起動(機動)武闘伝L 投稿者:Rune


 男は森を歩いていた。今はもう、見えない筈の後ろの光景から、なおも逃れようとして。
 それはもう、何年の昔であったろう。その歳月に、男の何が癒やされたろう。
 傷口は今もなお開いている。そこは涙が絶え間なく溢れ、こぼれ落ちる夜の世界。月明
かりさえ届かぬ闇の底。星煌めきすら呪われた虚無の果て。
 男は、それでも、死を望まなかった。もっともそれは、単に生に甘んじるという表現の
方がまだしっくりいきそうな、ひどく弱々しいものだったのだが……
 男は裁きを求めていた。
 男は償いを求めていた。
 男は……
 唐突に口許を押さえる。今では微かな諦めとともに受け入れてしまった感覚。そう、今、
それがこみ上げてくる……
 どす黒くさえある液体を一通り吐く。それは、彼の愛していた(愛している?)大地を
彼の魂と同じ色に染め上げた。昏い朱。
 何かを呟こうとした。
 結局、その言葉は喉の奥に押し込められる。男はいつの間にかついていた膝を払いもせ
ずに立ち上がり、歩き出す。
 その先に、何があるか男は知らない。
 ただ、漠然とした予感は抱いていたかも知れない。あの光景を直視できる程の力を得る
出会い。救い。終末。始まり。そういったものを、既に走り出していた一片の狂気が知っ
ていたのかも、知れない。
 雨が降っている。
 木々が悲痛な声で喋り出す。
 男はそれをどこか欠けた表情で、真摯にそれを、胸に、肩に、背中に。刻み込む……
 男の名は長瀬。
 マスターの二つ名を持つ、世界最強の男である。

「この男の人をご存じありませんか?」
 マントから差し出された写真を一瞥。それで、ホームレス風の男は肩をすくめて、また
数秒前と同じように路地に視線を落とす。
「そう、ですか……」
 男にいくばくかを握らせて、彼女は赤いマントを翻し、雑踏の中に戻る。
 頬の絆創膏が湿っていくのを彼女は感じていた。
 空は、一口で言えば、暗い。昼だというのに曇天は街を憂鬱にさせていた。
 人々の表情にも、何処かしら覇気がない。活気がない。
 それはおそらく天候のためと、空元気を出すくらいの言い訳さえ誰も信じようとはしな
いだろう。彼女はその中で目頭を拭おうともせず、か細い声で呟いた。
「先輩……何処にいるんですか……?」

 赤いマントを見つけて、あかり・カミギシは近寄っていった。
「葵ちゃん……」
「あっ、カミギシ先輩」
 静かな酒場である。そこそこ高級で、荒くれ者の類がいない酒場。
 そこのテーブルで、注文も取らず葵はぼんやりとしていたのだった。
 二人の視線が交錯する。そこには一枚の写真。
「やっぱり、浩之ちゃんは……」
 あかりの問いに、彼女は力無く首を振った。
「……そう」
 あかりの方も勿論駄目だったのだろう。雰囲気が、重くなる。
 いけない。
 葵は心に喝を入れた。
 二人でコンビを組んだ日から、専らムードを引っ張っていくのは葵の方だった。
  前々から彼女は積極的だったわけではない。
 むしろ、格闘技以外のことに関しては、葵はかなり消極的な傾向があった。それは、単
に多感な時期を格闘技の修練にのみ費やしていたからなのだろうが……
 葵はあの条件を突きつけられた日から、できるだけ外向的になろうとしていた。
「……それはそうと、次の対戦はどうなるんでしょうか?」
「あ、うん……」
 あかりはバッグから手帳を取り出すと、少しでも落ち込んだ気分から這い出すために、
少し大袈裟な身振りでそれをぱらぱらとめくった。
「ええと……明後日の15:00から始まることになってる。対戦相手はネオモンゴルの
ハシモト選手だよ」
「ハシモトさん……ですね」
「ルールはHMXファイト連合協会の規則に基づいて行われるみたい。会場は……」
「あ。それは大丈夫です。ここに戻ってきますから。何時頃までに戻ってくればいいですか?」
「ええっと……整備のことなんかもあるから、10時くらいには戻ってきてくれればいい
かな。それよりも……」
 あかりは言葉を切って、葵を心配そうに見やった。
「葵ちゃん……やっぱり、外に行くの?」
「はい」
 この街は現在、極端に治安が悪い。
 対戦相手のハシモトをバックアップしている組織が、この街を牛耳っているのだ。
 当然、ハシモトの対戦相手である彼女を快くは思っていないだろう。
 彼らが直接的な手段に出たら?
 葵が無事に切り抜けられるという具体的な保証は何一つない。
 あかりは、葵を止めなくてはならない立場だった。葵のHMX専属のメカニックとして。
 彼女のパートナーとして。
  しかし、あかりは葵が、一度決めたことをなかなか翻さない性格であることを知っている。
彼女を止めることはできない。そして、彼女の気持ちもまた、葵に同調していたのだった。
勿論、それは弱さ以外の何者でもないのだが……
「うん。じゃあ、明後日、ロビーで待ってるね」
 笑顔で、あかりは席を立った。

