せめてもの I LOVE YOU 投稿者: TaS

鏡の前、その向こう。
寝起きらしい不機嫌な顔が見える。
暫しの間見つめた後に、ゆっくりとした動作で彼女は歯ブラシに手を伸ばした。

ふぅ・・・

溜息、自分でも意識せずに出たそれが辺りに溶けるように消えていく。
ちょっと毛先が開いてきちゃったな。
口には出さずにそんな事を思う。思いながら歯ブラシの毛先を見つめている。

先ほどに更に倍する時間をかけて手にしたチューブの中身を、ゆっくりと歯ブラシの上に
乗せてゆく。
ふと、その手がぶれたのだろうか、練り歯磨きがぽとりと音を立てて流しに落ちた。
「・・・惨め。」
何処も見ていないような瞳で、長岡志保はそう呟いた。


高校を卒業した後、志保は大阪へ引越していた。
親の転勤で、というのが表向きの理由だ。
しかし一人暮らしをする、という選択肢もあったはずだ。
一人暮らしがしたいと前から志保は言っていたし、引越しに際して両親もそれを提案した。
しかし、志保は今大阪にいる。

・・・産み出された後悔と共に。
何故か?
「あかりには勝てないからね。」
嘘。
「あいつにはあかりの方が似合ってるわよ。」
違う。
「あたしがいると、あいつはあかりと付き合えないよ。」
そうじゃない。
全部・・・全部うそ。
わかっているのに、それを声に出す事は出来ない。わかっているのに。
「なんで・・・こんな事になっちゃったんだろ・・・」
そう呟く声が空しい。全部自分が招いた事。それもわかっているのに。
涙も流せない自分が恨めしかった。


ピンポーン

突然部屋に響く呼び鈴の音。
唐突なその音は志保を現実へと呼び戻した。
「へ・・・あっ、はいはーい。」
そんな声を出しながら振り向いた後、自分がまだ顔を洗ってもいない事に気づく。

ピンポーン

「あっ、ちょっと待ってぇ!」
当然そんな声が外まで聞こえる訳も無い。
せめてこれくらいは、と思い冷水を顔にかける。

ピンポーン ピンポーン

続けて鳴らされる音。
「だからちょっと待ってってばぁー!」
両親はもう何処かへ出かけている。
それは前日に聞いていたので志保も承知のしている。
つまり、

ピンポピンポピンポーン

この音を止めるには志保自身が出て行くしかない。
わかっているからこそ焦っているのだ。
しかし、その当人の顔はいまだにタオルに埋まっている。

ピンポピンポピンポピンポーン
ピンポピンポピンポピンポーン

「だ、か、ら、ちょっと待ってって言ってるでしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ついにブチ切れた志保がそんな筋違いの罵声と共に勢い良く玄関のドアを開ける。
その顔にはついさっきまでの悩める少女の面影はない。
しかしその勢いも、ドアの前にいたあまりにも予想外の人物を見た瞬間には消えていた。
「へ・・・智子?」
「志保、あんたもうちょっと早よ出てこれんのか?」
あまりにも予想外の人物、保科智子が皮肉るような、怒ったような、それでいて懐かしげ
な笑みを浮かべながらそこには立っていた。


「ごめんな、急に押しかけて。」
そう言いながら笑っている顔を、志保はまじまじと眺めていた。
保科智子。志保が高校生の時の同級生だ。
同じクラスだったのは一年生の時だけ。だがその当時はお世辞にも仲が良いと呼べるよう
な関係ではなかった。
それが二年生になった頃から彼女は急に明るくなり、周りとも次第に打ち解けていった。
志保とは良く喧嘩もしていたが、それもじゃれあっている程度のもので、けして仲が悪か
った訳ではない。
むしろ一番の友人だったと言ってもいいだろう。
そこに立っている彼女は志保の記憶にある姿より若干変わっているものの保科智子本人で
ある事は間違いなかった。
しかし・・・
「ど、どうしたの?」
彼女は確か東京の大学へ進学したはず。
志保はそんな記憶を引っ張り出しながらやっとそれだけ口に出す事が出来た。
「あのな、人がせっかく会いに来たってのにそれは酷いんやない?」
怒った、というよりは呆れたような顔であっさりとそう返す智子。
「まぁええわ。あ、上がってもええ?」
いまだに惚けた表情の志保にそう言葉をかける。
だが、返事が返ってくるまではもう少し時間が必要だった。


