共棲(3) 投稿者:R/D
 ――第三日――

 来栖川電工第七研究開発室HM開発課は、同社研究棟の中でもかなり広大なフロアを占有して
いた。同社主力商品ともいえるメイドロボの開発で中心となっているこの部署は、社内でも高い
ステータスを持っている。研究者にとってここに配属されることはエリートコースに乗ることを
意味している。
 とはいえ、HMの開発は一部のエリート研究者だけにできるものではない。あくまで企業の総
合力がものを言う。来栖川電工というバックアップがなければ、この課のメンバーとて何もでき
ない。だから、会社トップから降りてきた命令には逆らえない。それが例え旧型メイドロボを分
析し、その暴走原因を調査するという後ろ向きの仕事でも。

「初期型だな」

 歪み、あちこちが破損したボディを見ながら長瀬源五郎は呟いた。隣に立つ研究員が、メイド
ロボのメインメモリにジャックを挿し込みながら答えた。

「中のプログラムもそうとう古そうですね。こりゃ解析が意外と大変かもしれませんよ」
「もしかしたら、システム課の長老みたいな人を探さないといけないかもな」
「うへぇ。勘弁してもらいたいですね」
「とはいえ暴走原因を探るとなればプログラムを覗いてみないといかんだろう」
「やれやれ。そもそも不法投棄せずにウチの回収部門に任せてくれりゃいいんですよ。まったく
どこの不心得者がこんなことを」
「金を取って回収します、と言っていたんじゃあ、なかなか回収も進まないさ」

 暴走が止まるまで周囲の車両に次々と体当たりを繰り返したそのボディは随分痛んでいる。そ
れでもまだ原型を留めていることに、長瀬は感嘆のため息をついた。

「まったく我が社の技術は大したものだな。こりゃ、戦争用のロボットでも作れそうだ」
「何を不穏なこと言ってるんですか。さ、始めましょう」

 研究者たちはそのボディを取り囲み、注意深く解体しはじめた。研究所内の各所に設置されて
いるモニターカメラの一つが、その様子を詳しく撮影していることに気づく者はいなかった。



 志保はあかりの前で唇を噛み締めていた。自分が昨日やった醜態を思い出すと顔から火が出そ
うだ。あかりのために浩之と談判に行ったのに、最後は何だか自分のことだけ考えていたような
気がする。その負い目から、志保はあかりにすべてを打ち明けることができなかった。ただ、浩
之の様子がおかしい、あのロボットに誑かされているかもしれない、それしか言えなかった。

 あかりは黙って志保の話を聞いていた。その顔はどこか危うい雰囲気を漂わせている。志保は
あかりの様子を見ながら、不安が湧き上がるのを抑えられなかった。あかりがこんなに危険な空
気を纏うことはこれまでなかった。少なくとも、志保が知る限り。昔のあかりは、浩之と仲が良
かったころのあかりはおっとりとした性格の持ち主だった。ちょっと鈍くさい、優しい少女だっ
た。もしかしたら、そういう性格も浩之がいたからこそかもしれない。

「……分かったわ」

 あかりはそう答えると立ちあがった。志保は不安な顔であかりを見上げる。

「どうするの、あかり」
「浩之ちゃんの家に行く」

 淡々と答えるあかり。感情が表に出ていないだけに、かえってその物言いには迫力がある。志
保は背筋に寒気を感じた。

「家に行ってどうするの」
「直接、浩之ちゃんと話をするわ」

 あかりは志保を見下ろし、微かに笑った。どこか危なっかしい笑みだった。

「もっと早くこうするべきだったわ。志保に言われるより前に。あたし、逃げていたのね。現実
を認めるのが怖くて……」

 顔を上げるあかり。その視線は虚空を睨み、動かない。

「志保に全部話して、それで自分でも分かったわ。あたしやっぱり浩之ちゃんが……」
「あ、あかり」
「ついてきて、志保」

 志保は自分を真っ直ぐ見詰めるあかりの視線にたじろぎながら頷いた。頭の片隅を疑問がよぎ
る。自分があかりの苦しみを聞き出し、浩之を問い詰めたのは正しいことだったのだろうか。そ
っとしておいた方が良かったのではないか、と。



 雅史は駅のロビーで新聞を読んでいた。サッカー部の合宿も終わり家に帰る。実家に電話を入
れたら、志保が数年ぶりにこの街へ帰ってきていると教えられた。戻ったら彼女と連絡を取って
会おう。多分、あかりちゃんの家に電話をすれば連絡先も分かるだろう。できれば浩之も一緒に
四人で……

