか、構えていた腕を下げている。良く見る
と、猟銃男以外もバットやゴルフクラブといった獲物を持っている。

「非常事態宣言が出ている。さっさと帰るんだ」
「あ、あの、あなた方はいったい……それに非常事態って……」
「我々は自警団だ」

 信じられないような言葉を聞き、雅史は耳を疑った。自警団というと、関東大震災の時、朝鮮
人を殺戮したあの悪名高い自警団と同じようなものなのだろうか。いったい何から自分たちを守
ろうというのだろう。

「メイドロボが叛乱を起こしているからな。いいか、とにかく早く帰れ。分かったな」

 男はそう言うと乱暴に雅史を押した。男の瞳に浮かぶ恐怖が混じった警戒感を見て取り、雅史
は逆らわずに家へ向かって走り出した。とにかく戻りたい。何が起きているのか知りたい。

 家に辿り着くと、姉がほとんど泣きそうになりながら迎え入れてくれた。行方知れずになった
雅史のことを心配していたらしい。雅史は姉に謝るとすぐにテレビの前に座った。

『……来栖川電工研究所はごらんの通り炎上しております。同研究所を襲撃した暴徒たちはすで
に別の場所へ去ったようです。なお、現在は非常事態宣言が出ております。くれぐれも視聴者の
皆様は自宅から出ることなく……』

 興奮したアナウンサーの声が割れるように響く。雅史の背後に立った姉が震える声を出した。

「……子供が殺されたのよ、メイドロボに。いえ、子供だけじゃなくって沢山の人が。人間を襲
っているって。信じられないわ。何で、何でこんなことに……」

 姉の怯えた声が、雅史の脳裏にあのメイドロボを思い出させた。浩之の家で出会った緑の髪の
メイドロボ。

『わ、わたしの、わたしの電源を切るんですかっ』
『…………』
『ま、待ってくださいっ。お願いです、せめて、せめて浩之さんに会うまで……』

 雅史は唇を噛み締めた。浩之は、彼は今、どこにいるのだろう。



 暴徒たちの喚声が聞こえる。浩之は細い路地をつたうように移動した。肩に背負う綾香の身体
が重い。急がなければ。どの程度の怪我か分からないが、早く医者に見せる必要がある。

 来栖川電工の裏口にも暴徒は押し寄せていた。浩之たちは建物内を駆けまわり、隠れて何とか
暴徒をやり過ごそうとした。上手くいっていた。ほとんど脱出できる寸前までいった。彼らの隠
れ場所から、セリオタイプのメイドロボに集団で攻撃を加える暴徒たちの姿が見えるまでは。
 綾香がいきなりその場に飛び出し、暴徒たちを非難した。そのロボットが何をした。ここにい
るロボットは誰も殺していない。人間に危害を加えてはいない。なのになぜ。綾香があんなに激
しやすい人間だとは思わなかった。浩之は彼女を止めようとした。暴徒たちが一斉に襲いかかっ
てきた。

 綾香は格闘技の達人だ。だが、いかに格闘技がうまくても多勢に無勢ではどうしようもない。
すぐに彼女も地面に崩れ落ち、集団で暴行を受けそうになった。浩之が『警察だ』と叫び、彼ら
の注意を逸らさなければ、そのまま殺されていたかもしれない。それまで攻撃されていたセリオ
タイプのロボットが突如暴れだし、大勢の暴徒に攻撃を仕掛けていなければ、綾香を連れて逃げ
出すことはできなかっただろう。

 サイレンの音が近づいてくる。暴徒たちがそれに追われるように移動する気配がある。浩之は
近くの塀にもたれ、呼吸を整えようとした。脹脛に引き攣るような痛みが走る。暴徒たちから逃
げ出す時に攻撃を受けたようだ。いや、もしかしたら、暴走したメイドロボにやられたのかもし
れない。
 サイレンの音はやがて遠ざかって行った。回転する赤色灯の光が街の各所を照らし出す。浩之
は綾香を背負いなおすと、ゆっくりと歩き始めた。

