POP OLD WITH THE NEW MACHINE  投稿者:NTTT


―1―


…なんじゃあ!?

初めて「それ」を見た時の、彼の胸の内を言葉で表現するなら、その一語が最も適当だったろう。
それほど、彼は困惑していた。

「さ、マルチ、ご挨拶しなさい」

「は、はいぃ…」

「マルチ」と呼ばれたその少女は、少し上気したように、顔を赤らめつつ、上目遣いに彼を見上げて
いる。

…ひ、人見知り、しとるのか、「これ」は…

「ま、マルチと申します…よろしく、お願いしますぅ…」

少女は、ためらいを含むようにおずおずとその言葉を口に出し、ぴょこり、と頭を下げた。ぎこちない
その動作は、彼の知る限り、「機械」の機構がもたらすぎこちなさとは、全く異質のものだった。
そう、それは、「人」のぎこちなさだった。

「…おお…」

思わず、つられるように頭を下げそうになった彼の視界の端に、少女の横に立っている男の、笑み
を浮かべた口元が見える。片方の口元がわずかにつり上がった皮肉げな笑みは、その男の長い
顔に貼りつくと、一層皮肉げに見えた。

…得意げな顔しおってからに…親父とええ勝負じゃ…

背筋を伸ばし、彼はまだ頭を下げつづけている少女の前に、右手を差し出した。動揺を気づかれないようにしたつもりだったが、いくぶん、ぶっきらぼうに見えるその動作は、彼の普段の行動を知る
者から見れば、かなり不自然に見えたことだろう。

「お、おお、あんたが、マルチさんか。長瀬主任から、話は聞いとったよ。こちらこそ、よろしゅうな」

少女はわずかに顔をあげ、上目遣いに彼の顔を見る。少女の不思議そうなその視線は、次に彼が
差し出した右手に、次いで少女の背後に立つ男に向けられる。

「握手だよ、マルチ」

「は、はいっ」

少女は彼の右手に両手で飛びつくようにして、その掌を包んだ。無邪気な笑みをたたえて彼の顔を
見上げ、彼の掌を包んだその両手を、勢いよく上下する。

「こ、こりゃ、そんな振り回さんでくれ」

ぱっ、と少女の手が離れた。少女は顔をこころなしかうつむけ、不安げな表情で、上目遣いに彼を
見る。

「す、すいません、ですぅ」

「い、いや、怒っとるわけじゃありゃせんのじゃ、ただ、加減を、そう、ちぃと、加減をの…」

彼の耳に、ごくわずかな含み笑いが聞こえた。はっとして、少女の背後に立っている男を見る。男
は、顔をわずかに天井に向け、真面目くさったような顔をしていた。だが、口元がわずかに震えてい
るのは、隠しようもなかった。

「も、もうええ、連れて帰れ」

彼がそう言うと、男は唇の端を大きく歪めた。目が笑っている。

「お言葉ですが、『長年の研究開発の成果をテスト前にじっくり検分したい』と言ったのは…」

そう、彼は確かにそう言った。自社製品は流通に流す前に必ず一度は自分で試すのが、彼のポリ
シーだったからだ。今までずっとそうしてきた。

だが、

…しかし、こりゃあ…

「…そうおっしゃるものですから、今日は開発室の者にも休暇をとらせました。連れて帰っても、テス
ト前のこの時期に、まる一日無駄になってしまうのですが…」

そう、わがままを言ったのは、自分だ。彼にもそれはわかっていた。

「…とりあえず、夕方には暇な技官を遅番で入れますから、それまでお願い頂けませんか。今のう
ちにどれだけ多くの状況に対応させられるかで、後のテストの結果もかなり変わってくるんですよ、
マルチは」

彼が「わかった」という風に手を振ると、男は一礼して部屋を出ていった。男が部屋を出て行くとき
の後姿は、妙に楽しげに彼の目には映った。

そして、静まり返ったその部屋の中、彼と、少女、いや、『長年の研究開発の成果』とは、正面から
向かい合った。いごこち悪そうにきょろきょろ目を泳がせている「それ」は、彼の目には年端もいか
ない少女にしか見えない。先程手をとられた時の感覚は、まだ彼の手に残っている。思わず彼は、右手をズボンの太股で拭った。それでもまだ、彼の掌は汗ばんでいた。

