幸せな予知  愛探求編 投稿者: sphere
  私は気分が悪いからと、保健室に行くふりをして、屋上へと上がった。今は授業
を受けている気分ではなかった。さっき見た予知…の内容。初めに見たものは昔の
パパとママ…… たしか、過去の認識(ポストコグニション)というものらしい。
そして……未来の認識(プレコグニション)……

  あのとき……  女の人が私を突き抜けていった瞬間、私は見た。……女の人の顔
を。それは……  その人は……  私……だった。大人になった、私。……相手の人
は分からない。でも……  あのとき感じた、愛しさと、懐かしさ……  あの人はや
はり藤田さんなのだろうか……?  いや、それより、問題なのは、女の人、いや、
私が言った言葉。
「どう考えたって悪いのは私のほうでしょう!? あの子を見ればわかるわ」
  これは、やっぱり、そういうことなんだろうか?  ……藤田さんと笑って話をし
ているときでも、心のどこかに浮かんでいた疑問。
「―――生まれてくる私の子供は、どうなるんだろう―――?」
「…………」  
「私、私……  藤田さんのそばにいない方がいいのかな……」
  ぽつりと一人呟いた時、後ろに気配を感じた。
「琴音ちゃん」  
 振り向くと藤田さんがすぐ私の後ろにいた。
 聞かれた!? 一体、どういい訳……
「琴音ちゃん、早いね。オレ、チャイムダッシュかけたんだけど」
 藤田さんはにっこり笑って、そう言った。
「はい?」
 事態が飲み込めず、ちょっと呆けた顔で聞き返す私…… ちょっと困った顔の藤
田さん。
「いや、昨日「私、お弁当作りますから、明日、一緒に屋上で食べませんか?」っ
て、琴音ちゃん、言わなかったっけ?」
 ……確かに言ったけど……と、いうことは、今はお昼休みなんだ。いつチャイム
が鳴ったのか、全然気づかなかった。
「はい、私、ちゃんと今日、作ってきましたよ?」
「……ところで。オレには琴音ちゃんが、何にも持ってないように見えちゃったり
するんだけど?」
「え!? ごめんなさい、しばらく待っててくださいね、すぐ取ってきますからっ
!」
 走って屋上を後にする私。
 ……私が困ってるときって、絶対、藤田さんがそばにいる……

 タタタタタ…………。
「…………琴音ちゃん」
 ……屋上を舞う風はオレと琴音ちゃんの間を横切っていった。


 5時限目以降、オレは授業を全く聞いていなかった。オレの頭にあることはただ
一つ。
 琴音ちゃんの様子がおかしい。
 オレは、琴音ちゃんの人を不幸にするという予知の原因を取り除いたとき、これ
で琴音ちゃんは元気になる……そう思っていた。実際、彼女は本来の明るさを取り
戻し、友達もできたようだった。が、一つ気になることがあった。……家族の話を
全くしないのだ。オレは少し仲が悪いのかな、くらいにとっていたのだが、少しし
て、そうでないことを彼女の言葉の節々から感じ取っていた。それでもそれは、今
の彼女なら自分で解決できるだろうと思っていたのだ。……でも、さすがに今朝の
ようにきっぱりと両親のことを拒絶されると、気にならないわけはなかった。が、
それより、今は、さっきの琴音ちゃんの言葉……
「―――生まれてくる私の子供は、どうなるんだろう―――?」
「……私、私……  藤田さんのそばにいない方がいいのかな……」
 オレは……琴音ちゃんの何を見てきたのだろう……彼女の悩み……それは超能力
に比べれば、たいしたことのないことだと……そう思っていた。オレは、オレは何
もわかっちゃいなかった。あんまりにも重大過ぎて、人に言えない悩みが、琴音ち
ゃんにあったことを。いや、わかってはいたが、オレはそのことを気にしていなか
った。そんなことオレ達には関係のないことだと思っていた。浅はかだった。オレ
は今のことしか考えてなかった。でも……琴音ちゃんは先のことを考えていた。オ
レなんかよりずっと……先を見つめていた。
 半数染色体。……これが、琴音ちゃんを悩ます根源。琴音ちゃんの生誕の秘密。
……こればっかりはオレがどうこうしたからといって、どうなるものでもないかも
しれない。……それでも。オレは琴音ちゃんの力になってやりたい。……が。オレ
はあまりに知らなさ過ぎる。このことについてもっと知らなければ、本当の意味で
琴音ちゃんの力になることはできない。そしてそれは、オレ自身のためにも……