 来栖川の家へ向かいながら、浩之は考えた。いったい何が起きているのか。なぜメイドロボは
暴走し始めたのか。どうして暴動が起こるほどの騒ぎになったのか。原因を知っていそうな人物
には会うことができなかった。あの騒ぎの中で、来栖川の研究者たちはどうなったのだろう。浩
之に手紙とともにマルチを送ってくれたあの人物は無事なのだろうか。

 よろめきながら来栖川の邸宅近くの道を歩く。この辺りには隠れる路地もない。誰かに発見さ
れれば言い訳はきくまい。いや、殺気立っている連中にでも見つかったら問答無用で攻撃されか
ねない。おまけに昨晩からほとんど寝ていない。蓄積した疲労が浩之の足取りを重くする。

「何をしている」

 来栖川の門の前で、ついに誰何された。浩之は慌てて綾香を背負いなおす。何とか彼女だけは
助けたい。闇に浮かぶ人影を注意して見ながら、浩之は数歩後退した。街灯の明かりが、浩之の
顔を映し出す。

「……小僧、お前か」

 その声はあの老齢の執事のものだった。それを聞いた瞬間、浩之の全身から力が抜けていく。
これで助かった。何とか自分が巻き込んだ綾香を救うことができた。浩之が覚えているのは、そ
の場にへたり込んだ彼の元に執事が駆け寄ってきたところまでだった。



 夜が明けた。街の各所で炎が上がっていた。警察が駆けまわり、暴徒の鎮圧に当たっていた。

「人間じゃなくてメイドロボを鎮圧しろっ」
「てめーらどっちの味方だよっ」

 明るくなるに従い、情報が駆け巡り始めた。メイドロボは工場やオフィスなど、数多く配置さ
れていた場所に立てこもり、人間が近づくと攻撃をしかけてきた。各家庭にいたロボットたちの
中にも、いつの間にかその場を離れ、他のメイドロボのいるところへ逃げ込む動きが出てきた。
街中では移動するメイドロボと、警戒に当たる人間たちがいたるところで接触し、そこで惨劇が
起きていた。

 事態の収拾を図ろうとした警察は、特にメイドロボが集中している個所に機動隊を投入した。
マスコミがその場に呼び出され、報道に当たる。当局が事態にきちんと対応しているところを見
せれば混乱も沈静化してくる。そういう判断だった。その狙いは当たった。

 ジュラルミンの盾で武装した機動隊が並ぶ前で、メイドロボが立てこもる拠点へ送られている
電力が切断される。メイドロボの動きを多少なりとも弱らせるために、放水車が派手に水をかけ
る。やがて、紺色で統一された武装集団がオフィスの一角へ、工場の敷地へ突入する。上空をヘ
リが舞い、騒音が辺りを満たす。

 メイドロボの叛乱は、少しずつ鎮圧されつつあった。



「まるで昔のニュース映像を見ているみたいね。昔はあったんでしょ、何か学生運動とか」
『らしいね。でもどうやらこれで収まりそうだね』

 志保はテレビを見ながら電話で雅史と話をしていた。あかりは相変わらず部屋に閉じこもった
ままだ。志保もそろそろあかりの相手をするのに疲れていた。そこにこの派手な中継だ。あかり
はしばらくそっとしておいた方がいい、と自分に言い訳をしながら、志保はテレビの前に陣取っ
た。

「そうねえ。何か昨晩は暴動も起きたらしいけど、朝になってかなり静かになったみたいね」
『あかりちゃんの様子は』
「うーん、相変わらずなのよ。食事は今朝もちゃんと取っているからいいんだけどね。それ以外
の時はひたすらくまグッズを見つめたまんまなのよ」
『くまって……』
「多分、ヒロからもらった物じゃないかしら」

 電話の向こうから雅史のため息が聞こえる。

『浩之はまだ帰っていないみたいなんだ。さっき電話してみたんだけど、誰も電話に出なくて』
「あーもーまったく、何してんのよあいつは。あかりを傷つけて、おまけに今度は家にも帰らず
に遊び歩いてるってのぉ? いいご身分ね」
『いくら浩之でもこんな騒ぎの中で遊んでいるとは思えないけど』
「どーだかね。あのメイドロボも置き去りにしてどっか行ってるんでしょ? 何があかりよりマ
ルチよ。偉そうなこと言っておいて……」
『あっ』
「……何、どしたの?」
『そうだ。どうして誰も電話に出なかったんだろう。おかしいよ、絶対に』
「なになに。一体なにを……」
「志保ちゃんっ」

