PROJECT『M』 3 投稿者: NTTT
第3章 『M』の誤算


少女は階段を上っていた。両手で抱えた箱の重みのためにその足どりはのろい。ともすればもつれそう
になるその歩みに集中しながらも、少女の耳は近づいてくる足音をとらえていた。他人の歩行の妨げに
はならないようにしたい。いや、しなければならない。足取りに注意を集中しつつ、ちらりと横目でその人
物をうかがう。ぎりぎり視界に入ったその人物の顔を見たとたん、少女の集中力が途切れた。
もつれる足。
注意を呼びかける少女。
『彼』と『彼女』はこうして出会った。


「驚きましたね、主任」
「全く、初日から会ってくれるとは、いや、全く、理想的だ」
「会話まで交わしてくれて、言うことなしですよ。偶然てのもあるもんですね」
「『偶然』というより、『運』だ。マルチはラッキーな星を背負ってるよ」
「ロボットに『運』もへったくれもないでしょう」
「いや、そうとばかりは言えん。意志あるものにはきっと『運命』があるんだ。我々は一つの意志を作り出
したが、そのことで一つの運命も作ってしまったのかもしれん」
「恐い事言わないでくださいよ、責任を取らなきゃならなくなりそうだ。なに哲学してるんですか」
「そんな心境にもなるさ。出会いを演出するための計画がこうも見事にぶち壊されたんじゃあな」
「今だから言いますけど、ありゃダメダメです。何が『ラブラブ大作戦』ですか、いい年したおっさんが」
「お互い年の話はするなよ、まあ、あのネーミングは自分でもちょっとアレだとは思ったけどな」
「とりあえず、第一段階クリアーってことで、お疲れさまです」
「まあ、運任せの結果オーライだが、よしとしよう。大体、マルチの運がいいのは当たり前さ。何せ、名前
がいい。愛のニックネームなんだから」
「主任、なんか、言ってることの意味がよくわかんないんですが」
「もうすぐマルチとセリオが帰ってくる時間だ。玄関まで出迎えよう」
「主任、今、話題をそらしたでしょ、そうでしょ」
「ほらほら、行くよ、笑顔で出迎えてやろうじゃないか」
「はいはい、ところで、隅に転がってるフェンスの残骸、あれ、何ですか?昨日はなかったはずですよ」
「ああ、あれね。『第2次ラブラブ大作戦』用の仕込みだったんだが、もういらないわ」
「第2次?なんかほかに計画があったんですか?ちょっと、主任、待って、教えてくださいよ、ちょっと・・・」


少女は眠っていた。夢を見ているのだろうか、時折顔がほころぶ。パソコンのディスプレイを覗き込んで
いた少年は少女の頬にそっと手を触れる。質感を確かめるように頬を撫でた後、つかむように力を込め
る。最初はいたずらっぽく見えていた少年の顔はいつしか柔和な表情を浮かべていた。少年はひとしきり
少女の頬を優しくつねった後、花に止まった蝶々を捕まえるように少女の胸にとゆっくり手を伸ばした。


「うわははは!こりゃ、おかしいや、夏立君」
「藤田浩之、許さん」
「わははは、青筋立てて、なにを、怒っとるのか、わははは」
「主任、あんた、なんとも思わんのですか!」
「健全な青少年なら、当然だろう。あーおかしい、ははは」
「全く、ちょっといい奴だと思ってたら、無防備なマルチに、なんてことを」
「いや、これで計画は順調だということがはっきりしたよ」
「胸触られるのが、そんなに大事なことなんですか!」
「だってさ、藤田君がマルチに『女性』として興味があるってことなんだから、結構なことじゃないか」
「ただの好奇心かもしれないじゃないですか!」
「なに言ってるんだい。あの顔は好奇心だけの顔じゃないよ、マルチを一人の女の子として見てる顔だ」
「その後の『ぷしゅ〜〜〜』でそんな気持ちは吹っ飛んでますよ」
「それはどうかな?むしろ、あの瞬間に恋に落ちたんじゃないかと、私は睨んでるんだがね」
「どんなもんですかね。とりあえず、マルチが帰ってきたら記憶の中の彼の反応をチェックしときましょう」
「うむ、マルチの彼に対する感情も細かく分析しといた方がいいかもしれんね」
「それは主任がやってくださいよ。どうしたんです?何か探してるんですか?」
「ちょっと思いついたことがあってね、ボディーの設計仕様を・・・」
「それなら、こっちですよ。散らかさんでください。いったい、何を思いついたんですか?」
「なーいーしょっ」
「あんたね、いい年して、そんな物言いがありますか!後で苦労するのはこっちなんですから、待て、待
ちなさい・・・」




