花、散りし後『前編』 投稿者:TaS

青い空。
口の悪いものなら”間の抜けた”とでも表現しそうな、ただただ青いだけの5月の終わりの空を長瀬祐介
はひたすらに眺めていた。
あれから、”あの事件”から最早4ヶ月が経過しようとしている。
桜も花の時を終え、今はその緑を日々色濃くしていた。
その間、長瀬祐介がこの屋上で空を見ていた時間というのはけして短いものではなかった。
しかし・・・
「涙・・・か」
そうつぶやく祐介の頬が、涙に濡れる事はなかった。

”あの事件”
太田香奈子に始まり、5人の人間を病院に送り込んだ事件は、しかしその真相を知るものは現在、この
学校には一人しか居ない。5人もの”壊れた”人間が出てきてしまったのだ、学校側にしてもあまり深く
追求して公になるような事は避けたいというのが本音なのだろう。その事件は意外なまでにあっけなく
葬り去られた。

祐介の記憶を除いては。

   狂気との邂逅、屋上での出会い。真紅の屋上、月光の時間・・・・・・
   淫靡の饗宴、魔王の狼狽。共有する時間、共鳴する精神・・・・・・
   封じられた過去、封じたココロ。零れた歯車、零れた雫・・・・・・

すべては現実であった。
歴史に残るような真実でも、只そこのあるだけの事実でもなく。
祐介には、それらを忘れる事など出来なかった。出来るわけがなかった。
なぜなら、彼の最愛の人の姿は、その記憶の中にのみ、その姿を見せたのだから。
その姿を、その言葉を思い出し、その度にこの屋上で涙を流していた。

だが、ここしばらくの間、彼は屋上には来るものの涙を流さずに、只空を見ているだけの日が多くなった。
「なんでだ・・・?」
そう呟く声にも力はない。
思い当たる事は、ある。

彼も屋上へ来るためだけに毎日学校へ来ているわけではない。他の生徒と同じように学園での生活を
過ごしている。ただ、以前の、色を失っていた頃の祐介よりも積極的になっている。
”現実”に対して前向きになった、とでも言うのだろうか、祐介は現在では”あの事件”によって壊滅
状態になった生徒会の副会長も勤めている。そういった、忙しいがそれなりに充実した日々を送ってい
るうちに祐介は自分が笑っている事に気がついた。

笑っている。
笑う事が出来る。
そんな自分は、もしかしたらあの事件の事を、あの人の事を・・・

   忘れかけているのでは?

認めない、認めてはいけない事だと祐介の理性が警告を発する。
ならば何故自分は笑う事が出来るのか?
何故自分の目には、涙が浮かんでこないのか?
祐介に、その問に答える事は出来なかった。
その目に、一本の新緑が映っていた。


「つまりだ、おまえは真面目すぎるんだよ。」
「はぁ・・・」
そんなあいまいな答えを返す祐介。
ここは職員室。中には祐介とその叔父、源一郎の二人だけがいた。
「わざわざこんな・・・まぁちょっとこっち来て座りなさい、立ち話もなんだし。」
「でも・・・」
「いいから、ほら、ここ座っていいから。」
そう言いながら自分の向かいの席をひく源一郎。祐介は軽く息をついてからその席に座った。
「お茶飲む?それともコーヒーの方がいいかな?」
「いや、僕は・・・」
「いーの、俺が飲みたいんだから。お茶でいいね。」
そう、強引に言い切って手早くお茶を入れる源一郎。その妙に手際のいい姿を見ながら、祐介はもう一
度嘆息していた。

「えっと、何の話だっけ?」
そんな事を呟きながら「宮島」とかかれた湯呑みを祐介に手渡す源一郎。
「だからそのプリントを・・・」
「そうじゃなくって、おまえが真面目すぎるって話でしょ。こんなの一々担当の職員に見せるほどのモン
でも無いだろうに。」
答えかける祐介を、先ほど渡されたプリントをひらひらと揺らしながら遮る源一郎。
「だからって・・・」
「だから、そういうところが真面目すぎるって言ってるんだ。ほんと、そういう所も兄貴にそっくりだよ。」
ワザとらしい音を立ててお茶を飲みながら、また源一郎が遮る。
ちなみにこっちは明らかに寿司屋のものらしい湯呑みである。
「ま、それを悪いとは言わんが、多少の融通は利いた方がいいんじゃないか?」
「融通・・・ですか?」
手の中の湯呑みをわずかに揺らしながら、祐介は返事というよりは只そのままに返した。
「そ。とはいえ、おまえみたいな人間が生徒会の副会長をやっているってのはありがたい事だけどな。」
「担当の職員が楽を出来るから、でしょう?」
どうも自分はからかわれているのではないか、そんな気がした祐介はわざと皮肉っぽくそんな事を口に
する、が
「そ、つまりはそういう事だよ。」
にっこりと笑って答える源一郎。
こういう事に関しては未だ祐介の敵う相手ではなかった。