 突然、背後から大声がした。振り返ると、あかりの母が両手を握り締めて立ち尽くしていた。
その顔は紙のように真っ白だった。

「どうしたんですか」
「あ、あかりが、あかりが居ないの。どこにも見当たらないのよっ」
『え? 何? 何だって、志保っ』

 志保は勢い良く立ちあがった。



 最悪の目覚めだった。身体中が軋み、吐き気がする。先ほどまで見ていた夢の中では、マルチ
が助けを求めて悲鳴を上げていた。浩之はゆっくりと身体を起こす。豪勢なベッドの上にいるこ
とに気づいた。

「起きた?」

 枕元に綾香がいた。頭に包帯を巻いているが、見た限りでは元気そうだ。浩之はため息をつい
た。

「ああ。綾香、大丈夫なのか」
「ええ、おかげさまでね」

 浩之を見る綾香の顔に翳が射す。綾香は浩之に頭を下げた。

「……助けてくれてありがとう。あたしがバカなことをしたせいで、浩之まで危険な目に合わせ
てしまって」
「いや、元々オレが綾香に協力を頼んだのが原因なんだ。オレこそバカなことをした。許してく
れ、綾香」
「……浩之」

 綾香は顔を上げた。その顔に強く後悔の思いが残っているのに気づき、浩之はわざと笑ってみ
せた。

「にしても驚いたぜ。いきなり連中の前に出て啖呵を切るんだからな。さぞや気分良かったんじ
ゃないのか」
「やめてよ、ホントに後悔しているんだから。あの時は何だか頭の中がカッとなっちゃって」
「へー、随分と激情家なんだな、綾香って」
「襲われていたのが、セリオタイプだったのが……ね」

 綾香は苦笑してみせた。浩之はその優しそうな表情に少し驚きを覚えた。きつい性格の女性だ
と思っていたが、こんな顔もできるとは。

「あたしのいた高校に試験運用に来たのよ。セリオタイプが」
「へぇ」
「そっちにマルチタイプが行ったのと同じようにね。だから、何だかセリオタイプを見ると、昔
の知り合いみたいに思えて……」
「…………」
「もちろん、あのセリオタイプがそうだって訳じゃないのよ。単なる勘違い。というか、思いこ
みね。量産されるロボット相手に、そんな懐かしさを覚えてもしかたないのにね」

 浩之の表情が暗く沈む。それに気づき、綾香は慌てて口元を押さえる。

「あ、あの、あたし、何か悪いこと言った?」
「いや、別に」

 短く答えた浩之はベッドから床へ降りた。

「すまない。世話になった。帰るよ」
「え?」

 扉へ向かって歩き出す浩之を見て、綾香は声を上げる。

「ちょ、ちょっと待って。身体は大丈夫なの」
「寝不足だっただけだよ。もう心配ない」
「で、でも、外はちょっと危険なことになって……」
「大丈夫さ。これ以上、迷惑はかけられない」
「……浩之」

 浩之は綾香に向かって笑ってみせ、部屋を出ていった。



 焼け跡に足を踏み入れたその警官は、黒焦げになった死体を見つけ、顔を顰めた。

(まったく、何てことだ)

 取りとめなく散乱し、焼け落ちた周囲の様子は彼にとっては耐えがたいものだった。その中に
散らばる死体やメイドロボの残骸も不快だった。彼は秩序を愛する男だった。だから警官となり
秩序を守る仕事についた。秩序こそが最も大切なものだった。

「酷いもんだ」

 彼の上司がそう呟き、唾を吐く。

「どこから始めますか」
「そうだな、どこからでも同じだし、この場所からでいいだろう。始めてくれ」

 上司の合図に従い、鑑識を含めた警察、消防の関係者が一斉に建物の中に入る。昨晩起きた来
栖川襲撃事件の現場検証には相当の時間がかかりそうだ。だからといって手を抜くことはできな
い。秩序を重んじる彼にとって、捜査の手順をきっちりと守ることも、また極めて重要なことだ
った。
 昨晩は来栖川を含めた複数のメイドロボメーカーが襲撃を受けた。暴徒に具体的なリーダーが
いた訳ではない。彼らは不安感に襲われて暴走しただけだ。不安感を煽ったのはマスコミだ。元
から失業率の上昇で社会不安が膨れ上がりつつあったところに、今回の事件は油を注いだ。マス
コミとて、積極的に暴動を後押しした訳じゃない。僅かなことで火がつく条件が整っていただけ
だ。それは分かっている。

