生命 投稿者:R/D
 我々は何処から来たのか。
 我々は何者なのか。
 何処へ行くのか。

 そう、我々は何者なんだ?



 薄暗いフローリングの部屋。目の前に横たわる白い影。かすかに耳朶を打つ荒い息づかい。高
く細いその呼吸音。

 薬物で意識を混濁させた半裸の女性を目の前にしながら、俺の頭にはとりとめのない考えが浮
かんでは消えていた。拉致監禁、強姦、麻薬取締法違反……。自分のしたことにもかかわらず、
違和感が拭えない。自分の犯罪の無残な結果が目の前に横たわっているのに、俺の意識を占める
のは罪悪感でも歪んだ達成感でもない。

 こいつは、何者なんだ?

 こいつ。奴。夢の中で俺に語りかけてきた奴。俺が理性という名の檻に閉じ込め、堅く鍵を掛
けて封じ込めようとしてきた奴。崩れかけた理性を鼓舞しながら、朝をひたすら待ち望んでいた
あの時、俺をあざ笑った奴。無駄なあがきはよせと侮蔑してきた俺の悪夢。

 もう一人の俺。

 こいつは、何者なんだ?

 奴は言う。獲物を狩れ。
 奴は言う。ここは狩猟場だ。
 奴は言う。とどめをさせ。
 奴は言う。いい女を抱け。
 奴は言う。孕ませろ。
 奴は言う。炎を。
 尽きる寸前に至高の美しさで煌く生命の炎を。

 こいつは、何者なんだ?

 俺は狩猟者だ。星々の海を駆け巡り、獲物を狩る。美しい生命を持つ得物で溢れかえった狩猟
場にただ一人立つ、食物連鎖の頂点に位置する究極の生物。

 生物? 本当にこいつは生物なのだろうか?



「…………ちさん…」
「……こいつは、ほんとうに……」
「……ういちさん、目を覚ましてください」
「……う……あ、あれ」

 ぼんやりと開けた目の前に顔が浮かんだ。少女の顔、幼さを残した顔、あどけなさの中に強い
意思を伺わせる顔が。
 肩の上で切りそろえられた髪が前に落ち、顔の下半分を遮っている。あおむけになった俺を上
から見下ろす目は、深い思いを湛えている。想い、安らぎ、愛しさ……。

「耕一さん?」
「……おはよう、楓ちゃん」

 ゆっくりと上半身を起こした俺に合わせるように、俺を覗き込んでいた少女は姿勢を戻す。顔
の両脇から垂れ下がっていた髪が、重力に従って真っ直ぐ下に降りる。日本人形のような髪。く
せがなく、素直に伸びたその黒髪がかすかに揺れる。

「おはようございます」

 少女の表情にはにかみが浮かぶ。年相応の柔らかさが頬の輪郭に映る。俺だけを見つめながら
それに気づかぬ俺のために曇っていた瞳に、晴れやかな光が宿る。

 そう、俺は彼女のおかげでここに帰ってこられた。彼女のその心に、俺の理性はかろうじて繋
ぎ止められた。あの時、俺の中にいる『鬼』に意識を奪われそうになったあの時、この少女の想
いだけが、鬼に打ち勝つ力になった。

「……楓ちゃん」
「はい」
「昨日は、ありがとう」

 俺の腕が少女の身体を抱く。一瞬その身体が腕のなかで強ばるのが感じられる。だが、すぐ彼
女は俺に身体を預けてくる。想いと一緒に。

「……いえ、お礼なんて……」
「感謝しているよ。もしあのまま理性を失っていたら、こうして楓ちゃんを抱くこともできなく
なったんだしね」
「あ……」

 少女の耳が真っ赤に染まる。そして、さらに強く身体を押し付けてくる。

「いえ、耕一さんのためじゃありません」
「え?」
「私の、私自身のためです。耕一さんを止めようとしたのは」
「…………」
「……もう、これ以上待つのは嫌だったから。何百年も待ち続けて、それで……」