「あ、あのぅ、会長さぁん…わたし、なにをすれば、いいんでしょうかぁ…」



…こりゃあ…


…こりゃあ、反則じゃろう…








―2―


彼と少女は、廊下を歩いていた。絨毯を突く彼の杖のくぐもった音が、わずかに響き、そして壁や天
井に吸い込まれるように消えていく。

「どこに行かれるんですかぁ」

少女は、彼の後をついてきている。その足音はやけに軽いものに彼には感じた。

…どういう材質をつかっとるのかのう…

「メシじゃ。まだ食うておらんでのう」

「めし、ですかぁ?」

彼が振り向くと、少女は首をかしげ、考え込んでいる様子だった。口がゆっくりと動いて、なにやら
つぶやいているように見える。

…ひょっとして…

「メシ、ちゅう言葉、知らんのか?」

少女は、「はい」と小さく答えて、恥ずかしそうに彼の顔を見る。

「い、いや、知らんでええんじゃ、下品な言葉じゃからな。『ごはん』じゃ、『ごはん』…」

「あ、はい、ごはんですね。はい、知ってますぅ!」

少女の顔がぱっと明るくなる。が、すぐにまた悲しそうな顔になり、足元を見るようにうつむいてし
まった。

「ど、どうしたんじゃ、お、おう、ひょっとして、腹、いや、お腹が、すいとるのか?」

「い、いえ…電力は、充分なんですけどぉ…」

「けど?」

「わたし…料理、習ってなくて、お役に…」

「い、いや、あんたに作れとは言うとりゃせん。うちには専属の料理人がおるんじゃから、まかしとけ
ばええんじゃ」

「あ、そうなんですかぁ!あ、でも、なにかお手伝いできることは…」

少女はそう言って、にこにこ笑いながら彼の後をついてくる。

…ようも機嫌がころころ変わりよるわい…わしゃこんな小娘、いや、ロボットの機嫌なんぞ、とれや
せんぞ…

「あ、おはようございますぅ」

ロボットに気を取られていたせいだろうか、廊下の向こうから歩いてくるその人影に彼は気がつかな
かった。慌ててロボットの見ている方向に目をこらす。最近では老眼も進んで遠くの物もぼやけ気
味な彼の目ではあったが、その人物を見間違えるはずもなかった。この屋敷内で真っ黒なマントを
服の上から羽織っている人物は、一人しかいない。

「おお、芹香、どうしたんじゃ。ま、また、なんぞ怪しげな実験でもしておったのか」

芹香、と呼ばれた少女は、彼の孫だった。今年で高校3年になる。成績は優秀ではあったが、魔術
という彼にとっては怪しげとしか言いようのないものにのめり込んでいるあたり、先行きが心配な相
手であった。それに次の行動が読めないところが亡くなった彼の妻によく似ている。彼は年の60才
以上離れたこの孫を、いまひとつ苦手としていた。

「・・・・」

…また、この声が聞き取りにくいんじゃ。わしゃもう年で耳も悪なっとるちゅうに…

「も、もうええ、もうええ。わしゃお前の言うことはようわからん」

聞きたくないとでもいう風に手を振る彼に近づいてきたその少女は、ちら、と彼の後ろに眼をやる。
次いで、彼の顔をじっと見つめる。

「お、おお、これはマルチいうての…」

「マルチと申しますぅ。こんにちわぁ」

少女は、そのロボットの方にわずかに会釈した後、再び彼の顔に視線を据えた。

「・・・・」

「か、隠し子じゃと!ば、馬鹿な事を言うでない、わ、わしゃ死んだ婆さん一筋じゃ。い、いや、それ
はまあ、少し嘘じゃあるが、そういう覚えはありゃせんわ!こ、こやつはロボットなんじゃ、ほれ、電
工で来期テストに入るやつじゃ、の、のう、マルチ、お前さん、ロボットじゃろ」

「はい、ロボットなんですよぉ」

それを聞いた彼の孫は、瞬きを一つしたと思うと、つつ、と彼の横をすり抜けた。そのロボットの
前でぴたりと立ち止まり、上から下までゆっくりと視線を動かす。と、きょとんとしているそのロボッ
トの頬に軽く手を触れたと思うと、ゆっくりと撫でまわした。

