幸せな予知  愛流浪編 投稿者: sphere
 そこは……暗い暗い、そして広い、部屋の中。男の人と女の人が口論していた。

「……!! …………?」
「!? ……!!」
「だか!! もう……んぶ、全部……」

「全部……  全部、全部……  全部私が悪いんだからっっ――――――!!!!」

 ……がばっ!!
 女の人の叫び声とともに、私は蒲団を跳ねのける様にして起きた。遅れてかかる
髪が、寝汗で濡れている顔にぴったり張り付いて、払おうとしても払い切れなかっ
た。
「……また……あの、夢……」
 そう、また、同じ夢を見た。
 年は二人とも、20代半ばくらい。何について話しているのかよくわからないけ
ど、いつも女の人の叫び声でそれは途切れた。「この人達は一体誰なんだろう?」
そう思っていつも顔を見ようとするけれど、どうしても見ることができなかった。
ただ……女の人のほうは夢の回数を重ねるごとにぼんやりと見えてきていた。
「……あの女の人、つらそう……」
 誰に言うでもなく、一人呟くと私はベッドから起きあがった。「ちゅん、ちゅ
ん、ちゅん……」スズメ達の声が聞こえる。カーテンを開けるとちょうど朝日が昇
ってきた。
 早朝に漂う香りと、太陽の眩しさに、私は大きく深呼吸。
「す―――……、は――――――」
「…………」
「さ、シャワー浴びよ。藤田さんに暗い顔してるって言われたくないし」
 いつもより軽い足取りで階段を一人降りていく。
 眠気はすでにどこかへと消えていた。


 朝。通学路。
「おはよう、琴音ちゃん」「おっはよー」「姫川さん、おはよう」
「あ、おはようございます」
 あれ以来…私の力が念力だとわかってから、私は不幸の予知をすることもなくな
って、今ではクラスにも友達がたくさんできた。これもみんな……
「おっす! 琴音ちゃん!」 ぽんっ!!
「きゃっ!?」
 声を掛けられたと同時に肩を叩かれた。いくら友達が増えたと言っても、こんな
ことをするのはただ一人…… 私はゆっくりと、後ろを振り向きながら、
「おはようございます、藤田さん(にこっ)」
「お、おぅ」
「? …どうしたんですか?」
「いやぁ、なんか考え事してたみたいだったから……その、気のせいだったかなー
なんて」
 心配してくれたんだ。
「やさしいですよね、藤田さんって」
「な、何言ってんだよ、後ろから驚かせたくらいでやさしいんだったら、日本の人
口の……」
 くす…… 私は空を見上げ、その澄んだ青さに目をしばたかせた。そしてそのこ
とに気づかせてくれたひとの横へ並ぶ。
 ただ並んで歩いているだけなのに、こんなに気持ちがいいなんて。
「こうして朝、友達と挨拶したり、並んで歩けるようになったのも、みんな藤田さ
んのおかげなんだなぁって、思ってたんです」
 藤田さんが一瞬、眉をひそめる。……しまった。
「なぁ、琴音ちゃん。何度も言うようだけど……」
「ごめんなさい、私、つい…… 私も、頑張ったんですよね」
「そーそー。琴音ちゃんは真面目だから、何でも深刻に考え過ぎなんだよ。もっと
気楽にいこーぜ」
 びしっと親指で自分の顔を指差す藤田さん。
「オレを見ろ! 気楽さだけでも立派に生きてるだろ?」
 はっはっは―――! ……一人で大爆笑。
「……そうですね」
 藤田さんは気楽さだけで生きている……なんて、お知り合いの方は、誰もお思い
になってないですよ? きっと。……と。
「おう! これからもよろしくな!」
 と、右手を差し出す。……さっきの藤田さんの笑いのせいで、何事かとみんなこ
っちを伺っている。…………。少し恥ずかしいけど……。私も右手を差し出し……。
「はい、ふつつかものですが、これからも……」

 ……刹那。言葉が私の頭を貫いた。

――――全部私が悪いんだから――――――――――!!!!!!!!!!!!!