 俺は少女の身体を離した。

「……え?」
「楓ちゃん」

 少女の瞳を覗く。その中にいるのは、一人の娘。何百年も前に、異種族の男を助けるために自
らが犠牲になった、鬼の娘。

「楓ちゃん。俺は……」

 その時、俺にあてがわれた部屋の扉が引き開けられた。

「耕一さんっ」
「ち、千鶴さん。ど、どうしたの」

 慌てた様子で飛び込んできた女性は、俺と楓ちゃんを交互に見ながら声を絞り出した。

「鬼が、出たわ。鶴来屋のお客さんが、一人、行方不明になって」
「なんだって」

 俺はその時になって、やっと先ほどまで見ていた夢を思い出した。



 欲望に従い快楽を追い求めることは、動物として当然の行動だ。本能から生まれる欲望、その
欲望を満たしたとき、そこには快楽が生じる。
 空腹を満たしたとき、喉を潤せたとき、満ち足りた睡眠を行ったとき……。
 快楽を追い求めるのが、動物としてのごく自然なあり方だ。

 奴はそう言う。

 女を犯すという行為も、そのひとつでしかない。
 人間の男だとて、好みの女の身体をむさぼり、膣にペニスを突き立て射精したいと思う。
 それは本能なのだ。

 奴はそう言う。

 その自然な生き方すらできない哀れな動物……それが人間だ。
 お前は人間社会から本能を抑圧することを美徳とする『狂った教え』を受け、『理性』という
馬鹿げた判断基準を植え付けられた。
 所詮『理性』とは人間が人間社会を生きていく為に必要な価値観でしかない。

 奴はそう言う。

 人間はそれが悪だから嫌悪するのではなく、人間がそれを嫌悪するから悪なのだ。
 ならば、人間以外の生物を、悪や正義で判断するのはナンセンスでしかない。
 人間のいない世界には善も悪もない。
 あるのは自然の摂理のみなのだ

 奴はそう言う。

 だから、
 果肉のような柔らかな肉を爪で引き裂き、温かく脈動する真っ赤な鮮血を啜り、いい匂いの女
を犯して子を孕ませ……

 だが、本当にそうなのか?
 本当にそれが生物にとって自然な生き方なのか?

 奴は俺を嘲る。まだ人間の価値観に、人間の理性に、人間の社会に囚われていると、そう言っ
て俺を煽る。人間ではない、狩猟者となったのだから、そのような考えは捨てろと叫ぶ。
 弾けて散る美しい生命の炎を見る。狩りをするのが生き甲斐の生物。そのために、そのためだ
けに生き続ける。命尽きるまで人間を狩り続けることがすべて。奴はそう言う。

 だが、それはおかしい。
 食料を得ることでも、繁殖をすることでもなく、ただ殺戮することだけを目的とした生物。そ
んなものが存在できるのか。
 この血は俺の父から受け継いだもの。その父はすでに寿命で死んでいると聞く。不死の生物で
ない以上、生物として存在を続けるためには繁殖しなくてはならない筈だ。
 もし俺の父が、ひたすら殺戮に淫する男だったら、俺はこの世に生まれてもいないだろう。少
なくとも俺の父は、殺戮以外を目的としていたのだろう。

 奴が嘲笑う。ならば女を抱け。犯せ。孕ませろ。それで済む話だ。

 孕ませて終わりならそれもいいだろう。だが、子は無事に生まれるとは限らない。生まれても
無事に育つとは限らない。もしも俺が、俺に血を伝えてきた先祖が、奴の言うような生物であれ
ば、世代を重ねることなど無理ではないか。孕ませた女がみな子を生むとは限らない。生まれて
も「鬼の子」として早々に間引きされたかもしれない。それに、無意味な殺戮を繰り返せば、人
間とてただの獲物のままではいない。窮鼠は猫を噛む。

 だからどうした。奴はそう言う。ここに俺がいること自体、世代を重ねて繁殖を続けてきた証
拠ではないか。生物として生き延びてきたことを、俺自身の存在が証明しているではないか。

 そうなのか? 少なくとも鶴来屋の創業者が無駄な殺戮をしたという記録はない。彼は普通の
人間として暮らした。経済力にものを言わせて妾まで囲っていたが、拉致した女を犯して孕ませ
たことはない。俺は母親だけに育てられたが、あの甥や姪たちがあそこまで育ったのは、彼らの
親を俺の父が無事に育ててきたからだ。殺戮に使う労力を、育児や繁殖に使えばこれだけの子孫
を残すことができる。それを証明したのが、あの柏木耕平ではないのか。

 下らぬ。だからその男のようになりたいとでも言うのか? お前を捨てたあの父のようになり
たいとでも? お前が憎んでいるあの男を、なぜそうまでして弁護する?