「ふふぅ…くすぐったいですぅ」

それでもその手はとまらず、ロボットのやけに目立つ緑色の髪を何度か梳くようにした後、その
頭部を撫で始めた。撫でられている当のロボットは、くすぐったげに目を細め、体をよじっている。
時折、「はわぁ」と、意味不明のつぶやきがもれてくるのが、彼にも聞こえた。

「ど、どうじゃ、芹香、ようできとるじゃろう」

「・・・・」

「い、いや、何のためのロボットかと、聞かれてものう…」




…ほんとに、何のためのロボットなんじゃろうなあ…




―3―


来栖川家の敷地は、そのグループの威容にふさわしく、個人の邸宅としては最大級を誇る。庭に
は四季おりおりに花をつける草木が植えられ、一部は森林のごとく樹木が生い茂る。その広大な
庭の一角、池のほとりに、彼とそのロボットは佇んでいた。

「はわぁ…お魚さんですぅ…」

「鯉じゃ。400匹ほどおる」

「『こい』」

「そうじゃ。知らんのか?」

「はぃ…すみませんですぅ…」

「いや、知らんでもよい。昔は凝っていろいろ集めてみたんじゃが、飽きてしもうてな…やはり自然
のままが一番よい」

「『自然』」

「うむ。人は自然を時々忘れることがあるんじゃが、結局、人も自然の物なんじゃな。自然の方で、
人を忘れてくれんのじゃ。結局、自然に足元をすくわれるようになる」

…わしゃ、ロボット相手に何を言うとるんじゃ?

「はあ…」

「まあよい。お前さんも時が来たらわかるじゃろう」

「はい…あ、これ、なんですかぁ」

「ん?」

そのロボットが手にとって差し出したものを、彼は目を細めて見た。手入れが定期的に入っているこ
の庭においては、それはあきらかに雑草と呼ばれるものだった。だが好奇心いっぱいでそれを見る
ロボットの目は、日の光を一瞬きらりと反射させ、光り輝いた。遠い昔、自分の幼い子供に同じ質
問を、同じような目でされたことを、彼はそのときふと思い出した。

「タンポポじゃな。種になっとるわ」

「『タンポポ』」

「そうじゃ、よう見とれ」

彼はその子からタンポポの茎を受け取り、息を吸い、口をすぼめた。今日のようにからりと晴れた日
はよく飛ぶことを、彼は知っていた。やがて彼の手元から、小さな綿毛が空中へと舞い上がり、空
の青、草の緑へと吸い込まれていった。

「わあ…きれいですねぇ…」

「『きれい』?」

「は、はい…説明、できないんですけど、きれいなんですぅ」

「ふん…まあ、説明できる者なぞ、滅多におりゃせんし、おったとしても、説明しきれてはおるまい」

「はい?」

「ま、そのうち…いや、わからんじゃろうの。この年まで生きとってもようわからんのじゃから」

「あ、誰か来ますぅ」

その子の視線を彼は追った。遠くから、駈けてくる影が見える。この敷地でジョギングをする人間に
も、彼には心当たりが一人しかいない。

「あ、やっぱりおじい様。どうしたの、珍しい」

「なに、この…ロボットが、草木を鉢のしか見たことがない言うんでな…」

「え、なに、あんた、ロボットなの!?マジ!?」

「これ、綾香、触るのはよいが、手荒に扱うてはいかんぞ」

「はいはい、わかってますって」

綾香と呼ばれた少女は、そのロボットの顔をためつすがめつした後、おもむろにその手を伸ばして、
ぺたぺたとロボットの顔を触り始めた。ときおり、指でロボットの皮膚をつまみ、ひっぱる。

…こういうところは姉妹そろってよう似とるのう…

少女もまた、彼の孫、先程屋敷で会った芹香という少女の、妹だった。格闘技にのめりこみ、全国
規模の大会で優勝しているあたり、これもまた彼にとって先行きが不安な孫である。腕っ節がやた
らに強いところが、これまた彼に亡くなった妻を思い出させて、少し苦手であった。その、やたらに
強い孫は、今、ロボットの頬をつまんで、左右に引っ張っている。