「じゃあ、お父さんに会いに来て・・・」
「そ。まぁついで言うたらなんやけど。」
志保の意識が回復するのを待ってから(智子にしては奇跡的なまでの忍耐である)コーヒ
ーを飲みながらこうやって大まかな説明を終えるまでには、実に2時間もの時が過ぎてい
た。
しかし智子にとってはそんな効率の悪さよりも久々に志保と話す事が出きる方が嬉しいら
しく、その顔は終始明るかった。
志保も久々の親友(というよりも悪友)との会話を楽しんでおり、自然とその話は昔の友
人の事にまで及んだ。
「そっかぁ、雅史はJリーグ目指してんだ。」
「ふふっ、あかりらしいね。」
「へぇ。エクストリーム、ねぇ。」
智子はそれに付き合い次々に答えてゆくのだが、しかし、その声は次第に小さくなってい
った。

「あたしも今大学に通ってんだけどね・・・」
そこまで言った後、志保は目の前の人物の様子がおかしいのに気づく。
俯いたままじっとしている。
気のせいか手の先が震えているようにも見える。
「と、智子どうかしたの?」
少し慌てたような感じで志保が声をかける。
しかし、智子は俯いたまま顔を上げようとすらしない。
「ちょっと智・・・」
「・・・なんでや。」
志保の言葉を遮るように、というよりはまるで聞いていなかったようなタイミングで智子
の声が聞こえる。
それは志保にはあたかも鳴咽のように聞こえた。
「なんで聞かんの・・・」
言ってゆっくりと顔を上げる。
「なんで聞かんのや!!」
それは、
必死の表情。
怒りの表情。
苦悶の表情。
そして何よりも。
なによりも悲しげな表情だった。

「智子・・・?」
戸惑う志保。
高校の時の智子の印象は一言で言えば「クールな女」であった。
喧嘩の時でも、談笑の時でも、喜んでいる時でも、悲しんでいる時でも、あまりその感情
をあけひろげにする事はなかった。
智子がここまで感情的に何かを訴え掛けるなど、とてもにわかに信じられるものではない。
その姿に圧倒されていた志保はつい聞き返してしまった。「何・・・を?」と。
それを聞いた途端、智子は端正な顔を歪ませた。
右手を振り上げ。

パチン

拍子抜けするほどに軽い、乾いた音が部屋に響く。
しかしその音とは違い威力の方はそこそこのものがあったようだ。志保の頬がゆっくりと
朱に染まっていく。
叩いた手を隠すかのように左手で覆いながら、智子は絞り出すような声を上げた。
「あいつは・・・あいつはいつもあんたの事心配しとったのに!あんたはなんで!なん
で・・・」
哀願にも、慟哭にも似たそれは次第に音量を下げ、と同時に智子の首も下がってゆく。
そして完全に声が聞こえなくなった時、智子はバッと視線を上げその瞳を志保に向け、振
り返り、そのまま玄関へと消えていった。
その瞬間、志保は一粒の輝きを見たような気がした。


その場に取り残された志保は、ただ立ち尽くしていた。
頬を押さえる訳でもなく、智子に怒りを向けるでもなく、ただ立っていた。
智子が出ていった玄関を見つめたまま、そのまま暫くの時が過ぎるのを待っていた。

ふと、志保の首がたれる。それと共に小さな、囁くような声が志保の口から零れていった。
「恐かったんだ。」
誰もいない。
「あたしは・・・恐かったんだ。」
誰も答える者などいない。
「あいつが、あかりと付き合うのが。それを見るのが。」
誰も聞く者などいない。
「あいつがあかりの隣で笑っているのが。」
誰も見る者などいない。
「あいつを・・・あいつを好きなあたしが・・・恐かったんだ。」
誰も笑う者などいない。
だから。
だから、志保は思いっきり泣いた。
今まで流せなかった涙の分も。
今まで言えなかった想いの分も。
「う・・・ひっぐ・・・痛いよ・・・うぐ・・・智子ぉ・・・」
志保は思いっきり泣いた。


プルルルルルルルルルルルルル・・・・・・
そんな電子音と、それに続く女性のアナウンス。
そのけたたましい音も、保科智子の耳までは届いていなかった。
「はぁ。」
つい漏れてしまう溜息。
天気が良ければ良いほど。空が蒼ければ蒼いほど。
智子の気分は重たくなっていった。
何を呟くのか口を開く。
しかし、
「はぁ。」
その口から出るのは小さな溜息だけだった。

志保を尋ねてから二日。
その間、久々の故郷だというのにも関わらず彼女の顔から曇りが無くなる事はなかった。
結局何も楽しむ事が出来ず、こうやって帰りの新幹線を待っている。
「・・・どないしよ。」
そんな言葉に意味はない。
ただ溜息に音が付いたという程度のものだ。
見上げた目に空の蒼が眩しい。
その蒼さになにか空しいものを感じながら、しかし空を見上げ続けていた。

