贈り物はVサイン 投稿者:T-star-reverse
 世界女子格闘技選手権。
 現在も来栖川財閥がスポンサーとなって開催されているこの大会は、
ここ数年で目を見張るほどの劇的な変化を見せた。
 まず、その前身である全日本女子格闘技選手権。
 エクストリーム・ルールで競われるこの大会でのデビュー以来、何年もの間
無敗の女王として君臨し続けた来栖川綾香という女性がいた。
 デビュー当時は、来栖川の社名を売るための悪質な『ヤラセ』であるとか、
審判や選手の買収などという事実無根な様々な噂が乱れ飛んだが、翌年、
さらにその次の年と、天性の反射神経と努力に裏打ちされた的確な判断力、
そして特筆すべきテクニックをもっての圧倒的な強さで優勝するにしたがい、
彼女の強さは世の大多数が認めるところとなった。
 彼女に憧れて格闘技を始める女性が増え、一種の社会現象を巻き起こした。
 その内に多くの『強くて美しい戦いの女神』を内包するこの大会は、
テレビでも雑誌でも大きく扱われ、追っかけなども多数出現した。
 そして二年前。
 海外にも参加者を求め、大会規模もかつてないほど巨大化、名称も現行の
『世界女子格闘技選手権』に変更されたその年。
 全日本女子空手の頂点に立った坂下好恵の突然の参戦表明。
 綾香も元々は空手畑の出身である。かつて空手の大会で頂点を争い、
その時は綾香が好恵を制して頂点に立ったという因縁がある。
 綾香が空手界から姿を消してからは、空手で好恵は常に勝利してきたが、
それでも彼女は決して満足せず、綾香があえて向かうことのなかった一つの
頂を極めて初めて綾香を追いかけたのである。
 この二人にスポットが当てられたその大会、準決勝で二人は激突した。
 組み合わせの妙とはいえ、このカードが決勝戦ではなかったことに、多くの
人々が残念がった。
 だが、そんなことは関係なかった。
 二人は全力で争った。それは、見ている者全てに戦慄と感動を等しく与える
ような、そんな戦いであった。
 そして、……最後に立っていたのは綾香であった。
 事実上の決勝戦とまで言われたこの試合を綾香が制したことで、周囲からは
その次の決勝戦はほとんど消化試合扱いにされた。
 綾香と互角に戦える人物は好恵以外に考えられなかったからだ。
 が、そうはならなかった。
 決勝。
 綾香と王者の地位を賭けて拳を合わせたのは松原葵。
 綾香の活躍による格闘技ブームが起こる以前から綾香に憧れ、かつては
綾香、好恵とも同じ空手の道場に通っていた女性である。
 彼女も好恵と同様、その時が大会初参加であった。
 以前からこの大会への参加を望んでいたものの、その弱気な性格が災いして
なかなか踏ん切りがつかずにいたが、綾香に次いで好恵までもが大会に
参加したため、その機に覚悟を決めて参加したのだ。
 そして、フタを開けてみれば決勝進出。
 綾香と好恵の二人に注目が集まっていたことも葵に幸いした。
 極度のあがり症である葵は、その実力を存分に発揮できたのである。
 加えて数多くの強敵を相手に勝ち抜くうち、精神的にもぐっと成長し、
自然とあがり症を克服できるようになった。
 大観衆の前、葵と綾香は素晴らしい戦いを見せた。
 綾香と好恵が準決勝で見せた試合と比較しても遜色のない試合である。
 その結果は、綾香の大会五連続制覇という終幕を迎えた。
 日本は、世界は、新たな戦いの女神の出現に沸く。
 そして去年の大会。
 試合中の事故によって負傷した綾香が不戦敗を喫してしまうという
トラブルがあったこの大会は、準決勝で葵を破った好恵が制した。
 この頃になると一時のブームも遠くに去り、盛大ではあるものの
馬鹿騒ぎという雰囲気はなくなり、純粋な格闘技大会へと回帰していた。
 今年の大会は特にトラブルもなく終了。
 それから、瞬く間に一週間が過ぎた……。



 今では見るものすべてが懐かしい、名もない神社の境内。
 準決勝で好恵を、決勝で綾香を破り、初優勝を飾った葵がそこにいた。
「……ここから……はじまったんですよね」
 ぽつりと葵が呟く。
 すでに手入れする者もいない境内は荒れるに任せられ、本堂もあちこちが
ぼろぼろに朽ちていたりしていた。
 本堂にゆっくりと近付く。
 高校生の頃見たよりも小さくなったように見える本堂の下にいまだに
置いてある青のビニール袋を引っぱり出す。
 そこから赤いサンドバッグを取り出すと、ここで練習していたときより
一回り太く、大きくなった木の幹にそれをぶら下げる。
「……はっ!!」
 ずばぁんっ!!
 右回し蹴り一発。
 それだけで、古いサンドバッグは砂を吐いてしぼんでいった。