ドクンッ!!!!

 体中の血液が一気に心臓へと収束し、体の動きを一瞬凍らせ、そして瞬時に拡散
する。そんなイメージ。体から力が抜ける。今のは一体何!? …白昼夢? ……
夢? そう、あれは夢の中で聞いた女の人の叫び。心を凍らせたものだけが知る涙。
……誰なんだろう? ……あなたは一体誰なんですか!? 私は、あなたを……知
っている!?

「琴音ちゃん、大丈夫か?」
 気がつくと藤田さんが私を支えて、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。周りに
はちょっとした人だかりができていた。
「ごめんなさい、ちょっと目眩がしただけですから……」
 そう言ってすぐ立ちあがり、おぼつかない足で歩き出した。すると、人だかりは
ホームルームの時間も近いのが幸いし、消えていった。でも、藤田さんはまだ不安
げな表情で、私の肩を支えながら、
「ほんとに大丈夫か? 保健室行ったほうがいいんじゃねーか?」
 私は無理に笑いを作りながら、
「ほんとに大丈夫ですから。さっきのはそういうんじゃないんです」
「…………」
「…………?」
 藤田さんは急に真剣な顔をすると、
「……何か…見えたのか?」
 ここでようやく自分の失言に気がついたけど、もう遅かった。藤田さんは生来の
おせっかい焼きなのだ。
「なぁ、最近、琴音ちゃん、なんか悩み事あるだろ? 顔色あんまりよくないぜ? 
それに、いくら念力を使わなくなったって、先が見えちまうことってあるんだろ?」
「…………」
「それってやっぱストレスになるんじゃねーか? ……一応、親に連絡して、前に
診てもらったっていう、でかい病院で診察してもらったほうがいいんじゃ……」
 !!
「止めてくださいっ!!!」
「琴音ちゃん……!?」
「…………」
「……琴音ちゃん」
「…………」
 きゅっ…と私の手がやさしくつかまれた。
「……すみませんでした。大きい声を出して」
 ……私って心配かけてばかりだな……
「いや…… オレこそ、ごめんな。つい、個人的なことを……」
 本当にすまなそうな顔で謝る藤田さん。……何も悪くないのに……
「私、一度ちゃんと診てもらおうかな……」
「……そのほうがいいって。……あ」
 藤田さんがぐっと右手を差し出す。……あ、そういえば。
  私も右手を差し出し、そして、いつもより強めに握り返す。
「はい、藤田さん。……これからも…よろしくお願いしますね」
「おう! 一生よろしくしちゃうって! ……なんてな! あっ! 琴音ちゃん!
急がないといいかげん遅刻しちまうぞ!!」
「え!? い、一生って―――」
 動揺する私。藤田さんは私の手を握ったまま走り出した。引かれるまま私も走り
出す。……藤田さんの背中がすごく大きく見えた。
 わたし……これからも、あなたの側に……いていいのかな……?


 3時間目……生物。
 黒板では先生が必死に螺旋を描いたDNAの分子構造を描いている。私は、生物
の授業は好きではない。特に植物や動物を、人間の都合で別の姿に変えてしまう遺
伝子を扱うものが。……品種改良という言葉のベールに隠された狂気が、文句の言
えない植物や動物を殺している……私にはそう見えて仕方がなかった。次々と実験
されては消えていく命。初めから、そうなることが決まっていたかのように。……
そして、それらに飽きた人間は、同じ人間の体を…………

 私は……私は…………

 …………暗い……暗い……廊下を歩いていた。何も見えない。ただ、ここが廊下
であるという認識だけがあって、それはまっすぐ先に進めと私にささやいた。
 ……冷たい……冷たい……
 ……音のない、色のない世界……
 ……凍てついた心…ふとそんなことを思ったとき、扉らしきものからこぼれる光
が見えた。人の話し声がする。私は扉に近づき、そっと中を覗き込んだ。すると…
…そこは病院の一室で、小さな赤ちゃんが寝かされたベッドを囲む様に男の人と女
の人がいて、口論をしていた。顔は見えなかったから、夢で見たのと同じ人かどう
かはわからなかった。