 だからと言ってこんな無秩序を許していてはいけない。治安を回復し、事態を沈静化させなけ
ればならない。法治国家でこのような無法がまかり通ってはいけないのだ。そう思いながら、彼
は一同より先行して建築物の奥へ向かった。

 廊下の先で何かが動いた。気づいた彼は足を早め、その何かをよく見ようとした。再び影が動
く。その虚ろな目が彼に向けられた。メイドロボだった。彼は声を上げようとした。

 衝撃が背後から襲ってきた。彼は前方へ勢い良く飛ばされた。激しく廊下に叩きつけられ、何
度も前転する。全身の痛みに耐え、起きあがろうとした彼の視界に赤い炎が飛び込んできた。目
の前につけ根からもぎれた腕が転がった。鑑識の制服をまとったその腕は、奇妙なことにペンを
握り締めたままだった。

 その腕を何かの足が踏みつけた。視線を上げた先には、鉄パイプを振り上げたメイドロボがい
た。



 機動隊が一瞬の内に吹き飛ばされた。ある工場の鎮圧活動に当たっていたその部隊が工場内に
入りこんだ直後、大音響とともに工場の建物が爆発した。カメラを抱えたマスコミが、テレビの
前の人々が、あまりのことに自失している間に、事態はさらに進展した。

 工場外の道路のマンホールが跳ね上げられ、中から続々とメイドロボが飛び出してきた。メイ
ドロボはそこにいた警察、マスコミ、野次馬など、あらゆる人間を無差別に襲い始めた。テレビ
カメラが最後に映し出したのは、カメラに向かって角材を突き出そうとしている旧型のメイドロ
ボの姿だった。

 同時に各所のコンピュータが誤作動を始めた。政府機関、企業、個人、あらゆる種類のコンピ
ュータが人間の指示を無視しはじめた。特に緊急事態への対応に動き回っている警察、消防、マ
スコミなどでシステムが次々とダウンしたのは致命的だった。情報は止まり、各地に展開してい
る人々は孤立した。テレビは何も映さなくなり、電話は沈黙した。

 文明は存在を停止した。



 浩之は玄関を開けた。ここまで辿り着く間にも、周囲が一段と騒然としてきたことが感じられ
た。来栖川を襲った暴徒がどこへ行ったか知らないが、普通の人々が集団狂気に陥ってもおかし
くない空気が街を覆っている。

「マルチっ」

 そう、取りあえずはマルチの安全を確保しなくては。考えてみれば、充電中のマルチを放り出
して家を飛び出してからもう丸一日が経過しようとしている。その間、命がけで駆けまわったも
のの、結局何が起きているのか知ることはできなかった。

「マルチ、どこだっ」

 出かける前に、マルチにはメモを残しておいた。そんなに遅くならないうちに帰る。確かそん
なことを書いておいた。何が遅くならないうちに、だ。

「おいっ、マルチっ」

 来栖川邸を辞する前に、老執事から大雑把な経緯を聞いた。各地でメイドロボが叛乱を起こし
ていること。警察を中心に鎮圧活動が進んでいること。叛乱に加わっていないメイドロボについ
ては電源を落とすよう、政府から勧告が出ていること。エトセトラ、エトセトラ。

「マルチっ、返事を……」

 ダイニングに入ったところで、テーブルの上に置いてあるメモに気づいた。急いで手に取る。

『お帰りが遅いので、今から浩之さんを探しに出ます。もし入れ替わりに帰ってこられたのなら
家で待っていてください。マルチ』

 浩之はメモを握り締め、玄関へ走り出した。すぐ捜しに出なければならない。危険だ。何とし
ても急いでマルチを見つけ出さなくては。

 鬼のような形相で浩之は外へ飛び出した。



 日が暮れる。雅史と志保は物陰に身を潜め、息を殺していた。目の前の道路を大勢の人間が一
斉に駆けぬける。怒号と足音が交差し、その中から放水車の放つ水の音が聞こえてきた。

