雪密室  投稿者:NTTT


「ふぅ・・・冷え込むわい・・・」

そう言って、男は空を見上げた。月光に照らされたそのシルエットは、まるで古代ギリシャの彫像の
ように、重量と、密度と、姿勢の美しさからくる清潔さを感じさせた。

「・・・トッショリには、こたえるて・・・」

セバスチャン、こと、長瀬源四郎である。

いつものお仕着せの上に羽織ったブルゾンのポケットから懐中電灯を取り出し、スイッチを入れる。

屋敷に向かって三度点滅。準備OKの合図。

来栖川家の中庭。

12月24日。

23時45分のことである。



「お、用意できたようだよ、諸君」

中庭に面した窓際に立ったその男が、部下たちに振り返る。

「さて、いっちょ、パーッとやりますかあ」

両手を大きく広げる、どことなく愛嬌のある仕草。

口元の妙にひとなつこい笑み。

そして、いつも着ている白衣。

来栖川エレクトロニクス開発課主任、長瀬源五郎である。

彼の指示のもと、白衣を着た男たちが部屋を出て行く。

ただし、音を立てないよう、こっそりと。

来栖川家屋敷内、2階の一室。

12月24日。

23時46分のことである。



セバスチャン、こと、長瀬源四郎は、月明かりの中、空を見上げ続けていた。

雲一つない夜空で、月がうっすらとぼやける。

頬に冷たく濃密な夜霧が当たる感覚。

屋敷の方に視線を向けた。

凍てつく冬の夜気の中、聞こえるのは、自分の息遣いのみ。

「ふむ、年ごとに性能がようなっとるのぉ・・・」

空から静かに落ちてくるそれは、今では、質、量、共に備え、夜空の月と星を彼の目から覆い隠し
ていた。

12月24日。

23時52分。



「よし、こんなもんでしょ」

彼の言葉に、部下の一人が装置のスイッチを止める。

ごく静かな振動音を立てていたその機械が完全に停止したとき、何人かが、パントマイムのよう
に、音のない拍手をする。

無音人工降雪装置。

何年も改良を重ねた最新モデルの実地試験は、ひとまず、終了した。

「さて、あとは向こうさんがうまくやってくれれば、工場に帰って打ち上げだねぇ」

部下の一人が、彼に近寄って囁く。

「ああ、そりゃダメだね。うん、君、帰ってよし。こんな日くらい、奥さんと子供に孝行してやんないと
ね・・・他に帰りたい人、帰っていいよ」

一分後、たった一人で装置のそばに残った彼は、つぶやいた。

「これ、一人で車に積んで帰るのか・・・参ったね、こりゃ・・・」

12月25日。

00時11分。



空には月が再び現われた。もう何も降ってくる気配は、ない。

頭の雪をはたき落としつつ、彼は周囲を見渡す。

一面の銀世界。

短時間で出現したその風景は、絵本の中の夢。

「さあて、行くかの」

足首を埋める白い絨毯から、彼は長靴をはいた足を引き抜き、屋敷に向かって歩き出す。

手にはロープを握り締めて。

ロープに繋がれたソリは、彼の足跡を挟んで、二本の真っ直ぐなシュプールを、描いた。

12月25日。

00時13分。



雪の中、大きく重いソリを引きずって歩いてきた男を、彼女は出迎えた。

「ごくろうさまです」

男はそれには答えず、雪があちこちに張り付いたブルゾンを脱いで、彼女に渡した。

続いて、彼女の見ている前で、上着、ズボンと脱いで下着姿になる。

彼女は目をそらしもしない。

「恥ずかしい」という感情は、彼女には、まだ、ない。

これからも、ないのかも知れない。

彼女、セリオと名づけられたメイドロボは、男が下着姿でソリを引きずって、再び中庭へと出て行く
のを、見送った。

これから、最後の仕上げが始まるのだ。

12月25日。

00時18分。



彼は、中庭の中央付近へと、戻ってきた。

一面に白い風景の中、クレーターのように、ぽっかりと、暗くうがたれた池の手前で、立ち止まる。

池までの距離、目測で約5メートル。

彼は、引きずってきた重いソリに、両手をかける。

「かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

ゆっくりと、ソリが地面から持ち上がる。

「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ」

上体の捻りだけで投げた重いソリは、水平に近い軌跡を描いて、池の表面をすべるようにした後、
ゆっくりと暗く深い淵へと沈み込んでいった。

12月25日。

00時28分。



彼は、2階の一室から、池の中にソリが消えていくのを見ていた。

「・・・あの年で、よくやるもんだ・・・」

感心している口調ながらも、彼の口元にはわずかに笑みが浮かぶ。

ソリを池の中に投げ込んだ下着姿の男は、しばらくその場で屈伸をした後、飛んだ。

助走もつけずに。

5メートル先の、冷たい池へと。

わずかに上がった水音が消えたとき、2階から見える風景は、白一面の世界に、行き帰りの足跡
と、それに続くソリのシュプールのみ。

どちらも、庭の中央で、ふっつりと消えている。

しばらくすると、中庭の端、池がもっとも塀に近い場所に、男が泳ぎ着く。

池から上がった男は、この日だけは電流を切ってある塀へとジャンプし、乗り越え、消えた。

中庭での全てが終わったのを見極め、小さく口笛を鳴らすと、彼は屋敷の1階、裏手へと向かっ
た。

曲は、赤鼻のトナカイ。

12月25日。

00時31分。



「いや、寒中水泳、ご苦労様です」

「きょ、きょ、きょ・・・」

「ああ、本当に今日は寒い日ですねぇ」

「せ、せ、せせせせ・・・」

「ああ、芹香お嬢さんも、綾香お嬢さんも、ぐっすり眠ってらっしゃるそうです。毎年のこととはいえ、
大変ですねぇ・・・ところで、ひとつ、お願いがあるんですが・・・」

「な、な、なな・・・」

「いや、他の所員が皆帰っちゃいましてね。あの機械を車に乗っけるのを、手伝って欲しいんです
が・・・」

「ば、ば、ばばばば・・・」

12月25日。

00時43分。









「え、二人とも、サンタクロース信じてるのかよ!?」

「なに、あんた、信じるも信じないも、いるものはいるんだから!証拠だってあるんだから!空からソ
リで毎年飛んでくるわよね、姉さん」

「・・・・・・(こくこく)」

「ふうん・・・・・・じゃあ、やっぱいるのかな・・・」

「どうして姉さんの言ったことだけ信用すんのよっ!!」



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