共棲(1) 投稿者:R/D
 解き放たれる事に 焦がれた多くの魂よ
 息をひそめて じっと 翼を休めていた
 祝福された祭典の その真っ只中で
 誰もが見るだけの 暮らしに別れを告げた
 むせる熱狂の中で 取り残された魂よ
 一体これからどこで何をしようというのか
                  ―― SUPER STAR?(じゃがたら)



 ――第一日――

「……ったく、あんたホントに何も知らないのねぇ」
「ムチャ言うなよ。貧乏学生相手に」

 浩之は目の前の志保にそう毒づくとコーヒーを手に取った。昼休みが終わった大学のカフェテ
リアにはまばらに人影が散在している。同じテーブルに差し向かいで座った志保が肩を竦めるの
を見て、浩之は口を尖らせた。

「どうせオレはパソコンも持っていねぇよ」
「え? マジ? ホントに? いまどき珍しいわねぇ」
「悪かったな」
「大学生にもなればメールアドレスくらい持っているのが常識ってもんでしょ。まったく、情報
に疎いにもほどがあるわよ」

 志保は何だか本気で怒っている。仕方ねぇだろ、と浩之は心の中で呟いた。パソコンなど買う
金はまったくない。バイトはかなりやっているが、その金はすべてローンに回っているのだ。イ
ンターネットで話題になっている話など、知るよしもない。

「そ・れ・に、最近はニュース番組でもよく流れているじゃないのよ。あんたテレビも見てない
の?」
「そんなことはないぞ」
「どうせ見てるのはお笑いだけでしょ。少しは世の中のことに関心を持ちなさいよ」
「オレとは関係ないことだろ」
「関係なくても、これだけ話題になったなら普通は知っているわよ普通は」
「それにもう終わった話なんだろ。そのコンピュータウイルスとかいうのは駆除されたって言っ
てたじゃないか」

 数ヶ月前、突如ネット内に広まったそのウイルスは、データ類に被害を与えないものではあっ
たが、その強烈な感染力で注目を集めた。急速に増殖を続けるウイルスに対し、すぐにワクチン
ソフトが作成され、ネットで無料配布された。そして、広まった時と同じように急速にネット内
から駆逐されていった。
 それ自体はありふれた話題だった。ただ、与えた影響が大きすぎた。ほとんどすべての企業、
政府機関、関係団体のコンピュータが、一度はそのウイルスに感染した。かなり厳しいファイア
ウォールを構築しているシステムにもウイルスは潜りこんだ。繁殖力旺盛なゴキブリの如きウイ
ルス。一匹見つけたら五十匹は隠れていると思ったほうがいい。ニュース番組ではそんな風に面
白おかしく取り上げられていた。

「そういやゴキブリって人類より遥か昔から生きてるんですってね。人間が滅びた後に天下を取
るのはゴキブリだって説もあるそうよ、ヒロ」
「食堂で言う話じゃねえだろっ」
「あらまあ」
「あらまあ、じゃないっ。まったく久しぶりに会ったってのに、変わらないヤツだ」
「ふふふふふ。浩之もあたしの顔を見ることが出来て嬉しいのは分かるけど、何もそんなに照れ
なくてもいいじゃない」
「誰が照れているんだ誰がっ」

 数年ぶりの再会にもかかわらず、高校時代と同じように会話を交わす二人だった。



「あら何? もう帰るっての」
「ああ。用事があるんだ」

 浩之はそう言うと、軽く手を上げて駅へ向かった。その背中を見送り、志保は首をかしげる。

「これからあかりと会うってのに、何であいつはついてこないのよ」

 浩之と同じ大学に進んだかつての友人の姿が脳裏に浮かぶ。愛くるしい表情で浩之を見ていた
あの少女も、もう自分と同じように成人し、立派な大人になったのだろう。今しがた用事がある
と言って歩き去ったあの若者の隣に彼女が立てば、とてもお似合いのカップルになる筈だ。

「……そういや、同じ大学に通っているってのに、どうして今日はあいつの傍にあかりがいなか
ったのかしら」

 朝、通学途上の浩之と出会った。昼過ぎにカフェテリアで待ち合わせ、それから今まで一緒に
いる。なのに、この間あかりをまったく見かけていない。少なくとも高校時代は二人がこんなに
長時間離れていることはなかった。

 疑問を抱きながら待ち合わせ場所に向かう志保に、横合いからビラが突きつけられる。

「……産業廃棄物の不法投棄に反対しましょー。署名を集めていまーす」

 何の気なしにビラを掴んだ志保は、ゆっくり歩きながらそれに目を通した。品質の悪い紙に印
刷された太い文字が扇情的な台詞を並べ立てている。

『家電製品に含まれる有害物質……』
『ダイオキシンの濃度……』
『子供の健康のために……』

 志保はビラを丸めて捨てると、腕時計を見て足を速めた。



 浩之はバイト先から自宅への道を歩いていた。すでに時間は遅く、あたりには人通りもほとん
どない。毎日、バイトに追われ遅くまで働く生活。そうしないとローンが返せないのだから仕方
がないとはいえ、自分がくたびれきったサラリーマンになったような気がする。まだ社会に出る
前からこんな生活をするとは思ってもみなかった。
 もっとも、それを後悔している訳ではない。彼は望みを叶えたのだから。特に今日は“彼女”
が帰ってくる日だ。浩之の足取りはむしろ軽い。

 そう、“彼女”のために、浩之は多額の借金を背負うことになった。親からの借金であり、利
息もつかないとは言え、返済しなければならないことは間違いない。それでも良かった。いや、
自分が働くことが“彼女”のためだと思えば、かえってバイトも熱心にできるようになった。

(家族を持って働くってのは、こんな気分なんだろうな)

 浩之はうきうきと歩く。自宅が見えてきた。窓から漏れる暖かい明かりが目に入り、浩之の心
臓が鼓動を速める。浩之はほとんど走るようにして自宅の玄関へと辿り着いた。

「……ただいまっ」

 扉を開ける。奥からぱたぱたとスリッパの音。そして、“彼女”が満面の笑みを浮かべて浩之
の前に姿を見せた。

「お帰りなさい、ご主人様っ」

 手におたまを持ったまま“彼女”――マルチが浩之の腕の中に飛び込んでくる。定期メンテの
ため来栖川電工で一泊した翌日は、いつもこうだった。浩之はマルチの小さな機械の身体を抱き
締めながら言った。

「……メンテはどうだった?」
「はい。大丈夫です。ご主人様はとても丁寧にマルチを使っているって、主任さんがおっしゃっ
てました。ほとんど劣化、破損した部品はないそうです」
「ははは。見透かされてるな、オレ」

 浩之は苦笑しながらマルチの頭を撫でる。マルチは顔を赤らめながら浩之を上目遣いに見た。

「……さ、食事の準備中だったんだろ。オレも手伝うよ」
「え? ああっ、そうでしたっ。きゃあ、お味噌汁がっ」

 慌ててキッチンへ駆けるマルチを見ながら浩之は苦笑する。ゆっくり靴を脱いで応接へ入った
浩之は、つけられたテレビに一瞬、目をやる。

『……相次ぐ不法投棄について自治体側は取締りを強めると同時に、廃棄物の処理を加速するた
め……』

 浩之はすぐに視線をテレビから外しキッチンに向ける。

「おーい、何を手伝おうかぁ」



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