「幸せって何ですか?」 最終章 投稿者: TaS

あかりは夢を見ていた。
夢を見ている、という事を自覚していた。
昔の夢だ。もしかしたら違ったのかもしれないが。
いい夢、だったのだろう。
夢の中で見た自分の表情がそれを物語っていた。
泣いた顔もあったが、でも最後に見た、そして一番印象に残っていたのは笑顔だった。
小さな自分が泣いている光景。そんな自分を助けてくれた人。
それは、あかりが始めてあかりになった瞬間の夢だった。
今、あかりをあかりとして作っているすべてはそこから生まれた。
そしてもう一つ。これはつい最近、たった三日前の夢。
現在の自分が泣いている光景。そんな自分を助けてくれた人達。
それは、あかりがもう一度あかりに戻る事が出来た瞬間の夢だった。
二つの夢は、違う夢でありながら同時に見ていたようにも思えた。
そして、どちらも大切な夢だった。
見ていた夢がなんであったか、それを理解したと同時にあかりの夢の世界は消えていた。
だが、寂しさはない。その代わりに奇妙な安堵感があかりの胸に広がっていた。
そのまま目を閉じ続ける。
意識ははっきりと覚醒しているにもかかわらず、目を閉じたままでいる。
閉ざされた視界は、瞼の上を照らす光によって僅かに明るかった。
何も見えない灰色の世界。
にもかかわらず、あかりには何かが見えたように思えた。
安心したように、あかりの頬が少し緩む。その頬を何かが撫でていった。
同時にあかりの世界が少しだけ暗くなる。
それを感じて、そっと目を開けてみる。
ベンチに腰掛けているあかりを、静かに見下ろしている影。
来栖川芹香、芹香先輩の影だった。



『Hello,My Friend』 幸せって何ですか?



屋上は今日も好天に恵まれている。
僅かに強くなった日差しは、それでもまだ春の香りを強く持っていた。
髪を静かに乱す風は、どこからか運んできた柔らかい香りを乗せている。
昼休みに入って間も無い屋上はまだ人影が少ない。
フェンスを背にしたベンチに腰掛けるあかりと、その目の前に立つ芹香と。
その二つ以外には雲が落とす微かな影だけが動いていた。
あかりが腰掛けている足元には大きなスポーツバッグが置いてある。
芹香はその手に小さな包みを持っている。それをどうする訳でもなく、ただ立っている。
二人の間を蒼い風がながれていた。
そんな中、あかりは不思議な感覚に包まれていた。
目の前に立つ影、それは確かに芹香の物であるのだが・・・
(こんなこと・・・前にもなかったっけ?)
そんな事を考えてしまう。だが、記憶の中にはその風景はない。
目の前の影と、春の日差しと。どちらかが与えたその既視感は、しかしあかりがもう一度
首をかしげる前には柔らかな風に消えていった。
「こんにちわ。」
にこやかなあかりの挨拶に芹香は軽くうなずいて答えるが、そのまま動こうとしない。
あかりもそれを気にせずにただ座っていた。
そのまま僅かな時が流れる。
あかりは静かに芹香を見つめていた。芹香もまた、静かにあかりを見つめていた。
それなりの時間が流れた筈だが、いつもなら混み合うはずの屋上なのに誰一人としてやっ
てこない。それを考えるとほんの僅かな沈黙だったのかもしれない。
どちらにせよ、沈黙には終わりが訪れた。
「貴方は、幸せですか?」
芹香の問い掛けは、小さな声だった。
いつもの声よりは大きく、はっきりとした声だが、それでも聞き逃さなかったのが不思議
なくらいに小さな声だった。
それでもあかりは聞き逃さなかった。
いや、もしかしたら最初から分かっていたのかもしれない。そんな事を考える自分を、あ
まり不思議だとは思わなかった。
その口元には何故か小さな笑みが浮かんでいた。
あかりは、ほんの少しだけ俯いてみせた。
「幸せって何だと思いますか?」
何時からか、あかりの顔は屋上のアスファルトに向けられていた。
そのため芹香からはベンチに腰掛けているあかりの顔は見えない。
だからいきなり返されたそんな声があかりの口から出た物だと気づくまでは若干のタイム
ラグがあった。
「?」
俯いていているあかりを見て、少し首をかしげる。
自分の問い掛けに返されたのは、この少女の問い掛けである。
それに気づくまでの間も、そして気づいてからもあかりを見続けていた。
あかりの肩からは、その俯いている姿勢に相応しい雰囲気 ---寂しさ、或いは悲しさ--- 
といった物は感じられない。
「私考えていたんです。幸せってどういう事なのか、どういう事を幸せって言うのか。」
芹香の視線に気づいているのか、それとも気づいていないのか。俯いたままのあかりは静
かな声で続ける。
「幸せな人がいます。幸せじゃない人もいます。だったら、何が違うんですか?」
問い掛けの形で発せられる声は、しかし何も尋ねてはいない。
ただ自分の中で確認しているだけのように見えた。
「幸せって何ですか?」
その自分の声に引かれるようにあかりは顔を上げた。
あかりの瞳を正面から受けて、芹香は少し驚く。
何に驚いたという訳ではない。あえて言うのであればその瞳そのものにか。
優しい笑みをたたえたその瞳は・・・いつものあかりの瞳だった。


