メカミステリ/密室(sideA) 投稿者:NTTT 投稿日:10月12日(木)20時08分
ドン、ドン、ドン…

その音の響きは、目の詰まったカーペットの上を渡り、しだいに吸い込まれて、消えていく。

ドン、ドン、ドン、ドン…

ホテルの一室。小さな椅子の上で、メイドロボは、目を開けた。
センサーが、即座に音の出所を察知し、その方向に目の焦点が合わされる。正面にあるドアを誰かが
叩いているのだと、メイドロボの頭脳が判断するのは、一瞬だった。

「どなたですか?」
「警察だ、早くドアを開けろ!」

「警察」という言葉で、メイドロボの脳裏には、その基本設定から、数々の命令が浮かび上がる。

曰く、違法行為、特に刑法上の物は、それを犯すべからず。
曰く、ユーザーから特に命令されていない限り、警察には協力すべし。

等、等、一般社会でメイドロボが危険視されないための、いくつもの基本的なルール。

ドアを開けるために、メイドロボは、その腕からケーブルを抜いて、立ち上がった。
ケーブルの反対側は、小さなテーブルの上、ノートパソコンに繋がれている。
テーブルの上には、ノートパソコンの他に、使われていないクリスタルの灰皿があり、その中に、無造
作に置かれた、アクリル性の、細長い緑色の四角柱。
四角柱は、キーホルダー。その先端には、リングで鍵が繋がれている。

ルームナンバーの刻印は、それがある面を下にしてあるのだろう、今は見えない。

立ち上がり、ドアに向かおうとして、メイドロボは歩みを止めた。
カーペットの上に横たわる、今はもう、物体と化したそれ。
メイドロボは、それの傍にひざまずき、緊急事態用マニュアルの通りに、その手首を取る。だが、指
先の敏感なセンサーには、ごく小さな脈動さえ伝わらなかった。

「部屋の中で、人が死んでいます」
「なんだと!早くここを開けろ!!」

メイドロボがノブのつまみを捻る。カチリという音の響きが終わらぬうちに、ドアは荒々しい音と共に
開かれ、一人の男が転がり込むように、部屋に入ってきた。

「警察の方とおっしゃいましたが」
「ああ、そうだ」

メイドロボは、即座に「警察及び警察官への対応マニュアル」を基本設定から呼び出す。
マニュアルによれば、まず、確認をしなければならない。警察官という身分を詐称する者もいるからだ。
メイドロボは、人間に危害を加えることを許されてはいないが、害意ある人間、また、害を及ぼすと考
えられる事物からは、自らを守らなければならない。この条項は、基本設定内でも、かなりの上位に
位置する。

「手帳をお見せください」

男が出した手帳は、メイドロボの基本設定にあるデータと一致し、メイドロボは男に一礼する。
だが、男はそれには目もくれず、メイドロボを押し返すように部屋の中へと下がらせ、そのまま、横た
わっている死体のもとに向かった。

「どういうことだ、これは!」
「わかりません」
「何があったんだ!正直に答えろ!!」
「本当に、わからないのです」
「そんなはずがあるか!!」
「私は、今から約2分前に、自己による初期フォーマットを行い、再機動したのです。そのため、それ
以前の記憶はありません」
「待て、この部屋にはこいつとお前の他には誰もいないんだぞ」
「見たところ、そのようです」
「じゃあ、こいつを殺したのは、誰だ?」
「わかりません」
「わからんで済むかよ!!」

男は、部屋の中を見渡した。その視線が、部屋の奥の小さなテーブル上に向けられる。即座に男の
瞳が鋭く引き絞られ、部屋のあちこちにせわしなく、移動していく。

男は、窓の掛け金、バスルーム、クロゼット、ベッドの下と、覗きこんでいく。最後に、テーブルの上に
屈みこみ、一本の鍵をとりあげた。

「これは、何だ」
「鍵のようです」
「そんなことは解ってる。これはこの部屋の鍵だ。見ろ、516とナンバーが打ってある」
「はい」
「この部屋の窓には内側から鍵がかかってるし、隠れられる場所は全て調べた。バスルームの天井
裏は、どこにも逃げられん構造になってる。まあ、ホテルなんてのは、たいがいそうだがな」
「そうですか」
「と、なるとだ、犯人はただ一人だけだ」
「はい」
「お前だよ!!」
「それは、ありえません」
「じゃあ、他に誰がこいつを絞め殺すってんだ、言ってみろ!!」
「それは…わかりません」

