君の生まれた日にたくさんのおめでとう  投稿者:T-star-reverse


「……! ……!!」
「…………! ……! ……!」
 聞き慣れない単語が飛び交う中、夫は妻の手をしっかりと握りしめていた。
 苦しそうにしている妻を少しでも勇気づけようと、黙って、しっかりと。
 視線は、一時も離さずに妻の顔を見ている。
 時々妻と目が合うと、彼女は安心したように表情を緩ませた。
「…………っ!!」
「はい、お母さん頑張って!」
 すでに数え切れないほどの出産に立ち会ったであろうベテランの看護婦が、
妻に向かって時に優しく、時に厳しく指示を出していく。
「はい、頭が出てきましたよ! もう一息!」
 その看護婦の言葉に、思わず妻の顔から視線を外してしまう夫。
 慌てて視線を戻したが、幸い妻は彼の方を見ていないようだった。
 苦しそうに瞼を閉じ、口は半開きで荒い息を吐いている。
 握った手は、妻と夫の双方の汗で濡れている。
「……がんばれ……!」
 口の中で呟いた励ましの言葉は、握り合わせた手を通って伝わった。


「ほぎゃぁ、ほぎゃぁ、ほぎゃぁ……」


 新たな命が誕生したのは、それからほどなく経ったあとのことであった。



「なんだかんだ言って、安産だってな」
「みたいね」
 夫と妻の二人は出産からしばらく後、病室で二人きりで話していた。
 いや、妻の傍らには、純白の産着ですやすやと寝ている子供の姿がある。
 清掃が行き届いている病室に、優しく陽の光が降り注ぐ。
 自然と、今はすぐそこに寝ている寝ている二人の初めての子供の話になる。
「女の子だったよな」
「ええそうよ……名前、決めてくれた?」
「ああ、男か女かわかってから名前を決めるって言ってたけど、実は
どっちでもこの名前にしようって決めてたんだ」
「へぇ? それでそれで、その名前って?」
「ああ……」
 夫は、持ってきて側に置いておいた紙をゆっくりと広げていく。
 そこには、慣れていないとはっきりわかる、どちらかと言えば拙い感じの
毛筆で、はっきりと一文字の漢字が書かれていた。

「葵」

 よく見れば、小さく右上に「命名」と書いてあるのも見える。
「いい名前……綺麗で、優しくて」
「だろ?」
 夫が得意げに微笑む。
 妻は、そんな夫を見てちょっぴり苦笑いっぽい表情を見せる。
「それじゃこの子は、これから葵ね」
「ああ。葵、これからよろしくな」
 すやすやとよく眠っている赤子の寝顔を覗き込み、二人が一斉に挨拶する。
 名を与えられて間もない葵は、むずがることもなくすやすやと眠っていた。



「――と、私の名前ってこんな風にお父さんが考えたそうなんです」
「へぇ、それじゃあんた、もしかしたら「葵くん」だったかもしれないんだ」
 くすくすと笑いつつ、シェイクを口にする葵の左隣の綾香。
 そのさらに向こうには、浩之とあかりが座っている。
 ここは駅前のヤクドナルド。
 葵の誕生日ということで、浩之と綾香が主となって、数人の知り合いと共に
葵を誘ってここに来たのである。
「男でも女でも葵は葵よ。男でもきっと仲良くなれたんじゃない?」
 葵の右隣には好恵が、さらに志保とセリオの姿もある。
 主役の葵を含めて、総勢7名の誕生日パーティーであった。
「でも、ちょっと意外かなー」
「え、志保、どうして?」
 突然悩み込むような様子を見せる志保に、あかりが驚いて聞く。
 実に真剣な様子で志保が呟く。
「だって、松原さんって産まれたときから髪も目も青いから、それで親が
その場で葵って名前を付けたんだとばっかり……」
「セリオ、そのお馬鹿黙らせといて」
「――かしこまりました、綾香様」
 綾香の指令で、瞬時に志保の首筋に麻酔針を撃ち込むセリオ。
 結果、志保は目の前のテーブルに突っ伏すように昏倒した。
「ったく、くだらねぇこと考えやがって」
「ね、ねぇ浩之ちゃん、志保、大丈夫なの?」
「志保のことだ、このくらいで死にゃしねえよ」
 慌てるあかり、そして全く動じない浩之。
 そんな二人の様子を横目に、綾香は葵に先を促す。
「それでそれで? あんたのちっちゃな頃ってどんなだったの?」
「あ、はい……え、えと、どこまで話しましたっけ」
 少し場のノリに圧倒されかけていた葵は、その一言で我に返る。
「葵の名前がどうしてついたか、って所までね」
「あっ、ありがとうございます好恵さん。それでですね……」