 違う! 弁護している訳ではない。俺はただ……



 列車の振動に身を任せる。車窓を流れる景色と、俺の隣に座る小柄な少女と。列車に乗ってい
る目的さえ忘れてしまえば、これは幸せなひとときかもしれない。
 少女の髪が線路の継ぎ目に合わせて上下動を繰り返す。窓から差し込む陽射しの中で揺れる。
一駅の間だけの短い時間が、とても眩しく思える。

「……あ、あの」
「え?」
「わ、私の顔に、何かついてますか?」

 自分では意識しなかったが、どうやら俺は相手を赤面させてしまうほど彼女のことを長く見つ
めていたらしい。朝のラッシュが終わった時間帯で同乗している客が少ないとはいえ、人前で男
にそれだけ見つめられた経験がないのだろう。その初々しさに、俺は思わず微笑んだ。

「そうだな。かわいい髪と、とても奇麗な目が付いているよ」
「……こ、こういち、さん」

 少女は顔を伏せてしまった。からかい過ぎたな。俺は話を変えることにした。

「ところで、本当に隣駅でいいのかな」
「……ええ、間違いありません」

 少女が再び顔を上げる。先ほどまでの恥じらいは姿を消し、その瞳に冷たいモノが宿る。普通
の人間には感じられない程度の、だが、鬼が覚醒した俺には察知できる同族の気配が、目の前の
小さな少女から漂ってくる。

「間違いなく、そちらの方に同族がいます。私たちの同族が。私には感じられます」

 そう、彼女には感じられる。星々を渡ってきた鬼の存在が。エルクゥである彼女には。

「エルクゥには、同族を察知する能力があります。私も、千鶴姉さんも、それに……」
「それに?」
「……耕一さん、あなたにも」
「…………」
「あなたにも、その力がある筈です。耕一さんも、目醒めたのだから」
「……そう、なのかな。俺には分からないんだけど」
「いえ、絶対に分かる筈です。だって、次郎右衛門もあの時は……」
「待った」

 俺は言い募る彼女を遮った。少女の瞳に、再びあの影が、鬼の娘の影が浮かび上がる。俺はそ
の影を睨み付けた。少女の顔に狼狽が走る。

「待つんだ、楓ちゃん」
「耕一さん……」
「……君に、言っておかなくちゃならないことがある」
「…………」
「……君の記憶にあるその男の影を、消してほしい。忘れてほしい」
「え?」

 憂いを秘めた目が大きく見開かれる。その中にいる影が悲鳴を上げる。何百年も前に死んだ筈
の娘が、俺を見て悲嘆の叫びを、声にならない慟哭を響かせる。

「楓ちゃん、俺が好きになったのは、俺が出会ったのは……」

 その時、列車が隣駅に滑り込んだ。



 身体が冷えてきた。奴は相変わらずこの肉体の主導権を俺に渡している。そのまま、俺との会
話を楽しんでいる。俺が苦悩するのを喜んで見ている。
 荒い呼吸を続ける目の前の女。夏の終わりに、まだ動いているエアコンの空調音。そして、き
しむ俺の身体の音。固く握り締めた拳から血が滴り落ちる。

 俺はあの男を弁護してはいない。あの男は俺にとっては赤の他人だ。憎んでも、慕ってもいな
い。俺はただ……

 ただ、言い訳がしたかった。そうだろう。それこそ、お前がいまだに人間の流儀に囚われてい
る証拠だ。お前は狩猟者である自分を否定したかった。だから、へ理屈を考えた。それだけだ。

 俺は……

 だから、頼れるモノを求めた。出会ったことのない父親。他人だと主張する父親に縋って。

 俺は……

 そんなものにまで縋って、それで何になる? お前の罪が消えるのか?

