雨の日のバタフライ 投稿者:NTTT 投稿日:4月24日(月)12時38分
その日、綾香は暇だった。
いつもなら外出しているところであったが、あいにく、外は曇り空。
雨の降り出しそうな天気の中、好んで出ていくほどの元気は、その日の綾香にはなかった。
広い自室の中、年代物の家具らしきベッドに腰掛け、頬杖をつく。
ちら、と窓の外を眺めやり、再び視線を戻す。
「セリオ…は、いないのよね…」
セリオは今日、来栖川エレクトロニクスの、研究室に行ってしまった。
メンテナンスは、今日いっぱい、かかる予定だ。

「ふう…」
何度目かのためいきの後、天井を見上げる。
しばらく、見上げ続ける。
やがて、ふっ、と力を抜き、そのままベッドに倒れ込んだ。
窓の外は、薄暗い。
小雨。

綾香は、部屋の中央で、膝を抱えている。
その前には、携帯のコンロ。
その上には、ヤカン。
その注ぎ口からは、糸のような湯気が、二筋。
綾香は、薄暗い部屋の中、その湯気がたゆたうのを、ぼんやりと、見ている。
なかなか、お湯は沸かない。
綾香は、じっと座って、ただ、ぼんやりと、見ている。
窓の外が、一瞬、光った。
稲光。
雨。

綾香は、部屋の中央。
仰向けに、寝転んでいる。
ほっそりした腹部の上には、猫。
ときおり、猫が床の上に降りようとするのを、手で押しとどめる。
猫を体に乗せながら、綾香は、天井を眺めている。
猫が、また床の上に降りようとする。
綾香が、とどめる。
猫が、うらめしそうに鳴く。
雨。

綾香は、ベッドの上。
あぐらをかいて、座っている。
左手には、消毒用のスプレー缶。
右手は、腕まくり。
丹念に、吹き付ける。
吹き付けた後、スプレー缶を、じっと見る。
注意書を、ゆっくりと、三度読む。
耳元に近づけ、振ってみる。
なにもない空中に向けて、吹き付ける。
スプレーから射出された細かい泡。
あるいは空中に溶け、あるいはベッドの上に不規則に散らばり、やはり溶けていく。
シーツの上、泡が溶けた部分を、綾香はそっと撫でた。
雨。

綾香は、クローゼットの前。
背中越しに、ハンガーごと、服を放り投げる。
背後には、服の小山。
ふと、手を止めて、持った服を、鏡の前で合わせてみる。
そして、また放り投げる。
引き出しを開け、下着を手に取る。
一つ一つ、見るともなく見ながら、やはり投げる。
綾香の額に、うっすら、汗が浮かぶ。
それでも、根気強く、丹念に、引き出しを空にしていく。
そして、2番目の引き出しに取り掛かった時、声がした。

「綾香様?」
「せっ、セリオっ!?ノ、ノックはどうしたのよ!!」
「致しました」
「あ、ああ…あ、あのさ、あ、アレ、どこいったのかな、アレ…」
「『アレ』と、申しますと?」
「え、ええっと、だから、アレよ、えーと、あ、そうそう、Tシャツ。そう、あの、チ
ョウチョの絵のやつ。見つかんないのよ。そ、それで、まあ、こうやって、探してんのよ」
「綾香様?」
「だっ、だから、しょうがないじゃない。見つかんないんだから。全部、こうやって、
探さないと…」
「今、綾香様が着てらっしゃいます」
「な、何?あたしが、着てるって?で、でも、ほら、これ、無地じゃないの。無地。真っ
白でしょ、ほら。何言ってんのよ、セリオ。あっ!!ひょ、ひょっとして、メンテナンス
で何か変なことされたんじゃないでしょうね!す、すぐ研究所に行かないと。あ、ああ、
ど、どうしよ…」
「綾香様?」
「は、早く支度しなくちゃ。せ、セバスに車出してもらわないと…もう、人んちのセリオ
になんてことすんのよ、あいつらは!!」
「綾香様」
「ほ、ほら、あんたも、早く支度を、いや、あんたはそのままでいいから、早く、ほら!」
二人、いや、一人と、それに引きずられた一体は、部屋を出て行く。
一人の背中には、極彩色の蝶の絵。

雨は、いつの間にか、止んでいた。