「あっ!いたぁ、智子ぉー!!」
急に聞こえた、しかし聞こえるはずの無い声。
腰掛けていたベンチから勢い良く立ち上がり、その声の主を捜す。
しかし、見渡す中に彼女の知り合いの顔は見られない。
「・・・あほくさ。」
当たり前だ。いる訳が無い。
そんな事を言い聞かせるように、多少荒っぽく座り直す智子。
「智子ぉ−!!こっちだってばぁ------!!!」
聞き間違えようの無い、騒がしい声。
急いで顔を上げ、見渡す彼女の視界の真正面に、捜していた顔が大きく手を振っているの
を見つけた。
「志保ぉ!!あんたなんで!?」
志保は、智子の向かいのホームにその姿を見せていた。

「智子ぉ!あたしねぇ!!」
線路をはさんで見える志保の顔は、智子が二日前に見た顔とはまるで違っていた。
なにか吹っ切れたような。なにか大事なものを見つけたような、そんな顔をしていた。
「あたし、大学辞めちゃったぁ!!」
内容自体よりも、その唐突さに驚く智子。
「あたし、ジャーナリストになる!!それも世界一の国際ジャーナリストに!!」
さらに追い討ちを掛けるかのように続ける志保。
興奮のせいか、顔が紅くなっている。
「なんでそんないきなりぃ!!」
そんな智子の問に、志保は一拍おいてから答えた。

「大事なものを大事だって伝える為!!好きな人に好きなんだって言う為に!!だから、
あたし決めたんだ!!」

そこまで言ってから、軽く息を付いて笑いかけてきた志保の顔は。
とても眩しかった。


「だからぁ!!」
志保は続ける。
「だからぁ、これはあいつには言わないでおいてぇ!!」
智子にしてみればこれは予想外の台詞だ。
「なんでや!?別にええやないのぉ!!」
と聞き返してみる。
志保はにやりと、しかし最高の笑顔を浮かべ、こう叫んだ。

	「だぁめぇぇ!!これはね、あたしが伝えるのよ!!

		あたしは、あんたの事が、だーい好きだったって!!!!!」




					了

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TaS:はふぅ、ようやっと終わった。あ、こんばんわ。TaSでございます。
葵  :えっと、何故かアシスタント役に抜擢されました、松原葵です。
TaS:今回なんか妙に時間かかったんですよ。その分内容が良ければいいんですけどね。
葵  :良ければ、ですね。
TaS:うぅ・・・そんな事言わんでください(涙)・・・
葵  :あっあの、そうじゃなくって・・・あっ、何か言わなければならない事があるっ
	て言ってませんでした?
TaS:おうおうおう、そうでした。ええと、私TaSは東京生まれの東京育ちなんです。
葵  :はぁ、それが何か?
TaS:ですから、関西方面の言葉については全然なんです。
葵  :つまり保科先輩の言葉遣いは・・・
TaS:ええ、まったくの出鱈目です。皆様申し訳ありません。TaSはこういういい加
	減な人間なんです。怒らないでください。
葵  :じゃあなんで保科先輩を出すんです?
TaS:いやね、ようするに結局好きなんです。えぇ、ただそれだけ。
	あっ神戸の言葉に詳しい人、もしよろしければご指摘いただけないでしょうか?
	お礼は・・・何も出来ませんが(笑)。
葵  :他力本願・・・
TaS:何か言いましたか?	

葵  :・・・ええと(汗)・・・あっ、そ、そう言えばもう一つ問題がありましたね。
TaS:へ?なんかありましたっけ?
葵  :ほら今週のスピリッツの・・・
TaS:あぁ!『いいひと。』のやつね。
葵  :そうそう、実は『いい人。』のサブタイトルも『せめてもの I LOVE YOU』だっ
	たんですよ。
TaS:あっ、言わなきゃわかんなかったかも。
葵  :そうじゃなくって言い訳するんじゃないんですか?
TaS:言い訳って・・・別にそこからとった訳じゃないんですけど。
葵  :え?じゃあなんでこんな偶然(笑)が?
TaS:なんで笑うかな?えっと、この『せめてもの I LOVE YOU』ってタイトルは実は
	谷村有美の曲のタイトルから取りました。この曲の内容っていうのが志保のお枯
	れた状況とやたらとあっていて私の心の中ではこれは志保のテーマソングって事
	になってます。
葵  :テーマソングって、それじゃ『マイ・フレンド』の立場はどうなるんですか?
TaS:あれは志保のイメージミュージック。納得した?
葵  :・・・納得していいんでしょうか?
TaS:いいのいいの。では本日はこの辺で。この番組はTaSと・・・
葵  :アシスタントの松原葵が勤めさせていただきました。それではまた。