 俺は……

 素直に認めろ。お前はまだ囚われている。囚われることに快感を覚えている。囚われたままで
いることに安逸を感じている。
 だが、違う。お前は誇り高き狩猟者なのだ。何者もお前を捕えたままではいられない。お前は
どんな束縛からも逃れられる。いや、そもそも束縛されるべき存在などではない。究極の自由を
謳歌できるもの。それがお前だ。

 ……違う、そうじゃない。

 お前はまだ……

 そうじゃない。俺は確かに罪から逃れようとしている。だからこうやって必死に自分に言い聞
かせている。俺は狩猟者だ。俺は何にも束縛されない。俺がしたことは、動物にとっては自然な
ことなんだと……。

 何だと?

 そうだ、こいつは、奴は、俺だ。俺自身だ。俺は俺を説得しようとしているんだ。俺のしてき
たことに言い訳するために。

 …………

 そして、俺はそんな俺自身が、大嫌いだ。

 …………

 俺は俺自身を嫌っている。ただ欲望に身を任せているだけなのに、己の衝動を抑制できないだ
けなのに、「動物として自然なあり方だ」「あるのは自然の摂理のみだ」と小賢しい理屈を並べ
て罪悪感を紛らそうとする俺自身が嫌いなんだ。

 哀れな。なぜ狩猟者である自分をそうまで否定しようとする? なぜ素直に自分の立場を受け
入れないんだ。人間を狩る、食物連鎖の頂点にいる自分を、なぜ受け入れられない。

 なぜかって? どんな狩猟者であれ、永遠には生きられない。いずれは寿命が尽きる。死ぬ。
死んでしまえば、後には何も残らない。

 そうだ。だから死ぬまで楽しめばいい。獲物を狩り、生命の炎を見続ければいい。

 狩猟者としてはそれでいいのだろう。だが、生物としては失格だ。

 失格?

 失格だ。己の欲望だけに従い、生物として必要なことも成し遂げずに生涯を終えれば、それは
生物として失敗した存在でしかない。

 ほう? では、どうすれば成功するというのだ?

 何度も言った筈だ。繁殖し、子孫を残す。子孫が多ければ多いほど、生物としては成功したこ
とになる。だが、俺はどうだ? 無理やり孕ませた女が、その子をちゃんと生むのか? 生まれ
たとしても誰が育てる? 育ったとしても、そいつが再び子を成すことができるのか? 親と、
俺と同じように、また女を無理やり孕ませるのか? そんなことを何代も何代も繰り返すのか?
あまりにも不確実で、継続性に乏しい繁殖方法じゃないか。もっと確実な方法を使う他の生物と
そんなやり方で競争して、果たして勝てるのか? いずれ、俺は生存競争に敗れ去る。『生き延
びること』を最優先する生物たちの中で、『狩ること』を優先する生物は、どうしても不利な立
場に置かれてしまう。

 …………

 そうだ。『狩ること』は、本来『生き延びる』ための手段でしかない。だが、こいつは違う。
手段が目的と化している。それは、生物としては致命的な歪みだ。

 …………

 環境が許す限り、分裂を続けながら永遠に生き続ける細菌ならまだしも、こいつはいずれ寿命
を迎える。それまでにやるべき最大の仕事は生き延びること。子孫を残すこと。だが、こいつの
目的は違う。