 そこまで考え、雅史はため息をついた。最近、浩之とあかりの仲が冷えていること、そしてそ
の原因に浩之が購入したメイドロボが絡んでいることを思い出した。浩之が何を考えてあのメイ
ドロボを買ったのか、一度それとなく聞いてみたことがある。約束。浩之はそう答えた。何のこ
とか分からなかった。

『メイドロボ暴走、12人が重軽傷』
『不法投棄現場で事故』
『早急に原因を究明――来栖川電工』

 新聞の見出しが目に飛び込む。昨日からテレビで繰り返し流れているニュースだ。浩之の家の
メイドロボも暴走してくれないだろうか。そうすればあのメイドロボも回収されるだろうし、浩
之とあかりちゃんの仲も……。

「ねーねーねー。いーだろー、付き合えよー」

 軽薄な声が響く。振り返ると、サングラスをかけた若い男が少し前のタイプのメイドロボに声
をかけていた。
 雅史は苦笑した。時たま見かけるメイドロボマニアだろう。世の中には色々な趣味の持ち主が
いるのだ。ああやってメイドロボをナンパするヤツもそう珍しくはない。もっとも、周囲からは
白い目で見られている。当然だ。メイドロボに声をかけるようなヤツは変態か、でなければ生身
の人間をナンパするだけの意気地がないか、そのどちらかだ。メイドロボは基本的に人間に逆ら
わない。人間相手にナンパしたら振られることもあるが、メイドロボなら少なくとも話をするく
らいはできる。

 視界の隅で若い男がメイドロボの肩に手をかけた。雅史は視線を新聞に戻す。次に聞こえてき
たのは鈍い衝突音と、潰されるヒキガエルのような声だった。

 顔を上げた雅史の目の前で、若い男が地面に崩れ落ちた。メイドロボは両手を前に突き出した
格好で動きを止めている。メイドロボが男を突き飛ばしたのだ。人間に危害を加える筈のないロ
ボットが。
 あり得ない事態を目の当たりにして、雅史は思わず腰を浮かした。メイドロボがその動きにつ
られるように雅史を見る。視線が合った。雅史はロボットの目の中に怯えを見た。

 高い音をたて、ロボットが走り出す。その姿は見る間にロビーから外へと消えて行った。周囲
の人間が騒ぎ出したのは、地面に横たわった男がうめき声を上げてからだった。



 扉が開いた。二人の目の前にあのメイドロボが姿を現した。それを見たあかりの目に危険な色
が浮かぶ。志保はあかりの手を強く握った。

「あ、あかりさんと志保さん」

 メイドロボは少し困惑したような笑みを浮かべた。まるで人間がそうするかのように。何をし
に来たの。もうここには用はないでしょ?

「浩之ちゃんはいる?」
「い、いえ。今はバイトに……」
「上がらせてもらうわ」

 あかりはそう言うと、メイドロボを脇に追いやるようにして玄関に入り込んだ。メイドロボは
その迫力に威圧されたかのようにあかりを通す。志保もその後に続いた。靴を脱いで廊下に上が
ったところで振り返ると、メイドロボは二人の靴をそろえようと腰を下ろしていた。

 応接間に入り、ソファーに腰を下ろす。あかりはそこで立ち止まらず、ずんずんと奥へと歩い
ていった。

「ちょ、ちょっとあかり」
「待っててね、志保。今お茶を淹れるから」
「あ、待ってくださいあかりさん。お茶はわたしが」

 玄関から追ってきたメイドロボがそう声を上げると、あかりは振りかえって冷たく告げた。

「いいえ。あたしが淹れるわ」

 志保は黙ってソファーに座っていた。あかりが紅茶を持って戻ってくる。そのまま志保の隣に
座った。二人で黙ってお茶を飲む。メイドロボはどうしたものかといった様子で応接間をうろう
ろしている。あかりはメイドロボを無視し、顔を合わせようとしない。沈黙が続く。

「帰ったぞ」

 玄関から大声が聞こえる。メイドロボの顔色が一瞬に変わる。怯えから喜びへ。

「あ、浩之さんっ」

 浩之の声を聞きつけたメイドロボはすぐに玄関へと走り出した。紅茶を見つめるあかりの表情
が険しくなる。志保はその様子を片目で窺いながら、浩之を待った。
 浩之はゆっくりと応接間へやって来た。入り口でソファーに座る二人の姿に目をやる。その顔
には静かな迫力があった。あかりの正面に座り、その顔を覗きこむ。浩之の動きを察したあかり
は顔を上げ、満面に笑みを浮かべて明るい声を出した。

