幸せな予知  愛永遠編 投稿者: sphere
 朝、登校すると、教室の前で藤田さんが待っていた。「放課後に大事な話がある
から、絶対来てくれ」そう言うと、挨拶も忘れて去っていった。
「なんなんだろう……?」
 藤田さんも変だけど、ママも変だった。昨日、帰ってくるなり、私を見てにっ
こり笑ったきり、ずっとうれしそうだった。……?

 放課後。とりあえず私は言われた通り、屋上へと足を運んだ。藤田さんは……い
た。昨日、お弁当を食べたところから、街の景色を眺めていた。ゆっくり声をかけ
る。
「藤田さん」
 いつもは明るい声を返してくれるのに、今日の藤田さんの声は違っていた。
「おっす。琴音ちゃん。ごめんな、呼び出して」
「いえ、気にしないで下さい……で、どうしたんですか?」
 どうも藤田さんの様子がおかしい気がする。
「ん。昨日な、実は図書館行ってきたんだ」
 ……藤田さんが、図書館? ……くすっ。 
「……で、そこで何を調べてこられたんですか?」
「……ん、半数染色体について調べてきた」
「え……!?」
「そのあと、琴音ちゃんのお母さんとも会ってきたんだ」
 !!
 ……藤田さんは、一体、何を……?
「なぁ、琴音ちゃん、今までずっと、悩んでたよな? ……昨日、屋上で聞いちま
ったんだよ。だから、オレ、琴音ちゃんの力になるためにもっと、……悩みの原因
の半数染色体について知ろうと思って……」
「そうだったんですか…… ママにも……会ったんですね」
「ごめん…… 勝手に」
「……いずれ、わかることですから…… 私と、そっくりだったでしょう?」
 だって、私は、ママと同じだから。
「……確かに、琴音ちゃんのお母さんは、琴音ちゃんにそっくりだったけど……
やっぱり琴音ちゃんは、琴音ちゃんで、お母さんとは違うんだよ。オレにとっての
琴音ちゃんは琴音ちゃんで、オレはそんな琴音ちゃんが……」
 ………… 藤田さん……。 
「って、オレは、あかりかあああああああああああ!!!!!!!!!!!」
「…………」
「…………」
 こほん。一つ咳払い。
「……それで、琴音ちゃんに一つ確認したいことがあるんだ」
「? 何ですか?」
「……琴音ちゃん、自分で半数染色体のこと調べたこと、あるか?」
「……いえ、ありません」
 ……自分が普通の人間でないことを、知ることが怖かったから。
 ……あなたに出会ってからは、そのことを忘れていたかったから。
「…………」
 藤田さんはしっかりと私を見つめて言う。
「琴音ちゃん…… オレがこれから言うこと、聞いて欲しいんだ。つらいだろうけ
ど……」
 ……いつまでも……逃げていられない……
「……わかりました。これは、自分のこともありますし……」
 そして、ひょっとしたら、藤田さんにも―――
 藤田さんは安心したのか、一瞬目を細め、そのあと、どう話をしようか考えてい
るのか、視線をフェンスの外へと移した。―――風が冷たい。……と。
「半数染色体のことを調べてみて、大事なことが3つあったんだ。まず、一つは…
… 劣性遺伝子の発現ってのがあった」
「…………?」
「ん、普通、劣性遺伝子ってのは優性遺伝子のせいで発現しないらしいんだ。でも
半数染色体の場合は発現するらしい。多分、この劣性遺伝子の発現が琴音ちゃんの
超能力の原因だと思う」
「……そうだったんですか」
 ……やっぱり、偶然じゃなかったんだ……
「……ま、超能力のことはもう解決したことだから、別にいいとして、問題は……
次の二つ目……」
 言いにくいのか、目が四方に泳いでいる。私はじっと藤田さんの目を見て、「藤
田さん」とだけ言った。
「二つ目は…… 遺伝子が半分のままじゃ、正常に成長できないらしいんだ」
 ……正常に…? 成長できない……?
「それって、つまり……」
「大人になる前に、死んじまうらしい……」 
 ……!! 大人になる前に……死ぬ!?
「で! それを防ぐために、コルヒ……なんとかっていう、化合物を注射すること
で、染色体が2倍になって、えー、片方の親の形質が固定され……」
「…………!?」
 ……注射? ……どこかで…… 夢… 予知の…… パパが、赤ちゃんの私に…
… ママが必死にそれを止める…… 私は目を閉じ意識を集中させ、いつか見た夢
を……見ようとした。……暗闇の中、一点を見つめつづける。……ちりちりちりち
り……そんな音が聞こえ始めた頃、光の点が暗闇に浮かび上がる。そしてそれは、
ゆらゆらとたゆたった後、はじけるように拡散し、光が暗闇を覆い尽くした。そし
てそこから現れたのは、見覚えのある扉。

「止めてって言ってるでしょ!? どうしてわかってくれないの?」
「君こそ、何故わかってくれないんだ!?」
 いつか見た光景そのままが、再生される。今回は顔もはっきりと見える。
 やはり、パパは注射器らしきものを持っていた。
「こうする以外に道はないんだよっ!!」
 パパがママの腕を無理やり振り払った。―――そして。ママのあの言葉。
「私が、私が……ちゃんと、琴音を産んでさえいれば――――!!!!!!」
 ……ママ……
 前はここまでだった。でも今回はまだ映像は途切れない。
 パパは満潮から干潮へ潮が引く様に静かになり、そして穏やかな顔でママに語り
掛ける。
「……君はちゃんと琴音を産んでくれたじゃないか。ごらんよ、この可愛い寝顔」
「…………」
「……私は……やっぱり反対です……!!」
 俯いたまま呟く。ママ……そんなに私が……
 パパは注射器をベッド脇に置き、ママをそっと抱きしめると、耳元でささやいた。
……そこには強い心の力。
「……きっと見つかる……この子の全てを受け止めてくれる、そんな人が。……心
配いらないよ」
「!!」
 !?
 パパの腕の中で、ママが一瞬はねる。その後、驚いた顔でパパの顔を見つめるマ
マ。パパは、にっこり笑って、
「君は昔っから、大事なことは全部、自分で決めるからなぁ。そのうえ、何も言わ
ないで嫌な役を一人黙って被る。……君がこの子のこと、誰より心配してることく
らいわかるよ」
「「…………」」
「「……ごめん」」