 男の人は左手で、袖をまくられた赤ちゃんの手を取り、右手に持っていた何かを
赤ちゃんに近づけた。そして、それを止めるように女の人が男の人の腕を掴む。
「やめてって言ってるでしょう!? どうしてわかってくれないの?」
「君こそ、何故わかってくれないんだ!?」
 二人共、感情的になっているようで、話がまとまる気配はない。
「わかるも何もないでしょう!! こんな小さな子に……普通じゃないわ!」
「普通じゃない!? 普通じゃないのはこの子だろう!? 私だって好きでこんな
ことしたいわけじゃないさ!!」
  ……この声、二人の会話……この子は……
「だったら、こんなこと、止めればいいってさっきから言ってるでしょう!?」
「こうする意外に道はないんだよっ!!」
 ガッ……!! 男の人が無理やり女の人を振りほどいた。女の人はそのまま勢い
あまってベッド脇のテーブル上の花瓶を引っ掛け、床へ倒れた。……花瓶の割れる
音と共に、女の人の叫びが暗く、静かな部屋にこだました。
「私が、私が……ちゃんと、琴音を産んでさえいれば―――――!!!!!!」

 ―――――――――――――!!!!

 ぎいいぃぃ……バタン……鈍い音とともに扉が閉められた。
「…………」
 頭の中が真っ白になった。たった今見た光景なのに、自分に関係ない、どこか遠
くで起きたことのように感じられた。
 あの…赤ちゃんが……私? じゃあ、さっきの人達はパパとママ? パパは私に
一体何をしようとしていたの!?  それに……私は……私は……やっぱり、産まれ
てこないほうがよかったの……!?



 再び歩き出した私の前に、しばらくして、同じような扉が現れた。私は一瞬、中
を覗くことをためらったが、結局、中を覗くしか道はないと思い、意を決して覗き
込んだ。そこは暗く、広い部屋で、見覚えがあった。いつも夢の中で見る部屋だ。
今回も男の人と女の人が口論していたが、その二人の身振りには見覚えがあった。
これはいつも見る夢と同じものだ。さらに今回は会話の内容を聞き取ることができ
た。


「どうしてそんなこというんだよ」
「いいんです! もう!! 全部私が悪いんだから!」
「何でそうやって全部、自分で抱え込むんだよ!」
  女の人は、ふっ……  と自虐的な笑みを浮かべると、
「何故って、どう考えたって悪いのは私のほうでしょう!? あの子を見ればわか
るわ。あなたは何も悪くないって!!  本当は、あなただって思ってるんでしょう
!? 私のせいだって!!」
「…………」
  男の人はひどく悲しそうな表情を浮かべた。……顔は見えなかったけど、そう、
感じた。……同時に、愛しさと、懐かしさも。
「……確かに、確かに……  そう思ったことがない、と言えば嘘になる。それでも
私はこの子を、そして君も……」
「……わかってるわよ!!  あなたの気持ちは、私が、一番……  だから……不安
なのよ」
「!?  一体どういう……!?」
「だからっ!!  もういいって言ってるでしょう!?  全部……  全部全部……」
  女の人の声に反応するように、急に周りの景色がぼんやりと歪み始めた。同時に
まるで映画のワンシーンのように、激しいフラッシュバックとともに、女の人がズ
ームアップして近づいてくる。そして。
「全部……  全部、全部……  全部私が悪いんだからっっ――――――!!!!」
  
  パァーーーーーーーーーーーン!!!! 目を覆わんばかりの光。

「きゃああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
  

  ……絶叫が静かな部屋に響き渡る。
 気がつくと、……先生や生徒達が私を見ていた。そう、ここは教室で、確か今は
3時間目で生物の時間だったはず。……私は、また、白昼夢を……!?   ……う
うん、これは、ただの夢じゃない……!?