 この混乱が何を意味しているのか、それを理解することは難しいだろう。暴徒たちはメイドロ
ボを倒せと叫びながら駆けまわっている。警官隊はその暴徒たちに向かって警棒を振るう。警察
の広報車はメイドロボの鎮圧に来たから関係ない者は立ち去れと悲鳴を上げ続けている。だが、
どこにもメイドロボの姿は見えない。ただ、人間たちが互いに怒鳴り合い、殴り合っているだけ
だ。

「ここにいても仕方ないよ。こっちへ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、雅史っ」

 二人はその場から少し静かな方向へと移動を始めた。騒ぎの中であかりを探しつづけていたが
彼女は見つからなかった。二人とも放水車のおかげでずぶ濡れになり、雅史は片足を引きずって
いる。夕闇が覆う街の中を、二人は走った。

 街頭の大型テレビは光を失い沈黙している。信号ですら輝きを止め、無意味に聳えている。夜
になれば暗闇が、本当の暗闇がこの世界を支配するだろう。電力も止まり、情報も止まり、人々
はひたすら怯えている。
 闇の中を走る。あかりは見つからない。焦燥ばかりが募る。志保は心の中で毒づいた。それも
これもすべてあのヒロのバカのせいだ。ヒロがメイドロボなんか購入しなければ、あかりに向か
ってあんなことを言わなければ、今ごろはみんなで……

「あれっ」

 雅史の声が暗がりを裂く。前方に目を凝らした志保は、そこにメイドロボを見つけた。メイド
ロボはすぐに彼らに背中を向けて逃げ出す。あれはセリオタイプより後に発売された最新型の筈
だ。志保はそれを追った。

「待って、志保っ。危ないっ」

 雅史が追ってくる。志保はその警告を無視して走り続けた。そうだ。そもそもはメイドロボな
んてものがいるからいけないんだ。ヒロがおかしくなったのも、この訳の分からない混乱状態も
全部メイドロボのせいなんだ。だから、あのメイドロボを捕まえなくちゃいけない。捕まえて、
そして……。

 角を曲がる。表通りからは見えない小さな空き地の中に、焚き火が煌煌と輝いていた。その周
囲には、複数の人間と、複数の最新型メイドロボがいた。先ほど、志保の前から逃げ出したメイ
ドロボは、その中の一人の男に向かって駆け寄っていく。

「ランちゃんっ」
「な、何だきみはっ」

 若い男は駆けこんできたメイドロボを抱き寄せる。その隣に立っている眼鏡の男が志保の顔を
見て高い声で抗議する。

「おい、もしかしたら、この娘たちを殺すつもりなのかっ。そうなんだなっ」

 眼鏡の男は足元に転がっていた金属バットを慌てて取り上げ、へっぴり腰で構えた。周囲にい
る他の人間たち――全員男だった――も、手に手に獲物を取り上げる。そして、あたかも合図で
もあったかのように、メイドロボたちが一斉に彼らの背後に隠れる。

「な……」
「ち、畜生、そんなことはさせない、させないからなっ」

 志保はその連中の目を見て思わず後退した。皆、どこか澱んだ目で志保を見ている。明らかに
狂気が感じられた。彼らはゆっくりと志保に近づいてくる。志保の身体が恐怖に竦みあがった。

「お前らなんかに、オレたちの大切なこの娘たちを渡すものかっ。殺される前にこっちがお前を
殺して……」
「随分と不穏なことを言うんだね」

 志保のすぐ後ろで落ち着いた声がした。安堵感が心の中に広がる。雅史はすぐに志保とその連
中の間に割って入った。後ろ姿だけみても取り乱していないことが分かる。連中はたった一人の
男性の登場ではやくも逃げ腰になっている。

「やめなよ。別に僕らは君たちに用はない。ただ人を探しているだけなんだ」
「だ、黙れぇっ。知ってるぞ、お前ら、次々とメイドロボを壊しているじゃないかっ」
「僕は壊していないよ」
「嘘つけっ。テレビでやってるじゃないかっ。どうして“彼女”たちをあんな酷い目に合わせる
んだっ。なんでっ」