 葵・マツバラくんだね?
 はい
 事の成り行きは理解っているね?
 はい
 では、本題に入ろう……我々の出す条件は二つだ
 ……………………
 一つ目はあの忌まわしきD・HMXを発見し、これを回収すること
 ……………………
 その際、我々としてはパイロットの生死までは問わないがね……それはおくとして
 ……………………
 もう一つが、君の提示した条件そのままだ
 ……………………
 HMXファイトで、このネオジャパンを優勝へと導くこと
 ……………………
 君と、我が国の粋を誇るHMX−9821なら可能だろう
 ……………………
 これを満たせば、反逆者、浩之・フジタを特別恩赦し
 ……………………
 それに荷担した彼の両親も冷凍刑から免ずることとしよう
 ……………………
 ……………………
 ……………………

「そこの女! 止まれ!」
 葵は立ち止まった。
 ゆっくりと振り返る。
「何ですか……?」
「何ですか、じゃねえ! ここは俺らの縄張りだ! 余所者が入って来るんじゃねえ!」
 暗い路地裏。というわけでもないのだが、少し大通りを外れた処。2番街とでもいったところか。
夕刻にはまだ時間があるはずだが、どの店もシャッターが下ろされていた。
 少年たちが手に手に得物を持っている。その数、ざっと6人。
 唾を路上に吐き捨てて、喚くようにその後を続けた。
「奴らに伝えとけ! 妙なちょっかいは出させねえってな!」
  言いながら、リーダー格の少年が鉄の棒を腰の左側に携えて走り出す。
 他の五人がそれに続いた。
(迷ったら駄目)
 自分に言い聞かせてゆっくりと葵が動き出す。前へ。右の拳だけを握り、極めて自然体
で先頭の少年に、やや左側頭の位置を取る。
 少年が何事か罵声とともに横に棒を薙ぐ。
 一閃。
  尋常でないスピードで放たれた葵の左ハイが少年の側頭部を捉えていた。
 弾けるように少年の側頭部が振動する。両手からすっぽ抜けた鉄棒が耳障りな音をたて
る前に葵は左ハイからの体勢を立て直し、ゆらりと左肩から更に後続へと間合いを詰める。
 チェーンを持った少年がこちらの動きに一番早く反応した。
(この人が先)
 葵は既にチェーンの間合いに入っている。だが、防御しては他の人間にまでチャンスを与える……
(攻撃される前に叩く)
 右足がその思考に同時に反応し、地面との間に猛烈な反発力を生み出す。
 直線的な軌道。体勢の低い葵はそのままチェーン使いの腹部に体重と瞬発力をのせた肘を叩き込む。
(残るは四人……)
 肘からさらに跳ね上げた拳で顎を捉えた。そのまま仰向けに転倒させる。その転倒の姿
を確認しないまま、今度も視線を一番近い目標に移す。確認した瞬間には左ハイ。
 残る三人は呆気にとられた様子で攻撃も満足にできないようだった。
(数の暴力はある程度の連係がなければ本当の力を発揮しない)
  彼女の師が教えたことの一つだった。
 そのまま、さらに追撃を重ねようとして……
 ……………………
(これじゃ、武闘家というよりも喧嘩じゃない)
 どこかで、もう一人の彼女が悲痛な叫び声をあげた。