しばしの間黙ってお茶を飲んでいた二人だったが、源一郎は自分の前の甥を見ながらふと思い出した
ように呟いた。
「そういえば聞いていなかったな。」
「何をです?」
湯呑みと下唇が触れるかどうかという所で止めたまま祐介はゆっくりと答える。
「おまえが生徒会に立候補した理由だよ。」
そう答える源一郎の瞳は、先ほどよりは若干強い光を帯びている。しかし、
「・・・なんとなく、ですよ。」
祐介の瞳は、自分の湯呑みの中から出ようとはしない。
「なんとなく・・・か。」
そう呟きながら窓の外に目を向ける源一郎。
その先には緑の花を満開にさせた桜の樹の一つがあった。


結局の所、何故生徒会に入ったのかといわれてはっきりと言葉に出来るような理由は祐介には
なかった。ただ、何かをしたかった。それが一番大きな理由なのかもしれない。
「何でもよかったんだな。」
そう、ささやくように声に出しながら祐介は生徒会室の扉を開けた。
「あれ、祐介さんまだ帰ってなかったんですか?」
かけられた声に顔を向ける祐介。そこには眼鏡をかけたショートカットの少女、藍原瑞穂がいた。
「うん、ちょっと用事があってね。瑞穂ちゃんは?」
「私は・・・」
そう言って口篭もる瑞穂。その手元には幾冊かのノートかあった。
生徒会の議事録、というわけではなさそうだ。
「そうか・・・もうすぐ中間テストだっけ。」
「ええ、それでノートの整理をしていたんです。」
「でも・・・わざわざ学校で?」
当然湧いてくる疑問。
「ええと・・・今日貸してくれって言う友達がいて・・・それで・・・」
そう答える瑞穂の声はどんどんと小さくなっていった。
「あ・・・そ、そう。」
祐介には自分でも間が抜けているとしか思えない答えしか出来なかった。
冷静に考えれば恥ずかしい事をしているわけではないのだから、もう少し堂々としてもいいのだろうが、
「そ、それじゃ、邪魔したら悪いかな。僕はもう・・・」
その場の雰囲気に耐え兼ねたかのようにそう逃げようとする祐介に
「あ、もうほとんど終わったんで、一休みしようかと思ったんです。コーヒー、飲みますか?」
そう答える瑞穂。
・・・結局祐介には断れなかった。

「でも・・・なんでここにはコーヒーメーカーなんか在るんだろう?」
以前から感じていた素朴な疑問を祐介が口にする。
「何でも私たちの3つ上の先輩が家から持ってきたそうですよ。」
「へぇ。でも先生とかに何か言われなかったの?」
「さぁ?あ、祐介さんお砂糖とミルクはどうしますか?」
そうやって喋っているうちに先ほどまでの訳のわからない恥ずかしさは何とか消えたようだ。
そのまま二人はしばらく雑談に花を咲かせていた。
瑞穂は、元々多少人見知りをする性質なのだが、なぜか祐介とは良く話をする。
もしかするとあの事件のときの記憶が無意識に働きかけているのかもしれない。
祐介が生徒会に入ってから、仕事を一つ一つ丁寧に教えてくれたのも瑞穂だった。
香奈子の記憶だけは残っており、週一回は見舞いに行くのだが、その次の日以外は笑顔でいる事も多
くなってきた。
そんな瑞穂の顔を見るのは祐介も嫌いではなかった。

「幽霊?」
怪訝な顔で聞き返す祐介。
瑞穂はマグカップに口をつけたままこくんと頷き、
「ええ、知りませんか?」
と続けた。
「それって第二体育館の近くの桜の木に出るって言う?」
「ええ、そうですよ。あ、祐介さんコーヒーお代わりいかがです?」
「あ、ありがとう。」
そう答えてから祐介は
「でもそれってもうだいぶ前の噂じゃない。」
と、続ける。
しかし、祐介のカップを受け取った瑞穂は平然と、
「それって確か今年の初め頃の事でしょう?そのすぐ側でおんなじ様な話があるんです。」 
と、言う。
「すぐ側って?」
尋ねる祐介に、瑞穂はマグカップを渡しながら
「あれですよ。」
と、窓を指差す。
その先には、第二体育館を囲む桜並木からわずかに外れた所に立つ一本の桜があった。
「あれは・・・」
見覚えがある。
自分の通っている学校に生えている樹だから、と以前につい先ほど屋上で目に留まった樹であるとい
だけの事である。
「幽霊の出る樹、ねぇ・・・」
そう呟く祐介の声に、樹はわずかに身を震わせた。




								続く


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どーも、皆様方に置かれましてはご機嫌麗しゅう、TaSでございます。
今回は雫SSって事で書いてみましたが・・・続き物かい。
本当はあんまり長くはしたくなかったんですが。
それはともかく、今回いくつか勝手に設定をしている所があったりして(祐介が生徒会副会長に
なっていることとか)その辺はどうか広い心で見逃してやってください。

では、また後編で(中編が出てきたりして(笑))