 松原葵は、言ってみれば真面目な子供だった。
 真面目と言っても、子供の頃はしばしば物静かな子がそう言われる。
 そして、葵は教師からはその物静かな子供の方に含まれていた。
 それでも、みんなで歌を歌えば一生懸命歌い、目的があれば一生懸命
その目的に対して真剣に取り組んだ。
 松原葵は、そんな子供だった。
「ただいまー!」
「あ、葵、おかえりなさい……学校で何かあったの?」
「えっ!? なんでわかるのお母さんっ?」
 物静かとはいえそれは暗いという意味ではなく、すすんで目立とうとは
しない子供であるという意味だった。
 だから、まだ通い初めて日が浅い小学校でおこったことを、嬉々として
母親に話すその姿は、明るく元気な子供の姿であった。
「それでねー、えーと、さんすうのもんだいがあってね……」
 彼女のとりとめもない話を、微笑みながら真剣に聞いてくれた母親は、
だから葵が声のトーンを落としたことに容易に気が付いた。
「……てつぼうでねー、さかあがりをしなきゃいけないんだって」
「葵は、逆上がり苦手なの?」
 母親は、優しく葵に問いかけた。
 葵はこっくりと頷く。
「たいくのじかんに、いっぱいいっぱいれんしゅうしたんだけど……」
「そっか、できなかったんだ?」
「うん」
 母は、少し顎に人差し指に当てて考えると、葵に笑いかけた。
「それじゃ、これから公園に行って練習しようか?」
「こうえん?」
「そうよ、あそこにも鉄棒はあったはずだから」
 言いつつ、エプロンを外して立ち上がる母。
 葵はと言うと、多少きょとんとしていたが、大好きなお母さんと一緒に
近くの公園とは言えお出かけできることを喜んでいた。
「それじゃ、行くわよ葵」
「うんっ!」


 ――結局、その日は逆上がりはできなかった。


「葵ー、お風呂はいっちゃいなさいー」
「はーい」
 宿題に向けていた手を休め、葵はうーんっ、と伸びをした。
 もうすぐ中学に上がるというこの時期、葵は何かわくわくしていた。
 もちろん、進学に対しての期待もあったかもしれない。
 でも、それを越える何か……現在の彼女からしてみれば、運命的なものを
感じていたのかも知れない。
 そして、その期待と比例して不安もあった。
 進学することで、自分の何が変わるのか……。
 第二次性徴で自分が肉体的に成長し始めていることで、葵は漠然と
精神的な成長を焦っていたのかも知れない。
「ふぅ……」
 湯船に身を沈めつつ、葵は目を閉じた。
 ぬるめのお湯が身体に気持ちいい。
「……そうだ、わからないことがあるんだから……」
 そう呟いて葵は、ぱしゃっと顔を洗い流した。



「ねぇお母さん、中学校ってどんなとこ?」
「ん? どうしたのよやぶから棒に」
 母親の作る夕食の手伝いをしていた葵は、母にそんなことを聞いてみた。
「そうねぇ……先生がたくさんいる以外は小学校とあまり変わらないわね」
「あれ、そうなの?」
「不安なの?」
 ずばり心配事そのものを突かれて、葵はどきりとした。
 葵が嘘をつけない性格なのもあるが、この母にはどうにも隠し事できない。
「うん……」
 葵が頷くと、母は優しく微笑みながら葵の頭に手を載せた。
 この微笑みを見ると、何故か葵は安心できた。
 母親に対する信頼感が、ぐっと増すのだ。
「なにか目的が見つかるまで、そうやって迷うことは悪いことじゃないわ。
お母さんはむしろ、進んで迷っていかないと駄目だと思う」
 葵は、母の手のぬくもりを感じながら、ちょっと違和感を感じた。
「でも、葵は真面目で控えめだから、何かはっきりとした目標があって、
それに向かって努力してないと不安になるんでしょう?」
 葵は黙って頷いた。それより……。
「まあ、無理に悩むこと無いわ。やりたいことなんて突然見つかるものだし」
 ぽんぽん、と頭を叩く母。
 葵は、とりあえず一番気になっていることを言うことにした。
「お母さん……」
「ん、なに?」
「お母さんの手、小麦粉つきっぱなしなんだけど」
「あらら」

 料理が得意でちょっと抜けてる母。
 葵は、そんな母を尊敬していた。



「……それからまもなくです、綾香さんたちにお会いしたのは」
「ふーん……いいお母さんじゃない」
「そうだな。会ったことはないけど何回か見たことはある。優しそうだし」
 浩之はと言うと、ふぅ、とため息をついていたりする。
「いいお母さんだよなー、葵ちゃんのお母さんって。うちのお袋なんか……」
「まあまあ、浩之ちゃん」
 浩之の両親は仕事の都合でほとんど家にはいない。
 それはそれで浩之も寂しいのかもしれないと、あかりは思っている。

「あ、私、そろそろ帰らないと……」
 葵が店の時計を見て、慌てて立ち上がる。
「え、もう? これからカラオケでも行こうかと思ったんだけど……」
「それは勘弁してくれ……」
 残念そうに言う綾香と、冷や汗を流しつつ言う好恵。
「主役がいなくなっちまったら、今日集まった意味ねーしな」
 浩之もぼやくように言う。
 そんな様子を申し訳なく思いつつも、葵ははっきりと言った。
「すいません……でも、今日はお父さんも早く帰ってきますから……」
 その言葉に、全員がぴんと閃く。
「わかった。急いで帰ってあげな」
「葵、またねー!」
「松原さん、何度も言うようだけどおめでと!」
「葵、転ぶなよ」
「――またお会いしましょう」
 志保を除く全員の声を受け、葵は店から駆け出していく。


 そう、彼女の誕生日を祝ってくれる両親の元へ。



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 ども。結局一年ぶりになってしまったT-star-reverseです。
 普段はLメモとか書いてます……本家にもちょっとだけありますけど。

 さて今回も1/19、松原葵誕生日記念SSです。

 今回はヤクドナルドでのささやかな誕生日パーティーでのお話です。
 葵ちゃんの両親って、葵ちゃんの性格からしていい人なんだろうな、とか
考えつつ書き進めてみました。
 葵ちゃんが空手始めたのは中学だったよなー、とか。
 間違ってたらどうしよう……。

 DC版バーチャロンも発売され、止まっている連載も進ませたいです。
 もし突然見慣れないシリーズものの続きが投稿されていても、あまり
虐めないでくださいです。

 それでは、失礼しました!