「い、いひゃいですぅ」

「え、い、痛いの!?ご、ごっめーん」

「言うとくのを忘れとったが、触感があるんじゃ。手荒なことをするなと言うたろうが」

「ほ、ホント、ゴメンね。大丈夫?」

「はい、大丈夫ですぅ」

「ね、ねえ、おじい様…」

「駄目じゃ」

「まだ何も言ってないでしょ!」

「どうせ、『欲しい』ちゅうんじゃろうが」

「ま、まあね…」

「まだテストも終えとらんし、大体何に使うつもりじゃ」

「んーと…」


…ほんに、何に使えばいいんじゃろうな…




―4―


その日の夕方、彼は来栖川電工の応接間で、朝、ロボットを連れてきた男と向かい合っていた。マ
ルチは実験室に引き渡していた。今頃は所員達に、今日の行動を逐一話しているのだろうと彼は
考え、ふと口元がゆるむ。

「ありゃ、一体何なんじゃ」

「ですから、新しいロボットですよ」

「新しいちゅうても、何も出来やせんではないか」

「これから覚えていくんですよ」

「頭もそれほど良うないようじゃがの」

「馬鹿にしたものじゃないですよ。ロボットですから記憶力は人間の及ぶところじゃありません。ただ
…」

「ただ…」

「使わない記憶は無駄ですからね。繰り返さないと、そのうち忘れてしまいます。人間と一緒です
よ」

「そんなところを人間並にしても、役にたたんではないか」

「役にたたなければ、いけませんかねえ」

「お前さん、売り物を作っとるちゅうことを、忘れとりゃせんか」

「わかっておりますとも。これから、売り物になる機能をどんどん頭に乗せていくつもりです」

そう言うと、男は椅子から立ち上がって、窓際へとつかつか歩いていった。窓の外を眺めるようにし
ながら、彼に背中を向けたまま、男は言った。

「楽しく、ありませんでしたか?」

彼は答えなかった。男は続けた。

「私は、彼女たちを、道具にしたくないんです。しょせん機械は人の使う道具にすぎない。しかも複
雑な機構を持った道具ほど、人はその機構を理解できないという理由で、使い捨てにしてしまう。ロ
ボットなんて、その最たる物です。格好を人間に似せても、親近感も友愛もない。底の方での相互
理解がなければ、ただ便利な使い捨ての道具にしかならないんですよ。私は、心を似せて作りた
かったんです。心ほど、人にマッチしたOSはないんですよ。私は彼女たちに、心を乗せてやりたい
んです、人と手を繋げるように」

喋り終えた後、男は振りかえった。男の顔は、彼にはとても悲しげに見えた。

…捨てられた犬ころみたいな目をしおって…一番マルチが必要なのは、お前さんじゃろう…

「全てはテストの結果次第じゃな。せいぜい頑張るがよかろう、使えるものを作れるようにな」


彼がその部屋を出て行くとき、男はまた窓の外を眺めていた。



彼が帰りの車に乗り込んだ時には、太陽はもう沈もうとしていた。夕焼けが磨き上げたリムジンの
表面をまばゆく照らす。

車を発進させようとしたとき、工場からマルチが走り出てきた。

「か、会長さーん」

「おお、どうしたな」

「あ、あの、今日は、ありがとうございましたぁ」

「お、おう、それじゃあの」

「はいっ。お気をつけてぇ」



マルチは、彼の乗ったリムジンが見えなくなるまで、手を振っていた。

彼は、それを見えなくなるまで見ていた。


車を運転している男が、彼に話し掛けてきた。男とはもう50年近い付き合いだ。死んだ妻より長
い。

「よく出来ておりますな」

「『出来とる』か…」

「何か?」

「いや。ところで、元気じゃったぞ」

「そうですか…」

「あれから一度も会うとらんのか?」

「まあ、会う必要もないでしょうし…」

「子供と親は必要で会うもんではないわ」

「はあ…」

「親子そろって頑固じゃからのう、お前さんとこは。親が折れとかにゃ、どうにもならんぞ」

「・・・・」

「まあ、よい」



しばらくの沈黙の後、運転している男に彼のいびきが聞こえてきた。疲れたのだろうと男は考え、
頭の中で、車が少なく一定速度を保つことの出来る道筋を選び始めた。そして、なるべく遠回りな
道を。

バックミラーに写る彼の寝顔は、やけに楽しそうに男には見えた。


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