 放課後、オレは大学図書館へと行き、できうる限り半数染色体について調べた。
 オレはどうしても確認したいことがあって、琴音ちゃんの家に電話した。
「はい、姫川ですが」
「あ、琴音ちゃん? ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
 一瞬の沈黙。
「あの…… どちら様でしょうか?」
「は!? あぁ、わりぃ。オレ、浩之だけど……」
 また一瞬の沈黙の後、やや緊張した声が返ってきた。
「……琴音に何のご用でしょう……?」
 ん……? もしかしてオレ、やっちゃった?
 いきなり声のトーンを落として神妙に聞くオレ。
「あのう…… もしかして、琴音ちゃんの……お母さん……?」
「そうですが…… あの、失礼ですが、琴音とどういうご関係の方でしょう?」
「え!? ど、どどど、どういうご関係と言われても……」
 そんなこと言えるわけないじゃないっすか、お母さん!!
「…………」
 一人慌てていると、電話のむこうでイヤな気配がした。
 切られる!?
「ちょっ! ちょっと待ってくださいっ!! 切らないでっ! オレ、藤田浩之っ
ていいます!! 琴音ちゃんの高校の先輩で、えー、あー、琴音ちゃんの友達なん
ですっ!!」
「……琴音の友達……?」
「そうですっ!!」
「…………。本当ですか?」
 くそう、全然信じてねーな。……と、ふと気づいた。今までも、こうやって琴音
ちゃんの超能力のこと、根掘り葉掘り聞こーとする連中からの電話も多かったんだ
ろう。警戒心が強くなるのも無理はない。
「すんません。いきなり電話して信じてくれなんて、虫のいい話ですけど、オレ本
当に琴音ちゃんのこと……絶対、興味本位なんかじゃないすから……」
 ……全然まとまらなかった。
「…………」
「…………」
 やっぱダメか? そう思ったとき。
「……琴音は今、留守にしています…… よろしければ、託(ことづけ)を承りま
すけれど?」
 さっきよりやさしめの口調だった。
「あの…… 信じてくれるんですか!?」
 くすっ……電話越しに笑みがこぼれた。
「まだそこまでは…… ただ、嘘を言っておられる様には見えませんから。ところ
で託ですけれど……おありですか?」
「え!? あぁ、おありです。えーー……」
 ……これは琴音ちゃんのお母さんから、直接話を聞くチャンスかもしれない!!
「あの、できれば、琴音ちゃんのことで、その、お母さんと話がしたいなぁ、なん
て……」
 ……なんかナンパしてるみたいだぞ、オレ。しかもドモりまくってるし。
「……琴音のことで、私と……ですか? 一体何のお話でしょう?」
 相手は琴音ちゃんのお母さんだし……言っても問題ないか?
「あの…… 半数染色体について……なんですけど……」
「…………!!」
 ゴッ!! 受話器を落としたような音が、オレの耳を打った。
「あ、すみません、あの…… そのことは、どこでお知りになられたんですか?」
 今までで一番、緊張した声だ。……もっと言葉を選ぶべきだった。
「えっと、琴音ちゃん本人から聞いたことなんですけど…… 誰にも言わないでっ
て……」
 今言っちゃったな。これって嘘になるんだろーか?
「琴音が……?」
 独り言のように小さな声が返ってきた。
「そうですけど……」
 短くそう、返答すると、
「……わかりました。では、藤田さん? 私はどこでお待ちすればよろしいのかし
ら?」
「は?」
 ……どうやらうまくいったらしい。