そのメイドロボが、そのような窮地に落ちいったのは、生まれてから(いわゆる、工場で製造され、出
荷されてからということだが)、初めてのことだった。



「つまり、密室だったわけだな?」
「そう、だから不思議なんだ。どう考えても、そのメイドロボが犯人としか、思えない」
「そ、そんなこと、妹たちは、絶対しないですー!」

たとえば、内側から鍵のかかった部屋が、あるとするよな。合鍵も、秘密の抜け穴とかも、ない部屋
だ。で、そこに他殺死体と、メイドロボ一体がいたら、どう思う?ま、普通、考えられねえよな、そんな
シチュエーション。

だが、実際にそういう状況があるんだから、世の中は不思議だ。


「殺されたのは、いわゆる、これ関係の男だった」
オッサンは人差し指で、自分の頬を、すっと斜めに撫でた。
「ひげそり関係ですかー」
「「違う」」

「…暴力団の、方だったんですかー」
「うん。とはいっても、おとなしい仕事をしてたほうでね。傘下の金融屋を任されて、組の金を洗濯した
り、税務対策や会計監査をしたりしていたそうだ。総会屋業務の為に、株式情報も集めてたっていう話
だし、いわゆる凄腕の金庫番だね。うちの研究室に来てくれりゃ、部課長待遇で出迎えたいとこだ」
「あの…お金の洗濯って、どうすればいいんですかー?この前、ご主人様のジーンズにお札が入ってた
のを、知らずに洗濯機にかけちゃって、マルチ、いっぱい怒られたですー」
「いや、そういう意味の洗濯じゃねえんだよ。後で詳しく教えてやるから」
「藤田君、あんまり、そういうのに詳しくなられるのも、ちょっと困るんだがねえ…メイドロボは、犯罪捜
査のためにあるわけじゃないんだよ」
「なら、事件が起こるたびに、俺たちを呼ぶなよ!」


「でね、元々は堅気の勤め人だったんだよ、その被害者。色々わけありで組員にされちゃったんだけ
ど、組に入ってからだって、暴力行為とは全く縁がなかった。本当に、経済畑だけでしか活動できな
いタイプで、暴力に対して、極端に弱いほうだった。だもんで、前々から組を抜けたかったらしいんだ
が、最近、派閥争いが組内で起こったんで、とうとう決心したらしい。ただ、内部情報を知り過ぎてる
分、組もあっさりとは離してくれそうにない。頭の中に詳しい日付やら金額やら、かなりヤバい取引な
んかの流れも、正確に記憶してたそうだしね」
「で、警察に相談したわけか」
「警察のほうでも、ちょうど内偵を進めてた捜査員がいたんで、極秘に連絡をとることになった。後の
報復が怖いからねえ」
「それで、問題のビジネスホテルか」
「そ。最初の取引が、そこで行われる予定だった。警察が彼を保護するに足りるだけの情報をそこで
提供する手筈になってて、警察はそいつでもって検察を説得する予定になってたわけだ」
「しかし、ちゃんと保護してもらえるのかよ。どこまでも追ってきそうだぜ」
「独り者だったから、いざとなったら外国に逃げる算段もしてたそうだよ。組で働きながら、3ケ国語くら
いは話せるように勉強もしてたし、普段からパスポートを身につけてた。殺された時も、死体の内ポケッ
トに入ってたそうだ。逃走資金の方も、少しづつ組の金をちょろまかして、株の取引なんかで、どこにも
穴を開けずに、相当増やしたらしい。本人が金庫番だから、帳尻に不足もないし、全く、見上げたものだ。
見習いたいもんだね」
「危ねえ事言ってるなあ。あ、でも、問題のメイドロボはどうして事件に巻き込まれたんだ?ホテルで
使ってたのか?」
「そんな高級なホテルじゃないし、大体、メイドロボを使うホテルなんて、そうそうないよ。ホテル関係
の労組はかなり力が強いから、メイドロボを使うとこなんて、せいぜいがラブホテルくらいさ」
「ラブホテルですかー、素敵な名前のホテルですー」
「そうだな。マルチ、今度、連れてって…」
「…藤田君、事件の話を進めたいんだが、ど・う・か・な?」
「しゅ、主任さん、なんだか目が怖いですー」