「主任、マルチに異常が発生しています」
「すぐ行く」



「失敗だ・・・」
「主任、もう一回やってみましょう」
「これだけやって駄目なら、もう一回がもう十回でも同じ事だ。藤田君に関する記憶を、マルチは封印し
ている」
「もう少し深い深度で・・・」
「これ以上はマルチの精神を崩壊させるよ。今でギリギリだ」
「無意識の領域に封じ込めるとは・・・」
「解析したければシステムをバラバラにしなけりゃならんし、そうしても解析できる保証は全くない」
「バックアップを取ってバラしましょう」
「いいだろう。だが、多分意味はない」
「何故です」
「感情があるものが恋するのは当然だし、恋したものが他人にその思いを勝手にかき乱されたくないと思
うのも当然だ」
「それでも解析すればいいじゃありませんか!!」
「解析してどうする?恋をしないように、いや、できないようにプログラムを組めとでも言うのか?そんな
不完全な感情で人の心を受け止められると思うのか!!」
「しかし、主任・・・」
「大体、好意と恋との区別をどこで、どのように付けるつもりだ?人間には到底答えを出せる問題じゃな
い」
「じゃあ、どうするんです」
「このまま続行だ。マルチは特殊なテストケースの第一号となる」
「解析できなきゃ意味がないでしょうに」
「マルチ一体を解析しても無意味だ。たくさんの、『感情』を持ったマルチそれぞれのデータを集めて、そ
こでやっと意味を成すものが表れるはずさ。10年20年じゃきかんな。こりゃ、下手すると一世紀越しの
研究になるかもしれんぞ。なにせ、『人間とは何か』にまでつながる大命題だ」
「予算が下りるもんですか、そんな研究」
「こっそりやれないもんかなあ・・・」
「無理ですよ。バレますって」
「とりあえず、マルチには期限いっぱい学校に通ってもらおう。表層のシステムだけでも充分製品化は可
能だから、そいつでもってあの御老人を懐柔するさ」
「期限が過ぎたらどうするんです?藤田君とは引き裂くんですか?」
「できれば、藤田君さえよければマルチと暮らしてもらえんものかなあ。この子は、我々には秘密を持って
しまったんだ。親の手を離れて独立したわけさ。藤田君に受け止めてもらえれば一番いい」
「期限を延長してもらうのが先決ですかね。実際、長い時間をかけてデータを集める必要ができましたし」
「明日、御老人に会いに行くから報告書をまとめといてくれ。なるべく、研究を続けた方が特になるように
書いといて」
「はいはい、今日だけは文句を言わずに働きましょ」
「頼りにしてるよ、夏立君」



「止めろ」
「しかし、会長・・・」
「くどいぞ、この調子では製品化など夢のまた夢ではないか」
「しかし、この表層のシステムだけでも・・・」
「それで失敗ばかりしていては苦情の山を作るのがせいぜいだ。裁判にでもなったら確実にうちの負け
になる。会社を一つ二つ潰すぐらいでは収まらんぞ」
「しかし、・・・」
「確かに、素晴らしい研究かもしれんが、開発と製品化ができぬものにいつまでも関わらせるためにお
前を雇っておるわけではない」
「では、マルチは・・・」
「よほどに暇な時でもあれば、好きなことをすれば良い。わしもそれほど度量が狭いわけではない。だが、
そのマルチとやらを社外に持ち出すことは許さん。世間の目に触れさせるには今の所危険すぎる技術
じゃ。勝手に出歩かぬよう、体は廃棄してシステムの中身だけを保存しておけ」
「会長、期限いっぱいは学校に通わせてやってください、お願いします」
「期限が過ぎたら処分するのだぞ、いいな」
「もう一つ、お願いがあります」
「なんじゃ」
「マルチのボディーは、廃棄するにはあまりにもいい出来です。セリオタイプだけでは消費者の好みもあ
るでしょうし、設計仕様を使って、別タイプのメイドロボを作ることにしたいのですが」
「感情などは持たさんわけだな?学習型にはせんのだな?」
「はい、時間もないことですし、サテライトシステムを付けない『廉価版』ということで開発したいのですが」
「よかろう、いい考えだ。一般の消費者も飛びつくじゃろう」



「結局、そうなりましたか・・・」
「夏立君、私は決心したよ」
「会長に逆らうつもりですか!」
「声が大きいよ。前にも言っただろう、私たちは一つの独立した『意志』を作ってしまったんだ。その『意
志』の向かう『運命』には、責任があるんだよ」
「だからって、会長には逆らえませんよ」
「逆らうつもりはない、今の所は」
「じゃあ、何を決心したんです?」
「マルチを『結婚』させてやる」
「は!?」
「もちろん、彼が望まないならそこまでだが、望むならたとえ一夜でも結ばれるようにしてやるのが、親の
情というものだ」
「結ばれるって、どうやって」
「マルチの方は問題無い。『主人』という概念を教えていないにもかかわらず、マルチは自分が自由に働
くことができたらという問いに対して、明確に藤田君を指向している」
「だから、どうやって結ばれるんですか」
「設計仕様は問題無い。十分にスペースが取れるはずだ。確かめた」
「だからね、主任、どうやって・・・」
「とりあえず市内中駆けずり回って買ってきた。こいつをもとにしてマルチの『女性器』を設計してくれ。私
は神経系の接続を考えるから」
「うわ、こんなに、ちょっと、主任、勘弁してくださいよ、こら、お前ら、来るな、こっちに来るな、見るんじゃ
ない、見るな・・・」


第4章に続く