 それからオレは、駅前の喫茶店で待ち合わせをした。……今まで喫茶店に入ると
きは大抵、あかり達と一緒で、一人で入る機会なんかなかったので、妙に所在無か
った。何気に時計に目を見やる。
「……7時25分……。あと5分か……」
 と、独り言を言った瞬間、オレはある重要なことに気づいた。
 ……オレ、琴音ちゃんのお母さんて、見たことねーぞ…… 当然、向こうも知ら
ないわけだし…… ヤバい。ここまで来て会えませんでしたじゃ洒落にもなんねー
 どぉーーーーすんだぁーーーーー!!!!!!!
 一人、おろおろしていると、ふいに後ろから声を掛けられた。
「あの…… 失礼ですが…… 藤田さん…… ですか?」
 振り向くと、そこには、大きくなった……琴音ちゃんがいた。
「…………」
 大人になった琴音ちゃん、まさにこの形容がぴったりだった。琴音ちゃんのお母
さんはやっぱり、綺麗で、礼儀正しくて、物腰優雅だった。
 間抜けにもオレは、口を開けたまま、彼女を見つめていた。そんなオレを見た彼
女は、右手を口元に当てながら、目を細める。……どうやら笑われているらしい。
「やっぱり、驚かれましたか?」
「はぁ、そりゃ、もう……」
 オレの間抜けな返答に、もう一度目を細めると、
「そちら…… よろしいかしら?」
 とオレの向かいの席に目を走らせる。
「あ、すんません。どうぞ」
「ありがとう」
 それから彼女は席へと座り、アップルティーを注文した。
 ……琴音ちゃんと本当にそっくりだった。あまりにも似すぎていた。やはり琴音
ちゃんは、お母さんの遺伝形質を受け継いだ半数染色体の持ち主であるらしい。
「…………」
 気がつくと琴音ちゃんのお母さんはオレをじっと見つめていた。大人になった琴
音ちゃんの顔で見つめられると、妙に緊張する。なんか話題を振らないと……
「それにしても驚いちゃいましたよ。まさか琴音ちゃんのお母さんが出るなんて思
ってなかったすから」
「驚かせてごめんなさいね。今日はたまたま早く帰ってきていたの」
「そ、そうすか……」
 …………。う、会話が続かねー。あまり失礼なこと聞いてあとで困るのはオレだ
しなー……
「…………」
「やっぱり、あなたでも琴音と同じ顔の人間が現れると、緊張するわよね?」
 何故か、やや自嘲的な顔でそう言った。
 いきなり何の話だ……?
 そりゃ、琴音ちゃんのお母さんである以上、オレのお母さんになる可能性も0じ
ゃないわけだし、粗相があったら大変だって思うだろ。
「たしかに、緊張してますけど…… それはあなたが琴音ちゃんのお母さんだから
で……たしかに琴音ちゃんと同じ顔で、きれ……あー、何言ってんだオレはっ!!
とにかく、別にオレはあなたと琴音ちゃんが似てるからって……」
 ん……? 聞いてますか、お母さん?
「そうね…… 私とあの子は違う人間ですもの…… でもあの頃の私はそれに気づ
かなかった。あの人は、いつか、私よりもあの子を……」
 遠くを見つめながらの消え入るような声だった。まるで、始めから答えを求めて
いないような。その横顔はひどく悲しく、壊れそうな程だった。……と、急にいつ
ものやさしい顔に戻ると、
「ごめんなさい。琴音のことでしたわね……」
「はい。そのことでどうしても確認したいことがあって……」
「……私が答えられることなら、全て、お答えしますわ、藤田さん」
 …………。
「あの…… 何で急に……」
「琴音が信じたあなたを、母親の私が信じないわけ、ないでしょう?」
 そういう彼女の表情は、今までで一番やさしいものだった。

 それからひとしきり琴音ちゃんのことを聞き、別れ際。礼を言って帰ろうとした
とき、琴音ちゃんのお母さんに背中から声をかけられた。
「琴音のこと…… よろしくお願いしますね」
「任せて下さいっ!」
 後は琴音ちゃんと話をするだけだ。先の見えない迷路で出口が見つかったかのよ
うなすがすがしい気持ちで、オレは夜にもかかわらず大声を上げてそう言った。