「事件のあったホテルは、場末のかなり貧相なビジネスホテルで、メイドロボを購入したりリースしても
らう余裕なんか、なかった。メイドロボは、被害者が連れてきたのさ」
「そんな会合に連れていっても、しょうがねえんじゃねえのか?記録用ってことかな?」
「下手に後に残るような記録は、しない方がいいんじゃないかな、こういう場合。被害者がメイドロボを連
れてきた理由は、安全のためにということだったのさ。ホテルで待っていた捜査員相手に、そう説明してる」
「安全、ですかー」
「ま、君達も被害者の連れてきたメイドロボを見れば、納得するだろうね。普通の私服に、茶髪のカツ
ラ、耳カバーも外してたんだよ」
「なるほど、一人でそんな場末のホテルに入るより、女連れのほうが、怪しまれねえもんな」
「組からの尾行を、かなり気にしてたそうだからね。それに、もしもの時には…」

オッサンは、マルチには見えないようにして、指でピストルの形を作ってみせた。
確かに、メイドロボなら、遠慮なく弾よけにできるかもな。でも…

「ご主人様、どうしたんですかぁ?」
「いや、なんでもねえ。で、それからどうなったんだ。確か、死因は絞殺だったんだろ?しかも密室で」
「ああ、絞殺だ。凶器は被害者が締めてたネクタイを、そのまま使ってる。暴行を受けた跡もあって、
そんな風だから、計画的な犯行って感じじゃないんだが、問題は…」
「密室か…」


「警察は、二人の捜査員を用意した。それ以上の人数を動かすのは、かえって目立つ。被害者よりも
先にホテルに着いて、偽名で一部屋をとって、被害者の到着を待ってたんだ。で、やってきた被害者
は、やっぱり偽名でその隣の部屋をとった」
「用心深いな」
「それが被害者からの要請だったんだ。あとで誰かが宿泊簿を調べないとも限らんしね。で、取引に
なるかと思われたんだが、捜査員の部屋にやってきた被害者は、かなり神経質になっててね、ホテ
ルの周囲を念のために、調べて欲しいと言いだした」
「ホントに、用心深い人だったんですねー」
「ま、裏切る相手が相手だ。実際、誰かに尾行されてたような気がしたし、ホテルに入る時にも、視線
を感じたって言うもんだから、捜査員二人は、こっそり部屋の窓から様子を伺ってみた。そしたら、ど
うも怪しい奴が一人、ホテルの周囲をうろついてる感じだったのさ」
「うわ、そりゃヤベえ」
「ま、その不審者については後で話そう。とりあえず、捜査員二人は、そいつを捕まえに行ったわけだ」
「二人で行ったのは、マズいんじゃねえか?」
「そう。その間に殺されたわけだしね。ただ、どちらかが残ろうと捜査員達が言いだした時、二人で
行ってくれって頼んだのは、被害者だった。必ず捕まえて、組員かどうか確かめてくれってね。だか
ら、捜査員のほうでも被害者に、調べに行ってる間は、部屋の内側からしっかり鍵をかけて、何が
あっても絶対ドアを開けるなって言ったのさ。ま、私が被害者なら、言われなくてもそうするけどね」
「ところが結局、密室で殺されたってわけだ。戻ってきたその捜査員たちが、発見したんだろ?」
「達、っていうより、内の一人が発見者なんだけどね。さっき言った不審者に職務質問をかけようと近
寄ったら、そいつが逃げ出したんだよ。こりゃホントに組員かも知れないってんで、一人がそいつを
追っかけて、もう一人が、被害者の様子を見に戻ることになった。尾行者が一人とは限らんからね。
ところが、被害者の部屋を訪ねたら、中から鍵がかかってるのは当たり前なんだが、返事が全くな
い。で、ドアをドンドン叩いてみたが、やっぱり返事はない。こうなったらぶち破るべきか、ロビーにマ
スターキーを貰ってくるべきかと捜査員が迷ってる時に、部屋の中から、ようやく、返事があった」
「それが、メイドロボか…」
「うん。メイドロボは捜査員に、部屋の中に死体があると告げたんだ。慌ててドアを開けさせたら、部
屋の真ん中に、被害者の他殺死体が転がってたと、そういうこと。一目見て捜査員は、おかしいと
思ったそうだよ。犯人をむざむざ引き入れるような、軽はずみな真似をする被害者とは思えなかったん
でね」
「確かに、話を聞いた限りじゃ、そんな感じだよな」
「そんなものだから、すぐにその捜査員、テーブルの上に部屋の鍵が置いてあるのに気がついた。中
から鍵がかかってた以上、犯人は他の場所から入って、また出ていったか、それともまだ室内のどこ
かに隠れてる可能性がある。だから間を置かず、調べて回ったそうだ」
「オートロックじゃなかったのか?」
「場末のビジネスホテルだって言ったろ。そんなしゃれた作りじゃなかった。鍵も内側からつまみを捻
る方式さ。利用客も、ビジネスマンってのは少なくて、もっぱら、連れ込み宿として使われてたようだ」
「…ふうん。そういうボロ宿の方が、秘密の取引には、却っていいのかもな。で、調べた結果は?」
「窓には鍵。クロゼットは空。ベッドの下にも、誰も潜んでいなかった。バスルームの天井穴まで調べ
たんたが、結果はシロ。犯人は消えていた。まるで煙のように」