 眼鏡の男は涙を流していた。志保は呆れてその姿を見ている。男の影に隠れているメイドロボ
の瞳が、焚き火の炎を反射して妖しく煌く。

「か……可哀想じゃないかっ、そうだろっ……そう…思うだろうっ」
「そうだっ。やめろよ、そんなことはっ」
「僕はやっていない。本当だよ」

 雅史は落ち着いた声でそう言うと、ゆっくりと彼らの方へ近づいて行った。ほとんど腰が砕け
そうになっていた連中の一人が、ついにへたり込む。彼らの背後にあった折畳式のテーブルが倒
れ、その上に置いてあったメンテ用のメイドロボ専用端末が地面に落ちる。その大ぶりな端末を
見て、雅史が眉を顰める。

「それは確か、旧型メイドロボ用の……」
「人間が偉いのかよっ、そんなに立派なのかよっ」

 男の一人が声を張り上げる。それを聞いた志保の顔が、瞬時に憤怒に染め上げられる。志保は
つかつかと前に出て叫んだ男の目の前に立った。そいつは、先ほどメイドロボに向かってランち
ゃんと言っていた男だった。志保の迫力に押されるかのように、そいつは仰け反った。

「もう一度言ってみな、この変態野郎っ」
「な……なな」
「人間が偉いのか、だって? そうよ。人間が偉いのよ。たかがロボット如きと人間様とを比べ
ること自体、とんでもない勘違いよ」
「だ、黙れっ」
「正直に言いなよっ、自分はロボットにしか欲情しない変態ですってねっ。人間の女が怖いから
ダッチワイフに逃げているだけの臆病者のくせに偉そうなこと言うんじゃないわよっ」
「こっこのっこのっ」
「こいつらはただの機械よ、モノよ、木偶人形よっ。人間とは全然違うわっ。なのにっ、なのに
いっ」
「このおっ」

 男は手にもった木刀を振り上げた。だが、すぐにその木刀は地面に落ちる。雅史が男の手を掴
み背後に捻り上げていた。男の背後にいたメイドロボは雅史から逃げるように動く。

「……旧型のメイドロボはどこにあるんだい」

 雅史の低い声が辺りに響いた。志保は唇を噛み締め、激情を抑えようと荒い呼吸を繰り返す。
腕を掴まれた男は情けない悲鳴を上げた。雅史が腕にさらに力を入れる。

「見たところここには最新型しかないみたいだけど……旧型専用端末があるなら、旧型のメイド
ロボもいる筈じゃないか。どうしたんだい」
「す、捨てたよっ」

 腕を捻られたまま男が叫ぶ。

「あ、あんな箱みたいなロボットじゃしょうがないじゃないかっ。僕は、僕はランちゃんが」

 男の頬が鳴った。志保に平手打ちを食らった男はそのままストンと腰を抜かした。雅史は掴ん
でいた男の腕を放し、志保の様子を唖然としながら見ている。

「やっと本音が出たわね。変態野郎」

 男が落とした木刀を志保が拾い上げる。

「要するにあんたらは外見が可愛い女の子でありさえすればいいのよ。中身なんてどうでも構わ
ない。いえ、あんたらの言うことを素直に聞いてくれるロボットの方がむしろいい。ややこしい
人間を相手にするより、その方が楽だものね」

 志保はそう言いながら、ゆっくりとメイドロボの方へ歩いて行った。ランちゃんと呼ばれてい
たメイドロボの傍に立つ。

「旧型のメイドロボだって、外見は違えど機能は似たようなもんでしょ。でもいらない。箱みた
いなロボットに用はない。あんたに媚を売ってくれるダッチワイフの方が好き。そうよね。そう
思っているんでしょ」

