花、散りし後 『後編』 3ed 投稿者: TaS


「私は昔この学校の生徒、OBだったんだ。
・・・その頃、俺には好きな娘がいた。同級生なんだがね、私の事を『長瀬ちゃん』って呼んで。
仲が良かったんだ。恋人同士、という訳じゃあなくって関係としては友達、かな。

「その娘はこの桜が好きでね。その頃は今と違ってこんなに立派な樹じゃなかった。
でもね、『この樹が一番好き』って言って笑うんだ。私はそんな彼女の顔が・・・好きだった。
だけど、言えなかった。そんな事を言って今までのように話せなくなるのが恐かった。だからいつも
そんな彼女をからかって、笑いあって、話し合って・・・いつも場所はこの木の下だったように思う。

「ある日ね、桜の花が綺麗に咲いている日に、彼女は突然『長瀬ちゃん、私の事忘れないでね』って
こう言ったんだ。
いきなりだったんで彼女が何を言いたいのかさっぱりわからない俺の答えは「なんだそれ?」って。
彼女はそれには答えないで桜を見上げていた。
そうかと思ったら『本当はね、この桜の樹、嫌いなんだ。』って言い出しすんだ。
俺は何も言わずに黙っていた。
彼女はそんな俺を気にせずに話を続けていった。。
『だってこの樹一人きりで立ってて寂しそうだよ。ほかのみんなの所に行きたいって言ってるみたいだ。』

「そんな彼女の顔は、いつもの俺の知っている彼女の物じゃないみたいだった。そんな顔は見たくな
かった。だから俺は何か言おうとしたんだ。でも、彼女はそれより早く『だけどね、だからこの樹は
好き。そんなに寂しいのにこうやって花を咲かせてくれる。私はここ、忘れないでってちゃんと言っ
てるんだ。』そう言って俺の方をむいたんだ。
『だから、私もちゃんと言おうと思ったんだ。』そう言ってから彼女は走っていってしまった。

「それが・・・生きている彼女を見た最後だった。病気、だったらしいよ。結局彼女の遺言だったん
だろう、あれは。俺は、それに答える事も出来なかったんだ・・・」


そこまで話してから、源一郎はゆっくりと桜の樹を見上げる。
「この桜の樹に彫ったのは・・・」
祐介は何も言わない。源一郎の話に集中しているようにも、何かを考えているようにも見える。
「彫ったのは俺の心、削ったのも俺の心だ。」

祐介は何も言わない、源一郎も。何かを探すかのように桜の樹を見上げている。
暫くの時が過ぎた後源一郎の顔に目を向けた祐介はゆっくりと口を開いた。
「忘れて、いたんですか?」
その言葉は、源一郎だけに向けられたものではない。
「・・・忘れたいと思った。思っていた。でも、彼女は望んでいた・・・」
そう呟く源一郎に向けて、祐介は小さな木箱を手渡した。

「・・・これは?」
訝しげな視線を源一郎は甥に向ける。
祐介は何も言わずに再びその視線を樹へと向ける。
返答をあきらめた源一郎がその箱に手をかけようとした時、祐介は一言
「それは、この樹に埋まっていた想いです。」とだけ答えた。

源一郎は躊躇っていた。この箱を開けていいのか、俺にその資格はあるのか。
だから、その箱をじっくりと見ていた。祐介は、ただ葉桜を見ていた。
そのうち、源一郎はその木箱の奇妙な感触に気づいた。
妙にざらざらしている。それに若干湿っているようにも思う。
ふと気がついた源一郎は先ほど祐介がしゃがみこんでいたあたり・・・桜の樹の根本を見やる。
そこには僅かに掘り返した後。
そして先ほどの祐介の言葉を思い出し、源一郎は、ゆっくりとその箱を開けた。