オッサンは、天井に向けて大きく息を吐くと、手持ち無沙汰そうに、机の上を指でトントン叩いた。禁煙
はまだ続いているようだが、いつまで続くことやら。

「で、唯一の目撃者は、フォーマットされてたと、そういうわけさ。他に目撃者はなし。問題の階は、捜査
員と被害者しか利用してなかったんだ。捜査員が先に部屋をとった時、支配人に、後から来る被害者
以外の人間は、なるべくよその階に振り分けるよう言っててね、それが今では、あだになった」
「犯人さんは、フォーマットの仕方を、知ってたんですねー」
「あ、いや、言い方が悪かった。そのメイドロボは、自分で初期フォーマットしたようだ。メンテ用のPC
の画面に再起動情報が残ってて、それがわかった」
「前にもそういう事件があったけど、メイドロボが自分で自分をフォーマットできるってのは、問題があ
るよな」
「あのね、藤田君、メイドロボのユーザーには、目や手が不自由な人や、寝たきりの人なんかも、結
構多いんだよ。メイドロボが自分で設定やフォーマットをやらなくちゃいけない状況は、当然起こりうる
んだ。特にセリオタイプになると、サテライトシステム搭載だから、ダウンロードで新種のウィルスに感
染する危険性が常にある。まあ、マスターの命令したときを除いては、よほどのことがない限りそんな
ことはしないように設定はしてあるがね」
「はいー、自分で修復できないバグとか見つけた時は、初期状態に戻さなくちゃいけないこともありますー」
「マルチ、言っとくけど、君にはその機能はついてないんだよ。試作品だからね」
「あう、そういえばそうでしたー、マルチ、やり方知らないですぅ」
「そういうわけだから、藤田君、マルチに変なことばかり教えてバグでも起こしたら、後が大変だから
ね。他のメイドロボ達のように、一般的な常識の範囲内で、生活してくれ。若さに任せて、くれぐれも無
茶なことはしないように」
「してねえって!」


「そういや、その部屋、鍵の他にチェーンはかかってたのか?ホテルなら、どこでもその手の仕掛け
がドアにあるだろ」
「いや。鍵だけだ。チェーンというか、そういう装置は確かにあったが、そっちは外れてた」

「ふうん…密室の謎だけど、一つ思いついたぜ」

「本当かね!」