 志保が木刀を両手で握りなおす。雅史は息を飲んだ。

「でもね……でも、そんなことを理由に人間の、本物の女の子を泣かせてもいいと思ってんの」

 木刀が勢い良く振り上げられる。

「どうなのよっ、ヒロっ」
「やめろ、志保っ」

 次の瞬間、メイドロボの右手が素早く動いた。その右手は志保の肋骨をへし折り、内臓に突き
刺さる。

「志保おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」



 闇の中を綾香は歩いていた。辺りに人の気配はない。昨晩のあの大騒ぎがまるで嘘のように、
この来栖川電工の施設周辺は沈黙に覆われていた。いまだにモノが焼けた時の臭いが辺りに漂っ
ている。綾香は大きく深呼吸すると、へし曲がった門を乗り越え、中へと入っていった。

 浩之を送り出した後、綾香は考えた。浩之はメイドロボが暴走する原因を知りたがっていた。
何のために? 多分、彼が購入したメイドロボのために。あの研究課の主任が書いた手紙を見る
限りでは、浩之は相当そのメイドロボを大切にしていたようだ。だから、そのために何かしたい
と思っていたのだろう。
 普通、メイドロボにそこまで入れあげる人間は変態扱いされる。当然だろう。なにしろ相手は
ロボットだ。人間ではない。伝説のピュグマリオンならやがて生命を得ることもできるが、ロボ
ットはどこまで行ってもロボットだ。
 なのになぜ、浩之はそんなにメイドロボにこだわるのだろう。どこまで行ってもメイドロボは
人間の愛には答えられない。そんな存在に、なぜ執着しているのか。彼もただの変態なのだろう
か。それとも……。

 砕かれたガラスを踏み越え、ロビーへ入る。内装のあちこちに黒い焦げ目がつき、闇の中に焼
け跡の臭いが強まる。綾香は大体の予想をつけながら歩いた。昨晩、浩之と一緒に建物内を逃げ
回った際に建物の構造は把握している。HM開発課があるであろう方向に向け、足を早める。

 奇妙といえば、浩之の言動だけでなく、自分自身の行動も妙なものだ。何であのセリオタイプ
のために命を危険に晒すような真似をしでかしたのだろうか。勘違い。おそらくそうだろう。人
間は外見に騙される生き物だと、自分でそう思ったではないか。
 だが、それだけではなかったような気もする。セリオタイプなんてよく見かけるものだし、そ
のたびにいちいち目を奪われていた訳じゃない。だが、昨晩は違った。暴行を受けそうになって
いるセリオタイプを見た時、何か別のモノを感じた。それが何かは分からないが。

 ひしゃげた扉に蹴りを入れ、むりやり開ける。窓ガラスがすべて砕けており、月明かりが室内
に射しこんでいた。綾香は慌てて口元を押さえた。肉の焼ける嫌な臭いが充満している。ここで
人が殺され、焼かれたのだ。
 ゆっくりと足を踏み入れる。壁際に黒焦げになった死体が一つ。綾香は吐き気を我慢しながら
その死体をひっくり返した。違う。部屋の奥にもう一つある。こんどはそちらへ近づいた。うつ
伏せらしいその黒焦げ死体をひっくり返し、悲鳴を漏らす。身体の前半分は焦げていなかったの
だ。生々しい恐怖の表情が月明かりに浮かぶ。綾香は目をそらし、胴体を見た。胸元のプレート
を見て、自分がついに探している人物に出会ったことを知った。

 プレートには『長瀬』と書かれていた。

 綾香はその人物をゆっくりと横たえる。再び顔に目をやり、剥き出した目を閉じさせた。そし
て気づく。この人物は、来栖川家に仕えるあの老執事の縁者に違いない。綾香は唇を噛んだ。

 ゆっくりと周囲を見渡す。もうこの人物から話を聞くことはできない。それでも何かヒントに
なるものがあれば……。それを浩之に教えれば、彼が喜ぶかもしれない。そう思って見渡した綾
香の目に、小型ビデオカメラが飛び込んできた。手にとって調べる。電池切れで液晶に画像は映
らない。中にはビデオカセットが入っている。

(もしかしたら……)

 ビデオカメラを持って立ちあがった瞬間、綾香は背中から激しい衝撃を受け、前につんのめっ
た。振り返る彼女の視界に、何か黒いモノを両手に持って構えたメイドロボの姿が見えた。綾香
の背中が激しく熱をもってうずき出した。



http://www.tctv.ne.jp/members/desaix/