「そうか。悪かったな」
 事の次第を聞いた男は、真っ先にそう謝罪した。
 奥では、彼女の叩きのめした三人がそれぞれ夢を見ている。
 残る三人はばつの悪そうな顔で壁際に突っ立っていた。
「ったく、お前ら。そーゆー物騒なことはよせと言った筈だぞ」
「だってよ、センセ」
「やかあしい」
 半眼で呟くと、手で弄んでいた手術用のメスを口答えした少年に投げつけた。
 ひえ、という声をあげて首をすくめた少年の頭の頂点ぎりぎりで、それは壁に尽き立つ。
「おまえらの気持ちは理解らんでもない。だが、だからといってこちらから暴力を仕掛け
ていい理由にはならんぞ」
 男(医者なのだろう、おそらく)が言った言葉。
 それが妙に葵の心を突き刺した。
 自分は、あの瞬間、高揚していた。あれは、紛れもない暴力だ。彼女はそんなつもりで
格闘技を始めたつもりではない。強さと暴力は本質を異にするものだ。
 しかるに、あの瞬間、残る三人も叩き伏せようとした自分に嫌悪を感じた。あの瞬間で
決着はついていたはずだ。暴力を振るうことで自分を誤魔化そうとしていた。「調査」が
進まない苛立ちを晴らそうとしていた……
 唇を噛む葵を見て、医者がまあまあと宥める。
「大丈夫だよ。心配せんでも半日もすりゃあぴんぴんして何もかも忘れちまうだろぜ。
 まあ、そもそも自業自得なんだしな、あいつらは」
 葵は黙ったままだった。
「しっかし、まあ、大したものだねえ。HMXファイターってのはみんなそんなに強い訳か」
「なっいいいいいいいいいいい!?」
「まじぇええええええええええ!?」
「ほ、ほんとかよそれ、センセ!?」
「やっぱ知らんで喧嘩売っとったのか……おまえら……」
「だって、HMXファイターっつったら国の代表で闘う選手のことだろ!?」
「じゃあ、このねーちゃんすげえエリートじゃねーか!」
「確か何年かに一回のトーナメントで優勝した国が世界を支配するんだよな!」
 やたら説明臭い台詞が診察室を飛び交う。
「新聞くらい読めよ。お前ら。
 ……確か今大会の有力候補の一人だぞ。ネオジャパン代表だったよな?」
 同意を求めるドクターに、葵は一応頷いた。
 そして、立ち上がる。壁に掛けておいたマントに歩み寄り、手早く羽織った。
「もうそろそろお暇します。あの、お代の方は……」
「いらん。むしろあんたに頭下げなくちゃいかんくらいだ。
 ……本当に悪かったな」
 どうやら、医者は少年たちの教育もみているようだった。
 もう一度、深々と頭を下げる。
「もし良かったら、また来てくれ。次はお茶請けでも用意しておくからな」
 そう言って右手を差し出した時。
「あれえ?」
 少年の一人が素っ頓狂な声をあげた。
 そちらを見やると、少年が写真を拾い上げている。
「あ、すみません……それ」
 返して下さい、そう言おうとした時だった。
「これ、フジタの奴じゃねーか?」
「あ。似てる似てる」
「だよな」
 葵は大きく目を見開いた。
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 うわあ。何かひどいダークな話じゃあ(笑)。
 しかも連載になってるう(多分前後編で終わるだろーけど)。
 本当は明るくギャグだけ放り込むつもりだったのに、気負いすぎたかなー(反省)。
 葵ちゃんファンの方、すみません。
 芹香せんぱいがキャラクター最優秀賞で、
 マルチっちがシナリオ最優秀賞、次点が志保と葵ちゃんとゆー何様じゃお前はって奴ですが、
  どーしてもこれが書きたかったんです。
 まさかここまで自己嫌悪に陥る葵ちゃんを書く羽目になるとは思いもしなかったけど。
 力量不足ですね。でも、次(あるわけ……?)は絶対ギャグで通します!

 久々野彰さま:わあ! 岬の楼閣う(笑)!
        ぜえったい、ぜったい誰かやると思いましたが、きてますねー(笑)。
        黒魔術師殿まで言わせるとは。芹香せんぱいがいたらなおまっちですね。
                いやあ、こんなにげらげら笑ったのは久しぶりです(にこっ)。
        ところで、こっちに感想書いていいんですよ……ね?

 新米ですう。寂しげですう。こき使ってやってくださいい。
 暇があったらまた来ますう。海さーん、さよおならあー(今更?)。