 ざーっ。

 ざーっ。

 流れる砂を見つめながら、葵はふうとため息をついた。
「私……これからどうしたらいいんだろう……」
 かつて、葵の目標は綾香であった。
 綾香という目標があったからこそ、格闘技の練習に打ち込めたのだ。
 葵には、その先が見えてこなかった。
 一週間前の大会で好恵を、そして綾香と戦い、勝ったことで、葵は逆に
自分自身が見えなくなったのだ。
 こんなことは、初めてであった。
 初めてだからこそ、どうしたらいいか解らない。
「ここに来れば、何か解ると思ったんたけどな……」
 嬉しくなくはなかった。
 自らの目標を達成した、それこそ綾香に勝ったときはもう、天にも昇る
嬉しさが胸にこみ上げた。
 自分はとうとうやったんだという達成感で一杯だった。
 だがその代わりに今の葵の内にあるものは、虚脱感。
 目標を見失い、何もすることができないのである。
「ふぅ……」
 本堂の階段にゆっくりと腰を下ろす。
 そこから見える風景はほとんど変わらない。昔のままだ。
 ゆっくり、目を閉じてみる。
 風が、木を揺らしてざわめきを起こす。
「やっぱり、ここにいたわね」
「えっ……?」
 不意に聞こえた声に葵が目を開けると、そこには綾香が立っていた。
 なんとなく浮かない表情である。
 葵は、お尻についた砂を払いながら慌てて立ち上がった。
「葵、あんたに言っておかなきゃならないことがあるのよ」
 その綾香の言葉に、一瞬怪訝な表情を見せる葵。
 だが綾香はその葵の様子には構わず、ゆっくりと言葉を続けた。
「あたしね……引退することにしたわ」
 その言葉に瞬時に硬直し、疑問の声をあげる葵。
「……! そんな……どうして!?」
「あ、勘違いしないでね。別にあんたに負けたからって訳じゃないのよ。
あたしも、いつまでも好きなことばかりやってられないってこと。
ちょっと……ううん、かなり寂しいけどね……」
 たしかに、綾香はいくら格闘技の天才とはいえ、その実は来栖川財閥の
次女であるのだ。それなりの振る舞いというものもあるし、いつまでも
好き勝手しているわけにもいかないだろう。
 だが葵は、それでも綾香が格闘技をやめると言うことが信じられなかった。
「で、でもっ! 綾香さん……綾香さんがいないと、私……」
「……甘えてるんじゃないわよ葵。あんただけが唯一私に勝ってるんだから。
私としてもあんたにそう簡単に負けたりされると困るんだってば」
「でも、私は……」
「葵っ!!」
 いまだおろおろとしている葵の肩をがっしと掴み、綾香は強く呼びかけた。
「は……はっ、はいっ!!」
「しゃきっとしなさいしゃきっと! あたしだけじゃなく、好恵も今回で
エクストリームから空手に戻っちゃうのよ!」
「え……好恵さんも!?」
「そう! だからこそ、葵!」
「は、はい!」
「来年も、絶対勝ってよ! あたしと好恵のぶんも頑張って!」
「で、でも……」
 そこにいるのは一週間前まで激闘を繰り広げていた格闘家ではなく、
慕っている先輩の引退宣言に戸惑っている後輩であった。
 葵自身は気づいていなかったが、ひょっとしたら、高校時代の思い出深い
この神社が、その頃の葵の弱さを呼び起こしたのかもしれない。
 そんな葵の様子に困った綾香は、ふといい手を思いついた。
「う〜ん……ほら、葵! 手、手、ちょっと貸してみて!!」
「は、えっ? 手、ですか?」
 葵が右手を差し出すと、綾香はひょいひょいとその手の指を折り畳み、
ジャンケンの『チョキ』の形にしてみせた。
「はい、これ、あたしからの贈り物よ」
「……え? ……これ……じゃんけんですか?」
「違う違う、VサインよVサイン。勝利のV!」
「Vサイン……」
「そ、困ったときはこのサインを出してみて。あたしが駆けつけるから」
「えぇっ!? ど、どうやって出したのわかるんですかっ!?」
「あはははっ、ジョークよジョーク。さすがに行きたいのは山々だけどね。
でも、不安になったらとりあえずそのサイン出してなさい」
「えっと……なにか意味はあるんですか?」
「あるんじゃない? ほら」
 そう言って、綾香は葵を指さした。
「すっかり落ち着いてるじゃない」
「え……あっ、ほんとだ……」
 自分の体をきょろきょろと見回しつつ、葵はびっくりした。
「あんたはいつも元気でいる方が見てても楽しいんだからさ。落ち込むのは
これっきりにしなさい、いい?」
「は、はい! ありがとうございます!」
「よしよし、それじゃまたね、葵。応援には行ったげるから」
「私、頑張ります! 綾香さんもお元気で!」
 ぱたぱたと手を振りながら石段を下りていく綾香。
 程なく、車の発進する音が聞こえ、そしてまた木々のざわめきが耳につく。
 葵は、右手のVサインをしばらく見つめていたが、ぱっと顔を上げる。
 そして高々とその右手を掲げ、決意も新たに高々と叫ぶのだった。
「……ぶいっ!!」
 空は、雲一つなく晴れ渡っていた。


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 ここの掲示板に作品をあげるのは初めてなT-star-reverseです。
 普段はLメモとか書いてます……本家にもちょっとだけありますけど。

 さて、1/19、松原葵ちゃん誕生日記念SSです。
 おはなしの中の状況はちょっと特殊です。
 ゲーム内時間から少なくとも3年は経ってます。葵ちゃんは大学生ですね。
 原作シナリオには……あまり触れないようにしました。
 『晴れのちVサイン』という葵ちゃんのテーマ曲のタイトルが好きで、
(当然、曲も好きですけど)それをベースにして内容を考えてみました。

 LeafのSSを書く限り、またいつか書き込むことでしょう。
 それが来年の1/19にならないことを祈りつつ、これで失礼いたします。