「浩之ちゃん、あたし……」
「帰ってくれ。あかり」

 あかりの顔が、声が凍りつく。隣にいた志保が慌てたように口を挟んだ。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよヒロ。何の話もしないで」
「話? 分かった、話をしようじゃないか。あかり。お前の気持ちは知っている。けど、オレが
選んだのは、マルチだ。お前じゃない」
「な……ヒ、ヒロ」
「人間じゃないのになぜかって言うんだろ。オレにとっては関係ない。人間かロボットかで選ん
だんじゃなくて、あかりとマルチを比べて、マルチを選んだんだ」
「…………」
「分かったら帰ってくれ」

 あかりは黙っていた。顔には先ほどまで浮かべていた笑みがへばり付いている。だが、その中
で何かがすぐにも壊れそうになっている。志保はそれに気づいて声を張り上げた。

「待ってって言ってるでしょ、ヒロっ。あかりに、あかりに少しは話をさせてあげなさいよっ」
「何を聞いても同じだ」
「ヒロっ」
「帰ってくれ。それだけだ」

 浩之はすぐに立ちあがり、大またで部屋を出ていった。あかりは微動だにしない。浩之が先ほ
どまで座っていたソファーを向いて、微笑を浮かべたまま。

 その瞳から、ゆっくりと雫が溢れ出してくる。

「あ、あかりっ。落ち着いて、ね、落ち着いてよ」
「……あの、ハンカチをお持ちしましょうか」
「黙ってっ」

 まだ部屋にいたメイドロボがあかりに話しかけてきたのを、志保は大声で遮った。メイドロボ
は身を竦め、部屋の隅に下がる。志保はあかりの肩を抱き締める。初めて、彼女の身体が細かく
震えていることに気づく。

「落ち着いて、落ち着くの、いい? あかり、あたしの声を聞いて。ゆっくりと、ゆっくりと深
呼吸をしなさい。分かったわね、あかり。さあ、吸って、吐いて、吸って……」

 途切れることなくあかりに話しかけながら、志保は自分の目からも雫が落ちていることに気づ
いた。

「あかり、あか…り……」



 来栖川電工の敷地内にある廃品回収施設。同社製品の中で古くなったものは回収され、ここで
リサイクル可能なものとそうでないものに分けられる。メイドロボも例外ではない。再利用可能
な部品は回収され、それ以外のものはほとんど焼却、一部は埋め立て用となって分類される。

「にしても、これなんざまだ使えそうだけどねぇ」

 ほとんど自動化されたこの施設には人はほとんどいない。搬入直前のメイドロボを検査してい
る従業員は、ため息をつきながら広い施設内を歩いていた。

 定年寸前の彼にとって、子供のころ次々と家庭内に入ってきた家電製品はまさしく魔法の品だ
った。テレビの中にしか存在しないアメリカの中流家庭の生活。それを実現して見せるのが、数
々の電化製品だった。母親が重労働から解放され、とても嬉しそうな笑みを浮かべていたのを思
い出す。手に入った家電製品は、それこそ宝物のように大事に使用された。
 それが今はどうだろう。すべてのモノが溢れかえり、誰もが使い捨てを当たり前と思う時代。
ちょっと機能が増えた、あるいは外見が変わった新品が登場すれば、もう用はないとばかりにま
だ使える品が捨てられる。家電ばかりではない。かつて飢えに苦しんだこの国で、今人々は食料
を余らせ捨てている。

「……とはいえ、そうやって新品が売れるからこそ、わしがここでこうやって仕事をしていられ
るんだからなぁ」

 家電メーカーにとってみれば、中古品を大事に使うユーザーは実にありがたくない存在だ。次
々と新品を買い換えてくれるからこそ商売が成り立ち、会社が成長する。ここでやっているリサ
イクルにしても、使い捨てを推進してきた企業が言い訳のためにやっていると言えなくもない。
買い手が使い捨てを続けてくれるおかげで会社が儲かり、自分の給料が支払われている。彼はた
め息をついて周囲を見渡した。

 その時、何かの音が彼の耳に飛び込んできた。

 彼の顔から血の気が引いた。最初は微かだったその音はやがて次第にざわめきから騒音へと広
がっていった。最初は一方向から聞こえていたその音は、やがてあちらこちらと飛び火し、そし
て彼の周囲全体から襲いかかるように聞こえてきた。

 動いた。搬入用のボックスに折り重ねられていたメイドロボが一体、また一体と。

 廃棄され、捨てられた筈のメイドロボが動き出し飛びかかってくるのを見ながら、彼は大声で
悲鳴を上げた。



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