小さな風がながれる。
それを楽しんでいるようなあかりの顔を、その髪が撫でていた。
揺れ動く髪を見て、それからその少し上を見て、芹香は何か思い付いたかのようにあかり
に顔を戻す。その顔にはいつものように表情の動きはない。だが、あかりにはそんな先輩
がどこか嬉しそうに見えた。
「・・・・・・」
「隣、ですか?ええ、どうぞ。」
いきなりな芹香の言葉にあかりは少し戸惑いながらも腰をずらす。元々4、5人は楽に座
れるベンチに対し、今座っているのはあかり一人だけなのだからわざわざそんな事をする
必要はないのだが。
芹香はあかりから一人分離れたところに腰を落ち着ける。手に持った包みをちょこんとひ
ざの上に乗せた。
あかりは何故だか急に気まずいような気分になった。
少し口を開いて、やっぱり閉じてみる。
盗み見るように芹香の顔を覗いてみる。
その視線が、芹香とぴったりあってしまう。
一瞬の空白、そして二人はそろって笑い出す。
あかりは口元に手を当て、くすくすと声を漏らす。
芹香も、ほんの少しだがその表情を緩める。
納まるまでの僅かな時間、二人はただ笑いあっていた。


芹香の髪がなびいている。
それを目の端で捕らえながら、あかりはとても静かな顔をしていた。
ふと、その動きが収まる。
あかりが目をやると、芹香は髪を押さえてあかりの方を見ている。
僅かに笑みの要素を含んだ顔は、しかしいつもの顔とほとんど変わらない。
それから、一拍を置いてから口を開いた。
「・・・・・・」
「貴方は分かったのですか、ですか?」
あかりは芹香の声を噛み締めるように言い返した。ずいぶんと遅くなった受け答えだが、
あかりにはそのタイムラグは気にならなかった。
だが、その言葉を聞いてあかりは少し照れたような、困ったような顔になる。
足元のバッグをひざの上に乗せ、それを少し見る。
それから意を決したかのように顔を上げ、芹香に向き直ると、やっとの思いで、だがはっ
きりとした口調で声を出す。
「わかりません。」
それから小さくうなずく。
うなずいてから膝の上のバッグを大切そうに両手で抱えなおした。
「ずっと考えていたんですけど、答えは出ませんでした。でも・・・」
そこまで言ってあかりは急に口篭もる。
視線を落としたまま何かを言おうとしている。それがうまく形にならないようだ。
それを暫く見つめ、芹香はふと、あかりが何を言おうとしているのかが理解ったように思
えた。


「貴方は幸せですか?」
思いがけない、そしてさっきよりももう少しだけ大きい芹香の声は、あかりを驚かせるに
は十分だったようだ。
だが、その言葉が頭の中に染み込むうちにあかりの顔は眩しく輝いていく。
小さな手をぎゅっと握る。もうその指先は見えない。
芹香の、そしてここにはいない誰かの微笑みが見えたような気がした。
「はい!」
あかりの答えは、青く煙る空に溶けこむように響いていった。







                   了



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TaS:何とか終わりました。どうもこん??わ、TaSでございます。
柳川 :ちょっと待て。
TaS:はい?
柳川 :・・・これで終わりか?
TaS:ええ、そうですよ。
柳川 :いや、「そうですよ」じゃなくってだな。ほんっとうに、これで終わりなのか?
TaS:だからそうですって。
柳川 :・・・これならいっそ前回で終わらせていた方がよかったんじゃないか?
TaS:言わないでくださいよ。大体これ書かなかったら今まで書いてきた意味が無いん
    ですから。
柳川 :そんなに重要なシーンか?
TaS:それはもちろんそうなんですけどね。それ以上にこの話は最後のあかりの笑顔が
    書きたくって始めたんですから。
柳川 :その割にはその描写はほとんど無いな。
TaS:ねぇ・・・何ででしょ?
柳川 :ああ、まぁいい。言い訳でも泣き言でも懺悔でも後悔の叫びでも始めてくれ。
TaS:・・・何でそんなに後ろ向きの語彙しかないんですか?
柳川 :やかましい。貴様はいつもそれしかないだろうが。
TaS:そんな事は・・・いや・・・でも・・・あれは・・・
柳川 :何をぶつぶつと言っている。する事がないのならもう終わりにするぞ。
TaS:そう・・・ですねぇ。あんまりいろいろ書いてもアレなんですけど。大体書き始
        めると本文より長くなりそうで嫌なんですよね(笑)。
柳川 :ふむ、ではやめておくか。
TaS:そうですね。それじゃま、今日の所はこの辺で、TaSでした。