 …………

 こいつは、俺は、生物になりそこねた何か。進化の袋小路に迷い込んだ、造物主の失敗作。

 失敗作…だと…

 そうだ、失敗作だ。だから、俺はいずれ敗れ去る。そうだ。俺の嫌いな俺は、いつか必ずこの
世界から消えてなくなる。

 黙れ

 進化の敗残者として、行き場の無い道を歩んだ結果として、目的と手段を取り違えた愚か者と
して。

 黙れっ

 生存競争に挑んだ挙げ句、自然淘汰の対象となって

 黙れえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ

 奴が俺の身体を再び乗っ取った。同時に、奴が同族の気配を感じた。この部屋のすぐ側まで近
づいている同族の気配を。

 奴は、狩りの態勢を整えた。



「あれ、です」

 少女が指差す先に、大きなマンションが建っている。俺は歩みを止め、少女と一緒にマンショ
ンを眺めた。
 独身者と若い夫婦向けの建築物は、冷ややかな表面を向け、他者の存在を否定しようとしてい
る。いや、外だけではなく、この同じ建物の中にいる人間同士でさえ、壁を一つ隔てれば互いを
拒否することができる。

 もしかしたら、そこに出会いがあるかもしれないのに。

 少女が俺の顔を見上げる。

「耕一さん……」
「……行こうか」

 歩みを再開しようとした俺の腕を少女が掴む。

「待ってください」
「うん?」
「その前に、一つ教えてください」
「何だい」
「耕一さん、もしかしたら……死ぬつもりですか」

 俺は少女の顔を正面から見た。

「……何を言い出すかと思えば」
「違いますよね、耕一さん」
「当たり前じゃないか、楓ちゃん。なぜそんなことを」
「だってっ」

 少女の目に涙が浮かぶ。瞳の中の影が悲鳴を上げる。それが声になり、俺の耳を打つ。

「だって、耕一さん、私に忘れろって、何百年も待って、やっと逢えたのに、なのに……」
「……ああ。忘れろ。次郎右衛門のことは」
「…こういちさんっ…」
「忘れろ。今、君の前にいるのは柏木耕一だ。次郎右衛門じゃない」
「……え」

 少女の瞳が開かれる。その目に俺が、柏木耕一の姿が映る。その影が鬼の娘の影を覆う。

「そして、俺の前にいるのは、エディフェルじゃない。柏木楓だ。俺が出会ったのは、俺を助け
てくれたのは、俺が愛しているのは、柏木楓だ」
「……こ、耕一さん」

 瞳から雫が零れ落ちる。俺の姿が揺らぎ、再び確固とした形を作る。

「何百年も前から、なんてことを言わないでくれ。これは俺の一生だし、楓ちゃんの一生だ。過
去の記憶があっても、それは俺たちの生涯とは関係のない連中の記憶だ。古いから、昔から想っ
てきたのだから、転生してまで俺のことを追ってきたのだから、そんなことを重要なことだと思
っているなら、それは間違いだ」
「……こう、いちさん。私…」
「何百年も前に死んだヤツのことなんかどうでもいい。俺たちは、俺たちの人生の中で出会った
んだ。それで十分じゃないか」
「わ、私……」
「柏木耕一は柏木楓と出会った。それは、素晴らしいことじゃないか」

 少女の瞳の中にあった影が、遥か昔にこの世のものではなくなった娘の影が消えた。
 少女が瞳を閉じる。溢れた雫が頬を伝う。
 再びその瞳が開かれた時、少女の顔に微笑みが甦る。

「……はい、耕一さん」
「よし」

 俺は少女の手を掴む。強く握りかえす。

「行くぞ」

 俺の感覚の中に、新しい同族の存在が浮かんでいた。マンションの一室。そこにあいつが、事
件を引き起こした鬼がいる。

 俺は、少女とともに、生き延びるための戦いの場へ向かった。



「人間は確かに不死とか永遠の命とかは失った。しかし、それと引き換えに手にしたのは個別性
だった。細菌のようにどれもみんな同じというのじゃなく、雄と雌、男と女に分かれ、俺は俺、
チェシャはチェシャというふうに、ぜんぜん別のものになった。――だから、その別々の俺たち
が、出逢って、お互いに愛し合い、結びつくってことは、その代償として支払った不死に匹敵す
るほど、永遠に等しいほど、意味のあることなんだ。わかるか?」
                             ――山口雅也『生ける屍の死』

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 要するに最後の一文を引用したかった。だからこの話を書きました。

 でもこんなに長くなるとは思わなかった(苦笑)。

                                    R/D