「この子は……きっと……」
「……幸せになれる……」


 ゆっくりとその部屋から離れていく私。固く暗い扉は閉められ、同時に、一面の
光が目の前に広がる。……心は快晴。雲一つない、澄んだクリアブルーの空。
 ……やさしい光に揺られながら、私は一人呟く。

 私は…… 愛されている…… 私は……あの人を愛していける……


 ここが琴音ちゃん救う正念場だ。オレは必至で喋り続ける。
「で! それを防ぐために、コルヒ……なんとかっていう、化合物を注射すること
で、染色体が2倍になって、えー、片方の親の形質が固定され……」
 ところが。
 琴音ちゃんの動きが止まっている。全然話を聞いてる感じではない。いや、話を
聞いてるとかゆーより、これは…………気絶してる?
「おい、琴音ちゃん、しっかりしろって!! まだ続きがあんだよ! 気絶す
んのは早いって!!」
 肩をつかんで揺すってみる。琴音ちゃんはあっさりと目を覚ますと、
「あ、藤田さん」
 オレは、はぁ〜、とため息をついた後、
「あ、藤田さん、じゃないって。琴音ちゃん。ここが話の骨なんだからさー……」
 と、オレは妙な違和感を感じた。……なんか、琴音ちゃんが……
「…………どうしたんですか? 話の続き……ですよね」
「あ、あぁそう。オレは、ちゃんと琴音ちゃんが小さいときに注射受けてたのか、
それを確かめるために、昨日、琴音ちゃんのお母さんに会ってたんだ」
「ちゃんと……注射、受けてたでしょう?」
 くすっと笑う琴音ちゃん。滅多に見せない、すこし意地悪な表情。
「……なんで知ってんの? もしかして、お母さんから聞いた?」
「いえ?」
 表情はいたずらっ子のままだ。じゃあ、なんで……
「飛んで見に行ったんです。真っ白な羽を空いっぱいに広げて」
 琴音ちゃんは空を見上げながら両手を広げて、くるっとその場を一回転すると、
腕を後ろで組み、体を前に傾けてオレの顔を覗き込んだ。その姿は……
「…………」
「それで……3つ目は一体何なんですか?」
 ……小鳥のさえずり。その声、その音色は繊細、優美にして、無色透明。……ガ
ラじゃない言葉が自然に浮かんだ。
「んーん。わりぃ、別にたいしたことじゃなかったわ」
 3つ目の問題。それは、半数染色体の生物は、遺伝的に安定しているので、細胞
融合、遺伝子組換えなどの素材に用いられる、ということ。……カンケーないな。
 何があっても、オレは君を守る。
 琴音ちゃんが好きだから  がむしゃらに  愚かしいほど
 それは  自分が死んだら  君が悲しむことさえ  忘れてしまうほどに
 オレは  まっすぐに  そして  ひたすら  純粋に

 この気持ちは誰にも負けねー  今までも  そして  これからも
 この世界でオレは他の誰より君を……

 ……好きだよ、琴音ちゃん


「とにかく、一度、注射打ったら、寿命は普通になるらしい。それから、生まれて
くる子供が半数染色体になる可能性はないってさ!! もう、何も琴音ちゃんが心
配することなんてないんだ!!!」 
 会心の笑み。いったいどれくらいの人が知っているのだろう? 藤田さんがこん
なふうに笑うってことを。じんじんじん……胸の中を溢れる思いが、胸の焔が、切
ない思いが……止まらない。困っちゃうな、本当に。藤田さんって、意識しない
で、ふいにこんな顔でにっこり笑うんだもの。……女の子はどきっとしちゃうよ?
「……ちょっと心配しちゃいますよ、藤田さんっ」
「あ? え? こ、琴音ちゃん!?」
 ……いきなり泣き出した上に、まだ心配だって私が言うものだから、藤田さん本
気で慌ててる。くす。……これくらいは心配させたって……いいでしょ?

 私の全てを受け止めてくれたひとは、とてもまっすぐで、とてもお節介焼きで、
ふいに女の子を泣かせることを言う――――――とても、やさしいひとです。

「琴音ちゃん……?」

 私は慌てる藤田さんの胸に思いっきり飛び込んだ。


「浩之さんっ…………大好きっ!!!」




 その夜  私は夢を見た

 そこは  小さな教会
 
 絶えることのない祝福の言葉  尽きることのない人波
 それらは全て  二人のために
 二人のはにかみ  強く握り合った手
 そこにあるのは  幸せ
 
 そして  視点はそれを見守る二人の夫婦へ
 新しい夫婦を見つめる二人の表情
 それは  無限の  いとおしさ
 女性の顔は  表情はそのままに  横にいる男性に向けられる
 いたずらっぽい  口調のささやき
 「寂しいでしょう?」
 男性も女性と同じ表情で
「……そりゃあね。でも……僕には君がいるからね」
 尽きることなく紡がれる言葉



 それは  近い将来
 きっと  起きるだろう
 とても  幸せな
 幸せな  予知


「「……愛してるよ」」